2023.3 MARCH 67号
OPINION
はじめに
新型コロナウイルス感染症の世界的流行(パンデミック)が始まった2020年初め以降、世界の食料安全保障の状況は悪化している。食料供給の不安定と栄養不良に直面する人口が急速に拡大しているのである。2007~08年と2010年に食料価格が上昇した際、このような動きはみられなかった。今回は所得の減少に食料価格の高騰が加わって低所得層が大きな影響を受けている。2022年はウクライナ紛争や東アフリカの干ばつが追い打ちをかける形となったが、その影響についてはまだ全容が判明していない。それに加えて肥料の高値も今後の不安要因となっている。本稿は適宜過去の例を参照しつつ、こうした国際規模の食料安全保障問題を引き起こした要因を整理する。
1 食料危機の様々な要因
食料危機は通常、複数の不安定要因が重なって発生する。最初にこれまでの主な要因を整理しておこう。①まず、主要輸出入国の不作は引き金となりやすい。しばしばエルニーニョ、ラニーニャやインド洋ダイポールモード現象といった気象パターンの変動が関わる干ばつなどの異常気象が寄与している。1973年の食料危機は、ペルーのアンチョビ不漁やソ連の小麦不足による大量買い付けが大きな要因であった。②次に、人口の増加と経済の成長に伴って多くの国は食料輸入国となり、輸入を拡大する。国際需給を引き締める要因となるが、輸入の拡大はある程度予測可能であり、通常は輸出国が増産して対応する。③2000年代後半にはバイオ燃料向けの需要が急拡大し、食料需給のかく乱要因となった。米国ではバイオ燃料振興策によって数年間にエタノール原料向けの需要がトウモロコシの約4割にまで拡大し、他の穀物にも値上がりが波及した。④また、このときもそうであったが、しばしば穀物価格は原油などの商品相場と連動して値上がりする。バイオ燃料が媒介して原油価格とトウモロコシ価格の連動は強まった。⑤そうした値動きには投機資金の影響も無視できない。世界に大きな影響力を持つシカゴの先物市場では規制緩和の後、2000年代半ば以降は投機資金が穀物取引の大きな割合を占めるようになった。
最近になって新たな要因が生じてきた。一つは食料輸入超大国となった中国の動向である。中国は世界の大豆貿易量の過半を輸入しており、トウモロコシの輸入量も世界第1位となった。巨大な人口を有する中国からみれば、国際市場の供給能力は十分ではなく、輸入の拡大は慎重に進めてきた。米国への依存を避けるため、農業開発投資なども使って輸入先の多様化を図っている。しかしその動きには不安定な面があり、規模が大きいだけに波乱要因となっている。2018年に貿易紛争の相手国であった米国からの大豆輸入を停止して南米からの調達を増やし、その後合意が成立すると再び米国から大量の輸入を拡大した。最近では輸入拡大路線からある程度自給を重視する方針変更が打ち出された。
2 パンデミックによる飢餓の拡大
そして2020年からのパンデミックは、食料安全保障に予期せぬ影響をもたらした。これまでの諸要因と異なり、パンデミックによる感染は世界で同時多発的に発生し、フードチェーンの様々な場所で問題が生じた。労働力の移動制限、事業所の操業縮小・停止、消費の急変などにより、物流や供給の混乱が引き起こされた。世界に広がる長いサプライチェーンに依存することのリスクが明らかとなり、国内や地域などの短いサプライチェーンを見直す動きも出てきた。
とりわけ移動制限と景気後退による所得の減少は、低所得層の食料安全保障を悪化させた(FAO et. al 2021: p.56(※1))。また、世界の食料価格すなわち国連食料農業機関(FAO)が作成している食料価格指数(実質ベース)は、パンデミックの当初は需要の減退から低下したものの、2020年後半から上昇して2021年末までには以前の高騰期並みに値上がりした(図1)。
FAOの推計によれば、パンデミックの影響により世界の栄養不良人口は2020年に1億人増加し、2021年にさらに5千万人増加して7億6,800万人に達した。これは2005年以来の高い水準である。2000年代後半における栄養不良人口の縮小分は、この2年間で相殺された(図2)。栄養不良人口が世界人口に占める割合は2021年に9.8%に達し、同じく中度ないし重度の食料不安定に直面する人口の割合は3割近くに達した(FAO et. al 2022: p.10(※2))(注)。
3 ウクライナ紛争と食料輸出の協定
そこにウクライナ紛争が加わった。ロシアの侵攻(2022年2月)により始まったウクライナとの紛争は新たな種類の食料危機をもたらした。両国は主要な食料の輸出国であり、戦争によってその輸出に支障が生じたのである。また、ロシアは肥料と化石燃料の主要輸出国でもあるため、影響はさらに広範囲にわたった。
両国のおもな輸出農産物(図3)を確認すると、2か国合わせて小麦が5.5千万トンで世界シェア28%(2020年、以下同じ)、トウモロコシが3千万トンで同16%、ヒマワリ油は1千万トン程度で同6割超である。小麦は2か国のうちロシアが多く、トウモロコシとヒマワリ油はウクライナが多い。
実は両国がこのように食料輸出国として成長したのは近年のことである。ロシアは2014年のクリミア紛争以降、西側諸国の経済制裁への報復措置として各種農産物の輸入を禁止し、その一方で国内農業を振興し、最大の小麦輸出国になり、また飼料を増産して畜産物の自給体制を構築してきた(平澤 2022)。ウクライナは中国から農業開発資金の融資を受けて急速に生産を拡大し、また中国はウクライナからの農産物輸出を拡大するためウクライナの港湾に輸出用施設を建設した(阮 2022)。
食料安全保障の観点からは、多くの国で主食とされている小麦が重要である。両国の小麦は主要輸出国の中では安価であることと、おもな輸出経路である黒海から地理的に近いことから、アフリカや中東、南アジアに多く輸出されていた。最大の輸出先はエジプトとトルコであり、それぞれ1千万トン、9百万トン程度である(2020年)。
エジプトとトルコにとって小麦は主要な食料である。エジプトは供給の過半を輸入に頼っており、トルコも2010年代終盤から自給率が低下して2021/22販売年には4分の1近くを輸入するようになった。そして輸入先の殆どはロシアとウクライナ(主にロシア)であった(FAOSTATおよびPSD onlineのデータによる)。
戦争がはじまるとウクライナは港を閉鎖され、農産物の輸出が止まった。EUの協力を受けて鉄道など陸路と運河を使った輸出を拡大したものの、輸送能力は2022年秋の時点で平時の3分の1程度にとどまった。一方、ロシアは西側諸国から経済制裁を受けてドル決済から締め出された。
FAOは、ウクライナ紛争によるウクライナとロシアの食料及び肥料の輸出制約により、食料不足人口は2022年に中位シナリオで760万人、深刻なシナリオで1,310万人増加すると推計した(FAO et. al 2022: p.20(※2))。紛争によって第三国である輸入諸国に深刻な食料問題が発生しかねないことを警告したのである。影響を被るのは主な輸入地域であるアフリカや中東などである。
国連事務総長はこの状況を打開するため関係国と交渉することを2022年5月に表明し、ウクライナが港から穀物の輸出を再開し、かつロシアが穀物と肥料を十分に輸出することを目指すとした。その後トルコが仲介して交渉が進められ、7月13日に基本合意に至り、翌14日に米国はロシアの農産物と肥料を経済制裁の対象から除外していると表明した。そして同22日に「黒海穀物イニシアチブ」の署名がなされ、8月1日にウクライナの港から輸出が再開された。その後輸出は拡大し、9月と10月の穀物輸出量は陸路や運河を合わせて平年並み(7百万トン/月程度)に達した。
協定は署名国が異議を唱えなければ120日毎に延長される。ロシアは自国の輸出に対する制約が解除されていない(ドル決済、保険料や輸送など)として一時協定を離脱したものの、国連事務総長が仲介して米国とEU、英国から改善の約束を取り付け、協定は11月19日に延長された。
シカゴの先物市場ではロシアの侵攻後に小麦価格が最高値を更新し、大豆とトウモロコシの価格もそれに近い水準まで上昇した。しかし国連事務総長が輸出再開の交渉を公表すると小麦価格は速やかに低下し始め、基本合意の直後に大豆とトウモロコシも急落して3品目とも侵攻前の水準に戻った。
世界の食料価格はこの間に記録的な高値となった(前出 図1)。FAOの実質食料価格指数は、食料全体、穀物とも2022年前半に既往(1990年以降)最高値となり、油の値上がりはさらに顕著であった。2022年夏にはウクライナ紛争前の水準まで下げたものの、それでも2008年と2011年のピークと同程度の高さが続いている。
図からもわかるとおり2007~08年の値上がりから世界の食料需給は引き締まり傾向となっており、2010年代以降は、最も価格が低い時でも1990年代におけるピーク時と同程度までしか下がらなくなっていた。
上記の協定に基づきこれまでにウクライナの港から約1,200万トンが輸出された(2022年11月25日時点)。そのうちトウモロコシと小麦が3分の2以上を占める。トウモロコシは飼料用に欧州向けが多く、サブサハラや南アフリカには小麦が輸出されている(表1)。
小麦の輸出量を輸出先国別にみると、アフリカ、中東、アジアへの供給がなされていることがわかる(図4)。低所得国(12.3%)と下位中所得国(31.3%)を合わせて比較的所得の低い国が43.6%を占めており、その中には干ばつの深刻なエチオピア、ソマリア、ケニアが含まれている。それに従前からの主要輸出先であるトルコを加えれば6割強となる。高所得国が37.1%を占めているのはおもにスペインとイタリア(2か国で3割弱)によるものであり、欧州の高温・旱魃と不作が影響している可能性があろう。
ロシアの輸出実績の詳細については貿易統計が出そろうのを待つ必要がある。トルコの統計によれば、ロシアからの小麦輸入は従来並みの水準を維持している。また、報道によればロシアの小麦は豊作と安値により10月の輸出は好調であり、一方で冬小麦の作付けは減少しているという。
4 肥料価格の高騰
2022年、肥料の価格は2007~08年なみの高値となった(図5)。値上がりの時期は食料と同様に2020年の後半から2022年前半にかけてであったが、その上昇幅は3倍以上で食料を上回った。その後、リン酸と窒素(尿素)の価格は2022年4月のピークから2~3割低下してウクライナ紛争以前の水準に戻った。カリウムは頭打ちとなり、リン鉱石は10月に若干低下した。
肥料価格の値上がりは、相当部分が2021年に生じた。その理由はCross (2022)によると、作物の高値を受けた増産意欲の高まりや、パンデミックを受けた政府の農業支援で肥料の需要が拡大したのに対して、それに見合う供給の拡大が困難であったことである。まず肥料工場が操業を縮小・停止する例が少なくなかった。パンデミックによる設備点検の遅れ、天候不順(米国の低温やハリケーン)、エネルギーや原材料の価格高騰による採算の悪化などのためである。また、EUと米国は経済制裁の一環としてカリウムの輸出シェア2割弱を占めるベラルーシからの輸入を停止した。さらに肥料の供給が不足した結果、肥料の輸出国であるロシア、中国、エジプトなどが国内供給を優先するため輸出を制限した。FAO(2022)によれば、パンデミックによる輸送コストの上昇も肥料の値上がりに貢献した。
肥料の輸出国は少数の資源国に偏っている(表2)。ロシアは世界最大の肥料輸出国であり、窒素、リン、カリの3要素すべての主要輸出国である。同盟国のベラルーシはカリの輸出国であり、2か国合わせて世界の36%を占め(2019年)、そのことが世界価格の高止まりに影響しているとみられる。リンとカリは鉱石の産出国が限られ、特にカリ鉱石は上位3か国が約7割のシェアを有している。窒素肥料は天然ガスが原料であり、生産のエネルギー源としても大量の天然ガスを用いる。
ウクライナ紛争の当初は世界最大の肥料輸入国であるブラジルへの影響が懸念されたが、その後ブラジルの肥料輸入量は従来どおり拡大が続いている。ブラジルは輸入先を多様化するとともに、ロシアからの肥料輸入も若干の縮小から拡大傾向に転じた。
肥料の高値が続けば農業者はその使用を減らすため、特に低所得国で近い将来の食料生産を抑制するのではないかと懸念されている。
5 東アフリカの干ばつ
東アフリカのエチオピアとソマリア、ケニアでは2020年後半から2年間にわたり40年ぶりと言われる深刻な干ばつが続いている。国連によれば2,100万人が高度の食料不安定化に直面し、3,600万人が人道援助を必要としており、ソマリアでは170万人が移住を余儀なくされたという。内戦、バッタによる食害、パンデミックが事態を一層悪化させているほか、ウクライナ紛争や輸入小麦の値上がりの悪影響も伝えられている。
栄養不良人口の割合(2021年)はアフリカでは20.2%、そのうち中東アフリカでは32.8%、東アフリカでは29.8%であった(FAO et. al 2022: p.14(※2))。事態はさらに悪化して2022年終盤には飢饉が発生する可能性が高まっている。国連は早くから緊急援助を訴えているが、十分な資金は集まっていない。
東アフリカはウクライナの小麦輸出先である。パンデミックや穀物の国際価格高騰に加えて、ウクライナの輸出停止、そして干ばつがこの地域で重なったことが事態を一層深刻にしている。
6 農業農村開発の課題
最後に現在の食料危機の特質を整理し、課題を考えてみたい。食料価格は十数年前から高値傾向が続いており、そこに2020年から低所得層における購買力の低下と食料価格の一層の上昇が加わった結果、急激な栄養不足人口の増加をもたらした。戦争により穀物と肥料の貿易に支障が生じたことと、肥料の供給制約により先行きの不確実性が増した点も特徴的である。東アフリカ地域ではそうした国際的な要因と干ばつが重なり、大規模な飢饉のリスクが高まった。
食料の国際市場における需給均衡は、需給のひっ迫すなわち供給の不足時に価格が上昇し、需要を抑制することによって達成される。この仕組み自体が低所得国の食料安全保障を脅かすメカニズムを内包している。食料は必需品であるため不足した際の値上がり幅が大きく、低所得国や低所得層にとっては購入の困難につながる。一方で穀物需要の大きな割合を占める高所得国の飼料や燃料向けの需要は結果として優先されがちである。そうした国の畜産やバイオ燃料産業は、元々は余剰作物のはけ口という側面があったとしても、それぞれ独自の展開を遂げており、その需要は容易に削減できない。
市場の不備を補うために国際援助の制度があるとはいえ、その資金調達は不十分かつ遅れがちである。しかも、世界的に需給の引き締まり傾向が続き、気候変動など不安定要因は増している。
こうしたことからすれば、途上国はできる限り自ら食料を増産して国内供給できるようにすることが望ましいであろう。生産技術や農業経営、販路開拓、インフラ整備、フードチェーン構築、気候変動への適応など課題は多く、先進国は幅広く支援することができよう。それが将来的な世界の食料需給の緩和と安定供給に貢献すると考えられる。途上国の経済成長や国内経済格差の縮小、平和に貢献できればより根本的な対策となる。
なお、一連の動きに対応して欧州は自国の食料安全保障に対する意識を高め、ここ10年間ほどの間に対策を打ち出している(平澤 2022)。我が国も現在、食料・農業・農村基本法の見直しを進めており、積極的な対応が求められる。(2022年11月30日)