アフリカ農業技術開発への取組み
独立行政法人 国際農林水産業研究センター(JIRCAS) 理事長 飯山賢治
1.世界とアフリカの食料危機
2008年4月7日付けフランスの通信社AFPは「食品・燃料価格の高騰からアフリカで暴動が相次ぎ、死傷者もでる事態に各国政府が危機感を強めている」と伝えた。国連の国際農業開発基金(IFAD)のウワンゼ副総裁は、各国で社会不安が増大しているとして警鐘を鳴らした。国連食糧農業機関(FAO)は、家計の50〜60%が食料に費やされる国々では、政治社会不安がいつ起きても不思議ではないと警告した。アフリカ連合(AU)の経済担当閣僚も、食料品の価格高騰が「アフリカ諸国の成長や平和、安全保障に深刻な脅威となっている」との声明を発表するにいたっている。
その後、この状況はどうなっているのだろうか? FAOの速報値によれば、主要食料価格および主要穀物の指数は2008年当初の異常な高騰時に比べれば低くなっているものの、まだ05年の1.7倍に高止まっている。また、主要穀物の市場価格は再び上昇傾向にある。サブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)の多くの国の農産物貿易収支は輸入超過であり、その額は増加してきている。これらの国では穀物のほとんどは食用であり(つまり、飼料向けではなく)、とくに食料価格の高騰はアフリカ諸国の人々の生活を直撃している。
「食料危機」解決の手だてについて、アメリカのオークランド研究所のミッタル所長は、「国際金融機関が農業自由化を推進してきたことが原因」であり、「食料危機」を解決する最善策について「小規模で持続可能な農業による現地作物(在来種)の生産・消費の開発、農家と消費者を保護する食料主権の考え方の採用」と説いている。さらに「過去数年間の農業投資の不足、農業開発に対するODAの激減」が問題であると指摘している。
2008年8月26日、世界銀行は「より精度の高いデータを用いた新たな貧困基準(1日当たり1ドル25セント以下で生活している)によると、世界の貧困人口は14億人に上る」ことを指摘するとともに、サブサハラ・アフリカでの05年の貧困人口の割合は、1981年の水準と変わらない50%とし、「アフリカにおける貧困の深刻さをふまえると、他の地域を上回る経済成長を遂げなければ、貧困削減をもたらすことはできない」のであり、「同地域を中心に努力を倍増させる必要がある」としている。なお、今回の貧困推計には、05年以降の食料および燃料価格の高騰が貧困人口に与えた悪影響は反映されていない。
2.アフリカ諸国の「食料危機」解決と農業開発への取組み
当面のアフリカ諸国の「食料危機」解決と中期的展望にたった研究開発・技術開発を含むアフリカ農業開発について、アフリカ開発会議(TICAD)の第4回会合と、G8北海道洞爺湖サミットにおいて議論された。2008年5月末に40名の国家元首・首脳級を含むアフリカ51か国の代表が集まって開催されたTICADWでは、「アフリカ大陸の農業生産性を高め、水資源の供給と管理などへの支援を急速に増加」するとともに、「農業および農村改革は、食料安全保障と貧困削減を達成する主要な原動力である」(「横浜宣言」)と確認した。この宣言に基づき、「品種改良、土壌肥沃度およびその他の農業技術の向上などのための農業研究、普及・指導サービスの拡大」により「今後10年間でアフリカ諸国におけるコメ生産量倍増を目指す」こと、および「今後5年間で灌漑地域面積を20%拡大することを目指す」行動計画を採択した(「横浜行動計画」)。「コメ生産量倍増」計画は国際的枠組みのなかで「アフリカ稲作振興共同体(CARD)」が組織され、具体的取組みを始めている。
7月に洞爺湖で開催されたG8サミットの「世界の食料安全保障に関するG8首脳声明」は、アフリカ農業開発について、「農業への投資を増加させることの重要性を完全に認識」し、国際農業研究協議グループ(CGIAR)およびアフリカ緑の革命同盟(AGRA)などを通じ「とくに農業関連の研究開発と科学者および専門家の訓練の促進」、「気候変動の影響に適応し、持続可能な利用を促進するための開発戦略を支援」するという課題を明示した。
TICADWでCARDの設置が決まり、CARDの運営にAGRA、WARDA(アフリカ稲作センター)、FARA(アフリカ農業研究フォーラム)、NEPAD(アフリカ開発のための新パートナーシップ)、IRRI(国際稲研究所)、JICA(国際協力機構)、JIRCAS、さらにFAOの8機関が当たることになった。さらに、世界銀行、国連世界食糧計画(WFP)などもCARDへの関心を表明しており、「10年間でサブサハラ・アフリカにおけるコメの生産量を、現在の1400万トンから2800万トンに倍増する」ことを目的としている。CARDの主要な課題として、[1]農業政策、[2]研究能力強化、[3]品種改良と種子生産、[4]農地開発と農業用水の確保、[5]農業普及の強化、[6]改良種子、肥料、農業資機材の確保・利用改善をあげ、CARD支援対象候補国第1グループとしてウガンダ、ガーナなど12か国、第2グループとして9か国を選定した。
2008年6月に、ローマで「FAOハイレベル会合」が43か国の首脳を含む180か国の代表を集めて開催された。福田首相(当時)は「アフリカをはじめとする途上国の農業生産性、生産力を向上させることは急務」であり、「灌漑などのインフラ整備、品種改良のための研究、栽培技術普及のための人材育成などを積極的に推進」するために、貧困農民に対する食料増産支援として約5000万ドルの財政支援を表明した。
2008年10月、ワシントンで第78回世銀・IMF合同開発委員会が開催された。額賀財務大臣(当時)はアフリカの農業生産性向上に向けた日本の支援について、「途上国の貧困層に配慮した成長の実現には、農業の生産性向上を含む農業の改革は欠かせない。農業の改革は、水、土地・気候に適した優良な品種、肥料、それらを活用する人および組織の養成」が必要であるとして、「アフリカ農業の包括的支援のため、世銀の信託基金を通じ、今後5年間で、1億ドルの支援を実施する」ことを表明した。
世銀グループは2008年5月、12億ドル相当の緊急融資制度である世界食料対応プログラム(GFRP)を設立し、支援をもっとも必要とする国々への対応を進めている。GFRPは09年1月22日現在、30か国に8億6600万ドル相当を承認し拠出を始めている。資金は、貧困に苦しむ子供たちをはじめ弱い立場にある人々への食料提供、妊婦・授乳中の母親・乳幼児への栄養補助食品の提供、食料輸入のための追加費用の補、次の作付期のための種子の購入に充てられることになっている。
総合科学技術会議は2008年5月「科学技術外交の強化に向けて」を決定し、「我が国の優れた科学技術を活用し、アフリカなどの開発途上国における水や食料問題などに対する取組みを実施する」として、具体的に、[1]「アフリカイネの乾燥・冠水耐性の改善」、[2]「西アフリカの半乾燥熱帯砂質土壌肥沃度の改善」、[3]「DREB(脱水応答領域結合タンパク)遺伝子などを活用した環境ストレスに強い作物の開発」、[4]「アフリカ農業研究者能力構築事業」の実施を促した。時を同じくして、農林水産省農林水産技術会議は「近年の国際的な食料情勢の変化や地球温暖化問題の顕在化」した現状のもとで「重点的に取り組むべき研究課題と方策を提示」した「国際研究戦略」を策定、公表した。そこでは、ネリカ米などの改良による天水低湿地向け品種の開発、DREB遺伝子の活用による乾燥耐性品種の開発とその栽培技術の確立、収穫残渣(ざんさ)などの有機物による土壌肥沃度改善技術開発、イモ類などアフリカに適した作物の品種改良、効率的な種子増産や種苗生産技術の開発研究の推進を示した。
3.アフリカ農業の現状と課題
(1)アフリカ諸国の国民経済に占める農業の比率
世界全体の全産業のGDPに占める農業のGDPの割合は、3.5%(日本は1.3%)にすぎないが、サブサハラ・アフリカ諸国では半数以上の国で20%を超えており、農業生産の拡大、生産性の向上が、それら諸国の経済発展にとって最重要課題となっている。その農業を支えているのは、ほとんどの国で総人口の2/3を超す農民であるが、所得格差を表すジニ係数は極めて高い(表1)ことから、個々の農民の所得は低く、おそらく農業以外の職業に携わっている人との間に大きな所得格差が生じていると思われる。
国連開発計画(UNDP)が開発援助の目的を、1人でも多くの人々が人間の尊厳にふさわしい生活ができるように手助けすることであるとして、平均寿命、識字率、就学率および1人当たりGDPを基本要素として指数化した「人間開発指数」(HDI:Human Development Index)(表2)を算出している。2006年の調査ではサブサハラ・アフリカ諸国のほとんどが、集計された179か国の最低の水準となっている。このことは、乳幼児の高い死亡率や疾病などによる平均寿命の低さ、1人当たりのGDPの低さにとどまらず、就学率および識字率の低さにもよっており、農業生産性向上に向けた取組みの必須条件となっている人材育成の大きな妨げにもなる可能性があり、この現状を認識した育成プログラムの作成が欠かせないであろう。
(2)サブサハラ・アフリカ諸国の農業の現状
上述のようにCARDが設置され、稲作がクローズアップされているが、これまでアフリカで主食とされてきたのはキャッサバ、メイズおよびヤムイモであり、ついでソルガム、コメが続く(表3)。2007年の生産量はキャッサバが1億2000万トン、ヤムイモが5000万トンである。ヤムイモは茹でてそのまま食べたり、乾燥して粉にしたのち整形して食されている。アフリカ全体でのコメの生産量は2400万トン弱、CARDが対象地とするサブサハラ・アフリカでの生産量は1680万トンである。近年、コメの生産量はヤムイモとともに著しく増加している。
稲作で高い生産性を実現するにあたっては灌漑が欠かせない。アジアでは全農耕地面積の30%以上が灌漑地であり、天水水田地および畑作を含めた収量は4.5トン/haとなっており、灌漑水田の拡大とともに収量は増加する傾向にある。しかし、サブサハラ・アフリカでは灌漑面積は全農耕地面積のわずか1%にすぎないのが現状である。世界全体では利用可能な総淡水量の約70%が農業に使われており、多くの開発途上国では95%にもなる(FAO 2007)とされている。「淡水供給便益の指標」によると、サブサハラ・アフリカにもアジアに並ぶ淡水供給量がありながら、その流水供給量に対する取水率はわずか3%にとどまっている。「河川など流水を有効に利用する設備」、さらに「雨期の降水を有効に活用する設備」と「その設備を維持する社会と技術システム」を整えることが、稲作にかぎらず食料の生産性向上と安定的供給にとって緊急の課題であろう。
(3)アフリカに適応した栽培方法の再検討
Prettyら(2006)〔注:Pretty, J.N., Noble, A.D., Bossio, D., Dixon, J., Hine, R.E Penning de Vries, F.W.T., Morison, J.T.L. 2006. Resource-conserving agriculture increases yields in developing countries. Environmental Science and Technology, 40(4): 1114-1119.〕は、総合的病害虫管理と養分管理、保全型耕耘やアグロフォレストリーといった資源保全型管理技術の組合せを導入している開発途上国の144プロジェクトを分析し、これらの技術は水の生産性、とくに天水農業システムにおいて、注目すべき改善をもたらしていると報告している。また天水依存型農業において、水の浸透量、土壌水分量、土壌侵食および保水能力の観点から不耕起栽培が有効であることを指摘している。
2000年の時点で、世界平均で耕地面積当たりの肥料投入量は約90kg/ha、アジアの平均値は145kg/haであったが、アフリカでは18kg/ha(サブサハラ・アフリカでは12kg/ha)にすぎない。農業生産性向上のためには、肥料の大幅な投入もまた必要であろう。くわえて、サブサハラ・アフリカの半乾燥地域の土壌は有機物の蓄積が極めて少ないとされている。土壌有機物の蓄積および流出の機構に関するさらなる研究が必要であり、JIRCASが提案している耕地内休閑法などによる有機物蓄積技術の開発が求められている。
アフリカ各地で異常気象が頻発し、農業生産にも打撃を与えている。これら気象災害は地球温暖化を含む気候変動と関係していることも考えられ、気候変動防止への取組み努力を強化する一方で、気候変動の影響に適応し、農業の持続的発展を促進するための技術開発が求められている。
(4)サブサハラ・アフリカ諸国の農業の持続的発展のための課題
G8洞爺湖サミット、TICADWなどでの宣言および総合科学技術会議「科学技術外交の強化に向けて」、農林水産技術会議「国際研究戦略」は、稲作振興が中心であるが、アフリカ農業開発について包括的に課題を示している。再掲することになるが、[1]ネリカ米などのアフリカイネの改良、天水低湿地向け品種開発、DREB遺伝子の活用による乾燥耐性品種開発とそれらの栽培技術の確立、[2]肥料の使用拡大への支援や低コストの土壌肥沃度改善技術、低湿地における水資源の利用技術など、不良環境の改善技術開発、[3]イモ類・マメ類・雑穀の品種改良、効率的な種子増産や種苗生産技術開発研究の推進、[4]農業関連の研究開発と開発途上国の新世代の科学者および有能な技術普及員の訓練、[5]灌漑、輸送、貯蔵・流通システムおよび品質管理を含むインフラの改善、[6]食料安全保障の早期警戒システムの開発、F気候変動防止への取組みの強化および気候変動の影響に適応し、持続可能農業開発のための各国開発戦略の支援などである。
以上では乾燥や冠水など非生物的ストレスについての対応は示されているが、生物的ストレス、たとえばイネに関して、いもち病などの微生物や線虫による病虫害、ストライガなど寄生植物の害への対応が指摘されていない。とくに畑での稲作でこれら病害虫が多発しており、アフリカのいもち病原種の確認、耐性稲品種の開発など、基礎的な研究開発が求められている。水田稲作とヤムイモ栽培の組合せなどを含む、現地の需要と伝統に応じたヤムイモなど多様な作物の品種改良、種子増産や種苗生産技術および栽培技術の開発研究、土壌肥沃度管理、保全型耕耘やアグロフォレストリーといった資源保全型管理技術の組合せ、とくに土壌浸食防止、風食防止、畜害防止、土壌有機物の増加のためのアグロフォレストリーの導入も緊急な課題であろう。
また、灌漑システム整備や農産物輸送のためのインフラ整備だけでなく、小規模農民のための溜池などの整備による天水の有効利用システムや節水栽培技術の開発、水管理などのためのムラ組織確立が欠かせない。さらに、農産物の多面的利用を可能にする食品加工技術の開発や整備も、課題のひとつである。最後に、本稿でアフリカ農業の現状を分析するにあたってFAOの統計データを利用したが、アフリカ諸国の農産物生産関連データや生産物に関する統計値の正確さに疑問を抱かざるを得なかった。農業生産性の向上のためには、正確な農業統計が必須であり、各国政府への支援が求められていよう。 |