農業と環境問題から検証する
原 剛 著
『中国は持続可能な社会か』

 ナガネギやシイタケをはじめとする中国野菜が日本侵攻―いささか鎮静はしたが、広大な大地と農村の膨大なる労働力という潜在的生産力は変わっていない。一方で砂漠化や深刻な水不足、工業による汚染、農民の暴動といった影の部分も伝わってくる。近いながらも、現実がよくわからない中国に迫ったのが本書である。まず、「13億人の現場に何がおきているか」という文章で始まる「はじめに」の一節である。

―人口、資源、開発との相関で「環境問題」をとらえるとき、はたして中国社会は持続可能な発展の道を安定して、たどっていけるのだろうか。中国政府は西部大開発計画に着手しているが、内陸農村部とりわけ西部地域農村の貧困は想像を絶する状況にある。環境問題と三農問題(農民、農業、農村問題)が、中国社会の安定を脅かす要因になりつつある。とくに、農業・食料生産と自然生態系との均衡を失すれば、社会全体の状態は根本から安定を欠くことになろう。中国大陸起源の酸性雨による日本列島への悪影響にとどまらない。カロリーベースで自給率が約40%にとどまり、3416万トン(03年)の穀物を輸入している日本にとって、中国の食料生産の動向は直ちに日本自身の安全保障にかかわってくる。日本からみた、こうした「中国問題」の仮説を、現地の一次情報に基づいて検証することが本書の目的である。

 筆者は早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で自ら主宰する「中国研究会」の院生たちと黄河、黄土高原、長江、雲南省、黒龍江省、遼寧省、貴州省などでフィールド調査を行った。それも、筆者によれば北京大学教授をはじめとする「強力な身元引受人」を得て、はじめて可能であったとのこと。若き院生たちのエネルギーとかつて毎日新聞で健筆をふるった筆者のジャーナリスト魂が、本書を迫力ある「中国農業・環境見聞録」にした。数か所の現場レポートがあるが、以下に2か所を抜すいして紹介する。

*その1「中国版 木を植えた男」
(黒龍江省拝泉県で)
  王樹清(56)さんが「木を植えた男」として全国から注目されるのは、彼が中国の大事業である退耕還林政策を政府に先駆けて実践し、成功に導いたからだ。退耕還林とは黄河や長江の流域で傾斜25度以上の田畑を森林に戻し、表土の流失を防ごうとする国策だ。
  新中国が成立した直後の1950年代初期から中国政府は飢えに脅かされる。食糧増産のため、この地帯の原生林を開墾、穀物栽培が始められた。しかし耕地の70%は傾斜地で、洪水などによる表土流失が発生しやすく風食も激しい。

写真:荒れ地を沃野に変えた王樹清さん(現在、県共産党委員会書記)
荒れ地を沃野に変えた王樹清さん(現在、県共産党委員会書記)

 開墾当時は生産性が高く、周恩来元総理から「社会主義農村建設先進県」の褒賞を受けた。しかし、人口の増加と開墾による森の消失が生態系の劣化を招き、肥沃な黒土層の厚さは1950年代の1mから70年代の末期には20〜30cmにまで減って、7アール[中国の農地面積単位である1畝(ムー)でおよそ7アールに相当する]当たりの米の生産量は50kgに落ちた。ほとんどが稲作専業農家であったこの県では、1人当たりの平均所得は100元(1元は15円)を下回り、「農村建設先進県」は一転して貧困県に転落した。
 大学で中国文学を修め拝泉県の副県長を務めていた王さんは、1979年、瀋陽農業大学に社会人入学し、初めて生態学に出会う。卒論は「生態学と拝泉の農業」。しかし、目先の食糧増産のノルマ達成にしか関心のなかった県政は、王さんの主張に耳をかさなかった。そこで彼は3つの農業集落で同志の農民を募り、植林と農業を合体させた循環型農業のモデル作りを試みた。村に残っていた僅かな積立金を元に、自分たちでマツとポプラの種をとり、苗を育て、無償で労働も提供した。

 

 それで地域に何が起きたのか。私たちは現地に王さんを訪ねた。当初は苗の活着率が悪く、生態系への効果も見えないので、植林の意味が理解されず、とても苦しかったという。農家は植林に耕地を占用され、金がかかるし、労働力もいるので暗黙に抵抗した。植えた木はしばしば引き抜かれた。せっかく育った木も家畜に食べられ、農家に盗まれることもあった。農民の環境意識が低く、木への愛着がないことが生態農業への障害となった。
 しかし王さんの熱意、努力に動かされ、生態農業の拠点はいま182か所に広がった。拝泉県は穀物の連作から農林畜産業の複合経営に転じ、20年をかけて、9万1000ヘクタールの人工林を造成し、荒れ山を見事に森に戻し、生態系を回復させることに成功した。―

*その2 廃棄物ゼロの農・畜・養殖ファーム
(遼寧省盤錦市で)

  同市郊外にある西安生態養殖場は面積約56ヘクタール、職員数127名の規模で養豚を中心に水稲、野菜、養殖、養鶏など多様な生産を行っている。1992年、国連開発計画(UNDP)からグローバル500を受賞し、「世界の優良企業500社」のひとつに認定された。
  1986年、国家環境保護局のプロジェクトに指定された。生態系のサイクルを守り、伝統農業の長所を取り入れ、太陽エネルギー、バイオガス・エネルギーを積極的に利用し、水生植物による食物連鎖を中心に、農産物生産と養殖業の統合的発展を図るというものである。
  最大の特徴は養豚システムであり、また最大の収入源でもある。現在、豚は56ヘクタールの土地に2万頭が飼育されている。養豚規模が拡大すれば、懸念されるのは増加する排泄物である。排泄物が土中に過剰に投入されれば、硝酸態窒素過多となり地下水が汚染される。家畜の排泄物は今や世界共通の農村環境問題である。

写真:豚舎からの排泄物は隣り合うホテイアオイの池で一次ろ過される写真:豚の排泄物の一部は完熟堆肥にされる。これは鈴なりのカボチャ

 水生植物ホテイアオイはアフリカ原産ながら東南アジアでよく繁茂しているが、その浄化機能に着目して、これを導入した。
初めに、豚の飼育所の液体排泄物は水路で集められ、隣接のホテイアオイの池に投入される。液体排泄物のリン酸を吸収し、ホテイアオイはどんどん成長する。次に一次ろ過された水は、別の種類の浮き草の池へ流れて2次ろ過される(ホテイアオイも浮き草も豚の飼料になる)。さらに水田兼養殖場に誘引され、水稲とカニやエビの養殖に利用され、最後に遼河の河口へとつながる広大な葦原に流される。
 飼育場では豚が年中、循環された水のシャワーを浴びており、異臭もなく清潔そのものである。排泄物の一部は肥溜めで完熟して堆肥となり、トマトやウリの栽培に循環している。排泄物を原料とするメタンガスは温室のほかにも、調理や暖房用に使用されている。―

写真:ホテイアオイは豚の飼料に。EUの基準を準用した有機豚の認承を受けている 農業者である私はこの新たな環境保全型農業が、実は強力な輸出指向をもっていることに驚いた。このファームのみならず盤錦市では水稲・水田でのカニ養殖・野菜の施設栽培という経営で減化学肥料米を生産している。除草剤は無使用でカニが除草をし、そのカニも食材として出荷される。営農の指導的立場にある人物が「WTO加盟はチャンスである。品質・価格とも十分に国際競争力をもつ。日本の米と比較しても優位である」と発言している。
  彼らは消費者の無農薬指向をしっかりと認識した上で、低賃金の労働力を活用して商品を生産している。おそらく表立った貿易摩擦を回避しながらも、「日本の農産物よりも、安くて安全な中国産」戦略を構想しているのだろう。

 また、北京政府が進める退耕還林は筆者が指摘するように、「条件の悪い田畑で質の悪いものを生産しない」という、量から質への転換と環境修復、とりわけ森林の保水能力の回復をめざしている。ただ、田畑を林地に転換すると農地7アール当たり100〜150kgの穀物と年間15〜20元の転換手当が支給されている。行政府に、この負担がいつまで続けられるのだろうか。
  穀物と転換手当は一種の救貧事業であり、また国土保全には退耕還林が不可欠なところまで、中国は追い込まれているのである。一方、経済成長のために開発もせざるを得ないのである。山峡ダムについて、筆者は非難はしていないが、一帯の地層の脆弱性、120万人に及ぶとされる移転住民問題、さらには1億4000万年の生息史をもつ長江のチョウザメの運命まで、さまざまな懸念を示している。中国は今日では日本よりも大量のコムギ、大豆を輸入している。食料自給100%は放棄をして、どこかに歯ドメを設定しているのであろう。13億の胃袋と所得増大の願いを擁して、この国は苛酷な道を綱わたりしているようだ。
(山形県西置賜郡在住 農業 田中俊昭)
*同友館刊 本体2800円+税

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