フードセキュリティの展開

日本環境財団
理事長 福岡克也

 公正な競争が平和裏に行われていれば、当然、価格の上昇が見込まれれば市場への新規参入があり、増産となるので、市場での需給均衡点はシフトし、均衡価格は下がり、均衡数量は増大する。増産が市場に対して良好な結果をもたらすことになる。価格が低下すれば、より多くの消費者をひきつけることになり、消費者余剰も大きくできる。
  食料をはじめとする農作物の生産構造が、こうした市場原理の働きに適合したスムーズな対応ができればよいが、温暖化の進行による生産環境の悪化、土地の劣化、水資源の不足など、さらには農業生産の担い手の欠如を生ずると、農業生産を維持することすら不可能となる。一定の供給限界に長期固定化されるとなると、長期にわたる「不足の時代」となる。
「不足の時代」が進むと、飢餓への危機感が高まり、フードセキュリティが社会全体の問題となる。危機への対応が各国レベルでも国際レベルでも、大きな政策的課題になる。
  もちろん、危機への対応に当たっては、不足や飢餓の生ずる原因を的確に把握することが必要不可欠であり、詳細にして正確な情報が政策当局や市場などに求められる。
  各国では少なくとも、貧困層への救済ファンドを充実させる必要があろう。食料に限らないが、そうした場合、新規参入を待つまでもなく、緊急措置として輸入または買上げ、放出など、かつての二重価格制(高く買って安く売る)などの政策を生かした救済策が、現実に実施されなくてはならないであろう。
  国内的にも国際的にも、自立的に政策展開可能な経済力のある国や地域はよいが、これが不可能な国や地域に対する対応が不可欠となる。グローバルな救済ファンドをつくれるか否かが、ひとつの岐路となろう。
  とくに、こうした政策的な後追いの対応だけでなく、前向きな地球温暖化への対応といった、農業生産の基盤にかかわる情報と技術の開発と普及が緊急の課題であり、新たな社会コストの投入が必要となる。
  周知のように、温暖化による平均気温の上昇はCO2濃度の上昇を背景とするものであるから、作物の光合成量を増加させるし、したがって他の条件が大きく変わらなければ作物の生産量は増加する。しかし、あまりにも高温になると養分吸収能力が減少し、また受粉も不活性化するし、土壌の乾燥も加わって生産量は減少する。

エタノールか食料かの二者択一
  2000年、ウクライナでは穀物生産量が2100万tから500万tへ激減して、これが穀物市場に多大な影響を与え、フードセキュリティの問題は一国の経済を飛び越して、国際経済の重要問題となった。ウクライナにかぎらず、中国をはじめ多くの人口を抱える国々では、フードセキュリティは温暖化とともに、特別な問題となってくる。温暖化の外部不経済の及ぶ範囲と大きさは、楽観的ともいえる当初の予測を超えるものとなりつつある。
  増収を生ずるケースというのは、たとえば気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on ClimateChange:IPCC)の予測のように、21世紀末までに年間の平均気温が1.4℃から5.8℃の間にまで上昇するとなると、冬小麦の北限がさらに北に移り、低収化した春小麦に代替するであろう。カナダ、ロシアなどでは、その影響が出てくると思われる。その場合、冬小麦の生産量が、春小麦の生産量を上回れば、プラス経済といえるが、辛うじて収穫があがっても、冬小麦の生産実績(過去から現在の)を上回らねば、マイナス経済となる。このように何が衰退し、何が活性化するといっても、その結果をみなければ、良い結果か否かを判断することはできない。ただし、プラス経済の方向が見定めることができれば、そうした積極的な対応も現実には求められることになろう。いかなる技術的選択が可能なのかを確かめ、その経済的な結果がより望ましいものになるような選択は、人類社会の持続的発展と維持に不可欠である。
  温暖化による環境変化のなかにあっても、年ごとの比較的限られた期間のなかでは、農業生産へ投入可能な生産要素資源は限定される。一定の要素資源の前提のもとで、たとえばエタノール原料作物と穀物との2つを生産するとした場合、エタノール原料作物に主力をおけば穀物分は減産となる。穀物に主力をおけばエタノール原料作物は減産となるような性質(代替性)をもつ場合、農業生産者は、このような条件のもとで、最適生産を行うには、いかにすべきかを考えなくてはならないだろう。

生産変形曲線

  図示したA、B、C3点の特徴は、A点では穀物が主でエタノール原料作物は従、B点では穀物とエタノール原料作物と均等、C点ではエタノール原料作物が主で穀物は従である。現実には、このように生産にウェイトをつけて実施するということになろう。このようなニーズの差が選択点の差となる。A、B、Cの選択の違いは、穀物、エタノール原料作物それぞれの価格レベル、コストレベルによって生ずる。経済的収益性を考えると、農業生産者の効用レベルは、経済的収益性によって左右されよう。一定の生産要素資源と技術的可能性の制約のもとでは、少なくとも外生的に決められる市場価格のレベルの高低が、農業生産者の効用レベルの大小とおよそ正の相関にある。
 穀物とエタノールの市場における需給バランス、欠乏度などが価格に微妙に作用する可能性がある。エタノールブームでC点のような選択が行われれば、当然に穀物は不足し、フードセキュリティを損なうことになろう。これによる食料危機を恐れる意見や動きが出よう。たしかに穀物不足となれば、穀物市場では価格が上昇し、消費者は場合によってはパニック状態に陥ることになる。農業生産者は価格面での上昇を見込んで、エタノールとの相対的価格ポジションが上がれば、穀物の生産を増やすことになろう。つまり、C点よりB点の方向へ、シフトして行く可能性が生まれる。
 市場にまかせていく限り、市場の自動調整機能まかせということになるが、食料もエネルギーも、ともにニーズが高い現状から、この双方への配分は、双方への経済的および公共的視点からの調整と合理的な市場介入も必要となろう。
 B点の選択からエタノール原料への傾斜で、C点に選択がシフトしたと仮定する。穀物は減り、エタノール原料が増えている。エタノール原料が相対的に有利と判断してのことと考えられるが、これによりB点に比して、エタノール価格上昇の市場状況と増産により、エタノールの売上高は大幅に増加してくる。しかし、フードセキュリティのために、穀物の食料分の不足を補うために、エタノール向けを食料向けに振り替えなくてはならない。
 B点を経済的および公共的に必要とされるギリギリの選択点とする。エタノール原料はやや減らし、穀物をやや増やす選択である。
 このためには、C点からB点へのシフトによるエタノール分の売上高相当額が、農業生産者の収益より減少することになり、これに対する金額補償が必要となる。また、C点からB点へのシフトによる穀物の増加を促すための、市場価格保証付きの販売ルートを確保するか、政府その他の公的機関による買上げをするかの方法を考えなくてはならない。エタノール補償は生産制限に対する補償であり、それだけで自動的に穀物が得られるわけではない。農業生産者は他方で穀物への安定した買取りを求めるであろうし、社会的にも穀物の緊急的な確保として必要不可欠で、C点からB点へのシフト誘導(強制介入)による措置として必要となろう。
 補償し、なおかつ必要量を十全に確保する政策を導くためには、これらの公共的政策措置を伴わせる必要があろう。なお、これらの財源としてエタノールについては、エネルギー税(化石燃料よりは低率として、バイオ燃料への転換の政策的意思を確たる前提としたうえで)の適用、穀物については、救貧ファンドなどの飢餓防止のためのファンドの適用が考えられよう。エタノールへの過熱を多少は冷静なものにする意味からも、タックスフリーの考えはもたない方がより良いと考える。適切な税負担は不可欠である。なお、エタノール生産施設の自由な拡大に対しても、こうした政策環境を整備することによって抑制化できよう。
 エタノール化は、CO2を吸収する植生を用いることから、CO2を排出したとしても、また同量を吸収できるのでバランスが保たれるとしているが、まずCO2を吸収した過去の吸収分を燃やして現在の排出分としているので、もしバランスを今日より将来にわたって維持しようとするならば、現在の排出分をバランスさせる植生を再生させなくてはならないはずである。それがなければ、必ずしも地球にやさしいわけではなく、それっきりならば、化石燃料を燃やすのと変わりはなくなる。
 ソフトエネルギーとして風力発電がある。粗放的な農業用地で、営農をしながらの風力発電はエタノールの代替的資源利用とも異なり、設計・配置によっては、結合的な資源利用となりうる。すなわち、農業用地で穀物を生産した場合、同時に風力発電による収益を確保するので、収益の形は複合生産となる。両者の価格の変化は、穀物をエタノール原料にするといった代替的資源利用のごとく、他を抑制したり代替したりはしない。

地球温暖化による外部不経済
  IPCCによる地球温暖化の現状、今後の可能性の予測に関しては、2007年2月の第4次評価報告書に示されている。政策決定者向け要約(SPM)については、その政治的な意味合いからも、とりわけ慎重に検討・吟味されたものと思われる。[原沢英夫:地球温暖化の影響の現状と予測(IPCC第4次報告書から)『科学』Vol.77, No.7, pp.717−722,2007.7]
  とくに世界平均気温の上昇による主要な影響が1990〜1999年に対して、1℃、2℃、3℃、4℃、5℃の上昇のケースで、どのように現われるかが、詳細に述べられている。主要な項目についてみると、水資源では、湿潤熱帯地域と高緯度地域での水利用可能性の増加、中緯度地域と半乾燥低緯度地域での水利用可能性の減少、干ばつの増加、数億人の水不足の深刻化が挙げられている。これらは0℃〜1℃の上昇から影響が出はじめるとしている。
  食料資源については、同じく0℃〜1℃の上昇から小規模農家、自給的農業者・漁業者への複合的で局所的なマイナスの影響が出はじめる。1℃を超えると、低緯度地域での穀物生産性の低下が始まり、一方で中〜高緯度地域でのいくつかの穀物生産性の上昇もみられるが、3℃を超えると、いくつかの地域で明確な形で穀物生産性が低下するとみられている。このほか生態系での種の30%の絶滅リスク増大(1℃以上で)がある。3℃を超えると、種の分布範囲の変化、森林火災リスクの増大、約40%の種への影響から陸域生物圏の正味炭素放出源化が進行すると予測されている。こうして、地球温暖化による外部不経済は急速に拡大し、収束することのない拡大を続けることになる。2006〜07年版の『地球環境データブック』[福岡克也監訳:『地球環境データブック2006−07年』pp.16−18,2007.2]にも示されているように、アメリカ中西部コーンベルトでは、高温で乾燥した気候により生産量が7%減少している。ヨーロッパでは過剰降雨により生産量が15%減少し、中国でも減少している。気候変動の流れのなかでの天候不良は、トウモロコシの減産だけではなく小麦などにも影響を与え、とくに欧州と北米では関連したダメージを与えている。エジプトのように灌漑の最大限の活用によってコメと小麦について、北アフリカでの減産と対照的にわずかに増産させたケースもあるが、全体としては、IPCCの予測のように外部不経済を拡大させつつあるというのが現状である。
  気候変動による影響は洪水、暴風、海面上昇による沿岸域への影響、広汎なサンゴの白化、人間に対する健康被害の拡大など広汎に及ぶが、とくに農業に対しては深刻である。熱帯においては赤道から南北緯度30度ぐらいまでのところでは、明らかに降雨や気温のパターンが変わり、多くの栽培作物の作付は不適になるであろう。
  熱帯の半乾燥地域では降雨量の極端な変動が生じ、食料生産を減らし、森林伐採とともに土壌の劣化が進み、生産限界地に追い込まれるであろう。湿潤な熱帯にあっても暴風雨の頻発、高温多湿の気候変動で農業に大きなダメージが与えられるであろう。
  温帯などでも小麦などの成育適地が気候変動で移動する可能性は明らかで、北半球の小麦地帯は北にシフトせざるを得なくなり、カナダ、スカンジナビア、シベリアに小麦地帯を移動させることになる可能性が大きい。
  アフリカ、ラテンアメリカ、東南アジアでの小規模な自給農業は気候変動とともに、その「自給」が困難になり、政情不安に到る可能性もありうる。しかも、インド、中国など他の農業国でも、気候変動がもたらす成育適地の移動は、それに対応する生産のインフラ整備、農業労働力の移動などが経済的に容易ではなく、フードセキュリティの大きな壁となることも予想される。
  以上のように、気候変動のもとでの農業への影響を最低限にとどめ、持続可能とするためには、気候変動による農業への外部不経済をゼロとする市場環境や政策基盤を再検討する必要があると言える。

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