2023.8 AUGUST 68号
東北農政局農村振興部長 川村 文洋
1 はじめに
ウクライナ国は、豊かな土壌の代表格である「黒土(チュルノーゼム)」が広く賦存する農業が盛んな国という印象がある。昨年2月のロシア軍の侵攻を受けて穀物価格が高騰したことは周知のとおりであり、破壊された街々の映像を見るに心が痛む。そんな折、JICA(独立行政法人国際協力機構)が招くウクライナ農業政策食料省視察団が4月に来日し、ウクライナ国農業分野の復旧・復興支援に向けた調査を行うので、東日本大震災から復興した農地や農業用施設を案内してほしいとの依頼があり、対応することとなった。
2 東北農政局による東日本大震災の復旧・復興支援
(1) 東日本大震災の概要
平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、東北地方を中心に地震の揺れと大津波により甚大な被害が発生したほか、東京電力福島第一原子力発電所の事故も生じた。被害が大きい岩手県・宮城県・福島県の3県では、農業関係の被害は計8,587億円、農地の流失・冠水面積は20,530haに上った。東北農政局は、被災した国営造成施設の災害復旧(「河南地区」、「定川地区」、「名取川地区」、「亘理山元地区」等)を行ったほか、関係機関からの要請を受けて「仙台東地区」、「亘理・山元地区(農地海岸)」、「南相馬地区」を実施した。実施中の福島特別直轄災害復旧事業「請戸川地区」も本年度完了予定であり、直轄災害復旧として取り組んだ一連の災害復旧支援が完了する見込みである。
(2) 仙台東地区を直轄事業で着手
仙台市の東部に広がる農地は、仙台藩開祖伊達政宗公による新田開発に始まるとされ、藩政時代に広瀬川から用水路が掘られ、市街地に隣接して営農が継続されている貴重な農地である。一方、被災前は狭小な区画が多く、排水施設は仙台市により整備されてきたが、東日本大震災により農地1,800haが津波被害を受け、沿岸部の排水施設は壊滅した。
東日本大震災における農地・農業用施設の被災が甚大であったことから、農林水産省において除塩事業の法制化や代行制度等の拡充を行い、仙台市長、宮城県知事から仙台東地区の直轄事業要請を受けて、平成24年1月から東北農政局は直轄事業に着手した。
(3) 仙台東地区の概要
「仙台東地区」では、4工種の事業(「施設復旧」、「農地復旧」、「除塩」、「区画整理」)を実施した。「施設復旧」では被災した4箇所の排水機場の整備等を行い、津波被害を受けた農地に対しては、堆積土砂・瓦礫の除去(農地復旧)・湛水除塩(除塩)による農地復旧を行った後、区画整理にて大区画化や末端用水路のパイプライン化を実施した。仙台東地区の農地復旧、除塩、区画整理は令和2年度に完了し、施設復旧は令和3年2月の福島県沖地震で生じた舗装段差の復旧等を経て令和4年度に完了した。
末端用水路のパイプライン化にあたっては必要に応じ加圧ポンプを新設した。また、排水機場の復旧に際して、地盤が沈下して従来に比べポンプの揚程が高くなったため維持管理費の増大が懸念されたことから、宮城県、仙台市はそれぞれ太陽光発電パネルを別事業にて設置し、その売電収入を施設の維持管理費軽減のため充当している。このように仙台東地区は単なる復旧ではなく、機能向上や再生可能エネルギー活用を伴う発展的な復興を行ったものであり、このことをウクライナ国視察団に丁寧に説明することを意図した。
直轄特定災害復旧事業 |
直轄災害復旧関連事業 |
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施設復旧 排水機場4箇所、用水路47km、排水路17kmほか |
農地復旧 雑物除去工、畦畔復旧、整地工、客土工ほか |
除塩 湛水除塩工ほか |
区画整理 区画整理、末端用水路157km、揚水機12箇所、末端排水路135km、暗渠排水 |
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受益面積 |
2,362ha |
1,810ha |
1,393ha |
1,900ha |
総事業費 |
32,120百万円 |
17,266百万円 |
7,452百万円 |
31,604百万円 |
工 期 |
H23~R4年度 |
H23~R2年度 |
H23~R2年度 |
H25~R2年度 |
3 ウクライナ国農業政策食料省による現地調査
ウクライナ国農業政策食料省の視察団は、令和5年4月18日から20日にかけて宮城県内を訪問し、このうち18日午後に東北農政局農村振興部に現地案内が求められ、復興に関わった方との意見交換も希望していることから、仙台東地区を案内するとともに、仙台東地区の震災復旧・復興を推進した仙台東土地改良区を訪問し、理事長らと意見交換することとした。
ウクライナ国農業政策食料省の視察団は、マルキヤン・ドゥミトラセヴィチ次官、ヴィタリー・ゴロヴニャ次官ら計5名である。次官以外の方も、局長、部長、部長代理という役職であり、ハイレベルな視察団であった。
(1) 震災遺構での概要説明
現地に到着した視察団を沿岸部にある震災遺構仙台市立荒浜小学校で出迎えた。津波被害の痕跡が残る旧小学校を見ていただいた後に、屋上から復旧した農地を眺めていただきながら、東北農政局の佐藤防災課長から、被災した後に様々な工程を経て営農再開、区画整理を行ってきたことを説明した。(写真1)
今回の視察団受け入れに当たり、仙台東地区は主に水田の復旧であり、ウクライナ国の実情にそぐわず視察団の期待に応えられないのではないかと心配していたが、杞憂であった。説明を聞く視察団は真剣そのもので、矢継ぎ早に質問がなされた。農地復旧の写真を見て「重機で何をしているのか」と質問があり、「ヘドロや瓦礫を取り除いている」と答えると、「取り除く厚さはどのくらいか、全体でどれだけの量がでて、それをどのように処理したのか、耕土が減った分は補充したのか、どこから補充の土を運んできたのか」といった具合である。末端用水路をパイプライン化したことに対しては、「パイプラインにすると維持管理費が高くなるのではないか」と質問があり、「太陽光発電パネルを設置して売電収入を維持管理費の負担軽減に充てている」旨説明し、維持管理も考慮して復旧を進めたことに理解いただいたように思えた。なお太陽光発電パネルの説明は、次の視察先である排水機場で説明する予定であったため説明資料を車の中に置いておいたことが後悔された。
ウクライナ国視察団に付き添っていたNHKの担当者も、こんなに質問が出るとは思わなかった、と感想を述べた。熱心に説明を聞いているのはウクライナ国視察団だけではなく、取材している多くのマスコミの方も熱心にメモをとっていた。勉強のため説明資料がほしいとリクエストした記者もおられ、「津波被害を受けた農地復旧の話は聞いたことがなかった」と感想を述べる方もおられた。ウクライナ国視察団が熱心に聞くので、マスコミの方の関心も増したようだった。
(2) 二郷掘排水機場
概要説明のあと、復旧した排水機場に移動した。佐藤防災課長から、従来の鉄骨構造を津波に強い鉄筋コンクリート構造としたこと、海側の窓をなくしたこと、機械類を高い位置に設置したこと等を説明し、どんな質問が来るか待っていたら、「なぜポンプで排水するのか」という質問だった。海抜ゼロメールとなることを説明したが、ウクライナ国ではそのような場所はないのかもしれない。「なぜディーゼル発電なのか、(電力会社の)電力のほうが安いのではないか」という質問には驚いた。パイプライン化でもコストの質問が出たが、視察団は専門的な知見が深いことが伺えた。「常用ポンプは電力を利用するが、豪雨時の排水ポンプは雨が降ったときのみ稼働するので、電力より経済的となる」旨を佐藤防災課長が回答した。小職は、ウクライナ国はヨーロッパ最大級の原子力発電所を有しているので比較的電気代が安いのかもしれないと思ったが、その原子力発電所がロシア軍に占拠されていることが頭によぎった。
(3) 仙台東土地改良区での意見交換
仙台東土地改良区事務所を訪問し、震災後に整備した水管理システムを視察した後、関係者と意見交換を行った。仙台東土地改良区佐藤理事長、農事組合法人六郷南部実践組合三浦組合長、仙台市経済局農林部の佐々木部長が出席した。(写真2)
佐藤理事長から、「戦後、荒廃して食べ物のない時代に自分たちで復興していく趣旨で土地改良法がつくられ、前の世代が土地改良区を作って農地や水路を整備した。今回の津波ですべて流され出直すこととなったが、自分たちでやらなければならないと思い復旧に取り組んだ。」との経緯と土地改良区の役割について説明があった。この説明を聞いて、小職は、東日本大震災からの復興だけでなく、戦後の荒廃からの復興も土地改良区が大きな役割を果たしたことを理解し、このような日本の経験は、国土が戦争で荒れてしまったウクライナ国の復興の参考になり得ると感じた。ウクライナ国視察団も同じ思いのようで、佐藤理事長に対して「理事長はどのように選ばれるのか、選挙権の重みは農地面積によって変わるのか、他の農業者団体との違いはなにか、組合員はどれだけ費用負担するのか、組合員数が変わらないのに農地整備で何故区画を大きくできたのか、農地面積の増減が生じた場合どうやって調整するのか。」などの質問を次から次に行った。農地整備における区画の拡大と面積増減の調整については、佐藤理事長が「組合員は複数の小さな農地を分散して持っており、これをまとめて大区画とした。面積の増減があったら金銭で調整する」と説明して理解した模様であるが、「換地制度」を第三者に説明するのは難しいと感じた。
土地改良区理事長以外の方との意見交換は割愛するが、意見交換は大変熱心に続き、時間を大幅に超過して終了した。
4 おわりに
今回、無事にウクライナ国視察団の調査対応を終えることができた。発災以降、長年にわたり全国からの応援と関係機関の連携を得て、仙台東地区の発展的復興・復旧が実現できたことによるものであり、当時の関係者に厚く御礼申し上げる。
自分たちが取り組んでいることが、遠く離れた国の参考になる可能性を示唆したものともいえるが、なによりもウクライナ国の早期の紛争終結と復興を祈念させていただく。なお記載した質問内容等は当方の理解であり、視察団に確認したものでないことを申し添える。