2023.3 MARCH 67号
(一財)日本水土総合研究所 顧問 齋藤 晴美
1 はじめに
東南・南アジアでは、高温多雨という熱帯モンスーン気候の特徴を活かして、古代から稲作が行われてきた。その歴史は二千年以上と古く、今なお当時のため池などの灌漑施設にとどめている。また農業が第一次産業として国の経済を支え、農産物の加工や流通を行い、それを基盤として自動車、化学や繊維工業などを軸に目覚ましい経済発展を遂げている。今やタイやベトナムは中進国の仲間入りをした。
本報では、歴史的な灌漑施設や仏教遺跡建設の財源を生み出した灌漑農業が当時の時代背景や技術を象徴するものとして、時系列的に灌漑の発展過程をたどり、それらを踏まえ今後の展開方向を考察する。なお、対象はアジアの穀倉地帯である東南アジアのほか、古代からため池が多く建設されてきた南アジアのスリランカも対象とする。
2 世界かんがい施設遺産
世界かんがい施設遺産は、灌漑の歴史や発展を明らかにし、施設の適切な維持管理を図ることを目的として、2014年、国際かんがい排水委員会(ICID)が定めた。建設後100年以上経過し、今なお利用され灌漑農業の発展に貢献するとともに、歴史的・技術的な価値の高い灌漑施設が登録されている。
(1) スリランカ1)
ア.アブハヤ・ウェワ:世界遺産の古都アヌダラープラにある貯水池。紀元前5世紀中頃から4世紀中頃に建設された3つの施設の内の一つで、堤長1.5km、堤防頂上幅1.8~2.4m、堤高10.5m、貯水面積は500ha。なお、ウェワとはシンハラ語でため池を意味する。
イ.ソラボラ・ウェワ:中央部東のバドゥラ地区マヒンガナにある貯水池で、ビンテナ海と呼ばれ、紀元前2世紀に建設された。堤長は485m。巨岩を掘削し、水門と水路に利用されている同国で唯一の施設である。
ウ.エラハラ・アニカット:北部を流れる最長河川マハヴェリ川に位置する。ミネリヤ貯水池(後述)に導水する32kmの水路で、紀元1世紀後半から2世紀前半に建設、3世紀後半に補修された。なお、アニカットとはシンハラ語で取水堰のことである。
エ.ミネリヤ貯水池:北部の古都アヌダラープラに3世紀後半から4世紀初めにかけて建設されたマハヴェリ川流域にある貯水池で、受益面積4,670ha、堤高13m、堤長2km、貯水量9,000万m³。19世紀初め、イギリス植民地時代に改修された。
オ.ナチャドワ・ウェワ:マハヴェリ川流域にある貯水池で3世紀後半に建設されたが、6世紀中頃という説もある。中央北部に位置し、カラ・ウェワからヨダ・エラ水路を通して貯水する。20世紀中頃、大洪水で被災し修復された。受益農家は3,400戸。
カ.カンタレ・ウェワ:東部トリンコマリー地区にある貯水池で、水田稲作やサトウキビのプランテーションに使用されており、水源はマハヴェリ川で受益面積は3,750ha。7世紀初めに建設され、12世紀中頃から後半にかけて改修された。
(2) タイ1)
ア.サリットポン貯水池:14世紀初め、最長河川であるチャオプラヤー川中流域の古都スコータイに建設された貯水池で、世界遺産スコータイ公園の南西に位置する。山裾の水を貯め、水路で下流の4つの貯水池に流し、旧都を濠で取り囲んでいる。20世紀中頃、改修を行ったが、今も3集落、80haの農地を灌漑し、その規模は堤長487m、堤幅8m、堤高10.5m、貯水量は40万m³である。
イ.ランシット運河とチュラロンコーン制水門:19世紀末にチャオプラヤー川下流域に運河を掘削し、制水門が建設された。運河と称しているが、実態は用排水のほか、舟運に利用された水路である。中央平原の開発で、サイアム土地運河灌漑公社がコンセッションを設定し同川右岸2.4万haを切り拓いたが、現在農地はない。
(3) マレーシア1)
ワン・マット・サマン水路:19世紀後半、北東部ケダの南に建設された同国で最も長い36kmの水路である。伝統的な農業から近代的な灌漑農業への先駆けとなった水路で、それ以来、ケダはマレーシアの米櫃と呼ばれる。
3 世界三大仏教遺跡
東南アジアの荘厳で雄大な世界三大仏教遺跡寺院は、世界遺産に登録されている。ここでは農業や灌漑の観点から、仏教遺跡築造のための富の源泉を考察する。
(1) インドネシア・ボロブドゥール遺跡
8世紀末に建設され、9世紀前半に増築されたジャワ島西部にある寺院跡である。当時の記録や灌漑施設は残されていないが、その財源は海上交易と流水灌漑による農業と推察される。8世紀中頃、ジャワ島中部に興ったシャイレーンドラ朝は、インドシナ半島の東側に軍を派遣し、交通の要所で海上交易を行った2)。
ちなみに、1989年にはインドネシアの水田面積735万haのうち65%が、さらにジャワ島の水田面積約365万haのうち73%が灌漑されている3)。ジャワは同国で元々農業生産性が高い地域で、8、9世紀に既に灌漑農業が行われていた可能性がある。
(2) ミャンマー・パガン仏教遺跡寺群
11~13世紀にかけて最長河川エーヤワディー(イラワジ)川中流域のパガンに建設された仏教遺跡群は、灌漑農業の行われたパウン族のミンブーとモン族のチャウセーの中間に位置する。パガンに農地はあまりないが、両地域を支配する古都だった。なお、ビルマ王国最後のコンバウンド朝の王都だったマンダレーはその北東に位置する。
チャウセーとはビルマ語で「石の堰」を意味し、パガン王国最大の穀倉地帯である。「ビルマ語王統史」によれば、同地方にパンラウン河に4つの堰、メッカヤー河に3つの堰があり、80万ペー(1ペーで当時4俵程度の収量)の農地を灌漑していたとある4)。
(3) カンボジア・アンコール遺跡群
12世紀前半に建立されたアンコール遺跡群であり、アンコール・ワットは周囲5.5km、幅200mの環濠で、500万m3の水を湛える。アンコールで初めて東西のバライ(貯水池)を建設した。11世紀築造の西バライは今も灌漑に利用され、東西8km、南北2kmの広さを誇り、貯水量は4,200~7,000万m3と想定される。
プノン・プレーン山からシェムリアップ川が流下し、大平原のアンコール地域を通って同国最大のトンレサップ湖に流れ出る。この途中にアンコール・ワットと東西のバライが建設された。地下2m当たりの上に粘土層があり、5m程の土堰堤を築き貯水している5)。
4 自然条件と灌漑開発の発展過程
自然条件と社会経済条件の観点から、世界かんがい施設遺産と世界三大仏教遺跡群に係わる灌漑農業を考察する。
(1) 自然条件と地形条件
ア.降雨量:同施設と遺跡群の近郊都市であるスリランカのアヌダラープラ、ミャンマーのマンダレー.カンボジアのシェムリアップとタイのスコータイの年間平均降雨量は、わが国と同じく1,600mm程度、もしくはそれ以下である。さらに赤道に近いインドネシアのジョクジャとマレーシアのクアラルンプールは2,000mm以上を大きく超えている。
イ.河川:近郊河川であるスリランカのマハヴェリ川、インドネシアのソロ川は、わが国最長河川の信濃川367kmと比較してもそれほど長いものではない。ミャンマーのエーヤワディー川とタイのチャオプラヤー川は延長千kmオーバーの大河川だが、ミャンマーのマンダレーやタイのスコータイは概ね中流域に位置するので河川延長を半分とすれば、取水のために開発された地域は途方もない大河川流域には当たらない。なお、これらを取りまとめたものが表1である。
(2) 灌漑開発の発展過程
東南アジア史の泰斗である桜井由躬雄は、植民地化が進む前の東南アジアを4つの時期に区分しており6)、それに基づき世界かんがい施設遺産と世界三大仏教遺跡群に係わる灌漑施設を分類する。なお、桜井は基礎的歴史圏の形成期は紀元前1000年紀から始まるとしているが、最も古いスリランカのアブハヤウェアが紀元前5世紀に建設されたことから、ここではこれを緒とする。
Ⅰ.基礎的歴史圏の形成期(前5世紀~後10世紀)には、スリランカ北部のため池と堰が整備され灌漑農業が始まった。
Ⅱ.広域的歴史圏の形跡期(11~14世紀)には、タイのサリットポン貯水池、ミャンマーのパガンの堰とカンボジアのアンコール・ワットのため池と水路がいずれも古都近郊で建設されている。
Ⅲ.商業的歴史圏の形成期(15~17世紀)は古代の堰が改修されている。
Ⅳ.18~19世紀はタイやマレーシアの大きな制水門と長大水路が建設されている。
これらから、表2のとおり、世界かんがい施設遺産やその工種、建設時期や世界三大仏教遺跡群の建設時期が、時代と国で明確に区分される。
5 灌漑開発に係わる考察
(1) 流水灌漑と貯水灌漑
古代は天水農業が基本だが、次第に乾期における灌漑面積の拡大を求めて、中小河川から水を取り入れ流水灌漑を始める。しかし、受益面積は限られるので雨期にため池に貯水し、乾期に水を利用する貯水灌漑に取り組む。
表2のように、Ⅰはスリランカの貯水灌漑が太宗を占める。Ⅱでは、カンボジアのアンコール・ワットとタイのスコータイの貯水池と水路網、そしてミャンマーのパガンの堰と水路が建設され、貯水灌漑と流水灌漑が同時に行われ発展していく。なお、パガンと同様の流水灌漑が行われたと思われるインドネシアのボロブドゥールは時代区分ではⅠに分類されるが、9世紀から14世紀を仏教遺跡群の形成期として、灌漑方法の観点から、図2下部の点線で囲われたように同じグループに整理できるかもしれない。
次のⅢ、Ⅳの18~19世紀にはタイ下流域、沖積平野の運河と制水門、マレーシアの水路が開発される。流水灌漑が主だが、タイの運河は制水門により、航行と貯水の機能も持ち合わせている。なお、20世紀はダムの建設による貯水灌漑と、頭首工、用水機場および水路の建設による流水灌漑が大々的に行われ、この組み合わせで大流域の農地を潤している。
総括すると、紀元前5、4世紀頃~紀元5世紀のため池、11~14世紀の中流域の貯水池と堰、水路網、18、19世紀の低平地水路、20世紀のダムと頭首工の建設が一時代を画したと言っても過言ではない(表3)。
(2) 開発地域とその変遷
ア.半乾燥地域と湿潤地域:スリランカでは12月~2月にベンガル湾からの季節風マハ、5月~9月にインド洋からの南西季節風ヤラが吹く。マハは島全体、ヤラは南西部に雨をもたらすので、北東部は雨期が1回しかなく、この半乾燥地域にため池を築いた7)。
ミャンマーのパガンとカンボジアのアンコール・ワットは北部スリランカ同じく半乾燥地域に位置し、年間降雨量は1,300mm以下である。それは奇しくもため池の多い日本の瀬戸内地方と似ている。なお、タイのサリットポン貯水池のあるスコータイは、わが国と同じく1,600mm程度の湿潤地域である(表3)。
18~19世紀にはタイのチャオプラヤー川下流域で築堤、制水門と長大水路が整備されるが、ここもスコータイと同様湿潤地域である。なお、熱帯に近いマレーシアは2,000mmを超える湿潤地域である。
これらを総括すると、まず水が管理しやすく事業効果の大きい半乾燥地域から切り拓き、徐々に湿潤地域へと開発が拡がっていることがわかる。20世紀は近代土木工学の進展にともない、大規模流域全体でダムを初めとする開発が行われてきた。
イ.流域面積、地形勾配と灌漑施設:縦軸を流域面積、地形勾配、横軸を灌漑施設として上記を表すと、図1で示される。Ⅰでは中流域のため池、堰と水路、Ⅱでは中流域で低い堤防の貯水池、堰と水路網、Ⅲでは大流域における平地の用排水路、Ⅳでは大流域の下流での築堤、制水門と長大水路の開発が行われている。
すなわち、中流域から大流域へ、勾配のある地形から緩やかな勾配の地形へ、中規模な灌漑施設から大規模な灌漑施設へと開発地域が一定の法則にしたがって移行している(図1)。
(3) 特徴的な水の利用方法
ア.カスケードと流域変更:スリランカのため池は、日本と同じく連珠のように重ねため池、カスケードとなっている。水資源を有効に活用するため可能な限り上流で貯水し、灌漑した後、流下した水を再利用する。また流域変更も水不足を解消するための有効な手段で、古代から伝統的に行われており7)、半乾燥地域で灌漑農業を行うための古代人の知恵である。
イ.低平地の貯水池と水路網:東南アジアの河川勾配は著しく小さく、チャオプラヤー川下流の河川勾配は1/10,000~1/15,000であり、利根川の布川観測点から下流の河川勾配は1/9,000である8)。
このような緩い河川勾配の途中にアンコール・ワットの西バライが設けられており、そこから網の目のように水路が結ばれ、乾期に広大な水田を灌漑する実に精巧な水管理システムが構築されている。
ウ.タムノップとコルマタージュ:タムノップは土の堰堤で両岸の標高よりも高く積み、河川を締め切る堰である。したがって下流に水が流れることはなく、貯水灌漑の水源となる9)10)。東北タイとカンボジアの低平地に分布する。なお、タムノップとは土堰堤の意である。
カンボジアのバサック川流域では、コルマタージュという灌漑・水田造成方法が見られる。18、19世紀のフランスの植民地時代に河川と直行して堤防を開削して建設された水路で、洪水時に後背地に水を貯め込み乾期に灌漑に利用する。同時に土砂を堆積させて新たに土地を拓く11)。なお、コルマタージュとは仏語で流水客土の意である。
このように、タムノップとコルマタージュは東南アジア、特に東北タイとカンボジアの低平地流域における自然条件と地形条件を活かした特長的な水利用と言える。
(続く)
星川圭介:(総合地球環境学研究所)東南アジア-歴史と文化―NO35. 2006