2024.8 AUGUST 70号
REPORT & NETWORK
株式会社三祐コンサルタンツ 須藤 晃
1 はじめに
独立行政法人国際協力機構(JICA)は2019年2月から5年間に亘り、エチオピア連邦民主共和国(以下、「エチオピア」という)において技術協力プロジェクト「農村レジリエンス強化のためのインデックス型農業保険促進プロジェクト」を実施した。
同国では、労働人口の約70%が農業に従事し(World Statistics Pocketbook, 2016)、GDPの約37%を農業セクターが占めており(世界銀行、2016)、農業セクターの重要性は高い。しかしながら、エチオピア南東部を含むアフリカ大陸北東部の「アフリカの角(エチオピア、ケニア、ソマリア等)」と呼ばれる地域は、降雨量の少ない乾燥・半乾燥地が大半を占め、干ばつや食糧危機が発生しやすい脆弱な地域である。
このため、同国の気候変動リスクに対する農村レジリエンス(対応能力)の強化の一環として、本プロジェクトはインデックス型農業保険の開発と普及を行うべく2019年に開始され、2024年の2月に終了した。本稿ではインデックス型農業保険の特徴と本プロジェクトの活動内容および成果、また今後の保険の持続可能性について述べる。
2 インデックス型保険とは
インデックス型保険とは、インデックス値(降水量、植生指数、気温、単収等)が、事前に設定された数値を下回る(又は上回る)と保険金が支払われる仕組みを有する保険の総称である。例として、雨量をインデックス値とする天候インデックス型作物保険の場合、特定地域の降雨量が事前に設定した降雨量を下回る場合、実際の保険加入者の所有する農地への降雨量にかかわらず保険金が支払われるものである。このため、インデックス型保険は作物保険や自然災害保険など、個々の損失を正確に評価することが難しい場合によく使われる。
このようなインデックス型保険は通常の保険と比較して、個々の保険加入者に対する実損(被害)査定が不要であり、すなわち査定に係る時間が節約できること、また査定に係るトランザクションコストが不要となり保険会社が保険料を低く設定できるため利用者が加入しやすいこと、といったメリットがある。このため、インデックスを用いた農業保険は特に小規模農家に適した保険商品とされている。
しかし一方、実際の被害とインデックス値による被害判定の不一致は(これをベーシスリスクと言う)、インデックス型保険にとって超えられない壁と言えよう。すなわち前述の天候インデックス型作物保険の例では、加入者が自分の農地が干ばつや少雨による被害を受けていているにも関わらず、雨量データが事前に設定したインデックス値を超えているために保険金が支払われないことへの不満から加入者が減少してしまうことがあり、多くの国においてこのベーシスリスクを低減するための多様な取り組みが行われてきた。
インデックス型農業保険のうち作物に特化したインデックス型作物保険には、上述の天候インデックス型作物保険を含めいくつかのタイプがあり、それぞれの特徴を生かした商品開発および普及が行われてきた。代表的な保険商品の特徴を表1に示す。
本邦ではインデックス型農業保険の普及は行われている。本邦において農業保険は農業保険法により、農業共済制度として民間の保険会社ではなく農業者の相互扶助を基本として実施されている。日本における農業保険の種類は表2に示したのとおりである。このうち「地域インデックス方式」が上述の収量インデックス型保険に相当する。
名称 |
特徴 |
利点 |
欠点 |
天候インデックス型保険 |
地球観測衛星や地上観測所の雨量データ等を利用し、あらかじめ定めた期間の降雨量が一定以下だった場合に保険金が支払われる保険。 |
契約引受や保険金支払いの可否判定に客観性や透明性がある。また近年は衛星による雨量データで簡単かつ迅速に事務処理が行える。 |
気象データ(主として雨量データ)を損害査定としているため、干ばつ、少雨などの被害しかカバーできず、病虫害等の他のリスクに対応していない。 |
植生インデックス型保険 |
リモート・センシングによる植生指数(植物の状態を示すデータ)をインデックス値として保険金の支払い可否や額を決定する保険。 |
干ばつと少雨被害の対応に適した保険であり、上記同様に客観的なデータに基づき迅速に保険金を支払うことが出来る。 |
上記同様、病虫害等の多様なリスクに対応していない。また、衛星データを用いた植生指数の利用につき、農家理解のための説明に労力と時間がかかる。 |
収量インデックス型保険 |
地域単位の収量(単収)の過去データを基準として、対象地域におけるサンプル調査の結果、収量が下回った場合に保険金が支払われる保険。 |
病害虫等の様々な農業リスクへの対応が可能である(収量が減少した個別要因にかかわらず保険金が支払われる)。 |
入手する過去の収量データの信頼性に左右される。またサンプリング調査(坪刈り調査、Crop Cutting Experimentと呼称)に費用と時間がかかる。 |
出典:JICAプロジェクトチーム
引受方式 |
補償単位 |
損害評価 |
内 容 |
全相殺方式 |
組合員ごと |
出荷資料 |
組合員ごとに、収穫量の合計が基準収穫量の1割(又は2割、3割)を超えて減少した場合に共済金を支払う |
半相殺方式 |
組合員ごと |
現地調査 |
組合員ごとに、被害耕地の減収量の合計が基準収穫量の2割(又は3割、4割)を超えて減少した場合に共済金を支払う |
地域インデックス方式 |
組合員ごと及び統計単位地域ごと |
統計データ |
組合員ごと及び統計単位地域ごとに、当年産の統計単収が、基準統計単収の1割(又は2割、3割)を超えて減少した場合に共済金を支払う |
品質方式又は |
組合員ごと |
出荷資料 |
組合員ごとに、収穫量が基準収穫量を下回り、かつ、生産金額が基準生産金額の1割(又は2割、3割)を超えて減少した場合に共済金を支払う |
出典:「農業保険法に基づく農作物共済の概要」2019年11月 農林水産省経営局保険課
3 エチオピアにおける インデックス型保険の導入
エチオピアにおいては、2000年代後半に世界銀行が農業保険のパイロット活動を実施してからこれまで10件以上の農業保険プロジェクトが実施されてきている。代表的なプロジェクトの一覧を表3に示す2。
エチオピアにおける農業保険の普及はこれまで、小規模なパイロット事業や短期間のドナー資金によるプロジェクトに大きく依存してきた。すなわち表3に示したように個々のプロジェクトやプログラム間の調整の無いまま、各ドナーがそれぞれの開発指針に沿ってばらばらなアプローチによって行われてきており、また一方で同国政府においては農業保険の推進のための指針となる農業保険政策が策定されていないこと等から、保険市場の拡大は依然として妨げられていると言える。
地域 |
期間 |
インデックス |
保険種別 |
主要ステークホルダー |
南部諸民族州 |
2006年 |
天候 |
作物 |
世界銀行、エチオピア保険公社 |
オロミア州 |
2009年 |
天候 |
作物 |
IFPRI、Busa Gonafa (小規模金融機関) |
ティグライ州 |
2009年 |
天候 |
作物 |
Oxfam America、WFP、オロミア保険会社、アフリカ保険会社、ニャラ保険会社 |
オロミア州 |
2012年 |
天候 |
作物 |
JICA、オロミア保険会社 |
オロミア州 |
2012年 |
植生 |
畜産 |
ILRI、オロミア保険会社 |
オロミア州 |
2016年 |
植生 |
作物 |
キフィア社(データ管理企業)、オロミア保険会社、エチオピア保険公社、農業改革庁(ATI) |
ソマリ州 |
2018年 |
植生 |
畜産 |
WFP、KfW、オロミア保険会社 |
オロミア州 |
2019年 |
植生、収量 |
作物 |
JICA、オロミア保険会社、エチオピア保険公社、キフィア社 |
ソマリ州 |
2023年 |
植生 |
畜産 |
世界銀行、Zep-Re社 |
出典:JICAプロジェクトチーム
4 本プロジェクトの概要
1)アプローチ
本プロジェクトでは「レジリエンス強化パッケージ」アプローチを採用した。具体的には、条植え、コンポスト製造、作物多様化といった農業技術指導を村落にある農業研修センター(FTC)において実施すると同時に、農業保険の理念、仕組み、手続きといった保険研修を農業技術研修とパッケージ化して、村落開発普及員(DA)および村落貯蓄組合(SACCO)職員を通じて農家への研修を行った。これは他のドナーの農業保険普及事業では見られない独特のアプローチであり、農家にとっては保険の恩恵を感じつつ自身の農業技術向上を行えるということにより、農家の自立発展性の伸展に大きく寄与することとなった。
2)成果
本プロジェクトでは5年間の協力期間中、4サイクル(年)に亘りレジリエンス強化パッケージの普及活動を行った。この結果、4年間の合計でオロミア州の東シェワ県、南西シェワ県、アルシ県、西アルシ県の335カ所の村において普及活動を行い、12,734人の農家が保険を購入した。前述のような各ドナーによる保険普及事業では農家に対し保険料の負担軽減(あるいは全額免除)のための補助金が出されていたのに対し3、本プロジェクトでは農家への補助金が無いにもかかわらず12,000人以上の農家が保険を購入したのは特筆すべきことである。
本プロジェクトにおいては、農家自身が保険の理念、仕組み、有効性を理解して初めて自己意志で自己資金を拠出しての保険購入を決断できるという考えから、農家の理解向上のために前述のDAやSACCO職員へのTOT研修(指導者研修)を重視し、4年間で計1,841人に対する研修を実施した。そしてこれら研修を受けたDA、SACCO職員が農家を対象に実施したレジリエンス強化パッケージ研修への農家の参加者数は計51,358人に達した。本プロジェクトにおいては、協働した保険会社に経験があること、低価格で保険商品を販売できること(坪刈り調査等が不要)、対象地域の農業リスクを代表する干ばつ/少雨に対応可能な保険であることなどの理由にて、初年度から全期間を通じて植生インデックス保険の普及を行ったが(後半2年間は試行的に収量インデックス保険も併せて普及)、そのうち植生インデックス保険は再購入率(保険を購入した農家のうち翌年も保険を購入した割合)が約60%に達しており4、本案件ではこのレジリエンス強化パッケージ研修により保険の有効性についての農家理解が大きく高まったことを示していると考えられる。
3) 持続可能性の確保に向けて
持続可能性確保のための仕組みとして、本プロジェクトにおいては以下(a)~(c)の施策を全国対象に、(d)の施策をオロミア州において実施した。
(a)農業省内の農業保険タスクフォース、その下の技術部会(TWG: Technical Working Group)の設立支援
これまで農業省には農業保険を扱う専門部局が無く、各ドナーが、食料保障調整室、畜産局、同省傘下の農業改革研究所などと個別に案件を実施してきた。本プロジェクトの第三国研修(ケニア)および訪日研修をきっかけに、訪日研修に参加した農業省ソフィア国務大臣のイニシアティブで「農業保険タスクフォース」が2023年発足した。後述のダイアローグプラットフォームの継続開催を含め、今後の活動の発展が期待されている。
(b)農業保険の理論と実施手法の双方を網羅したガイドラインの作成と提出
これまで農業省には農業保険の推進手法を専門的に示すガイドライン等は無かった。このため、本プロジェクトは農業保険推進のためのガイドラインを作成した。このガイドラインは主として保険の概念、インデックス保険の特徴などを解説する前半部と本プロジェクトをモデルとしたインデックス保険の具体的な実施手法を説明する後半部からなっており、農業省および地方政府等の関係者が保険事業を推進する際の理論、手続き両面の指針となるものである。
(c)ダイアローグプラットフォーム会議の常設化支援
本プロジェクトにおいては、農業省、プロジェクトチーム及び世界食糧計画(WFP)が協力し、農業保険の成功事例を促進・拡大するため、「エチオピアにおける農業保険支援のためのダイアローグプラットフォーム」を立ち上げた。このダイアローグプラットフォーム会議は2022年以来4回開催されており、各ドナー案件の経験共有のみならず官民連携によるエチオピアにおける保険普及事業の在り方についての議論の場として重要な役割を担ってきた。プロジェクト終了後も、関係者が農業保険について議論する場を提供するため、農業省が主体となって継続的に開催されることとなっている。
(d)オロミア州農業局が実施している「農業パッケージ研修」(APT: Agricultural Package Training)への組み込み
本プロジェクトの実施州であるオロミア州の農業局ではこれまで、各種の営農技術をパッケージ化して州内に研修プログラムを展開してきた。この研修に、農業保険に係る内容が2023年から含まれるようになった。本プロジェクトに参加していた保険会社2社とオロミア州農業局との間ですでに合意書が調印され、今シーズンから本プロジェクトをモデルとしたインデックス型農業保険を案件終了後も継続販売することになった。
これら(a)~(d)の施策については本プロジェクトの協力期間の終了を待たずしてすでにカウンターパート機関である連邦農業省およびオロミア州農業局で着手、活用されている。
5 おわりに
本プロジェクトでは、これまでのドナー主導型の農業保険事業の推進から、国家政策に裏付けられたエチオピアの官民連携による保険事業推進への転換の契機となる施策を実施したが、その発展には今後も関係者の継続的な努力が欠かせない。また、参入する保険会社の拡大、電子マネーの活用による加入者の利便性向上、同国における農業資機材の購入システムであるバウチャー制度と保険商品の融合による保険加入者の拡大など、取り組むべき課題はまだ多い。しかしながら農業保険事業の進展は、気候変動に備えた農村レベルでのレジリエンス強化のためには有効な方策であり、例えば灌漑施設の建設といった局所的な気候変動対策に比べて、広範囲に面的展開が可能なものである。今後、本プロジェクトで醸成したエチオピアにおける農業保険の普及に対する機運を維持、発展させるためにも、関係者の一層の努力に期待するものである。