2023.3 MARCH 67号
Keynote 2
農林水産省大臣官房審議官(技術・環境) 岩間 浩
我が国の農林水産業は、生産者の減少・高齢化に直面する一方、国際的な食料需給が複雑化し、食料やエネルギー、資材の輸入依存に伴うリスクが高まっている。また、地球温暖化の進行や生物多様性の喪失などの環境負荷の増大への対応は、将来に向けて避けて通ることのできない課題である。
農林水産省では、食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現するための政策方針として、2021年5月に「みどりの食料システム戦略」を策定し、翌2022年から予算・税制等の支援措置がスタートし、2022年4月には関連法が成立するなど施策の具体化が進められている。本稿では、本戦略の概要と関連する施策について紹介する。
1 我が国の食料・農林水産業が直面する課題
(1) 気候変動と温室効果ガスの排出
日本の年平均気温は、100年あたり1.28℃の割合で上昇しており、世界平均の2倍近い上昇率で温暖化が進んでいる。農林水産業は気候変動の影響を受けやすい産業であり、高温による果樹等の品質低下や、降雨量の増加や災害の激甚化など、様々な被害が発生している。
世界の温室効果ガス排出量は、約520億トン(2007-2016年平均、CO2換算(以下同じ。))となっており、このうち、農業・林業・その他土地利用からの排出(約120億トン)は世界の排出全体の約4分の1を占めている。一方、日本の温室効果ガス排出量は11.50億トン(2020年度)で、このうち農林水産分野は5,084万トン(4.4%)となっている。農林水産分野の排出の内訳を見ると、施設園芸や農業機械、漁船における化石燃料由来のCO2のほか、水田、家畜の消化管内発酵(げっぷ)からはメタンが、また、家畜排せつ物管理、施肥に伴う農用地の土壌からは一酸化二窒素(N2O)が排出されている(図1参照)。
日本のCO2吸収量は4,450万トンとなっており、森林が4,050万トン、農地・牧草地は270万トン(2020年度)と、農林水産業は吸収源として温室効果ガスの削減に大きく貢献する産業としての役割が期待されている。また、我が国は多くの食料や原材料を海外から調達しており、環境に優しい物資の輸入を通じ、原産国の環境に悪影響を与えないことも重要である。
(2) SDGsや環境をめぐる課題と国内外の動向
国内外のあらゆる産業において、SDGsや環境への配慮が不可欠となり、持続的な生産・消費への関心が高まる中、ESG投資の拡大など、持続性を確保する取組を新たなビジネスチャンス、差別化の手段ととらえる動きが加速している。諸外国でも、食料・農業分野で環境や持続性に関する戦略を策定する動きが出ており、欧州委員会は、2020年5月にFarm to Fork(農場から食卓まで)戦略を公表し、2030年を目標年とする農薬や肥料、抗菌剤の使用削減に係る数値目標を設定するなどしている。同戦略において、欧州委員会はEUの食料システムをグローバル・スタンダードにすることを目指すとしている。米国も、2021年1月にバイデン大統領が就任会見において、「米国の農業は世界で初めてネットゼロ・エミッションを達成する」と表明し、化石燃料補助金の廃止、気候スマート農法の採用奨励など意欲的な動きを見せている。
このような世界的な流れも踏まえ、我が国として、欧米とは気象条件等が異なるアジアモンスーンの持続可能な食料システムのモデルを構築し、世界に発信していく必要がある。
(3) 食料生産を支える肥料原料の状況
我が国で使用される化学肥料の原料は、そのほぼ全量を輸入に依存している(図2参照)。世界的に肥料価格が高騰している昨今、化学肥料から国産の堆肥等への置換えを進めることは、農業の環境負荷の低減だけでなく、肥料コストの削減にもつながる上、国内の未利用資源の有効活用を通じて食料の安定供給の確保に資するものである。
2 みどりの食料システム戦略について
上記の状況や、生産者の方々や食品事業者・メーカーの皆様、消費者団体等の幅広い関係者との意見交換、有識者等との意見交換、審議会、パブリックコメント等を通じていただいた御意見を踏まえて、農林水産省では、2021年5月に、食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現するための新たな政策方針として、「みどりの食料システム戦略」を策定した(図3参照)。
「みどりの食料システム戦略」では、2050年までに目指す姿として、
・農林水産業のCO2ゼロエミッション化の実現
・化学農薬の使用量をリスク換算で50%低減
・化学肥料の使用量を30%低減
・耕地面積に占める有機農業の取組面積の割合を25%(100万ha)に拡大
等の14の数値目標を掲げ、革新的な技術・生産体系の開発、その後の社会実装により実現していくこととしている。また、本戦略では、個々の技術の研究開発・実用化・社会実装に向けた2050年までの工程表を掲載し、従来の施策の延長ではない形で、サプライチェーンの各段階における環境負荷の低減と労働安全性・労働生産性の大幅な向上をイノベーションにより実現していくための道筋を示している。本戦略により期待される効果の一つに、「持続的な産業基盤の構築」を掲げ、輸入から国内生産への転換(肥料・飼料・原料調達)、新技術を活かした多様な働き方、生産者のすそ野の拡大といった国内で資源・人材を賄っていく効果も狙いとしている。
本戦略は、農林水産物の生産・加工・流通・消費に関わる様々な関係者それぞれの理解と協働の上で実現するものである。このため、あらゆる機会を捉えて、現場の方々への分かりやすい情報発信や、環境負荷低減の見える化や事業者と連携した店頭での表示など、消費者に選択いただくための取組を進めているところである。
また、2022年6月には、これらの2050年目標の実現に向けた中間目標として、新たにKPI2030年目標を策定したところである(図4参照)。
3 みどりの食料システム法について
(1) みどりの食料システム法の概要
「みどりの食料システム戦略」の実現に向け、現場が安心して息長く取り組んでいただくための法的な枠組みとして、「みどりの食料システム法」(環境と調和のとれた食料システムの確立のための環境負荷低減事業活動の促進等に関する法律(令和4年法律第37号)。以下「法」という。)が2022年4月に成立し、関係する政省令とともに同年7月に施行された(図5参照)。法では、まず前半部分において、生産者、事業者、消費者等の連携、技術開発・活用の推進や円滑な食品流通の確保といった基本理念を掲げた上で、行政の責務や関係者が取り組むべき視点、国が講ずべき施策について規定している。
法の後半部分においては、環境負荷低減に取り組む生産者や事業者の計画を認定し、税制措置等によりその取組を支援する「計画認定制度」について規定している。この制度は、以下の2通りの計画に基づく仕組みから成り立っている。
① 土づくり、化学農薬・化学肥料の削減、温室効果ガスの排出削減(省エネ設備の導入等)等の環境負荷低減に取り組む生産者の事業計画を都道府県が認定する仕組み(環境負荷低減事業活動)
② 上記のような農林漁業者の取組を、技術の開発・普及や新商品開発等により側面的に支援する、機械・資材メーカーやサービス事業体、食品事業者等の事業計画を国が認定する仕組み(基盤確立事業)
いずれの仕組みにおいても、認定を受けた事業者が、化学肥料・化学農薬の使用低減に取り組む際の税制・融資上の特例措置を受けられることになる。
また、これらの計画認定制度の実務的な運用については、2022年9月に、国の基本方針(環境負荷低減事業活動の促進及びその基盤の確立に関する基本的な方針)が策定・公表され、地方公共団体は、基本計画(環境負荷低減事業活動の促進に関する基本的な計画)を作成し、認定業務等を進めることになる。
(2) 法による支援対象となる生産者の取組
上記のように、土づくり、化学肥料・化学農薬の使用低減、温室効果ガスの排出削減のほか、以下の事業活動等が「環境負荷低減事業活動」として法による支援の対象となる。
・バイオ炭の農地への施用
・プラスチック資材の排出又は流出の抑制
・化学肥料・化学農薬の使用低減と合わせ、地域における生物多様性の保全に資する技術等を用いて行う事業活動
また、地方公共団体が定める特定区域における、有機農業の団地化、工場の廃熱・廃CO2を活用した園芸団地の形成、産地全体でのスマート技術のシェアリングなど、地域ぐるみの先進的な取組についても、「特定環境負荷低減事業活動」として支援の対象となる。特に有機農業の生産団地を形成する場合には、周囲の慣行農業との間で、農薬の飛散防止、病害虫のまん延防止など関し調整が必要であることから、法に基づき、農業者同士が栽培管理についての協定(有機農業を促進するための栽培管理に関する協定)を締結することができる。
(3) 計画認定制度に基づく支援措置
① みどり投資促進税制
化学肥料・化学農薬の使用低減に取り組むとして認定を受けた者が一定の設備等を新たに取得等した場合には、租税特別措置法(昭和32年法律第26号)の規定により、当該設備等について特別償却(機械等32%、建物等16%)の適用が受けられる。これにより、生産者は、設備等の導入当初の所得税・法人税の負担を軽減することが可能となる(ただし、本税制の適用は、租税特別措置法の規定により、令和6年3月31日までの間に、認定実施計画に基づき対象設備等を取得し、当該事業の用に供した場合に限られる)。
② 日本政策金融公庫等の融資の特例措置
認定を受けた者に対し、日本政策金融公庫等の低利融資等を措置し、環境負荷低減のための設備等の導入に係る資金の確保を支援することとしている。
③ 行政手続のワンストップ化
特定区域内で行われる特定環境負荷低減事業活動に対しては、税制・融資による支援措置に加え、事業活動に必要な施設整備等に係る行政手続をワンストップ化し、申請者による手続を簡素化している。具体的には、特定環境負荷低減事業活動実施計画について認定を受けることで、農地法(昭和27年法律第229号)に基づく農地転用許可、補助金等適正化法(昭和30年法律第179号)に基づく補助金等交付財産の目的外使用承認等を受けたものとみなせるものである。なお、これらの措置は、あくまで手続を一元化するものであり、許可等の基準や権限を有する者に変更はないことに留意する必要がある。
4 生産力向上と持続性を両立するイノベーションの創出
みどりの食料システム戦略が掲げる「生産力向上と持続性の両立」を実現する上での鍵となるのがイノベーションの創出であり、同戦略では、既にある優れた技術の横展開・持続的改良と、将来に向けた革新的な技術・生産体系の開発・普及を組み合わせて進めることとしている。ここでは、生産力向上と持続性を両立するための技術として、2つの例を紹介する。
(1) 農地土壌由来のメタン削減を可能とする水稲の水管理技術(中干し期間延長、間断かんがい技術)
農研機構、国際農研等の研究グループは、農業分野における温室効果ガス排出削減技術の開発に向け、2012年度から東南アジアの国々と連携し、水稲の総合的栽培管理技術の研究に取り組んでいる。湛水が続く水田では、土壌中の酸素が減少し、温室効果ガスであるメタン(CO2の25倍の温室効果)が発生することが知られている。そこで、研究グループでは、フィリピンにあるIRRI(国際稲研究所)が開発した節水のための「間断かんがい技術」(AWD:Alternate Wetting and Drying)を応用し、湛水と落水を繰り返すことでメタンの発生を抑制できることを、東南アジア等の圃場で検証してきた。この方法により、東南アジアでも、水田からのメタン等の温室効果ガスの排出量を30%以上削減することが可能となる。
(2) 窒素肥料の施用を大幅に減らしても収量を維持可能な小麦等の開発(BNI強化作物)
窒素肥料の過半は、作物に利用されないまま、温室効果ガスである一酸化二窒素(CO2の298倍の温室効果)や硝酸態窒素として農地外に流出している。そこで、国際農研は、窒素の利用効率を向上させることにより、温室効果ガスの排出抑制等に寄与するための技術として、多収コムギ品種に野生近縁種の高い生物的硝化抑制(BNI)能を交配によって付与した「BNI 強化コムギ」の開発に世界で初めて成功した。本コムギは、根から土壌中のアンモニア態窒素の「硝化」を抑制する物質を分泌することで、効率良く窒素肥料を活用可能で、研究では窒素肥料を6割減らしても、通常のコムギと同じ生産性を維持することが可能となる。
※BNI:生物的硝化抑制(Biological Nitrification Inhibition)
5 みどりの食料システム戦略の展開
みどりの食料システム戦略については、経済財政運営と改革の基本方針(骨太方針)や新しい資本主義実行計画(従来の成長戦略実行計画に相当するもの)等の政府方針に位置付けられている。また、総理を本部長とする政府の「食料安定供給・農林水産業基盤強化本部」においては、食料安定供給上のリスクが顕在化する中での農林水産政策の展開方向の一つとして、「農林水産業のグリーン化」が位置付けられており、本戦略を政府全体で推進していく方向が示されている。
国際的には、2021年の国連食料システムサミットや国連気候変動枠組条約締約国会議等の場において、本戦略に基づく取組の推進について各国に発信した他、2022年10月に開催されたASEAN+3農林大臣会合においては、本戦略に基づく強靭で持続可能な農業及び食料システムの構築に向けたASEAN地域への日本の協力イニシアティブとして「日ASEANみどり協力プラン」を発信し、ASEAN各国からの賛同を得たところである。また、研究開発については、2022年より、「みどりの食料システム基盤技術のアジアモンスーン地域応用促進事業」として、我が国の有望な基盤農業技術の収集・分析を行い、アジアモンスーン地域で共有できる技術情報を発信するとともに、国立研究開発法人が有する国際的ネットワークを活用し、各地での応用のための共同研究を実施する取組を行っている(図6参照)。
6 最後に
ロシアのウクライナ侵略による食料安全保障上のリスクの高まりなどにより、みどりの食料システム戦略で掲げた食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立については、環境負荷の低減に加え、食料や生産資材への過度な輸入依存を見直す役割への期待も高まっている。
農林水産省としては、化学肥料・化学農薬の使用低減や有機農業の拡大、環境負荷低減に資する技術開発、消費者の選択を容易にする「見える化」等の施策を着実に実施し、国内の食料・農林水産業を持続的なシステムとして変革していくとともに、アジアモンスーン地域をはじめとする地球温暖化や生物多様性への対応、食料安全保障などにも積極的に貢献していく考えである。