福祉(well-being)の向上に向けた
フードシステムの役割について ─潜在能力アプローチを踏まえた
栄養改善プログラムを通して─ 1.はじめに 近年、国際協力機構(JICA)は、民間連携事業(ビジネス連携促進事業、SDGビジネス事業)、中小企業海外展開支援事業など、わが国企業の知見を活用した開発課題解決を強化している。それらの採択案件をみると、フードビジネスに関するものが多い。北海道十勝のバレイショ自動収穫機などの企業が世界第2位の生産国インドにおいて事業展開する例、富山県の企業がインドネシアのスバックによる水管理地域において小水力発電を展開する例、山梨県の農業生産法人がベトナムの高品質野菜の需要に対応し環境制御型ハウスの導入を指導する例など、実に多岐にわたっている。 JICA事業に垣間見られるフードシステム(図1の注3を参照)の展開も、本誌で紹介する意義を有するが、前号にて栄養問題の稿が所載されていたことも考慮して、本稿では筆者がJICAでフードシステム開発に携わった際に、重要であると理解した事柄を紹介する。すなわち、後述するSDGs(持続可能な開発目標)を始めとする開発協力の展開のなかでフードシステムの「価値」を論ずる際、「その概念をより多角的にとらえる必要性」についてである。具体的には、TICAD VI(第6回アフリカ開発に関する東京国際会議)で「食と栄養のアフリカ・イニシアティブ(IFNA:Initiative for Food and Nutrition Security in Africa)」が創設されるに至った経緯、その背景にある考えを概観し、今後、フードシステムが開発協力において果たしうる役割を考察する。 2.食料の安全保障と栄養改善の関係 2015年9月の国連サミットでSDGsが採択された。先立つMDGs(ミレニアム開発目標)と異なり、先進国を含む国際社会全体の持続的開発目標として、2030年を期限とする17の包括目標を設定した。フードシステム関連では目標2「飢餓撲滅、食料安全保障、栄養改善、持続的農業」がまず、第一に上げられる。くわえて、目標1「貧困撲滅」、目標3「健康な生活と福祉(well-being:後出では英語を付さないが、同義である)の向上」、目標5「ジェンダー」、目標6「水と衛生」、目標7「安価で持続的なエネルギー」、目標8「成長と雇用」、目標9「産業化、イノベーション、インフラ」、目標12「責任ある消費と生産」、目標13「気候変動対策」、目標14「海洋資源」、目標15「陸上資源、生物多様性」なども、フードシステムとの関連が深い1)。 そして、最後の目標17「パートナーシップ」にあるように、多様な関係者間のグローバルな連携が重視されている。また、前文には、「我々が共に行動を起こすなか、誰も取り残さない(No one will be left behind)ことを誓う」と記述された。この包摂性(inclusiveness)の考えは「我々への倫理的要請」であると国連は説明している。 目標や指標の多さ、相互の関連に加え、各目標の基礎になる「価値観」も、「成長」や「産業化」のように「効用、効率性」に重きを置くもの、「貧困」や「ジェンダー」、あるいは「誰も取り残さない」との宣言にみられる「公平、公正」に軸を置くもの、「気候変動対策」や「資源の持続性」のように「世代間の公平」に基づくものなど、多岐にわたる。個々の実践においては、入り組む価値観の間で、どのようにバランスを取るかが課題となろう。 栄養問題については、各国政府、世界保健機関(WHO)、国連児童基金(UNICEF)、国連食糧農業機関(FAO)、世界食糧計画(WFP)、世界銀行などの国際機関、各種研究機関、二国間援助機関、市民グループ(CSOs)などが直接・間接の介入を実施し、一定の成果を挙げてきた。2000年以降は、医学誌ランセットの報告(2008, 2013 “Maternal and Child Nutrition”)、Scaling-Up Nutrition(栄養改善) 運動の発足(2010)、WHOの栄養目標の採択(2012)、第2回国際栄養会議の開催(2014)などによって、国際社会の議論が加速した。 しかし、依然として課題は山積している。現在、8億1500万人の食料不足人口が存在し、約20億人が鉄分、ビタミンAなどの微量栄養素不足、1億5500万人の5歳未満児が発育阻害に陥っている2)。 こうしたなか、関係者からは部門間の連携強化が要請されてきた。今回、SDGs では、農業と栄養が共に目標2に記述された。両者は相互に関係が深いが、意外に複雑な展開をたどってきた。 1996年の世界食料サミットでは、食料安全保障は、「活発で健康な人生のため、全ての人が、いつでも、需要と選好にあった充分な量の安全で高栄養な食料に、物理的・経済的にアクセスできること」とされた。現在では、①充分な食料供給量、②食料へのアクセス性、③適切な水や衛生環境など食料の利用可能性、④いつでも全ての人々が食料にアクセスできる安定性、という4つの要素を踏まえるのが通例となっている4)。食料総供給という客観値のみでなく、人々の主観的状況に応じた食料・栄養の確保、すなわち個人の福祉の側面が、強調されるようになったといえる。 こうしたなか、FAOの栄養部局は、栄養に関する政策、評価、教育などを重視し、内外をコーディネートして栄養配慮型の農業を積極的に推進している。姉妹機関のWFPにおいても緊急支援、学校給食、フード・フォー・ワーク(Food-For-Work:被災者に復興作業に関わる仕事を与え、その対価として食料を支給するプログラム)などの関連事業を通して、栄養不良対策を強化している。 世界銀行においても、農業の中心は総生産量増大と生産性向上であった。2014年、農業投資と栄養の関連が注目されるなか、世界銀行の農業部局と保健部局は共同で「世界銀行の歴史から学ぶ」を報告した。1973年の栄養部局設置以降、両者は連携に努めた。当初は、食料不足が栄養不良の最大要因だったため、齟齬は目立たなかった。80年代に栄養研究が進み、90年代以降、食料価格低下で農業部局が生産性向上に集中する一方、栄養部局は栄養改善の直接介入を重視し、「微量栄養素の補助摂取」や「母乳保育」などに注力するようになり、次第に接点が薄れていった。その間も、農業プロジェクトで栄養を扱ったものは存在したが、「栄養を主目的としておらず、多くの教訓は得られなかった」と、世界銀行は報告している。 一部のCSOsは、アフリカのある国におけるメイズ単作地拡大が、地元の食習慣を崩し、栄養不良の原因の1つにもなったと報告した。農業総供給量の増大や所得向上が、栄養改善に関してはトリクルダウン効果を発揮しなかったということである。 食料安全保障の定義の変遷にみられたように、食料を財として供給することは、飽くまで手段の提供に過ぎず、人々の食料や栄養の「確保」を必ずしももたらさない。経済効果の高いフードシステムの開発は引き続き重要であるが、栄養への負の効果があっては困る。世界銀行は、過去の反省も踏まえ、多様性に富んだ高栄養食料へのアクセス改善という点をより重視し、農業プロジェクトにおける栄養配慮を強化している。農業プロジェクトによる栄養改善へのパスウェイやインパクトを分析し、知見集積と普及を図っている。同様に、農業投資を専門とする国際機関である国際農業開発基金(IFAD)も、農業プロジェクトによる栄養配慮に努めている。 3.食料安全保障および栄養改善と人の潜在能力の関係 それでは、フードシステムの開発において、SDGsの目指す経済開発、包摂的な人間開発、持続性など、異なる価値観の間での整合を図り、それらに貢献していくためには、何を軸に考えていくべきなのであろうか。 (1)潜在能力アプローチ 先に引用したセンは、人の福祉について判断する際には、所有する「財」(または、その「特性」)のみを評価・分析するのでは不十分で、人の「機能(functionings)」を考察しなければならないとした。この「機能」とは、人々が「財」の利用を通じて達成できる価値ある「生き方」、「在り方」である。「栄養が行き届き健康でありたい」、「罹病を逃れ長生きしたい」、「きちんとした服装をしたい」、「社会で意味ある役割を果たしたい」などが上げられよう。「財」は人の福祉を達成するための「手段」であるが、人々は多様な条件下に置かれているため、「財」を価値ある「機能」へと変換する能力には差が生じてしまう。 同じ一単位の「財」(たとえば、食料)や「財の特性」(栄養素、加工原料)を与えられたとして、それを自らの福祉の向上に利用するに際しては、個人の能力や身体的理由(年齢、性差、健康状態、栄養知識など)、自然環境(水、調理燃料の有無など)、社会的制約(市場や移動手段の有無、家庭内における食分配・労働負担、食文化、財産権など)によって差が生じるからである5)。 一方、広く用いられる「効用」の概念は、「帰結」だけを重視し、人々の「自由」や「機会」を無視しているほか、いわゆる「適応的選好形成」の問題があると指摘した。すなわち、「効用」の源になる個人の「願望」は、社会制約の下、「諦め」や「妥協」に変容されてしまうといった問題があるとした。「栄養価が低くとも、食べ慣れた物を食べる」、「自ら生産せずに、配給された物を食べ続ける」、「家庭内の慣行のもとに、女性が低栄養の食料の分配に甘んじる」などが、これに該当するであろう。 また、センは、個々の機能や実際に達成される機能のみに価値を見出すのではなく、選択できる機能の幅を重視した。人が選択できる機能の組合せの集合を「潜在能力」と位置づけ、福祉にとっては「潜在能力の豊かさ」が重要であるとした。そして人の「福祉的自由」6)の状態は、「財空間」ではなく、このような「潜在能力空間」によって、把握されるべきものであると考えた7)。 (2)フードシステムによる栄養に関する潜在能力の向上 人々は、さまざまな自然環境、社会環境、経済状況のなかで生活している(図1)。フードシステムもそのなかにあり、自他の活用可能な「知識」「社会関係」「自然」「インフラ」「金融」といった外部環境に働きかけ、相互に影響を及ぼし合いながら、人々に財・サービス・所得を提供する8)。場合によっては、市場外で(正負)の財やサービスを提供することもあろう。また、周辺環境にも変化を及ぼし、それらが、ひいては、人々の財などへのアクセス(注3のエンタイトルメントを含む)や変換能力に影響を与える。さらに、持続性を考えれば、重要な資産を毀損せぬよう行動し、財・サービス・所得の継続的な提供や利用を妨げず、むしろ世代を超えて、潜在能力が公平に配分されることを考えるだろう。 図1 人の潜在能力とフードシステムの関係(概念図)
このアプローチによれば、フードシステムが、人々の栄養に関する機能実現の選択肢の幅を広げ、「潜在能力」、すなわち「福祉的自由」を拡大し、さらには、将来世代を含め、人々の公平・公正な栄養改善に貢献するためには、まず栄養価の高い財へのアクセス改善(栄養価の高い食品の供給、適切な流通など)に配慮するとともに、人々の栄養に関する機能への「変換能力」に影響を及ぼす諸条件の改善(栄養知識、食習慣、家庭内慣習、清潔な水、衛生、保健などへの対応)が必要になってくる。 さらに「公平」に福祉的自由を拡大するためには、アクセスや変換能力の改善において社会的弱者への配慮(性差、年齢差、特別な需要への対応、手頃な価格設定、普及対象者や整備地域の公平な選定など)が必要になる。くわえて、「持続性」の高い潜在能力の向上に繋げるには、安定した栄養改善を図る必要があり、食料配給から地場生産への移行、地域気象や生態系に即した農業生産の重視などが考えられよう。 4.潜在能力の観点からみた 2016年のTICAD VIの場において、栄養問題の解決に向けたフードシステムの貢献を促進するための国際プラットフォームとして、IFNAが創設された。そこで採択されたIFNA宣言に、その基本方針が示されているが、潜在能力の観点から評価してみよう。 (1)基本方針では、まず、「包摂性」、「人間中心のアプローチ」を重視し、女性・子供など弱者の公平な扱い、そうした人々の人間開発に主眼を置いている。─栄養改善による個人の福祉向上を図るためには、総供給量の拡大のみならず、個々の当事者の事情や取り巻く自然・社会環境などを踏まえた対応が必要であるという考えに基づいている。そして、実質的で公正な「財」・「資源」へのアクセスと財の「変換能力」の改善による、包摂的な潜在能力の向上を目指している。食料安全保障の定義と比較するならば、その第1と第2の要素に関連してくる。 (2)「多様な当事者間の連携」に重きを置いている。─これは、フードシステムの開発と栄養改善をリンク付けるにしても、問題の焦点が「所得向上なのか」、「カロリー不足や微量栄養素不足の解決なのか」、仮に後者としても「知識改善が必要なのか」、「生産多様化、食品摂取、食品への栄養素の添加などのパスウェイを選択するのか」によって対応が異なる。まずは、パスウェイを特定し、優先順位を付け、政策を選択する必要がある。地元の人々や政府、その地域に詳しい国際機関、二国間援助機関、CSOsなどが参画した議論を踏まえて、地域の文脈に最適な形で、フードシステムからのアプローチが選択されるようにするためである。 (3)「部門間の連携」に重きを置いている。─個人の栄養に関する機能への変換能力に影響を与える要素は極めて多岐にわたるため、保健部門のみならず、水部門、衛生部門、教育部門などとの連携が不可欠だからである。食料安全保障の定義と比較するならば、その第3の要素に関連してくる。 (4)「科学的なエビデンスの蓄積」に重きを置いている。─これは、「栄養価の高い食品への公平なアクセス」、「食品を機能へと変換する人の能力」を改善するためには、地域の栄養を巡る状況を俯瞰した分析、パスウェイや指標の特定、インパクトの計測などが重要だからである。 (5)「短期の栄養改善のみならず、中長期の栄養改善につながること」を意図している。─いっそう持続的に栄養改善を図るためには、たとえば食料援助が続いた地域において、「地元農産物を活用した持続的な栄養改善の選択肢を加える試み」、「食生活の変化で低利用になった伝統資源を再利用し、地域の生態系に合った持続性の高い栄養改善を選択可能にする試み」などが考えられる。食料安全保障の定義と比較するならば、その第4の要素に主に関連してくる。 (6)最後に、「日本の経験の活用」を期待している。─日本は、海外から食料援助を受けつつも、戦後間もなく児童の健康診断や学校給食を再開させ、栄養改善の面での人間開発、福祉的自由の拡大を図った。急速な経済成長以前にも、こうした人間開発への取組を進めた経験は、発展途上国にとっても教訓になるものと判断したからである。 5.今後の連携に向けた動き 最後に、フードシステムの開発と人々の栄養改善を通じた潜在能力の拡大を連携させていくうえにおいて、有益な動きが出てきているのでみておこう。 (1)FAOは、フードシステムの6種類の投資効果(食料の供給、市場環境、所得、女性の能力開発、知識、資源管理)が、栄養改善に繋がる一般的パスウェイ、およびそのインパクトを計測する指標など9)を提示している。食料へのアクセスの改善、人々の変換能力の向上を通じ、栄養に関する福祉を向上させていく道筋の分析に必要な情報の収集に役立つ。 (2)WFPにおいては、「地場農産物による学校給食(Home Grown School Feeding)」というプログラムを推進している。農家研修、インフラ整備などと連携する必要があろうが、「WFPの配給による学校給食」を「地元農産物による学校給食」へと、発展させていくことによって、人々に持続性の高い栄養改善の選択機会を与える試みである。 (3)バイオバーシティー・インターナショナルは、ケニア政府などとともに、食生活の変化で低利用となった伝統葉野菜を再活用し、ビタミンA、鉄分などの微量栄養素不足対策を進めている。栄養知識の普及、小農による伝統野菜生産の仕組み作りを通じ、持続性の高い栄養改善の可能性を追求するものといえる。 (4)マダガスカルにおいては、JICAの生活改善のプロジェクトが推進されている。JICAは人間中心のアプローチに基づく能力開発に優れているが10)、これもその一例といえる。農村女性のモティベーション向上、栄養学習を通じた実践は、人々の社会参画や栄養改善の選択肢を豊かにすることに繋がるものと期待する。 6.まとめ 本稿では、潜在能力アプローチに基づき、フードシステムの開発が、食料という財や所得を供与するに留まらず、福祉向上や公平の観点から、それぞれの事情に応じ栄養価の高い食品へのアクセスを改善し、人々の利用能力を引き上げるとともに、それらの持続性を向上させることを通じ、人々の福祉に貢献していく道筋をたどった。こうしたアプローチは、栄養に限らず、フードシステムが創造する幅広い価値の分析に役立つといえる。たとえば、SDGsへの貢献を念頭に置いた、いわゆるSDGビジネスのようなものを考えた際、「それが途上国社会の公平・ 公正、経済の発展、持続的な環境に対して、どのような影響を及ぼすのか」を、地域文脈を踏まえ実態分析をする際には有効であろう。 写真1 アフリカ開発銀行総会の栄養イベントで登壇する筆者(2017年5月)
「潜在能力」の空間での評価を的確に「財」空間での評価に翻訳できるビジネスモデルが生まれれば、人々の福祉的自由を拡大するものとして「共通価値の創造」(Creating Shared Value)の観点でも評価されよう11)。ガーナで日本の食品企業が、貧困層の居住地域において、地域の農産物を活用した栄養補助食品の生産・販売を行っているが、これなどは優れた事例といえよう。近年、ジェフリー・サックスが経済学者の立場から、途上国の変化に富んだ実態に対処するため「臨床経済学」を提唱しているが(2005、『貧困の終焉』)、2つの空間を近づけることに寄与することを期待している。 また、農業の多面的機能については、途上国の関係ではあまり議論されてこなかったが、筆者がFAO在職中にコーディネーターを務めた世界農業遺産制度は、多様な価値を有する農業システムを保全・活用する制度としてFAOで制度化された。そうしたシステムの評価への活用も、視野に入れることができよう。 人々の福祉を潜在能力で捉える手法は、新しい視座を与えてくれる。本稿が、フードシステムの多岐にわたる将来の展開を見通すうえで、一助になるならば筆者の願うところである。 |