「食は愛」―穀菜食のススメ
お米パワーを命に生かす


大森一慧さん

 「自然の秩序に逆らわない食事をすれば、おのずと病気にはならない」という考え方を基に体系化された食養法“マクロビオティック(穀菜食)”が注目されている。
 明治時代に確立され、現代の自然食の根幹をなす、この食養法の基本となる食べ物が「米」。食養医学に携わる夫・大森英櫻氏とともに穀菜食を40年以上実践、東京都杉並区でクッキングスクールを開校している大森一慧さんにお話をうかがった。

―お米はなぜ身体によいのか―
 お米を食べない日本人が増えましたよね。米の1人当たり消費量は戦前の1/2に減り、その代わりに肉の消費量は6倍、牛乳は27倍にも増えています。加工食品やファストフードなども登場し、食生活は一見して豊かになったように感じますが、その結果、生活習慣病やアレルギー体質の人が増え、多くの人が身体に不調を訴えるようになりました。
 日本には縄文時代から稲作文化が根付き、人間に必要な栄養素をバランスよく含んだ米がすくすくと育つ気候風土があるのに、もったいないことです。
 穀菜食では、健康な人間が身体を維持するために、主食である米を6、野菜や海藻、魚などの副食を4の割合で摂取することが望ましいとされています。
 これは、人間の歯の構造からも立証できます。人間の歯は犬歯が4本、門歯が8本、そして臼歯が20本生えています。穀物をすり潰して食べる臼歯が約6割なのですから、人間は元来、穀類を中心に食べるのが自然な草食動物であるといえるのです。
 また、人間が身体を維持するのに必要な糖質は、人体を構成する全成分の6、7割といわれますが、米に含まれる糖質(炭水化物)も、米の全成分の7割ほど。ほかの栄養分も、人間の身体成分とほぼ同じ割合で含まれています。最近は、おかずばかりで米を食べない人も増えていますが、やはり米を主に食べた方が、バランスのとれた身体が維持できるのです。
 また、栄養面だけでなく、土地の狭い日本では、米は効率的にエネルギーを生み出す食物としても最適です。
 米の場合は水田で育ったら、乾燥させて炊くだけで、人間の体内でエネルギーに変えることができます。一方、畜産物、とくに肉の場合、人間がエネルギーを得るためにはまず、その動物に食べさせるための飼料を育てることが必要となります。狭い日本で、飼料をたくさん育てることはできません。それで、たいへんな量のトウモロコシなどの飼料を輸入しているわけです。
「主食」というのは、その土地に育つ主産物を意味します。日本の場合、いくら消費量が減っているといっても、やはり米が主食であることはいうまでもありません。

―「身土不二」と「一物全体」―


当日のクッキングスクールで作られた料理。
玄米ご飯とおすまし、ライスコロッケ、ひじきとレンコンの煮物、ダイコンなます。
「穀菜食というと、味はまずいと思う人もいるようですが、
旬の食材をおいしくいただくことが、いちばんなんですよ」 

 穀菜食では、その土地の旬の食べ物を食べる「身土不二」と、一つのものを丸ごと食べる「一物全体」が基本となります。
 身土不二とは、身体(身)と環境(土)は切り離せない(不二)、その土地に暮らす人と同じ環境で育ち、同じ生理機能を持ったものを食べることが大切だという考え方です。
 たとえば、今年は猛暑で、糖度の高い果物が豊富に取れましたが、あの暑さのなかで暮らすためには、体を冷やす、これらの果物が多く必要だったということ。逆に昨年は雨ばかりで糖度が低かったのですが、その年は気温も低く、体を冷やす果物が少ないことで、健康を維持できたということ。人間の生理機能はすべて、自然と結び付いているのです。


日本で古来から食べられてきた穀物。
上段;右からダイズ、アズキ。
下段;右から三分づき米、玄米、麦。

 日本の気候風土にもっとも適応し、昔から栽培され続けてきた米は、身土不二の観点からも、欠かせない食べ物です。とくに秋は、夏の暑さでエネルギーを使い果たし、冬の寒さに備えてエネルギーを蓄え直す時期。収穫したてのお米をたくさん食べたいものです。
 一物全体とは、一つの食物を丸ごとすべて食べることによって、その食物が生きていくためのすべての栄養素、つまり生命力が摂取できるという考え方です。たとえば、ニンジンやダイコンなら皮はむかずに、葉も調理して食べる。葉は炒めたり佃煮にしたりすれば、おいしく食べられますし、カルシウムやカロチン、食物繊維もバランス良く含まれています。このごろは一つの栄養素のみをクローズアップしていますが、一物全体の食生活をすれば、その食べ物にどんな栄養素が含まれているのかと気にする必要もないのです。
 米の場合も、白米より玄米を食べることをおすすめします。玄米は播けば芽が出ます。1粒で300倍にも子孫を殖やせる玄米には、強靭な生命力が宿っています。栄養学的に見ても、糠や胚芽にはビタミンやミネラルが豊富に含まれています。
 こうして、「生命力」を「いただく」ということから、玄米が理想なのですが、最近は玄米はおろか、白米すら食べない人がいるのが現実です。まずは、とにかく白米を食べることから、そして次のステップとして白米に雑穀や豆、玄米を加えて炊いてみる。慣れてきたら、とりあえず、毎日でなくても完全な玄米食を口にしてみてはどうでしょうか。無理は禁物。お米への感謝の気持ちがなくなってしまいます。
 近年、クローズアップされている発芽玄米は、玄米の芽を出して、食べやすくしたものです。人間のお産と同じで、植物は発芽するときに膨大なエネルギーを消費してしまうので、やはり玄米のほうがおすすめ。ただ、発芽玄米は白米と同様の方法で炊けるので、使いやすさがあるのでしょうか。

―自国のものを食べよう―
 身土不二にもつながることですが、穀菜食にはもう一つの基本があります。
 それは、食べ物にはすべて「陰」と「陽」という力が働いているということ。簡単にいえば、陰性の食べ物には身体を冷やす力、陽性の食べ物には温める力があります。トマトやナス、それにキュウリなどのナス科やウリ科の野菜は陰性、ダイコンやゴボウ、レンコンなどの根菜類は陽性です。
 人間がもっともよい状態を維持するには、陰と陽の中間である「中庸」を保つことが大切です。暑い夏、つまり陽には陰性の食物を、寒い冬、つまり陰には陽性の食べ物を摂取することで、身体を中庸に保てます。
 そこにはもちろん、地域ごとの気候も影響します。九州の人が東北で育った根菜類ばかりを食べていたり、逆に東北の人が九州でできた葉菜類ばかりを食べていたら、地域特有の暑さや寒さを乗りきれません。もちろん、輸入作物などはもってのほかです。南国産のバナナやコーヒーなどは陰性の強い食べ物。その土地のものはその土地で食べてこそ、真価を発揮するのです。
 これからの農業は、単一作物を大々的に出荷する法人経営と、少量だけれども、その土地の気候風土を生かした、良質のものを作る個人経営に分極すると思います。私自身は、ファーマーズマーケットなどを拠点に、少量多品目を栽培する個人経営を応援したいですね。
 近ごろは、日本になかった洋野菜や香辛料にとびつく風潮があります。しかし、栄養面からいえば、日本で昔から作られてきたものを食べたほうが、身体に良いのです。たとえば香辛料ならば、日本には古来からショウガやミョウガ、ワサビなどがあるのです。地域の気候風土に根付いてきた伝統野菜や、その野菜を利用した郷土料理は忘れられる風潮にありますが、こうしたものを見直すことが大事だと思います。
 なお、米をはじめとした穀類は、陰でも陽でもない中庸の食べ物です。だいたいは、植物性食品は陰のものが多く、動物性食品は陽です。副菜で陰と陽のバランスが偏ってしまったとしても、中庸である米を6割ほど食べることで、食の全体として、ある程度バランスを保つことができます。
 また、日本には一汁三菜という言葉があります。ご飯を食べれば、自然とみそ汁やおかずが欲しくなります。みそは陽性ですが、みそ汁には具としてダイコンや菜っ葉類など、季節の野菜が加わり中庸になるだけでなく、栄養的にも、ご飯とみそ汁は相性が良く完璧です。また、ご飯ならば副菜にしても、おひたしや煮物、洋風のコロッケでもソテーでも、すべてのおかずに合います。

―景観保存としての「米」―

 
スクールには各地から取り寄せられた、みそや調味料、穀類などが所狭しと並ぶ。

 米の優れた点は、ほかにもたくさんあります。ご飯はお米の粒です。パンやパスタは麦を挽いた粉を材料にします。粉に加工することで生命力は失われ、酸化も早く進みます。
 また、米は景観保存の観点からも大切です。いま日本から水田がなくなってしまったら、たちまち各地で頻繁に洪水が起こりそうです。気候も変わってくるでしょう。水田や田畑は、食料を作り出すだけでなく、そこに暮らす人たちの環境や文化をも、形づくっているのです。田植え後の五月晴、夏に田面をわたる涼しい風、秋晴のもと波うつ黄金色の稲穂。水田のあるランドスケープは本当に日本の文化そのものです。
 日本は農業離れが進む一方。これは、農業に対する価値観が低く、労働に見合うだけの収入がないことが原因です。「国産品は高い」と、安価な輸入野菜ばかりを購入する消費者がいますが、食べ物の場合、いくら高いといっても、100円か200円ほどのこと。身体に合わない安い物を食べて免疫力が弱くなり、医者にかかることを考えれば、けっして高いものではないはずです。
 私は、つねづね「食は愛である」と思っています。愛とは命の源であり、生きることのすべてです。命を生み出している農業を、もっともっと価値あるものとして、国をあげて認識すべきだと思います。
 消費者は良質のものを妥当な額で購入し、生産者も需要に合わせて、良質の食べ物を提供する。価値を認め合って、お互い幸せに暮らしていきたいものですね。

(文責 農業ジャーナリスト 天野和香子)

前のページに戻る