2023.3 MARCH 67号

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「世界の農業農村開発」第67号 特集解題

海外情報誌企画委員会 委員長  角田 豊


 第67号の特集テーマは「切迫する食料安全保障」である。

 気候変動は世界各地で、干ばつや洪水、熱波や冷害などの災害を引き起こし、食料生産に中長期にわたって大きな影響を及ぼしている。こうした中、2020年からの新型コロナウィルス感染症(COVID19)の世界的大流行(パンデミック)は、農産物や食料品のサプライチェーンを大きく混乱させた。FAO等の国際機関は、2021年の世界の飢餓人口は前年より1.5億人増加し最大で8.3億人に達すると発表している。そして2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻が食料安全保障の状況をさらに悪化させた。冷戦後の世界秩序を一変させるロシアの一方的な侵略は、当初、圧倒的なロシアの武力の前にウクライナは短期間で制圧されると思われたが、ウクライナ国民の祖国防衛の徹底抗戦をNATO、EU、G7等が支援し、侵攻から1年たった今でも戦況の行方は見通せない状況が続いている。ウクライナは小麦の生産に適した肥沃な黒土(チェルノーゼム)を持つ農業大国で「欧州のパン籠」と称されたが、近年は中東やアフリカへの農産物輸出が増加して「世界の食料庫」とも言われている。ロシアの侵攻によりウクライナの農業生産は大打撃を受け、黒海の港から中東・アフリカへの農産物輸出も止まった。国連の仲介により輸出は再開されたもののウクライナ紛争が世界の食料安全保障に与えた影響は計り知れない。

 ウクライナ侵攻は気候変動対策にも影を落としている。2022年11月、エジプトのシャルムエルシェイクで開催された気候変動枠組み条約第27回締約国会議(COP27)の場では、ロシアによるウクライナ侵攻がもたらしている温室効果ガス排出量の増大に重大な懸念が表明されており、気候変動対策の後退、ひいては食料安全保障への影響が懸念されている。

 今号のOpinionでは、平澤明彦氏から世界の食料安全保障の状況分析とともに農業農村開発の課題を提言していただいている。Keynote1では、牛草哲朗氏から気候変動と食料安全保障の国際的な議論の動向について、Keynote2では岩間浩氏から持続的な食料システムの構築を目指す「みどりの食料システム戦略」について、Keynote3では、白鳥佐紀子氏からアフリカにおける栄養と食料安全保障について、それぞれ解説していただいている。


Opinion  パンデミック以降の世界の食料安全保障~複合的危機の諸要因~

 農林中央基金研究所理事研究員の平澤明彦氏の世界の食料安全保障に関する分析と農業農村開発の重要性に関する提言である。

 最初に、食料危機の様々な要因として、干ばつなどの異常気象、人口増と経済成長に伴う食料輸入の拡大、バイオ燃料需要の拡大、商品相場や投機資金の影響、食料輸入超大国となった中国の動向の5点を挙げている。

 そのうえで、2020年からのパンデミックは、労働力の移動制限、景気後退により低所得層の食料安全保障を悪化させ、世界人口に占める栄養不足人口の割合は2021年に9.8%に達したという。加えて、2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻は、両国が主要な食料輸出国であることから世界の食料安全保障に大きな影響を与えている。両国の農産物の世界輸出シェアは小麦28%、トウモロコシ16%、ヒマワリ油60%以上を占めている。ウクライナからの食料輸出がストップし、輸入に頼る中東・アフリカ諸国の食料危機が高まった。この事態を解決するため、国連事務総長の主導とトルコの仲介の下、2022年8月「黒海穀物イニシアティブ」が関係国で署名されウクライナの港から食料輸出が再開された。世界の食料価格はロシア侵攻後に急騰したが、協定締結後には落ち着きを取り戻している。肥料価格の高騰も大きな問題となった。肥料の輸出国は、ロシア、カナダ、中国、ベラルーシ、モロッコといった資源国に偏っていて、肥料の輸出制限による供給不足が食料安全保障への影響を強く認識させることになった。

 こうした食料安全保障の問題が集中的に表れているのが東アフリカのエチオピア、ソマリア、ケニアであると指摘している。積年の深刻な干ばつ被害に加え、内戦、バッタによる食害、パンデミックやウクライナ紛争による穀物価格の高騰が事態を一層深刻化させ、約2100万人が食料不安定化に直面し、飢饉が発生する可能性が高まっているという。食料は生きるために欠かせない必需品であるため、不足時の価格の高騰が大きく、とりわけ低所得国や低所得者層に大きな打撃を与えるのである。

 将来的な世界の食料安全保障のためには、自国の食料生産と供給を高めていくことが必要であり、生産技術や農業経営、販路開拓、インフラ整備、フードチェーンの構築、気候変動への適応など農業農村開発の課題に取り組んでいくことが重要であると指摘している。先進国による途上国支援も不可欠である。日本においては、食料・農業・農村基本法の見直しを進めており、こうした農業農村開発の課題に対し積極的な対応が求められると指摘している。


Keynote1 OECD農業委員会での議論、特に気候変動と食料安全保障について

 農水省大臣官房審議官(兼輸出国際局)牛草哲朗氏の気候変動と食料安全保障に関する国際的な議論の解説である。

 OECD(経済開発協力機構)は、先進諸国を中心とする経済分野の協力のための国際機関であり、現在欧州を中心に日米を含め38か国が加盟している。OECD農業委員会では農業政策全般を議論しており、2022年11月、6年ぶりとなる閣僚レベルの農業委員会(農業大臣会合)が開催された。

 会合では、パンデミックやロシアによるウクライナ侵攻の状況下において、気候変動等の環境問題と食料安全保障に農業政策がどのように関与していくかが大きな焦点となった。取りまとめられた閣僚宣言は、持続可能な農業と食料システムに向けた変革を志向し、農業と食料システムの3課題(トリプルチャレンジ)として、①食料安全保障と栄養の確保、②気候変動と生物多様性への対処、③農家や食料サプライチェーンで働く人々の生計の提供を挙げ、それぞれの課題の解決策を示すものとなっている。

 この3課題を同時に解決することが重要であるが、食料安全保障のための増産を環境負荷を減じつつ達成することは高いハードルであると指摘している。OECDでは、SDGs目標2「飢餓ゼロ」とパリ協定の農業からの温暖化ガス排出削減を両立させるためには、2020~30年までの10年間に農業生産性を28%向上させる必要があると試算している。これは2010~20年の10年間の生産性向上の実績10%に比べて極めて高い数値である。

 こうした課題の解決のためには、各種イノベーションが不可欠であり、新技術を展開できる普及サービスや人材育成、インフラへの投資が必要であるとしている。OECDは、かねて貿易歪曲度の高い市場価格支持や生産量とリンクした補助金の削減を提唱してきたが、近年では、環境に悪影響を与える農業支持をやめてイノベーションへの投資に回す方向へ農業政策を転換べきとの議論が台頭してきているという。

 わが国は、「みどりの食料システム戦略」の推進を通じて食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立を官民を挙げたイノベーションで実現しようとしており、まさにOECD加盟国の方向性と一致するものであるとしている。


Keynote2 みどりの食料システム戦略の推進について~持続的な食料システムの構築に向けた政策の展開~

 農水省大臣官房審議官(技術・環境)岩間浩氏の「みどりの食料システム戦略」を基本とする政策展開についての解説である。

 2021年5月、農水省は、食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現するための政策方針として「みどりの食料システム戦略」を策定した。国内外のあらゆる産業において、SDGsや環境への配慮が不可欠となっている中で、2020年5月、欧州委員会はFarm to Fork(農場から食卓まで)戦略を公表し、2030年を目標とする農薬や肥料、抗菌剤の使用削減目標を設定した。アメリカも農業のネットゼロ・エミッション達成を表明し、化石燃料補助金の廃止、気候スマート農法の採用奨励など意欲的な動きを見せている。こうした世界情勢の中で、「わが国としては、アジアモンスーンの持続可能な食料システムのモデルを構築し世界に発信していくことが必要」との指摘には強く共感する。

 「みどりの食料システム戦略」では、農林水産物の生産・加工・流通・消費を通じた持続可能な食料システム構築を目指し、2050年の数値目標として、農林水産業のゼロエミッション化、化学農薬の使用量50%減、化学肥料の使用量30%減、有機農業の取り組み面積を100万haに拡大などの数値目標を掲げている。サプライチェーンの各段階での環境負荷の低減と労働生産性・安全性の大幅な向上をイノベーションにより実現していくとの道筋を示している。

 2022年4月には、戦略を推進していくための法的な枠組みとして「みどりの食料システム法」を定め、土づくり、化学農薬・化学肥料の削減、温室効果ガスの排出削減等の取り組みを環境負荷低減事業活動として認定・支援する仕組みを整えた。

 戦略が掲げる「生産力の向上と持続性の両立」を実現するためには、イノベーションの創出が鍵となるとして、ここでは二つの事例を紹介している。一つは、農地土壌由来のメタン削減を可能とする水稲の水管理技術(中干し延期、間断灌漑技術)、もう一つは、窒素肥料の施用を大幅に削減しても収量の維持が可能な小麦等の開発(BNI強化作物)である。また、戦略を国際的な場で発信し、アジアモンスーン地域型の持続可能な食料システムのモデル構築をリードしていくため、2022年10月に開催されたASEAN+3農林大臣会合において、ASEAN地域への日本の協力イニシアティブとして「日ASEANみどり協力プラン」を打ち出しASEAN各国から賛同を得たことも報告している。

 「みどりの食料システム戦略」は、これからの持続可能な社会構築の指針となるものであり、食料・農業・農村基本法の見直しを含め今後の政策展開に期待したい。


Keynote3 アフリカにおける栄養・食料安全保障

 アフリカの農村で世帯調査を通じて食料栄養問題に取り組んでいる国際農研主任研究員の白鳥佐紀子氏から、昨年の第8回アフリカ開発会議(TICAD8)で、最重要事項の一つとなったアフリカの栄養改善と食料安全保障についての論考である。

 まず、栄養不良には、栄養不足(飢餓)、微量栄養素不足、栄養過多(肥満)の3つの課題があり、アフリカの中でも地域差が大きく地域固有の実情を把握することが必要であると指摘している。

 次にアフリカの栄養・食料問題の要因については、第一にアフリカの急激な人口増加と都市への集中により、食料需要の増加や変化に食料供給が追い付いていないことを挙げている。第二に、農業生産性の停滞を挙げている。農地面積の拡大は環境の面でも限界があることから既存農地の生産性向上が重要であるが、単位面積当たり施肥量は世界平均に比べてはるかに少なく生産資材の投入が不可欠である。しかし、最近の肥料価格の高騰が直撃している。第三に、気候変動、パンデミック、ウクライナ紛争などに大きく影響される食料供給の脆弱性を挙げている。気候変動による干ばつや洪水などの被害の頻発、パンデミックによるサプライチェーンの混乱や所得減による食料入手手段の喪失、小麦輸入をロシア、ウクライナに依存していることなどが食料安全保障に直接的な影響を及ぼした。第四に、野菜・果物や動物性食品の摂取不足による微量栄養素不足の問題である。栄養バランスの取れた健康的な食事に手の届かない人が多いことを指摘している。

 こうした中、栄養・食料安全保障の確立に向けて、国家予算の10%を農業セクターに支出することが示されている(マラボ宣言)。栄養価を高めた品種の導入、作物の多様化、栽培技術の改良、学校給食の採用、商品作物による所得向上、食品ロスの軽減、栄養知識の普及など様々な取り組みが行われている。しかしながら、土壌、気候、社会経済条件が多様なアフリカにおいて万能の解決策はない。地域固有の実情や現地の食事情を知って有効な栄養改善策を見出すという地道な取り組みが必要であると指摘している。


Report & Network

 今号では、Report3編を掲載している。元エジプト水資源省専門家の渡邊史郎氏からエジプトの水資源政策と食料問題について、日本工営株式会社の中村友紀氏からイスラエル占領下のパレスチナ農業の現状について、岐阜大学応用生物科学部准教授の乃田啓吾氏から日本ICID協会の活動を通じた若手人材育成の取り組みについて、それぞれ報告をいただいた。

 渡邊氏は、人口1億人を超えるアフリカの大国エジプトの水問題と食料政策について報告している。エジプト人の主食は小麦であるが、小麦の自給率は40%にとどまり、900万トンもの小麦を輸入し、その70~80%をロシア及びウクライナに依存しているという。今次のウクライナ紛争はエジプトの食料安全保障を根本から揺るがしている。農業生産性の向上は不可避であり、エジプト政府は、農業用水の水利用の効率化と単位用水量当たりの収量増大、湛水灌漑からスプリンクラーや点滴灌漑への転換、消費水量の少ない栽培作物の転換、排水再利用、農民参加型水管理の促進を掲げている。我が国としても、エジプトの水資源分野への息の長い協力が必要であると指摘している。


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