バイオ燃料が食卓を脅かす
アースポリシー研究所
所長 レスター・ブラウン
今、世界は新しい食料経済の時代へと移行しつつあります。つまり、永らく続いた穀物の「過剰の時代」から「不足の時代」へと、大転換しているということです。
世界には約8億台の自動車があります。自動車は燃料を必要とします。石油価格の高騰と温暖化防止という世界の大義によって、バイオ燃料への期待が一気に盛り上がり、また大増産へ向けて着々と投資がなされています。その原料とされているのは、トウモロコシをはじめとする食用作物です。一方、世界の貧困層はおよそ20億人に達します。同じ資源をめぐって、食料にするかエタノール原料にするかの争奪戦が始まったのです。
世界一の石油消費国であるアメリカでは、石油価格が上昇基調にあったところに第二次オイルショックに襲われ、1978年にバイオ燃料生産を支援するプログラムが始まり、その生産には補助金が出されました。しかし、バイオエタノール生産施設への投資水準は低いものでした。つまり30年近くは、こうした動向に大きな変化はみられなかったのです。
2005年のハリケーン「カトリーナ」は被災地に集中していた精油施設に大きな打撃を与えました。海上を運ばれてくる原油に依存していれば、こうしたデルタの湾岸に立地せざるを得ないわけです。アメリカ市民はガソリン価格に敏感です。「カトリーナ」はガソリン価格の高騰をもたらすことによって、多くの人々にエネルギー・セキュリティへの懸念をいだかせました。多くの市民の懸念は、企業家にとってはビジネスのチャンスでした。
エタノールの蒸留施設の増設に莫大な投資が始まりました。アメリカで既に稼働していた蒸留施設の生産能力は年間61億ガロンでした。しかし、新規投資により着工された施設が完成すると、およそ64億ガロンの生産能力が追加されます。つまり、倍増です。これはとりもなおさず、エタノール生産に振り向けられる穀物も2倍になることです。2008年には、アメリカの穀物生産量のおよそ30%が必要になります。トウモロコシにかぎれば、50%前後になるでしょう。
実に膨大な量です。「バイオ燃料vs食料」という意味で少し古い数値になりますが、2004年、アメリカでは3200万tのトウモロコシを原料にして34億ガロンのエタノールを生産しました。この年のトウモロコシの生産量のおよそ12%に相当します。先の50%前後に比べれば、「わずか」ともいえるかもしれません。しかし、世界の平均的な穀物消費レベルにある1億人を養うに足る数量になります。
これは現実にはならないでしょうが、食料としての穀物のアメリカの全生産量をエタノール燃料の原料に振り向けても、この国が必要としている自動車燃料のおよそ16%を供給できるにすぎないのです。エタノール増産によるアメリカのエネルギーの自給率向上が、中東の石油への依存を少しでも緩和して、「世界情勢の安定化」に果たせるかもしれない可能性と、世界の食料市場を攪乱して「開発途上国の食料事情の悪化」をもたらす可能性とを冷静に比較すれば、バイオ燃料の大増産を全面的に支持することはできないでしょう。
私は1974年にワールドウォッチ研究所を創設しました。文字通り世界の環境と経済を「ウォッチする」、つまり「注意深く見る」、そして問題があれば、それを指摘して、解決への糸口を示すことを使命としてきました。エネルギーと食料は、とりわけ重要なウォッチの対象です。当時から「石油と小麦の交換比率」を指標として採用していました。たとえば、1950年では小麦1.89ドル/ブッシェル、石油は1.71ドル/バレルでドル換算の交換比率は1.71/1.89でほぼ1でした。つまり1ブッシェルの小麦と1バレルの石油は1:1で交換されたわけです。1973年末、OPECの大減産が打ち出され、いわゆる第1次オイルショックで石油が高騰します。さらに、70年代の終わりに第2次オイルショックがありました。そして、たとえば1980年には小麦4.70ドル/ブッシェル、石油35.71ドル/バレル、交換比率は8になりました―石油1バレルと小麦8ブッシェルで交換が成立するということです。2005年では、交換比率は13でした。
ここで私が述べたいのは、エネルギー経済と食料経済とはほぼ別の動きをしていて、交換比率はその独立したものを比較する指標であったわけです。しかし、いまや大転換が起きているのです。バイオ燃料により、この二つの経済が連動するようになったのです。エネルギー経済が食料経済をプッシュするのです。それ以前も、現代農業はさまざまな形で石油に依存していますから、生産コスト面からのプッシュは受けていました。しかし、石油価格が上がれば、エタノール原料としてのトウモロコシはより直接的に影響を受けます。そして、トウモロコシの価格が上がればその生育条件を満たす地域では、トウモロコシの作付面積は増えます。その分、他の作物の作付面積は減ります。それは、それらの作物の減産を意味し、一般的には価格上昇につながります。
作付面積のシフトが、間接的ながら小麦や大豆の価格を押し上げます。こうした、潜在的に価格が上昇基調にあるときに干ばつが起これば、市場はより敏感に反応して、価格上昇はさらに弾みが付いてしまうでしょう。皆さんのなかには、「私はトウモロコシは食べていない」と思われる方がいるかもしれません。というより、そう思っておられる方が多いでしょう。しかし、先進国の食卓にとってトウモロコシは不可欠です。肉、タマゴ、バター、チーズといった畜産物を支えているのは、飼料となっているトウモロコシです。試しに冷蔵庫をチェックしてみて下さい。皆さんは豆腐を食べますから、これはトウモロコシ・フリーでしょう。しかし、その大豆もバイオ燃料の有力な原材料です。需要増大に対応して、ブラジルのアマゾンでは急ピッチで大豆畑が造成されています。しかし、その農法が持続可能とは思えません。深刻な土壌流出でやがて収量は下降し、持続することすら困難になっていくでしょう。
先進国の食卓より、もっと深刻なダメージを受けるのは、開発途上国の人々です。たとえばメキシコがそうです。トウモロコシを主食としていて、粉にして焼いたトルティーヤがあまりに高くなり、生活を脅かされた人々がデモをしたのは皆さんもニュースでご覧になったでしょう。ここ数十年、世界経済の成長から取り残されたアフリカ、とくにサブサハラアフリカ〔サハラ砂漠以南のアフリカ〕の人々は、生存を左右されるような大きな影響を受けるでしょう。
私はこうした状況をみて、アメリカはエタノール工場の新設については、差し当たり中止すべきだと思います。そして、このままエタノールの増産を拡大していけば、それは世界の食料市場にどのような影響をもたらすのかを公表すべきでしょう。それが、倫理というものです。SUVを乗り回すために、食料をエタノールに際限なく変換してよいものでしょうか。
最後になりますが、日本の皆さんへ。アメリカの農業生産者は、あなた方の胃袋を満たすことを使命にしてはいません。絶えず、価格の高い市場を求めているのです。私が農業政策の責任者であれば、食料自給率が40%を下回ることは絶対に防ぎます。一国のフードセキュリティのためです。
*2007年5月23日に独立行政法人農業環境技術研究所によって主催されたシンポジウム「食料vsエネルギー 穀物の争奪戦が始まった」の講演の一部に、インタビュー内容を補足したものです。 |