乾燥地における塩類集積の脅威と対策
1.はじめに 塩類集積は人類の生存を脅かす看過できない問題であり、その生成過程での人類との関わりの有無によって、大きく二つに分けることができる。すなわち、一次的塩類集積と二次的塩類集積である。前者が長期間かけて自然に起こる塩類集積であるのに対し、後者は灌漑(かんがい)農業など人類の営みに起因して比較的短期間に起こる塩類集積である。 前者は、可溶性塩類を多く含む母岩が風化して形成された土壌が存在する地域や、塩類濃度の高い地下水が地表面近くに存在するような乾燥地で起こりやすい。風雨によって運ばれてきた海水塩が、長年にわたり、堆積して形成されたものも多い。また、かつて海底であったところが隆起した平野など地殻変動過程も、この種の塩類集積形成の原因となる。 後者は、乾燥地で適切な排水施設を整備しないで、粗放な灌漑農業を展開する場合に発生する。まず、農地およびその周辺に余剰水が停滞し、ウォーター・ロギング(湛水・過湿状態、以下WL)が発生する。WLは土中水の毛管上昇と土壌面蒸発を促進し、塩類集積を加速する。その結果、作物の水分と養分の吸収能力が著しく低下し、生産性が急速に低下する。 表1は、世界の陸地に分布する塩類土壌の地域別面積を示す1)。すなわち、地球陸地の6.5%に相当する8億3100万haが塩類化している。この多く(90%以上)は一次的塩類集積で、古くから自然に分布していたものであるため、農業目的の土地利用は避けられてきたと推測される。したがって、持続可能な農業の展開にとって、大きな脅威となっているのは二次的塩類集積である。 表1 世界の陸地に分布する塩類土壌の地域別面積
(100万ha %)
2.二次的塩類集積 現在、世界の農地面積は約15億haあり、このうち約20%に相当する3億haが灌漑農地である2)。世界の穀物生産量の40%は灌漑農地からの生産が占めていて2)、世界の食料の安全保障において灌漑農地の果たすべき役割は大きい。しかしながら、灌漑農地の塩類化は深刻な問題であり、食料の安定供給に影を落とす懸念材料となっている。 二次的塩類集積の影響を受けている農地面積については、多くの研究者、国際機関によって、さまざまな推計がなされている。もっとも厳しい推計は、全農地面積約15億haに対して3億4000万ha(23%)が塩性化し、5億6000万ha(37%)がソーダ質化、計9億ha(60%)が塩類化しているというものである3)。これは全農地面積を対象にしているとはいえ、かなり大きめの推計であり、ごく軽微なレベルの塩類化面積も含めたものと考えられる。 一方、国連食糧農業機関(FAO)は、最近の報告書において、灌漑農地のうち3400万ha(11.3%)が、ある程度のレベルまで塩類化していると報告している2)。そのうち60%以上が灌漑大国であるインド、中国、アメリカ、パキスタンの4か国に集中している。さらに、塩類化予備軍ともいえるWL、もしくはそれに伴う塩類化の影響を受けた農地が6000万〜8000万ha存在するとしている。筆者は、FAOの報告や現地調査をもとに、軽微なものも含んだ塩類化農地は灌漑農地面積の25%前後と推計している。
塩類土壌の分類は、土壌試料に加水してペースト状にした後、抽出した溶液(飽和抽出液)の電気伝導度(ECe)と同溶液のナトリウム吸着比(SARe)、pH(pHe)で表2のように評価される5、6)。ソーダ質土壌の場合、土壌の物理性が劣悪になり、透水性、通気性を著しく低下させるため、特別な配慮が必要である。 表2 塩類土壌の分類6)
(2)灌漑農地の塩類化の実態8) 筆者が研究対象とした中央アジア・アラル海流域(カザフスタン・クジルオルダ州)の灌漑農場(シャメーノフ農場)は、旧ソ連時代の集団農場が民営化されたもので、その全体面積は1万9200 haである。このうち、農地は1900 haであり、灌漑水の供給が容易で平坦な地形の所に分散的に分布している。この農地の3割強の約600 haが強烈な塩類集積のため放棄されている(写真2)。なお、対象地域は典型的な大陸性気候で気温の年較差、日較差が大きく、降水量がきわめて少ない。年平均降水量は120mmであり、灌漑期である夏期には降雨がほとんどなく極端に乾燥している。なお、乾燥度指数(AI)は0.06であり、乾燥地域に属する(0.05未満では、もっとも乾燥している極乾燥地域とよばれ、たとえばサハラ砂漠がそうである)。 この農場では、極度に塩性化が進行した土壌が随所に見られた。図1は、同農場の放棄圃区(ほく)とその隣接栽培圃区における土壌のECeの鉛直分布を示す9)。隣接圃区では、この年アルファルファが栽培されていたが、前作は水稲であった。放棄圃区におけるECeは100 dS/m程度と極端に高く、隣接圃区では20 dS/m程度で、ほぼ一様な分布を示している。このように、栽培を行っている圃区でも、塩類土壌の指標である4dS/mを大幅に超える大量の塩の集積が見られた。なお、この隣接圃区も数年後に耕作放棄された。 図1 塩類集積圃場の土壌の電気伝導度(ECe)9)
この農場のある灌漑ブロック(716 ha)では、コメを基本とした輪作システムが行われているが、ここで実施した筆者らの塩類収支調査では、1年間に1ha当たり0.6〜6.2トンの塩類集積が確認された。また、塩類集積の原因のほとんどが水管理に関係し、次のように要約できることが明らかになった8)。 (1)用水路からの大量の漏水 (2)用水路の機能不足に起因する大量の用水管理損失 (3)排水路系の機能不足と管理の劣悪さ (4)水稲作付区への過剰灌漑 (5)8年輪作体系の適用(湛水状態の圃場と畑状態の圃場が同一灌漑区で混在) (6)粗雑な圃場均平と圃場水管理 (7)全溶解物質(TDS)が1000 mg/Lを超える河川水の常時取水 (8)水路周辺部の集積塩類の溶出 などである。 3.塩害防止に必要な技術・知識 乾燥地の農業にとって、灌漑は不可欠の条件であるが、灌漑の導入に際して、地下水位の上昇とそれに伴う塩害の危険性は常に存在するので、水源から末端に至るまで、地下水位の上昇をまねかないような施設整備と水管理が必要である。そのためには、(1)導配水路システムにおいては、漏水を最小限に抑えるための水路ライニングの施工、圃場(ほじょう)レベルにおいては無駄のない効率的な灌漑方法の導入が前提となる。さらに、(2)灌漑地区内で余剰水が生じた場合、速やかに排除できるように、排水施設を整備しておくことが重要である。 一般に明渠による地表排水が基本となり、さらに排水効果を高める必要がある場合には、それに地下排水(暗渠排水あるいは垂直排水)機能を付与する方法が取られる。近年、従来型の物理的排水に加えて、樹木の吸水力と蒸発散能力を利用して行う生物的排水(バイオ排水)が導入され、低地での排水、水路沿いの地下水位上昇の防止、圃場周辺での地下水位制御などに効果を発揮している。 このほか、灌漑農地の塩類化を防止・修復するうえで、配慮すべき事項について以下に述べる。 (1)土壌の塩類化を予防・防止するための灌漑水の水質管理 土壌間隙に保持される水に多量の塩類が含まれる(塩性化)と、浸透圧の増大により土壌の水を保持する力が強くなり、植物が土壌から水を吸収しにくくなる。すなわち、植物の吸水が困難になり、正常な生育が阻害される。この現象が塩類濃度障害で、この現象を生じる土壌が塩性土壌である。一方、土壌水中の塩分には、ナトリウム、カルシウム、マグネシウムなどの陽イオンが含まれ、ナトリウムイオン(Na+)がほかの陽イオンに比べて多い場合には、土壌の土粒子の表面にNa+が多量に吸着されて(ソーダ質化)、土壌の透水性、通気性が低下し、植物の生育に悪影響を及ぼす。この現象がナトリウム障害で、この現象を生じる土壌がソーダ質土壌である。 こうした塩類濃度障害の指標としては、灌漑水の電気伝導度(ECw、dS/m)もしくは全溶解物質(TDSw、mg/L)が用いられ、ナトリウム障害の指標としては、ナトリウム吸着比(SARw)が用いられる。SARwは、表2の注2)に示す式に、灌漑水のNa+、Ca2+、Mg2+の各イオン濃度を代入して求めることができる7)。 塩類濃度障害に関しては、作物の耐塩性にもよるが、ECwが0.7dS/m未満(あるいはTDSwが450 mg/L未満)の場合は一般に問題なく、0.7〜3.0dS/mの範囲になると、塩類濃度障害の危険性のために、灌漑用水としての使用制限の必要性が生じる。ナトリウム障害に関しては、SARwとECwの組み合わせによって評価する必要がある。たとえば、SARwが低くても、ECwが過度に低い灌漑水は透水性を低下させ、ナトリウム障害をもたらす。 (2)塩類集積農地の改良 農地に集積した塩類を除去し、耕作可能な状態を保持する方法として、次のようなものがある。これらは塩類集積の状況に応じて、複合的に適用する場合が多い。 (1) 排水環境の整備 地表排水、地下排水を改良してWLを解消することがまず大切である。これは、リーチングを効率よく行うための前提条件でもある。 (2) 表層集積塩の除去 [スクレーピング]極端な蒸発によって、土壌表層に集積した塩類層を削って取り除くこと。 (3) 根群域集積塩の除去 [リーチング]根群域に集積した塩類を灌漑水で溶解し、根群域から除去する方法で、一般によく用いられる。ただし、土壌がソーダ質化している場合には、リーチングによって土壌の物理性が著しく悪化する危険性があるので、上述のように、ある程度の塩類濃度(適度に高いECw)を有し、ナトリウム吸着比(SARw)の小さい灌漑水を使用するなどの注意を要する。また、石膏などの土壌改良資材を用いて、吸着ナトリウムを可溶性(たとえば、硫酸ナトリウム)にした後に、リーチングを行う方法もよく用いられる。 (4) 水稲作を取り入れた輪作体系 稲作を取り入れた輪作体系を導入することによって、畑作期間に集積した塩類を除去できる。しかし、厳密な水管理と排水管理が不可欠である。 (5) 土壌改良材の施用 土壌がソーダ質化している場合には、リーチングは逆効果となるので、まず土壌改良材を用いて、塩類を可溶性にしたうえで、リーチングを行う。石膏、硫黄華、硫酸、塩化カルシウム、硫化鉄、パイライト(黄鉄鉱)、硫酸アルミニウムなどが使われる。リン酸石膏は、リン鉱石からリン酸肥料を製造するときに生ずる副産物であるが、天然の石膏に比べて、はるかに多孔性であるため、より早く溶解し、土壌改良効果が早く得られる10)。 (6) 好塩性・耐塩性植物を用いた除塩(ファイトレメディエーション:phytoremediation) 塩類集積農地にサリコルニア(写真4)、フダンソウなどの好塩性・耐塩性植物を栽培して、塩類を吸収させ除去する方法である11)。 (7) その他の改良法 以上のほかにも、地域特有の水利用技術によって、塩類集積農地を改良する方法がある。その主なものを、以下に列挙する。 4.おわりに 灌漑農地を塩類集積から守るためには、効率の良い灌漑排水システムの構築とその適正な管理、きめ細かい圃場レベルの水・土壌管理がきわめて重要である。ひとたび重度の塩類集積にみまわれれば、その修復は容易ではなく、莫大な経費、水資源、労力、時間を要し、かつ周辺・下流域の環境に及ぼす影響も大きい。塩類集積に対してはあくまでも、予防・防止に力点をおいて対処すべきである。灌漑農地が重度に塩類化してしまった場合は、生産活動を中止して、負の環境影響に対処する方針を選択する方が、より経済的であることもあり得る。 |