ベナン共和国における食品加工による女性の収入創出

特定非営利活動法人 ハンガー・フリー・ワールド
開発事業部 ベナン・ブルキナファソ・インドネシア担当 冨田沓子

飢餓のない世界を創ろう
 特定非営利活動法人ハンガー・フリー・ワールド(以下HFW)は、飢餓・貧困のない世界を創ることを目的とした国際協力NGOです。1984年にアメリカに本部を置くNGOの日本支部として活動を開始、2000年6月に独立し、日本に本部を置いています。現在、バングラデシュ、インドネシア、ウガンダ、ベナン、ブルキナファソ、ハイチの三大陸・6か国で活動をしています。
 飢餓・貧困の原因は多様で相互に関連しあっているため、HFWは、栄養改善、教育、保健衛生、収入創出、ジェンダー、環境の6分野を事業対象としています。支援対象の住民自身を飢餓・貧困を終らせるリーダーとし、彼らと共に事業を行います。
 また、啓発事業として、開発途上国の人々には、現状にあきらめずに自ら立ち上がることを、日本の人々には、飢餓を自分自身の問題として考え、行動することを呼びかけています。国内での活動には多くのボランティアが関わっています。事務や翻訳をはじめ、同じ趣味や地域ごとに集まるハンガー・フリー・クラブや、活動国ごとにイベントを企画・運営するチームなどがあります。
 さらに、将来の世界を担う青少年を育成するために青少年組織ユース・エンディング・ハンガー(以下YEH)の活動を支援しています。YEHは日本メンバーが資金を集め、海外メンバーの活動を支援するなど、様々な活動を行っています。

西アフリカ、ベナンの現状
 HFWベナンは、商業の中心都市・コトヌに近いアトランティック州ゼ市のベト村の2地区で2004年より事業を開始しました。YEHとしては長年活動を続けてきましたが、HFWとしての本格的な事業は初めてになります。
 ベナンは西アフリカのギニア湾に面し、日本では「奴隷海岸」(ガーナのボルタ川の河口から東のトーゴ、ベニンからナイジェリアにかけての約500kmの海岸)で知られる小さな国です。西はトーゴ、東はナイジェリア、北はブルキナファソとニジェールと国境を接し、人や物が盛んに行きかいます。面積は11万2622km2(日本の面積の約1/3)と小国というには広いのですが、人口は約690万人で、その54%は18歳未満です。
 フランスによる植民、独立後のクーデター(1960年)などの苦い歴史をたどるものの、1991年以来は民主化を進めてきました。2006年には大統領選挙を控えるものの、満期終了となるケレク大統領は権力を維持しないと公約。西アフリカの他国に比べると、情勢は落ち着いており、ゆっくりながらも着実な成長を遂げています。
 しかし、餓えで苦しむ人たちも多くいます。極度の低体重児率は23%、新生児の6.5人に1人は5歳未満で亡くなります。とくに農村部は貧しく、40%の人たちが安全な飲み水を使うことができません(UNICEF State of the World’s Children 2005による)。

写真1 「収入と支出の木」として分かりやすく調査の結果を図にしたもの
写真1 「収入と支出の木」として分かりやすく調査の結果を図にしたもの

活動が始まるまで
 ベナンでは、1994年から北部においてYEHの青少年ボランティアが、植樹や非識字撲滅キャンペーンなどを行ってきました。2000年からは活動地を南部に移し、現在はベト村、特にアゴンドタン地区で女性グループのサポートを行っています。元々あった4つの小グループを、活動の効率化のため1つに統合。識字率の向上や住民の自活への意欲向上などの結果を少しずつ出していました。
 そして、2004年度に本格的に事業を開始することになり、9月に住民参加型による農村調査を行いました。本調査は、村で事業を行うニーズを調べるだけではなく、既存の村の組織や資源を再発掘し、それらを今後効果的に事業に生かすことを目的としました。
 まず始めに、村に関連する情報をあらゆる角度から収集し、ツールとしてまとめていきました。たとえば、村の歴史をたどることにより、どのような意思決定の方法を行ってきたかを知り、これから事業を進めて行くうえで、村にすでに存在するリーダー、権力者や機関とどのような関係を築いていくのが最適なのかを分析するために利用しました。また、存在する組織(青少年組織、女性グループ)や機関(教会、学校)がどのような関係を持っているのかも、ダイアグラムにまとめました。その他、村の地図を住民と共に作成したり、Transectと呼ばれる断面図のような物を作り、各ゾーンの地形、土壌、そこにある植物や動物、水利、インフラ、環境的に困難・有利な点、潜在資源などを書き記し、土地の有効活用の意識を高めることができました。
 そして次に、世帯単位、または村全体の生活生計を分析しました。具体的には、1年間を通して、いつどのような収入・支出があるのか、どこから収入を得、何に支出しているのかを検証していきました。この結果、女性の収入が少なく、その反面で女性が自ら支出するもの(子どもの衣服や食費を含む)が多いことが判明しました。また、季節のカレンダーを作成し、自然現象、病気、栽培・収穫期、儀式、一時移住の時期などを明確にしました。
 最後に、これまでの情報を基に、問題分析と行動計画作りを行いました。問題点とその影響、原因、解決策を挙げていき、その中から重要課題を住民同士の話し合いで決め、活動、やるべきアクション、責任者、実施時期を決定しました。
 この農村調査は、住民にとっても生まれ育った村をじっくり見つめ、意識的に考えることによって、今まで見落としてきたものが見えてきたり、資源を有効に使う新しい案を出し合ったりする、とても貴重な体験になりました。外からの支援を内からの資源と融合させる意識、自立を目指す意識を抵抗なく持つことができたようです。

西アフリカの食には欠かせない「ガリ」
 農村調査後、住民と共に、識字教育と収入創出のためのガリの生産性を向上させる事業を2005年1月に開始しました。
 ガリとは、西アフリカの食生活には欠かせない、キャッサバの加工品です。日本人にはパン粉のようにも見えます。キャッサバを摩り下ろし、水分を搾り出し、炒って乾燥させます。豆やご飯の上にかけたり、砂糖水とピーナッツと混ぜて子どものおやつになったりと、多様なレシピで食されます。キャッサバを粉状ににして食べる文化は、他にブラジルなどの南米をはじめ、世界の広範囲で見られます。

写真2 ガリのかかった豆ご飯
写真2 ガリのかかった豆ご飯

 2000年にベト村で活動を開始して以来、ガリの生産を小規模、不定期に支援してきましたが、伝統的なやり方で作っていたため、商品としての価値は低く、売り上げが安定しませんでした。そのため、ガリの品質向上の研修を実施。ガリの粒を細かくし、より乾燥させた状態に仕上げることができるようになりました。また、現地の他団体よりキャッサバをすりおろす機械と、乾燥させる機械の寄付を受け、大量生産を実現。また、住民が自主的に建てた加工場は、簡易的で換気が悪かったため、再建しました。
 以前に比べると、1キロ=100CFA〔セーファーフラン〕(20円)で売っていたガリが、質の向上のために1キロ=300CFA(60円)で売れるようになりました。生産量も、以前は1日当たりで約150キロだったのに対し、今では300キロを生産することが可能になりました。隣国ニジェールなどからも注文が入るほどの人気で、300キロ単位で買っていく商人もいるほどです。このベト村のアゴンドタン地域には、村の目印となる公共の建物が一つもなかったのですが、いまでは村の外からガリを求める人たちが加工場を目指して、やって来るようになりました。
 現在を市場拡大の時期と位置づけて、女性グループの資金でまかなえる以上のキャッサバを仕入れる資金をHFWが貸付金として支援、投入しています。2006年3月ごろまでには、女性グループは資金面で自立し、収益を上げることができるようになる計画です。また、その自立への意思を応援するために、2005年8月には同じ原料のキャッサバを使ったタピオカ作りの研修を行い、収入源を広げる試みもなされました。識字教育も、キャッサバ加工に関わっている女性グループのメンバーや学校に行く機会を失ってしまった青少年など、60人ほどを対象に行われています。アゴンドタン地区では識字教室として、加工場が使われており、住民の集まる場所としての認知度の高さがうかがえます。

写真3 ガリをすりおろし、水分をしぼり出す
写真3 ガリをすりおろし、水分をしぼり出す

ベト村のこれから
 ガリ作りに参加している、エミル・ダッシィ(Emile Dassi)さんは18歳から6か月までの、6人の子どもを持つ38歳のお母さんです。週3回のガリ作りの日には、朝早く起き、家事を済ませ、10時には出勤します。このキャッサバ加工事業が始まってから、エミルさんは安心して子どもたちを学校に通わせることができるようになったと言います。ガリを売った収入で、しっかり朝ごはんを食べさせてから、学校に送り出せるようになったからです。また、子どもが病気になっても、女性グループの共済費からお金を借りて、すぐに治療を受けられるようにもなりました。
 このように、始まったばかりの事業ですが、個々の家庭レベルでも、村レベルでも成果が見え始めています。女性たちの活動に勇気付けられ、男性グループも立ち上がろうとしています。農村調査中に判明したことの一つは、パーム(油ヤシ)の森が十分に活用されていないことでした。ベト村に広がるパームの森は、十数年前、ある企業が土地の所有権を主張し、村の住民を雇ってパームオイルを生産してきましたが、数年前に生産を中止、撤退して、土地を村に返還しました。男性のグループは、自らパームオイルの生産に乗り出そうとしています。さらに、母親が働きやすくなるように、そして子どもに教育の場を与えるために、幼稚園建設の計画も進んでいます。ベト村には診察所がないため、幼稚園では子どもたちの健康・栄養管理や予防接種も実施する予定です。いずれは、健康センターの建設に発展させたいと、ベト村住民は自らで資源を集める話し合いを進めているところです。住民が一体となり、村の発展を目指しています。

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