2022.8 AUGUST 66号
REPORT & NETWORK
1 はじめに
ザンビアでは雨期と乾期が明瞭に区分される。それはすなわち乾期灌漑農業の術(すべ)を持たない農民にとって生計の糧を雨期作(天水)にのみ依存することを意味する。特に小規模経営の農家にとって『灌漑を得る』ことにより乾期であっても営農が可能となり、年間を通じた作物栽培・販売により安定的な生計が期待できるようになる。現在実施中のJICA『持続可能な地域密着型小規模灌漑開発プロジェクト(2019~2024)』(以下本事業またはE-COBSI(Expansion of Community Based Smallholder Irrigation Development)またはCOBSI)ではザンビア北部地域の6州を対象として村落ベースや農家グループ単位による灌漑開発を通じて灌漑面積の拡大とそれによる零細農家の収入向上とそれを支援する市場志向型農業の導入を図るとともに、栄養改善に対する効果発現に取り組んでいる(図1)。
小規模灌漑開発は2000年代のマラウイで実施されたJICAプロジェクトの成功を端緒とし、その後その活動をザンビアへと広げた。そこでは従来行われてきた外部からもたらされる中規模~大規模な灌漑施設の建設支援を待つことなく、農家自らの手により簡易な施設を短時間のうちに造ることで即座の灌漑営農開始を実現してその効果を実感することができる。加えて、はじめは本事業からの働きかけがあるにせよ、また簡単な灌漑施設の建設とはいえ実際に汗を流しての建設作業の先に得られる便益を農家自身が体感することで、生計を助ける大切な施設としてその後の維持管理に対する意識の醸成を図っている。
2 現地に根付く知識・使ってもらえる技術を導入するということ
これまでアフリカの灌漑開発において、その水利施設完工後の運用が当初計画通りに運ばない、さらには建造された施設が使われなくなった事例が散見される。そうした事象の一因には現場の使い手に求められる技術が高度なため灌漑施設を扱いきれない、維持管理が難しい、などの理由があると言われる。
これら種々の課題に対応するため、本事業では農家が自ら実践し、かつ持続的な維持管理を可能とする技術の導入と普及を図っている。事業内容が灌漑であるため、その原資となる水を通年得られやすいことを条件として、ザンビア国内でも比較的降水量が豊富な北部地域から中・西部地域を事業対象地域としている。
これらの地域では年降水量がおおむね1,000mm~1,200mmあり、この降水が河川流出する4月~10月頃のおよそ半年間において河川水を灌漑農業に使用する。そしてその起点部として造られる取水堰や灌漑用水路はすべて現地で入手できる材料、すなわち、木や土や草などを活用し、建設労務も農家サイドの供出であるため、灌漑施設建設のための費用は一切発生しない(写真1)。
一般に灌漑開発では高度なエンジニアリングを背景に、調査・計画から設計・積算・工事/施工監理とつながるが、COBSIでは建設資材の収集から施設建設に至るすべての工程を農家自らが行っている。無論、水利施設を造るには知識と経験、例えば取水堰を設置するのに適した場所の選定や灌漑用水路の路線の決め方に関するスキルが必要となる。
そのため本事業では政府技術系職員と農業普及員に対して施設建設を含む小規模灌漑農業開発に必要な技術を習得するための研修を年3回、それぞれにトピックを設定して実施している。これら研修の受講者は、その後各自の持ち場地域へ戻り、習得した知識や技術をOn-the-Jobトレーニングとして農家グループへ伝えていく。
農家が自助努力で造る取水堰(以下簡易堰)は設置する河川の幅・深さ・河床材料などの自然条件別により4つのタイプを準備して使い分けている。最もシンプルなものは『シングルライン堰』で、幅広で浅い水深の河川において木杭を等間隔に打ち込み、木杭の間に草を編み込んで造るものである。これには材料集めの時間も含め、農家20人前後により半日仕事で完成する。この時、堰上げされた水位(水圧)の影響で簡易堰からの漏水が多い場合はシングルライン堰を補強した『ダブルサイン堰』で対応する。『インクライン堰』は河川幅が狭く水深がありかつ河床に木杭の打設が困難なサイトに適用する。さらに川幅が広く、河床が岩盤などで構成されている場合には『トリゴナル堰』を選択している(写真2)。
簡易堰に続く灌漑用水路の建設では現地で入手できる『簡易水準器(ラインレベル)』を使って適切な路線選定を行う技術を導入している(写真3)。この小器具は数ドルで購入可能であり、農家グループでも十分購買可能な範囲である。その方法は、2本の棒を5mの間隔を取って紐を渡し、その中間点に簡易水準器を吊るして水準を読むことで、1/500~1/1,000の一定勾配を有した灌漑用水路の路線選定を可能にするものである。この時、2本の棒をつなぐ紐の取り付け高さにあらかじめ差をつけておくことで現地地形に応じた水路勾配を取得する仕組みである(水路勾配1/500の場合は10mm差、同1/1,000の場合は5mm差をもって2本の棒をつなぐ)。
灌漑用水路の建設では、農家は往々にして灌漑農地目指して大掘削深を伴う最短距離の路線を選択しがちであり、自らに重労働を課してしまうケースがみられる。こうした必要以上の労力を費やすことがないよう、ここに紹介したような現地資機材で実施可能な簡易技術が有効である。
3 COBSIの知識や技術をどう伝えていくかということ
既存の農業普及システムを活用したCOBSI普及モデルの確立:ここまでに述べたようにCOBSIが扱う技術は徹底して簡易なものとしていることが最大の特徴でありかつ強みである。高価で高度な技術は横に置き、現地のコンテクストに見合ったレベル・農家グループが自前で実践できるレベルまで落とし込んだことが灌漑農業の持続性につながる効果を得ている。
一方、簡単技術であるがゆえの泣き所は、開発されたサイトの灌漑面積が小規模で限定的にならざるを得ないことにある。これまでの経験によれば簡易堰灌漑サイト1ヵ所あたりの灌漑開発面積は1ha~2ha程度であり、これを平均15名前後のグループメンバーが分け合っている。十分な事業実施効果を得るためにはこうした小面積の灌漑サイトを多く開発して数で稼ぐことが必要であり、『点(1ヵ所の灌漑サイト開発による限定効果)から面(多数の灌漑サイト開発による全体効果)への展開』を目指すこととなる。
ザンビアでは、農業省本省→州事務所→郡事務所→農業普及員を経て農家に至る農業普及システムが確立しており、E-COBSIの普及プログラムもこの既存の普及体系を最大限に活用して灌漑開発技術や情報を伝えている。新たな普及システムを組成していてはその定着に時間を要するのみならず現場職員の混乱を招きかねない。そうではなく、既にある農業普及ラインに乗せることで日常の農業普及職掌の一部に本事業の普及活動を置けば農業普及の最末端に位置する農家まで速やかに灌漑技術や情報が届けられるとともに、本事業完了後も普及方法に迷うことなく先方政府職員によりCOBSI活動が行われていくことが期待できる狙いがある。
既存の農業普及フローに本事業の展開を乗せたカスケード式普及モデルを示す(図2)。先ず、COBSIに必要なすべての技術や知識を日本人専門家から農業省州レベル職員に対して研修する。これは研修講師養成研修(ToT:Training of Trainers)としての位置づけとなる。E-COBSIでは州レベルにCPU(COBSI Promotion Unit)チームを組成してプロジェクト推進の中核となっている。次にCPUチームが講師となり郡レベル職員と研修受講の多数を占める農業普及員向けのより実践的な研修へと進み、最終的に農家グループや同僚農業普及員へと情報を伝播していく流れである。ここでは日本人専門家はすでに研修運営の裏方に回り、その中心はCPUやその他の関係カウンターパートに移行されている。
適正技術が可能にする農業普及員の役割と人材育成:このようにCOBSIの普及展開は最終的には普及の最前線に立つ農業普及員によるところが大きい。ザンビアの普及員は農業短大で営農・栽培一般を学んでおり、灌漑農業とりわけ灌漑水利施設について修学してるケースは少ないが、こうしたバックグランドを持つ彼・彼女らにあっても、本事業が行う研修を受講することで農家へのCOBSI支援が可能となる。
灌漑開発と言うと、重量水利構造物の建設により一気に広大な灌漑面積を確保することが計画され、そのためには政府灌漑技術者の存在が必要である。その技術力は日々向上していると期待されるものの、ことザンビアに限らずアフリカ諸国における灌漑技術力の現状は未だ低調と言える。こうしたアフリカ灌漑開発の実情に対して、本事業は小さく産んで大きく育てることをもって、あえて高いエンジニアリングを求めず、農業普及員でも農家指導が可能であり、これに農家グループが応じて施設建設と維持管理が可能となることで灌漑農業の方法や技術が広範に普及されていくアプローチを取るとともに農業普及員の能力向上・人材育成にもひと役買っている。
普及支援のためのマテリアル整備:現場レベルで行う普及を実践していくうえで各種の支援マテリアルが必要である。そのためCOBSIでは普及パッケージを準備して各回の研修時に受講生へ配布し、現場活動の際に活用している。具体的には、取水適地の選定・適切な簡易堰タイプの選定・灌漑用水路の路線決定などハード部門、代表的な作物の栽培方法・灌漑の栄養改善効果および組織強化などのソフト部門など、小規模灌漑開発に必要な情報と種々の開発効果発現に向けた取り組み方法を取りまとめた政府職員向け『小規模灌漑開発ガイドライン』、農家説明用には実際の普及現場で使い勝手の良い技術マニュアルやリーフレット、ポスターなどを作成している。農家のなかには初出の技術に対して様子見の姿勢を取る人も多く、簡単とは言え自らの労働供出が求められる活動についてはそうした態度はなおさらである。そのためこれらのマニュアル類では農家のより良い理解を導く一助となるようにイラストを多用して視覚的・直感的にCOBSIがわかるように工夫している。
4 COBSIのインパクト
COBSIのインパクトについて本事業の前身にあたるJICA事業『T-COBSI(Technical Cooperation of Community Based Smallholder Irrigation Development)』から紹介する(図3)。
灌漑栽培面積:雨期作は標高高位部の天水畑で行われており、主食であるメイズのほか、マメ類・穀物などが天水にて栽培されている。これに充てられる栽培面積は一農家あたりおよそ0.5~1.5haの場合が多い。一方、乾期の灌漑農業は取水河川と灌漑用水路との間に細長く展開する標高低位部で営まれている。その面積は1つの簡易堰サイトあたり1ha~2ha程度が平均的なサイズであり、これをメンバー間で分け合っている。そのため、灌漑導入農家(以下COBSI農家)一戸あたりの栽培面積の拡大量を天水畑と灌漑畑の合計として求めると天水のみ農家の1.1倍ほどとなった。作付面積の大半が天水農地であるため増加割合は小さいものの灌漑導入による作付面積増加の傾向がみられている。
作物生産額:雨期作の作物生産額について天水のみ農家とCOBSI農家の間で大差はなく、これに乾期の灌漑農業による収入が加算されるCOBSI農家の年間作物生産額は天水のみ農家のおよそ1.8倍となった。特にCOBSI農家の乾期作の面積当たりの農業生産額は高く、雨期作の2倍以上の生産額であったことが報告されている。粗放的な天水農業よりも灌漑農業のほうが集約的な農業生産が営まれていることが推察された。
農業所得額:上述の作物生産額に同じく雨期作の農業所得額の比較において天水のみ農家とCOBSI農家のそれはほぼ同額であった。この状態で、COBSI農家は乾期作分の農業所得額が加算されるため、最終的には天水のみ農家が得る農業所得額のおよそ2倍であった。なお、上出の作物生産額と農業所得額の算出には種子や肥料といった農業インプットのコストも勘案しているところ、これらの価格がコロナ禍の影響で大きく高騰していることからここ1-2年の実状はあらためて調査の必要があると考える。
食費支出額:雨期と乾期それぞれ1週間の食費支出額を食材別にヒアリングしたところ、両期ともにCOBSI農家の食費は天水のみ農家のそれの1.3倍となっていた。食費支出額の傾向は作物生産額・農業所得額の傾向に一致しており、作物生産と農業所得の向上に応じて所得が食費に還元されていることが推察された。
食材多様化:COBSI実践の有無別に農家の食事や食材の内容を調査した結果、雨期・乾期ともにCOBSI農家が望ましい状態が多く食材の多様化が進んだことが認められた。食費支出額の増加が食料摂取量を増やし、その際に食材の多様化に貢献したものと考えられた。
栄養改善:慢性的な影響を受ける成長阻害(HAZ)について灌漑導入による明確な改善効果はみられなかった。これにはCOBSI農家の灌漑経験年数の長短も関係していると考えられた。一方、低体重(WAZ)・消耗症(WHZ)ともにCOBSI農家において改善傾向が認められた。食費支出額の増加が栄養改善に最も影響を与えていること、また作物生産量の増加による自家消費が増えたことも栄養改善への影響が大きく、食生活の見直し・改善が重要であることが示唆された。
5 おわりに
灌漑開発技術に限らず高度に優れた技術に対する信頼とその価値は不変不動のものとして常に革新と確かな進歩を遂げている。その一方で、COBSIは灌漑や河川治水等に関するわが国古来の知識と経験を含む灌漑開発技術を現地で受け入れ可能な簡易技術群へと変換し、それらのアウトプットとしての簡易堰や灌漑用水路の建設手法や維持管理・水管理等のスキルを農業普及員を含む政府職員とともに活動の実働主体ともいうべき農家グループへ届けている。そこでは在地技術の発掘に拠るところもあり、『答えは現場にある・現場で答え合わせする』を具現する作業の連続である。その意味でCOBSIは、見逃しがちな技術や経験をさらに利用しやすいように工夫・応用して普及するプラグラムであると言える。
COBSIが主としてアフリカの灌漑開発ひいては多数を占める小規模農民の生計向上の一助となることを期待するとともに、今後、適用する地域ごとにいくらかのアジャストは必要となるもののCopyableで誰でも実践可能なCOBSIの利点を活かして、より広範囲な地域でCOBSIが活用されていけたなら幸いである。