アジアの経験をアフリカに
〜農業農村開発分野でのタイの南南協力〜
独立行政法人 国際協力機構(JICA)タイ事務所 伊藤民平
1.はじめに
日本政府のタイに対する協力は、1954年に21名の研修員を日本に受け入れたことに始まり、以来、50年以上にわたり、さまざまな支援が展開されてきた。支援の対象は、農業農村開発分野だけでなく、環境管理、水資源、教育、保健医療、産業振興など多岐にわたる。支援の形態も人材育成を柱とする技術協力だけでなく、返済の義務を課さずに資金を提供する無償資金協力(70年に開始:たとえば灌漑施設・学校・病院の建設や資機材の供与に使用される)、低金利で返済期間の長い緩やかな条件で資金を貸付ける有償資金協力(68年に開始:道路・発電所などの経済インフラ整備や、上下水道整備・植林事業など、比較的大規模な事業に適用される)などを重層的に組み合わせ、タイの発展に大きく貢献してきている。こうした支援とタイ自らの取組みにより、タイはすでに低所得国を脱し、順調な発展をみせている。2008年に世界銀行より発表されたタイの1人当たりの国民総所得(GNI)は3400ドルであり、周辺国(たとえばベトナムは790ドル、カンボジアが540ドル、インドネシアが1650ドル)と比較すると、その堅実な発展が明らかである。こうした発展の経験をもとに、現在、タイはカンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムなどの周辺国のみならず、アフリカへの協力も実施している。
2.農業分野における対タイ協力
タイに対する農業分野の協力は、ダイズ、養蚕、トウモロコシ開発をはじめ、第一次産品の品質向上などを中心とした技術移転に始まり、1970〜80年代には農業生産性の向上を目指し、灌漑分野の協力が精力的に実施されるようになった。無償資金協力による灌漑技術センターの設立とそれに続く中堅技術者への技術移転、さらに円借款による大規模な灌漑事業の実施がそれである。その後、タイにおける重点が地方開発、地域間格差是正、農村開発に移行したことをふまえ、当該分野の協力も実施されるようになった。
これらの協力を経た後、タイの農業分野は十分な発展をとげており、こうした発展の成果を周辺国支援に活用することが期待されている。それは次に述べる、現在の「対タイ経済協力計画」にも反映されている。
3.対タイ経済協力計画
外務省が2006年5月に策定した「対タイ経済協力計画」は、技術協力における対外協力方針を以下の(1)〜(4)のとおりに規定している。
(1)持続的成長のための競争力強化
民間主導の持続的成長を促進し、タイの政策である産業の国際競争力強化を後押しするため、関連する制度整備と人材育成に対し、協力を行う。現在、自動車裾野産業人材育成などを実施している。
(2)社会の成熟化に伴う問題への対応
発展に伴う社会構造の変化をふまえ、環境や都市問題などの社会の成熟化に備えた制度整備と人材育成に対し、協力を行う。現在、環境管理、地球温暖化などの環境分野の他にも、障害者対策、人身取引被害者対策、高齢化対策などの分野におけるプロジェクトを実施している。
(3)人間の安全保障
人間が尊厳を保ちつつ、安全に生活できる社会を構築するための取組みに対して、主にボランティア事業などを活用した協力を行う。また、地域の広域的課題に対しても協力を行う。
(4)第三国への共同支援
タイに対する協力経験を活かしつつ、メコン地域開発およびASEAN(東南アジア諸国連合)域内格差是正、アジア・アフリカ協力、紛争終結国への復興支援に重点を置いてタイとの共同協力を行う。現在、税関、家畜感染症などの分野で複数国を対象とするプロジェクトを実施している他、タイを拠点とする周辺国への研修を農業を含めた幅広い分野で実施している。
特筆すべきは、(4)の第三国への支援という切り口である。近年、とりわけ、この分野の協力は、予算ベースで5割を超えており、対タイ協力の大きな特徴の一つである。
4.タイ側の実施体制と援助方針
タイにおける対外援助の窓口機関は、これまで技術協力/無償資金協力についてはDTEC(Depart-ment of Technical and Economic Cooperation:技術経済協力局)、有償資金協力については財務省傘下のPDMO(Public Debt Management Office:公的債務管理局)であった。2002年にはタクシン政権の下、省庁再編により、DTECは首相府傘下の組織から外務省傘下の一部局へと変わり、さらに04年10月、新たにTICA(Thailand International Develop-ment Cooperation Agency:タイ国際開発協力局)を設立し、援助の受入れ調整のみならず、タイによる対外援助の実施機関として再出発している。また、資金協力においても同様に対外援助を行う機関としてNEDA(Neighboring Economic Development Agency:周辺国経済開発協力機構)を05年5月に設立、周辺国支援を行っている。
タイにとってアフリカ支援は重点ではなかったものの、タクシン政権は2005年をアフリカ年と位置づけ、対アフリカ支援を強化した。タイの予算年度02年の対アフリカ協力は対象4か国に対して合計16万3千バーツの実績であったものが、05年には、14か国に対して1687万2千バーツ、06年は29か国に3154万9千バーツの実績まで伸びている。
TICAにおける対アフリカ支援の重点分野は、農業、保健、教育の3分野であり、重点に適合する分野の研修事業が南南協力として主に行われている。
5.南南協力とは?
では、そもそも南南協力とはいったい何なのか。それは、開発途上国のなかで、ある分野において開発の進んだ国が、別の途上国の開発を支援するものである。ある途上国(南)が他の途上国(南)を支援することから、このように呼ばれている。また、その際に先進国(北)が支援をすることもあるが、その場合は三角協力(Triangular Cooperation)と呼ばれることもある。本稿では、双方を含め、南南協力と呼ぶこととする。
国際社会が南南協力の必要性を認識したのは、1978年、国連の支援を受けてブエノス・アイレスにおいて途上国間技術協力(Technical Cooperation among Developing Countries : TCDC)に関する国際会議が開催されたのが最初である。本会議の成果として「ブエノス・アイレス行動計画」を採択。TCDC推進のための具体的な勧告(「国際機関及び先進諸国はTCDCに貢献できるような開発途上国機関に対し、財政支援などを与えること」や「TCDCを支援するために、技術協力に関する政策や手続きを改善すること」など)がなされ、その後の南南協力推進に対して、大きな役割を担ったといえる。国連開発計画(UNDP)はその傘下に南南協力特別ユニット(Special Unit for South-South Cooperation)を設置しており、ブエノス・アイレス行動計画以降、南南協力の推進に向けた各種の取組みを行っている。なお、蛇足であるが、タイにも南南協力特別ユニットの1つが設置されており、各機関との調整や情報交換、南南協力の推進を行っており、JICAタイ事務所とも、ときに連携した取組みを行っている。
近年、国際社会のなかで南南協力が再び脚光を浴びている。2000年9月に開催された国連ミレニアムサミットにおいて、世界が深刻な状況に直面している貧困や環境などのさまざまな問題において、15年までに改善を目指した具体的な指標を導入するミレニアム開発目標(MDGs)が定められた。現在の援助の世界はこのMDGsを基調に展開されているが、この達成状況を国際社会でモニタリングする枠組みが導入されている。それがパリ宣言である。08年はMDGs達成に向けた中間地点としてアフリカのガーナの首都アクラにおいてパリ宣言のモニタリングが行われたが、MDGsの達成に向けて、先進国側からだけでなく途上国側からも南南協力の重要性が提示されている。
日本政府は国際社会が南南協力の必要性および重要性を認識する初期のころから、南南協力支援を行っている。それには、次のような背景が影響していると考えられる。
日本は1954年にコロンボプランに加盟、ドナーとして援助を開始したが、当時、日本は多額の援助を受ける国でもあり、第二次世界大戦後の大規模なインフラ整備の多くは、世界銀行の借款など、海外からの援助を得て実施されていた(たとえば新幹線や高速道路網整備や愛知用水など)。このような状況下で日本はドナーの仲間入りをしたが、援助の実施に際しても資金面などにおいて他のドナーからの支援を受けており、当時のわが国の援助そのものが、後に南南協力と呼ばれる形態であった。
このような経験から、わが国は南南協力の有効性を認識していたわけである。2003年8月に閣議決定された新ODA大綱においても、その基本方針において、「わが国は、アジアなどにおける、より開発の進んだ途上国と連携して南南協力を積極的に推進する。また、地域協力の枠組みとの連携強化を図るとともに、複数国にまたがる広域的な協力を支援する」と明示している。
JICAの支援スキームのなかには1975年に第三国研修(Third Country Training Program:TCTP)が導入され、それ以来、南南協力支援が行われている。いまでは、ASEAN地域のみならず中南米、中東、近年はアフリカでも第三国研修が行われている。ちなみに、第三国研修(TCTP)という呼称は日本独自のものである。第三国研修は、日本の過去の技術協力によって底上げされた途上国Aが、より開発途上の周辺国を対象に、研修を行うものであり、日本の協力の成果の活用という側面と、A国のドナー化を支援するという双方の意味合いを持つ。
また、第三国専門家という支援も存在する。これはその名の通り専門家を派遣するもので、日本の技術協力によって底上げされた途上国Aのリソース・パーソンが、より開発途上にあるB国に派遣され、B国における指導にあたるものである。以上の2つが、主な南南協力の形態である。
より開発途上にあるB国にとっては、日本の進んだ技術をある程度現地に適応化させたA国の経験を利用することで、よりなじみやすい技術や知見を得られるというメリットが存在する。また、日本側にとっては、A国の技術をより確固たるものにすることに寄与する点、そして遠方の日本からではなく、近隣のA国から派遣することによるコストの抑制などがメリットである。
6.事例紹介
では、ここで具体的な事例を紹介しよう。タイのカセサート大学である。カセサート大学への日本の支援は、1970年代末〜80年代初めの大学施設整備に始まり(総合研究センター:CLGC、農業普及訓練センター:NAETC、農業機械センター:AMC)、それに引き続く3センターへの技術協力や研究協力(80年代)が行われ、無償資金協力と技術協力を組み合わせた、複合的な支援が行われてきた。とくに、大学構内に無償資金協力によって建設されたNAETCでは農業技術と研究成果の内容を学生のみならず農民へ普及する拠点としての役割を果たしてきている。現在も国内の対象者向けの研修のみならず、国際研修も実施している。
現在、同大学はJICAとの協力で、以下3件の第三国研修を実施している。
[1]農業普及を通じた持続的農業生産(第三国研修)プロジェクト
[2]農村生活向上における女性の役割(第三国研修)プロジェクト
[3]アジア・アフリカ協力「農業普及コース」
このうち、[1]の対象国は東南アジアの周辺国、[2]は東南アジア、南西アジアに加え、アフリカ8か国も対象、そして[3]はアフリカ6か国が対象である。
付記:アジア・アフリカ協力「農業普及コース」
このコースは、2005年2月下旬、研修のニーズ調査と将来の農業協力案件発掘調査を目的として、TICA/JICA/農業・協同組合省農業普及局/カセサート大学による合同調査団を東部アフリカ諸国(マラウイ、タンザニア、エチオピア、ケニア他)に派遣した結果を受けて形成されたコースである。約1か月弱にわたるこの研修コースは05年度から毎年1回、4年間にわたって実施されている。初年度は、よりニーズに適合したコース内容とするために、各国の政策担当者の参加のもと、1週間のワークショップを実施し、現状の把握と翌年度以降の研修内容の議論を行った。
こうしたニーズ把握の活動をふまえ、以下に述べるコース時間割で2006年度以降、研修を実施している。第1週から第2週は、各国の現状と問題点を共有した後、タイにおける経験のグッドプラクティスや、タイならではのOTOP(One Tambon One Product:一村一品)の紹介、そしてタイの国王が提唱する「足るを知る経済」の哲学に基づく農村開発の講義などを実施。その後、第3週から第4週はサイト視察を通じてコミュニティにおける活動、各レベルにおける普及活動との関係、農民グループの活動の事例を学び、簡易普及教材の作成実習やプロポーザル作成実習など、学んだ内容を活用するためのカリキュラムを組み込んでいる。
写真1 簡易普及教材の作成に取り組むタイ講師とアフリカからの研修員
本コースでは、研修参加者が帰国後に学んだ知識と経験をどのように活用しているのか、質問票を通じた追跡調査も実施している。アフリカとアジアという離れた距離もあり、質問票の回収率も必ずしも高くはないが、簡易普及教材を活用している事例や、プロポーザルを実際に作成してドナーに交渉している事例なども出てきており、一定の効果が確認されている。
頁数の関係上、詳細は本稿では触れないが、こうした第三国研修の他にも、アフリカで実施中の農業プロジェクトにて、日本に研修員を送った帰りにタイで補完的な1週間程度の短い研修を行う事例も多数存在する。第三国研修やこうした補完研修、いずれにおいても、タイで研修を実施する意義として、気候と風土が似ており栽培する作物が似通っているという点、技術的観点から見たレベルの差が日本より少なく、アフリカに応用しやすい点などがあげられるであろう。
事実、補完研修でタイを訪れる研修員が帰国する際、「日本の技術は素晴らしい。農業も極めて洗練されたものである。でも、アフリカには応用できない。技術的なレベルが、あまりに違いすぎるからである。しかし、タイで学んだことはアフリカでも活用が可能であり、アフリカの農業が、今後タイを目指し、そしてその先に日本を目指すという、将来的な道筋が見えた気がする」という趣旨の言葉を残していくことがしばしばある。嬉しいことである。 |