2024.8 AUGUST 70号
REPORT & NETWORK
1 はじめに
アジア開発銀行(以下ADBという)はアジア・太平洋地域の地域協調による経済発展を支援するために、1966年マニラ(フィリピン)に設立された。現在は、世界最大の貧困人口を抱える同地域の貧困を削減し、気候変動への対応を図りながら、平等な経済成長を実現することを最重要課題として取り組んでおり、日本が設立以来最大の出資国となっている。
ADBによる開発支援については、過去30年間に域内国の経済成長に伴うニーズの拡大や気候変動やパンデミック等の地球規模の課題を踏まえて拡大を続けており、年間の援助署名額は2000年代初めの約60億ドル(7,500億円)2から、加盟国による資本拠出増(2009年)やバランスシート改革(2017、2023年)により、2010年代に年間約150億ドル(1.88兆円)、2020年代初めには約260億ドル(3.25兆円)に達しており(このうち低利率の譲許融資が約17%程度)、昨年のG20の国際金融機関への提言を踏まえた自己資本のリスク指標の見直しにより、更に年間100億ドル(1.25兆円)を積み増すこととしている。このほか、気候変動対策については、日米英他からのADBに対する特定起債保証により、2030年までの間に総額約200億ドル(2.5兆円)の追加資金の動員が可能となった。なお、ADBでは開発融資・無償の他に現在毎年約2.5億ドル(313億円)に上る技術協力により、加盟開発途上国の政策立案、知識・能力強化、及び(低所得国での)事業実施監理を支援しているab。
このような中で、気候変動については、ADBの「ストラテジー2030」(中期戦略)cの目標である「豊か」で「平等」で「強靭」かつ「持続可能」な経済発展のいずれの要素にも甚大な影響を及ぼすのみならず、発展プロセスをパリ協定の枠組みに沿って進める必要があることから、後述の通りADBとしての開発支援の最重要課題としての取り組みがなされている。
2 アジア太平洋地域における気候変動とADBによる対応の方向
アジア太平洋地域は世界人口の過半数の人々が居住し、温室効果ガス(GHG)の排出量も世界の過半数を占めるようになっており、現状の排出パターンでは今後2050年までの経済成長を支えるためには排出量の倍増が必要となる。他方、域内には低所得層の居住地を中心に気象災害や気候変動への脆弱性が高い国が多く、年間730億ドル(9.13兆円)に上る自然災害が発生している。このため、今後地球規模でGHGのネット・ゼロを達成し、脆弱地域の気候変動への「適応」(Adaptation)を進めていくには、アジア太平洋地域での対応が鍵を握っていると言える。
こうした中、国連気候変動枠組条約(UNFCC)による2030年までの10年間のアジア太平洋地域の気候変動の必要投資額は11.8兆ドル(1,480兆円)、そのうち(農業・農村開発・水資源部門の比率が高い)「適応」部門の必要額が3.9兆ドル(488兆円)とされているd。しかしながら、これに対する執行状況(2021年)は、「緩和」(Mitigation)部門ではインド(GHG排出量世界3位の低位中所得国)を例にとるとパリ条約の約束を遵守するための年平均必要額の2割程度に過ぎず、また「適応」部門についてはアジア太平洋地域全体では必要額の1割にも達していないのが現状であるe。その背景としては、「緩和」部門では、インドをはじめとする開発途上国で太陽光・風力発電の発電コストが石炭火力並みとなって民間投資による普及が進みつつあるものの、これを更に進めて石炭火力の新設停止または既存施設廃止をするためには太陽光・風力起源の電力を24時間定常的に供給する必要があり、現状ではそのために必要となる蓄電を伴う夜間の供給コストが石炭火力の数倍に上ることがネックとなっていて、開発途上国ではそのための投資コストの差分を補填するための資金が絶対的に不足していることが挙げられる。また「適応」部門では、投資コストの直接的な回収が難しいため民間投資よりも公的資金が必要とされる中で、そのための資金不足はもとより、資金を充当する準備の整ったプロジェクトの絶対量の不足や、実施が開始された案件の施工遅延も制約となっている。更に、開発途上国側は気候変動対策について先進国により経年的に累積されたGHG排出が原因で対応を強いられているとして、「適応」(及び経済性の劣る「緩和」)対策プロジェクトについては、高譲許率若しくは無償資金による支援を求める意向が強く、そうした資金の不足は更に深刻である。
上記を踏まえ、ADBでは2023年10月に2030年までの気候変動行動計画fを定め、(国際開発金融機関の共通のルールに従ってプロジェクト毎に算定される)気候変動対応の支援額として、2025~30年の間に少なくとも650億ドル(8.13兆円、うち三分の一が「適応」対策向け)のADB資金を約束したところである。他方において、上記行動計画では、気候変動対策の膨大な需要に鑑み、気候変動対策を国レベルで加速させるために、加盟開発途上国の(UNFCCに提出している)国レベルの「緩和」・「適応」計画の更新、国内の政策・制度(例えば炭素税等)づくり、セクター別の対策実施プランやプロジェクトパイプラインの構築、国際気候変動機関からの高譲許率・無償資金の動員等の全体的な取り組みについて、世界銀行・JICA等の関係機関とも協調しつつ、主体的な役割を果たしてくことを目指している。これを受けた南アジアでの具体例としては、2023年12月にバングラデシュ向けに4億ドル(500億円)の気候変動関連の上記のような包括的政策リフォームに対するプログラム融資をADBの譲許資金により拠出gしたところであり、モンゴル、ネパール、スリランカ等でも同様の支援の準備を開始している。
3 農業農村開発協力部門での取り組み
ADBでは、農業農村開発については、「農業・食糧・自然資源(Agriculture, Food&Natural Resources:AFNR)」セクターグループが所管しており、当該グループはいわゆる農業農村開発に加えて、農村地域における洪水対策や、国・流域レベルでの水資源総合管理・計画もカバーしており、2023年末現在、AFNRグループがADBが実施中のプロジェクトの総額(1,168億ドル:14.6兆円)に占めるシェアは14.6%に達している。
こうした中、周知のとおり、「適応」化が必要な気候変動の人間生活への影響は、主に水を媒介として生じていることから、気候変動により悪化する旱魃、洪水、土壌流出等を制御することは多くの加盟開発途上国の気候変動「適用」計画の要となっている。また、とりわけ水災害に対する脆弱性の高い山陵・丘陵地の天水地帯や、低平地に広がる洪水常襲地帯は人口に占める低所得層の比率が高いことから、ADB内ではこうした農村地域における気候変動「適用」プログラムには高い優先度を付与している。他方において、農業セクターは主に水田や家畜からのメタン排出が世界のGHG排出量の31%を占める部門でもあることから、「緩和」対策による削減も大きな課題と認識されている。
更に、FAOにより報告されている通り、食糧安全保障の観点では、新型コロナウイルス感染症やロシアによるウクライナ侵略に伴う穀物価格への影響で、世界の飢餓人口が約8億人増加して約10年前の水準に逆戻りしていること、今後2050年までに食糧需要が現在より50%増加すること、気候変動の影響も相まって水需給が更に逼迫することもこうしたプロジェクトの優先度の向上の背景となっている。
以下においては、ADBにおいて気候変動対策の優先事項として実施若しくは計画されているAFNRセクターのプログラムを、主に南アジアの事例を敷衍しながら概括していきたい。
(1) 気候変動に対応した水資源総合管理と流域計画づくり
水資源総合管理(Integrated Water Resources Management: IWRM)については、加盟開発途上国の経済発展に伴う水需給の逼迫への喫緊の対応策として、2001年に策定されたADBの「水政策」の柱として促進されてきているが、気候変動による降水・旱魃・洪水等の水に対する更なる影響を考慮すると、IWRMのデータ・知識ベースや管理システムの構築のために一層の努力が必要と認識されている。ADBではラオスの他、インドのカルナタカ州h、ネパールのカトマンズを含むバグマティ川流域i等で各々国、州、流域ベースのIWRMシステムの構築と流域水資源計画の策定を支援している(ネパールのプロジェクトには水資源機構が参画)他、地下水資源が逼迫しているインドのパンジャブ州でも支援に向けた協議を進めている。
(2) 気候変動「適応」計画の実施戦略と実施プログラムのパイプラインづくり
上述の通り、全般的に加盟開発途上国における国別気候変動「適応」計画については算定されたニーズと執行額との間に大きな乖離があることから、そのギャップを埋めていくための支援も重要視されている。バングラデシュについて見ると、当該計画(National Adaptation Plan: NAP)では2050年迄に毎年85億ドル(1.06兆円)を想定しているが、実際の執行額は10億ドル(1,250億円)に過ぎず、中でも「緑の気候基金(Green Climate Fund: GCF)」等の国際気候変動基金からの無償を含む高譲許率の支援は年間数千万ドル(数十億円)に留まっているのが現状であるj。こうしたことから、ADBでは先に触れた政策プログラム融資の後半フェーズの融資条件の一つとして、主要セクター(農業、灌漑・排水・洪水防御、都市の水インフラ)について①NAPを踏まえたマスタープランの策定・更新、②プロジェクトパイプラインの抜本的な強化、および③執行能力改善のための関係機関の組織基盤強化を支援しており、それを踏まえて④GCF等の国際気候変動金融機関との資金提供のための協議を支援することとしている。また、ネパールでも、NAPで想定された年当たりニーズ1.6億ドル(2,000億円)に対して執行は10%以下に留まっており、ADBでは二国間・多国間の援助機関と協調しつつ、GCFとの間で5年間の総額で国全体で10億ドル(1,250億円)規模の高譲許・無償資金の預託を求めながら、関連プロジェクトの準備と実施機関の能力強化を図る取り組みが開始されたところである。
(3) 特定テーマ・プロジェクトレベルでの気候変動「適応」化を中心とした取り組み
AFNRセクターでは、上記のような気候変動「適応」対策を横断的にカバーするプログラムに重点を置く一方で、特定の課題・地域を対象とする下記のテーマに関するプロジェクトレベルでの事業の計画・実施にも高い優先度が付与されている。これらについては、本セクターにおける(「気候変動対策」と対峙する意味での)「開発」プロジェクトとして従来からも取り上げられてきているが、関連地域の住民の高い貧困度や生活基盤の気候変動の影響に対する脆弱性に鑑み、今後各国で気候変動「適応」計画を加速する上での鍵となる事業として、気候変動に関係するデザインを強化しつつ各国における取組を強化していくことと認識されている。
① 半乾燥山稜・丘陵地域における小規模天水利用・土壌保全:南アジアの山陵・丘陵地域に広がる半乾燥の天水地帯は所得水準が最も低く、気候変動による旱魃や集中豪雨の深刻化が顕在化している。これに対応するために、ADBでは小流域・村落単位で小規模水利用・土壌保全計画の策定・実施・施設管理を住民参加により進めるプロジェクトを推進しており、ネパールでは気候変動の影響が特に著しい西部での先行プロジェクトkの結果を踏まえて、GCF資金を誘導しながら全国での実施を計画中である。またインドでも国・州政府が実施する既存の類似プログラムの大幅な拡張のための協議を進めている。
② 灌漑可能地域における灌漑施設の「適応」・強靭化:アジア地域では灌漑農業が食糧安全保障のベースとなる一方で、灌漑が全体の水利用の概ね9割を占めており、多くの水系で水需給が逼迫し、気候変動による更なる深刻化が見込まれる中、低レベルに留まっている灌漑効率の改善や(特に大消費地の近辺で)高収益・低水消費作物への転換を加速する必要がある。ADBではインドや他の多くの加盟開発途上国で灌漑施設の刷新・拡張のための取り組みを進めてきており、気候変動「適応」対策としての的確な気候変動・水資源データに基づくシステムの強靭化を念頭に、施設インフラ・制御システムの高度化(Supervisory Control And Data Acquisition: SCADA等)、水利組合の強化、作物生産・販売体系の最適化・強化を進めている。また、域内の成功事例を敷衍しつつ、水利組合による厳正な水配分管理や施設の維持管理(O&M)の持続性の向上、生産支援活動(作付計画、栽培技術普及、共同購入・販売等)への参画、民間企業の施設O&Mへの参画等にも重点が置かれている。
③ 低平沖積平野における水災害防御システムの「適応」・強靭化:南アジアのガンジス・ブラマプトラ(ジャムナ)・メグナ等の大河川下流低平地域では、各種水災害(洪水、排水不良、サイクロン・高潮、塩水侵入、河岸浸食等)に対する住民コミュニティの脆弱性と所得・生活水準に正相関があり、脆弱な地域ほど貧困率が高く、気候変動による悪影響も大きい。ADBでは、バングラデシュにおいて従来よりこうした地域におけるインフラ(河岸・海岸堤防、河岸浸食防止工、水制御ゲート、灌漑排水設備等)や災害警報・応急対応等のソフトの防災対策を、日本の土地改良制度を参考にした受益者参加と同意手続きを適用しながら進めてきており、経年的に関係実施機関の組織・実施基盤も強化されてきていることから、同国の「適応」対策事業の柱として全国展開する支援を拡張しているl。また隣接するインドのアッサム州でも洪水・河岸浸食防御対策を支援して長期的な河道の安定化とそれによる内陸水運の振興を目指しているm。
(4) 気候変動対応型農業(Climate Smart Agriculture: CSA)の展開
上記の「水」を通じた公共インフラや非インフラ対策による気候変動「適応」への対応の他、農業セクター全般におけるCSAについても支援が進められている。CSAは①農業生産性を持続的に向上させつつ、②気候変動への適応性を高めて強靭化を図り、③GHGの排出削減を目指す、という取り組みを包括するもので、具体的には旱魃、高温、若しくは洪水への耐久性の高い作物品種改良、農業災害予警報システムや災害保険の整備、圃場レベルの節水灌漑など広範な対策が含まれる。これらについては、上記の気候変動「適応」のための水資源関係プロジェクトの一環として推進が奨励されているほか、上述のバングラデシュの気候変動プログラム融資では、同国の農業普及政策の中にCASを統合していく行動計画の策定と実施を支援したところであり、今後本テーマについて横断的に推進するプロジェクトも検討されている。
また、CASの中には農業部門の気候変動「緩和」対策が盛り込まれているが、農業用水との関係では水田からのメタン排出(世界排出量の8%)や、地下水灌漑に伴う(電力・ディーゼル消費を通じた)GHG負荷の削減が重要視されており、このための水田地帯における間断灌漑(Alternate Wetting and Drying: AWD)の推進や、農家及び農家グループ単位での太陽光発電による地下水利用等の灌漑推進の取り組みも進められている。なおこれらの対策は、気候変動に伴う水需給の逼迫に対応する有効な「適応」対策でもある。
(5) 農林水産省との協調の取り組み
ADBは2022年9月に、農林水産省との間で覚書を締結し、アジア・太平洋地域における持続可能かつ強靭な食料・農業システムの構築に向けて連携を強化することとしており、具体的には環境に配慮した農業の推進、及び気候変動に強い農業と低炭素型食料システムへの民間部門の参入及び投資を促進するメカニズムの開発等が優先的協力分野とされているn 。これを踏まえて、気候変動分野では、農林水産省からの資金拠出により、ADB加盟開発途上国が行うAWD等のGHG排出削減策を、日本政府が当該国との二国間で設定する炭素クレジット・メカニズムにより資金援助するシステムの構築を模索・推進しているところであり、フィリピン、ベトナムにおいて農林水産省とADBの間で具体的協議が開始されているほか、カンボジア、バングラデシュ、パキスタンでも検討が始まっている。
4 おわりに
先頃公表されたADBの2023年次報告書によれば、昨年のADBの援助署名額は232億ドル(2.90兆円)に達しており、そのうち、気候変動対策に貢献する支援額は98億ドル(うち「適応」プログラム43億ドル)であり、ADBの気候変動行動計画における目標(2024-30年の総額で650億ドル)は達成可能な状況と言えるが、「適応」対策を加速させるうえでは、国際気候変動金融機関との協調融資等により、より高い譲許率での支援を可能にしていくことが求められている。今後の取り組みとしては、2030年に向けてADB全体の支援額が拡大していく中で気候変動支援額を量・割合・質の全ての面で拡大させていく一方、ADBや他の援助機関とも協調した支援を呼び水にして、ADB気候変動行動計画の究極の目標としての、加盟開発途上国の制度・組織強化や「緩和」「適応」対策の計画・実施・資金充当を加速して膨大なニーズと低い執行速度のギャップを縮小していくことに焦点を当てていく必要があると思われる。
最後に、気候変動対策資金の絶対的な不足の問題については、G7やG20、COP等の国際フォーラムを中心に、抜本的な改善に向けた取り組みを強める必要がある。中でもGCF等の気候変動金融機関については、複雑な審査・監理システムや、ニーズを大きく下回る高譲許率・無償資金の動員力の改善を図る必要性が高いと言える。また、特に農業農村部門が大きな役割を果たす気候「適応」対策については、上述の通り公的資金に頼らざるを得ないのが現状であり、その負担を資金の量・質(譲許率の度合い)面でどれだけ開発途上国側に負わせるかという問題については、先進国と開発途上国との間の歴史的なGHG排出量や現在の一人当たり排出量の大きな不均衡に照らして、公正な負担割合とすべきとの「気候正義」(Climate Justice)の見方にもっと大きな配慮をする必要があると思われる。そうした観点からも、現在早急な完結が望まれるパリ協定6条の多国間炭素クレジットのメカニズムや、各国で議論・導入が進められている炭素税等の取り組み、そしてそのための国際的な協議を通じて、最終的に開発途上国側に提供される気候変動対策資金が大幅に拡充されることを望みたいと思うo。