2023.8 AUGUST 68号
REPORT & NETWORK
(元 国際連合食糧農業機関 土地・水資源部 準専門家)
1 はじめに
限られた水資源を活用して農業生産性を持続的に向上させるには、灌漑における水利用効率の向上が不可欠である。特に水田は多くの水を必要とするため、持続可能な生産のためには地域条件に合わせた水利用効率及び水生産性の向上に向けた方策が必要である。このことはSDGターゲット6.4として掲げられている「2030年までに、全セクターにおいて水の利用効率を大幅に改善し、淡水の持続可能な採取および供給を確保し水不足に対処するとともに、水不足に悩む人々の数を大幅に減少させる。」の達成に寄与するものである。
1945年に設立された国際連合食糧農業機関(FAO)は国連の専門機関の一つであり、飢餓を撲滅するための国際的な取り組みを主導している。また、前述のSDG6.4のモニタリングの担当国際機関である。
筆者は2019年より約3年間、農林水産省からの出向で、FAOローマ本部の土地・水資源部の灌漑・水管理チームの準専門家として「Efficient Agricultural Water Use and Management Enhancement in Paddy Fields(水田の効率的な水利用・水管理の強化)」プロジェクトに携わった。
本稿では、筆者の経験から、アジア・アフリカ地域における水資源の効率的な利用のためのFAOの取り組みとデジタル技術の活用に積極的に取り組んでいるFAOが進めるDXについて紹介する。
2 「 水田の効率的な水利用・水管理の強化」プロジェクトの概要
本プロジェクトは農林水産省からFAOへの拠出金として、効率的水利用・水管理分析対策事業(2019年~2021年)により実施された。本事業の目的は、限りある水資源の有効利用(かんがい効率・水生産性の向上)の実現に向け、FAOに専門家を派遣し、次の取組を行うことである。①水利用効率に関する情報収集、②アジア・アフリカ地域におけるかんがい分野の課題・ニーズの調査及び分析、③水田農業における水利用の特殊性を考慮したかんがい効率・水生産性向上に向けた方策を検討すること、④国際ネットワークと連携し効率的な水利用・水管理に係る知見の普及を図ることである。
2. 1 目的
プロジェクトの目的は、水田における効率的な水利用・管理を強化することである。アジア・アフリカから1カ国ずつ、スリランカ及びザンビアの2カ国を対象に、水利用に関する情報や政策をまとめ、現況とギャップを把握し、ポテンシャルの高い技術の棚卸しと今後の投資に向けた技術的な面及び政策的な面からの提案を行った。また、水田の持つ多面的機能と水田の水利用効率の改善の関係についての分析のための枠組みを整理し、政策提案を行った。
2. 2 調査方法と推進体制
プロジェクトは現地の政府関係者や研究機関などのステークホルダーと協力して実施した。スリランカ及びザンビアの情報はFAOと各国のステークホルダーによって収集され、FAOの灌漑及び政策の専門家がそれを分析した。関係者とのやりとりは2週間に一回のウェブ会議によって行った。
情報の収集と分析が主な活動内容であったことから、作業はおおむねデスクワークで行った。しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大により、プロジェクトの初動を促す対話、中間ラウンドテーブル、最終ワークショップの予定が大きく遅れ、予定された出張の多くがキャンセルとなった。プロジェクトは期間を延長し、感染拡大が比較的収まった2022年には、ザンビアにおいて対面での最終ワークショップを実施することができた。
水田の多面的機能に関する分析は、ADBI(アジア開発銀行研究所)との連携により実施した。なお、本プロジェクトに関連して、アフリカ地域における水田の多面的機能に関する調査をJIRCAS(日本の国立研究開発法人国際農林水産業研究センター)との連携により実施した。
2. 3 プロジェクトの成果
プロジェクトの成果は報告書ⅰ)ⅱ)ⅲ)ⅳ)やブリーフⅴとして出版したほか、対象国におけるワークショップを通じて政府関係者、研究者及び農家に対して普及した。また、2022年10月にオーストラリア・アデレードで開催されたICID第24回総会においてFAO、ADBI、JIRCASが共催したスペシャルセッションにおいて本プロジェクトの成果を発表した。
以下にプロジェクトによる成果の概要を述べる。
①スリランカ及びザンビアにおける水田の水利用改善に向けた課題
スリランカの灌漑可能面積は79万8千haと推定され、米の平均単収(モミ)は4.75トン/haで、アジアの多くの国々と比べて高い。干ばつや洪水が頻発し、乾季と雨季の差が大きくなる中、水利用の最適化は持続可能な農業のための最重要課題となっている。国レベルで水生産性を最適化するためには、不適切なシステム運用、施設のメンテナンス不良、非効率な灌漑方法、農業コミュニティと水管理組織間の不十分な連携、機能していない水政策などの課題に取り組む必要がある。
ザンビアは水資源が豊富で灌漑可能面積は275万haと推定されるが、そのうち灌漑されているのは約25万8千haであり、米の平均単収(モミ)は1.06トン/haである。政府は「第2次国家コメ開発戦略」に基づき、コメの生産量を倍増させることを目標としている。コメ生産のための水資源を十分に開発・活用するには、灌漑マスタープランの欠如、不十分な資金、関係者の調整不足、不十分な情報、組織の能力不足といった課題に取り組む必要がある。
次表(表1)は水田における効率的かつ生産的な水利用に向けた課題と改善方策をまとめたものである。
スリランカ |
ザンビア |
|
技術的な側面 |
||
課題 |
・降雨分布パターンの変化 ・異常気象の頻度増加と深刻化 ・灌漑システムにおける水の損失 ・システムの不適切な運用と施設のメンテナンス不良 ・非効率な灌漑方法 |
・不十分な水管理 ・制御されていない灌漑 ・不十分な灌漑インフラ ・頻発する洪水と干ばつ ・灌漑用米の品種の不足 ・農民の能力不足 |
改善方策 |
・効果的な雨水利用 ・圃場での水管理方法の改善 ・肥料改良 ・品種改良 ・クロップローテーション ・移植 ・税制度の導入 |
・間断灌漑(AWD) ・クロップローテーション ・乾田直播 ・栽培のベストプラクティス ・列植え ・移植 ・高品質な種籾の使用 ・集団的な栽培 ・土壌肥沃度の向上 |
技術的な側面 |
||
課題 |
・農業コミュニティと水管理組織の連携が不十分 ・制度や法律が多重化し、説明責任が不明確 ・国の水政策が機能していない |
・制度との連携が不十分 ・政策において水田の水利用効率が軽視されている ・灌漑改善のための資金が限られている ・人材及び能力不足 ・農業水モニタリングやデータが不十分 |
改善方策 |
・国家戦略及び行動計画の策定 ・機関及び法律の責任の整理 ・農民が水使用を減らすためのインセンティブの提供 ・灌漑システムの強化 ・農民参加型プログラムの実施 ・能力開発及び普及サービスの強化 |
・国家政策において農業における水使用効率を強調 ・5年戦略またはガイドラインの策定 ・包括的プログラム/プロジェクトの開発 ・研究チームの設立 ・導入可能な技術の特定 ・情報とデータの収集 |
②水田の多面的機能
水田の多面的機能の考え方を導入することは、水利用の生産性と効率をさらに高めるための新たなアプローチである。水田が米生産だけでなく洪水調整や地下水かん養などの多面的機能を持っていることを認識することにより、水田の水の価値は何倍にも引き上げられる。また、かんがい用水を魚やえびの養殖等に利用することにより、一滴の水の生産性を高めることができる。
また、水田の多面的機能は、気候、社会、文化、経済などの条件や、灌漑インフラ、水管理システムのあり方によって、その解釈が異なるといえる。スリランカは大規模に水田が広がる国であることから、水田の多面的機能がもたらす利益を国レベルで広く認識し、それを保全しながら水利用効率と水生産性を高めるような戦略が必要である。一方ザンビアではまだ水田が少なく、水田が持つ潜在能力が発見・注目される必要があり、投資により水田の多面的な機能を強化するような戦略が必要である。
2. 4 フェーズⅡに向けて
2022年から農林水産省の拠出金により3年間の予定で実施されるプロジェクトフェーズⅡ「Promoting productive water use and efficient water management in paddy fields(水田における生産的な水利用と効率的な水管理の促進)」では、フェーズⅠでの経験に基づき、引き続き対象国における水田の多面的機能に着目し、水利用効率と水生産性の向上のためのアプローチを水田で試行する。水利用効率、水生産性、パイロットサイトにおける社会経済条件を評価することで、水田における水管理の強化と水田の多面的機能がもたらす利益についてエビデンスに基づく結果を提供する。また、国の政策や戦略に水田の多面的機能の考え方を取り入れることを支援する。
3 FAOが進めるDX(デジタルトランスフォーメーション)
ここで話題を変えて、FAOが進めているDXについて長期戦略における位置づけとデジタル関係の取組を紹介する。
3. 1 長期戦略における位置づけ
FAOの屈冬玉事務局長はデジタルFAOを実現することを掲げており、デジタル化はFAOの最新の長期戦略である「FAO戦略フレームワーク2022―31」に組み込まれている。この中でデジタル化は食料農業システムにおける変革のトリガーとして挙げられている。また、優先的に取り組む20のプログラムの一つに「デジタル農業(Digital agriculture)」がある。これは、特に貧困層や脆弱な地域コミュニティのために、市場機会、生産性、レジリエンスを向上させるためのアクセスしやすいデジタル技術が食料農業システム政策とプログラムに組み込まれるようにすることを指している。
さらに、FAOでの働き方についても、デジタル化がFAOの内部及び外部での業務に革新的な変化をもたらし、効率的な知識管理、協力、ビジネスプロセスの改善などの機会を提供すると強調している。
実際に、新型コロナウイルスの感染拡大により2020年の3月からローマ本部への出勤が制限された際、職場環境が完全にデジタル化されていたことにより、次の日からフルリモートでの業務が可能な状態であった。2020年のFAOの130以上のすべての国事務所が参加する会議や5つの地域会議は初めてすべてバーチャル形式で開催された。
3. 2 デジタル技術を活用した取り組み
ここではFAOが実施しているデジタル技術を活用した代表的な取り組みを4つ紹介する(表2)。
取り組み |
内容 |
① Hand in Hand Geospatial Platform |
「ハンドインハンド地理空間プラットフォーム」は、食料と農業に関するデータの分析・比較に役立つオープンアクセスなデジタル公共財である。1961年から入手可能な最新の年までの245以上の国と地域の食料と農業に関するFAOSTATをはじめ、国連やNGO、学術機関、民間企業、宇宙機関にわたる主要な公共データが提供されている。 |
② Digital Service Portfolio |
「デジタルサービスポートフォリオ(DSP)」は、食料・農業及び関連分野の情報を発信し、小規模農家・家族農家向けに農業に関するアドバイザリーサービスを拡大し、デジタルインクルージョンを促進するためのクラウドベースのプラットフォームである。 |
③ 1000 Digital Village Initiative |
「1000デジタル農村イニシアチブ」は、インクルーシブな農村と食料農業システムの変革のために、農村でデジタルイノベーションを拡大する取り組みである。デジタル農村は、生計、個人の幸福、社会的な結束を可能にするデジタル技術を農村地域に普及させることをコンセプトとしている。 |
④ e-Agriculture |
「e-Agriculture」は、持続可能な農業と農村開発のためのICTの活用に関連する対話、情報交換、アイデアの共有を促進するグローバルな実践コミュニティである。 |
3. 3 デジタルを活用した広報
FAOはウェブサイトにおいて活動内容、データベース、報告書等を公表している。広く普及したい文書はページ数の多いPDFファイル形式だけでなく、一般読者を想定して概要をビジュアルとともにまとめたデジタルレポート(ウェブ記事のように読める形式)としても発表するなど工夫されている。
またソーシャルメディア(X、Instagramなど)での発信に力を入れており、各国での活動内容を共有し、内部や外部のイベントについて報告するほか、World Food Dayのような国際デーの啓発的な投稿、データを見やすくしたインフォグラフィックスの投稿などの活動を行っている。写真や字幕付きの短い動画が添付されていることが多く、これらのコンテンツはデザイナーとの協働によって作成されている。
4 おわりに
2019年からの3年間のプロジェクトの実施にあたっては、新型コロナウイルスの感染拡大による影響を大きく受けた。対面でのやりとりや出張が制限される中、対象国の政府関係者と顔を合わせる機会がほとんどなく、途中で誤解が生じ、不信感を持たれてしまったこともあった。一方、世界中でデジタルツールの活用が急速に拡大したことは、担当者間のコミュニケーションに大いに役立った。メールでは長らく返事がこないこともチャットでは返事をもらえることもあり、ビデオ通話で顔を見ながら話すことによって、早急に問題解決することもできた。
最後に、拠出金によるプロジェクトを実施するにあたって個人的に重要であると感じたことを述べる。それは、特徴的なテーマをもつことにより、土地・水資源分野におけるポジションを確立することが効果的であるということである。灌漑と水管理に関するプロジェクトは数多くあるが、「水田」のみに焦点を当てたプロジェクトは他になかったため、水田がテーマとなることがあれば最初に声がかかるポジションを確立することができた。また、日本政府から人材を派遣することも日本が何に関心を示しているかをよく表しており、日本が水田における水利用に強い関心を持っているということは土地・水資源部内によく浸透していたと感じている。
今後もFAOと農林水産省が良い関係を築き、持続可能な水資源管理に貢献していくことを期待したい。