2025.2 FEBRUARY 71号

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「世界の農業農村開発」第71号 特集解題

海外情報誌企画委員会 委員長  角田 豊


 第71号のテーマは「多様な主体による農業農村開発協力の展開」である。

 我が国は、1954年にコロンボプラン(アジア太平洋地域諸国を支援する協力機構)に加盟し政府開発援助(ODA)を開始してから昨年で70周年を迎えた。当初はアジアに集中していたODAは、日本の経済成長とともに拡充し1989年にはODA総額で米国を抜きトップとなった。

 1970年から80年代にかけて、農業農村開発分野の協力も大きく伸びた。アジア地域の灌漑開発事業を中心に有償・無償の資金協力を実施し、技術協力も盛んになった。農業農村工学技術者の海外派遣は、農水省等から在外公館の経済協力担当書記官、JICA専門家、国際機関等への派遣者が年々伸びていた。民間企業も開発調査やプロジェクトの実施に大いに活躍の場を広げた。

 1990年代に冷戦が終結して以降、経済のグローバル化、中国の台頭、ASEAN諸国の経済発展など状況が変化する中、我が国は2001年に援助規模世界一の座を降りODA予算も減少傾向に転じた。2023年に策定された開発協力大綱では、国際社会が直面する危機や地球規模課題に対応すべく気候変動、保健、人道危機、デジタル、食料エネルギーが重点施策として掲げられている。

 農業農村開発分野でも、中国やアジア地域の経済発展によりODA以外の手段による協力が増えてきている。2023年に「日アセアンみどり協力プラン」を日アセアン農林水産大臣会合で採択し、アジアモンスーン地域に対して気候変動に対応する多様な協力を展開しているところである。アフリカに対してはTICADの枠組みの中で継続的な農業開発協力を続けている。また、フードバリューチェーン、災害復興の取り組みなど活動の領域は拡大している。その主体としては政府やJICAのみならず民間企業、地方自治体、農業団体、大学、研究機関、NGOなど多様な主体が連携して協力や交流を進めることが重要である。

 今号のOPINIONでは、松野裕氏らからアジアモンスーン地域における灌漑農業の課題と多様な主体による課題解決のアプローチについて提言をいただいた。またKEYNOTEでは、JICA筑波が実施する多様な主体との共創・還流・人材育成、地方ベンチャー企業のスマート水管理技術、民間企業のビジネス構築支援、灌漑分野の政策対話・技術交流、以上4編の寄稿をいただいた。


Opinion アジアモンスーン地域における灌漑の課題と展望~多様な主体、人材育成、技術展開の視点から~

 近畿大学教授の松野裕氏、JICA海外協力隊員(農業土木隊員)の木下滉大氏からの提言である。

 アジアモンスーン地域は世界の稲作灌漑の中心地であり、大小の灌漑システムが建設されてきたが、経済発展や環境の変化で様々な課題が生じている。気候変動により灌漑排水施設の容量が不足し脆弱性が明らかになってきたこと、既存の灌漑システムの老朽化が進み近代的な灌漑技術への投資も不十分なこと、急速な経済成長による農地転用や用水の水質悪化の問題などである。

 こうした課題解決のアプローチとしては、ハード面の整備では、老朽化した灌漑施設の改修や機能回復とともに、スマート技術を活用した水門の自動開閉や圃場環境モニタリングという水管理システムが重要であると指摘している。ソフト面では、灌漑施設の管理能力の強化が重要であり、農家参加型水管理(PIM)は政府のトップダウン型ではなく農民の意向を踏まえた役割分担によるボトムアップ型のアプローチがより強化されるべきと指摘している。

 農業農村開発協力の実施面をみると、ODAはソフト面の協力に移行しており、農家参加型水管理(PIM)、スマート農業技術の開発・実証、フードバリューチェーンの構築が中心になってきている。水田の水管理においては、国際水田・水環境ネットワーク(INWEPF)が、アジア地域のみならずアフリカやヨーロッパからの参加国も加え、水田水管理の多国間連携と課題解決に貢献している。研究機関では国際農林水産業研究センター(国際農研、JIRCAS)が気候変動に対応した水管理技術の実証研究開発に取り組むなど「みどりの食料システム戦略」の一翼を担っている。大学では、学術交流協定に基づく海外の大学との交流、JICAの草の根技術協力の実施主体として活動の幅を広げている。国際機関との連携では、農水省とアジア開発銀行(ADB)が気候変動緩和策として間断灌漑技術の実証に取り組んでいる。

 一方、農業農村開発分野において国際協力を担う人材の育成はデジタル技術の活用を含めて急務である。農業農村工学を専攻する学生が国際協力のキャリアパスをイメージできるリクルート活動や情報発信に加え、農業機械メーカー、開発コンサルタント、ゼネコン、食品関連産業など民間企業と連携して農業農村開発のキャリア形成を図ることが重要であると指摘している。


Keynote1 農業農村開発分野の国際協力における多様な主体との共創、還流、人材育成について

 JICA筑波所長の高橋亮氏による寄稿である。

 2023年の「新開発協力大綱」では、気候変動や感染症対策等の地球規模課題、食料、エネルギー、難民等の複合的危機に対し、開発途上国との対話や協働を通じ解決策を共に創り上げていく「共創」、生み出された解決策や社会的価値の我が国への「還流」が重視されている。国際的な農業農村開発協力の今日的意義は、持続可能な農業の実現を通じた人類の生存、社会経済の安定と発展、人間の安全保障に基づく複合的危機の克服に大きくかかわるものとして一層高まってきていると指摘している。

 こうした中、JICA筑波は多様な主体との共創、還流、人材育成の拠点であり、開発協力で得られた知見をわが国の地方創生に還流させる、開発協力の意義を幅広い国民に説明するとの役割を有している。JICA筑波は、15か所のJICA国内拠点で唯一農業農村開発協力分野の研修事業のための田畑ハウスと実験実習棟を有している。JICA筑波の研修事業は、稲作、野菜、灌漑排水、農業機械の4つの基幹コースに源流があり、2023年末には累計の研修生3万人、年間の研修生は600~800人の規模である。研修事業は、知識や技術の移転にとどまらずリーダーシップやチームワーク力など行動規範の強化にも重点を置いている。帰国研修員は国づくりの中核を担い親日派となって、二国間の関係強化にも貢献しているという。

 国内拠点の重要な任務として「開発教育支援」がある。JICA研修員と地域の学校との交流、JICA筑波スタッフによる出前講座、大学生・大学院生向けの国際協力理解講座も実施している。さらに「中小企業・SDGsビジネス支援事業」では、茨城、栃木の民間企業の海外における新規事業の取り組みを支援している。

 他に、「JICAボランティア事業」、「草の根技術協力事業」、「農業共創ハブ」、「農業農村開発アカデミー」といった取り組みを実施し、多様な主体による農業農村開発分野の技術協力や人材育成に努めている。


Keynote2 農業におけるスマート水管理技術paditch(パディッチ)の開発・国内での普及と海外への展開

 株式会社笑農和えのわの下村豪徳氏の寄稿である。

 富山県の農家出身でIT業界で仕事をしていた下村氏は、高齢農家の農地を担い手農家に集積し規模を拡大するためには、多大な労力と時間を要する水管理が大規模農業のネックになると考え、2013年に地元の富山で起業し水田農業における水管理の自動化に取り組んだ。

 IoT技術の発達に合わせ、通信環境を省電力で複数の装置を広範囲に常時稼働できるLPWA(省電力長距離通信)方式を採用して、水田地域に基地局を設置、直径4km~10kmに及ぶ通信ネットワークを構築してネットワーク内の水田水管理施設を遠隔操作できるようにした。開発した製品は、開水路から圃場への給水をゲートの開閉で管理するタイプ、菅水路から圃場への給水をバルブでコントロールするタイプ、水田からの排水を1cm単位で管理できるタイプの3種類である。この水田水管理システムでスマートフォンから圃場毎の水位・水温が確認でき、遠隔操作で給水・排水の操作ができる。タイマー機能やカレンダー機能を利用して指定した時間で自動給水や水位センサーで水田水位の管理が可能となり、田んぼダムの操作にも対応するという。

 国内では1500台を超える導入実績があり、導入農家からは、水管理作業時間を80%削減、水温と水位の適正管理によりコメの収量増と品質向上等の高い評価を得ているという。また水管理の中干し期間の7日延長によりメタンガス30%削減(排出権取引)の取り組みも可能となる。

 海外展開については、ベトナム、タイ、カンボジアで実証試験を開始し、各国の気候条件や栽培体系に最適化したスマート水管理技術の開発を進めているという。民間企業によるスマート水管理技術の展開に期待したい。


Keynote3 本邦民間企業による国際協力と支援策

 NTCインターナショナルの小手川隆志氏の寄稿である。

 開発途上国支援において、中小企業を含む日本企業が有する高度な技術や独自のノウハウ、革新的なアイディアは開発途上国の経済成長に大いに貢献する。JICAの「中小企業・SDGsビジネス支援事業」は、民間企業が対象国で事業展開を行う際、情報収集等の事前調査(ニーズ確認調査)と事業計画の策定や実行可能性の検討(ビジネス化実証事業)の支援を行うものである。

 分野では農林水産、保健医療・福祉、水の浄化・水処理が多く、地域では東南アジアが最多で次いでアフリカ、南アジアとなっている。ビジネス展開の継続状況としては、事後モニタリングで確認できた136事業のうち、継続中の事業が101件(70%)、そのうち売上を実現している事業が41件(30%)、事業継続を断念した事業は35件(26%)となっている。

 また、開発途上国でのビジネス化に向けて押さえるべきポイントとして、組織体制の整備、信頼できる現地の社外パートナー、良好なビジネス環境、製品技術が現地のニーズに合致、実行可能な事業計画の策定等を挙げている。

 農林水産分野の具体的成功事例として、NTCインターナショナルが支援に関わったバングラディシュ国でのソフトクラブシェル事業を紹介している。ソフトクラブシェルとは、脱皮直後の殻が柔らかい蟹のことで欧米で高級食材として扱われている。地元漁師からの供給に依存していた原料蟹のサプライチェーンに蟹の種苗生産と中間養殖を加えることで蟹資源を保全しつつ新たな供給経路を創出する事業である。この事業の開発効果が評価され、環境負荷の低減、地域経済への貢献、雇用創出の効果が把握された。


Keynote4 灌漑分野における対話・技術交流について

 農林水産省設計課土地改良技術室の古殿晴悟氏による、アジア各国との灌漑排水分野における二国間の政策対話や技術交流についての報告である。

 タイとは、2016年以来、王室灌漑局(RID)との間で灌漑排水に関する交流を6回開催している。インドネシアとは、2018年以来これまでに4回の交流を重ねている。ベトナムとは2022年から交流を開始し、これまでに2回開催している。中国水利部とは、2016年に日中土地改良交流として交流が復活して以来、これまでに8回の交流を実施している。韓国とは2006年に日韓農業農村振興実務者ワークショップとして交流が開始され、これまでに13回開催している。

 二国間の対話・交流のテーマとしては、安定した食料システムの構築、気候変動に対応した適応策や緩和策、スマート灌漑技術、ICT水管理、参加型水管理、農地・農業水利施設を活用した流域の防災・減災対策などそれぞれの国が抱える課題について情報交換し、両国が連携して取り組むことを確認している。こうした交流は、政府関係者、研究機関、民間企業、土地改良区等多様な主体が参加して実施している。

 アジアモンスーン地域の水田農業の発展に連携して取り組み、国際的な場でアジアの水田農業の立場を主張する基礎になるものとして期待したい。


Report & Network

 特定非営利活動法人Seed to Table 代表の伊能まゆ氏からベトナムの住民主体の農村地域づくりについての報告である。伊能氏は2003年から日本のNGOとしてベトナムの農村地域づくりにかかわってきた。ベトナム南部メコンデルタにあるベンチェ省での「持続的農業の実践による貧困世帯の生計改善事業」では、貧困農家にアヒルのヒナを貸し出し農家はヒナを飼育した後肉用に販売するアヒル銀行の取り組みが成果を上げており、この活動の手法はベンチェ省の貧困削減政策に採用された。

 JICA帰国専門家の徳若正純氏(現農水省)からカンボジアにおける灌漑排水に関する技術基準の整備に関する技術協力の報告である。カンボジア水資源省(MOWRAM)の要請により、技術協力「灌漑排水国家標準設計基準策定プロジェクト」が2022年より4年間の予定で実施中である。プロジェクトの構成は、①設計基準図書の作成、②基準の運用能力の強化、③基準の審査体制の確立である。MOWRAM職員に対する研修とワークショップを通じて設計基準の普及と定着を図り、プロジェクト終了後も自律的な見直しが行われることを目指している。

 北海道大学大学院農学研究院の井上京教授から北海道大学が取り組む国際協力についての報告である。北海道大学はJICAと包括連携協定を締結し、海外留学生の大学院受け入れ、獣医分野の技術協力、草の根技術協力などを実施している。井上氏は、ボリビアにおける草の根事業に携わり、ボリビア東部アマゾン川流域のサンタクルス県に日系移民が開いたオキナワ移住地とサンファン移住地の2箇所において耕畜連携による循環型農業システムに関する営農技術の導入を進めている。大学による国際協力として注目していきたい。


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