2004年国際コメ年

未来に向けたIRRIの挑戦


国際稲研究所 柳原誠司

IRRIの歴史


IRRIの名称の下に AN EDUCATIONAL AND  RESEARCH CENTER の文字が見える。

 国際稲研究所(IRRI)はフォード、ロックフェラーの両財団によって、1960年に創設された。その目的は稲作農家と低所得層のコメ消費者の生活を、現在から未来にかけて改善するための教育と研究である。IRRI(International Rice Research Institute)の名前からは、研究が主眼と思われがちだが、IRRIのプレートには「教育と研究の場」(AN EDUCATIONAL AND RESEARCH CENTER)であることが、しっかりと刻まれている。「緑の革命」の立て役者として有名な育種研究の影に隠れてしまいがちではあるが、このような地道な教育の場としての歴史もIRRIの存在意義を支えてきたといえる。
 IRRIが使用している土地は、フィリピン政府が格安の地代で貸与してきた。当時の大統領は、現アロヨ大統領の父君であるマガパガル氏であった。1999年には、IRRI創設40周年記念式典がマラカニアン宮殿で開かれ、当時の大統領であったエストラーダ氏によって25年間の土地貸与の延長が認められた。

IRRIの所在地
 IRRIはニノイアキノ国際空港から南東に約1時間半、約65km離れた場所にある。手紙や宅配便などの連絡先の住所から、よくマニラ首都圏内にあると誤解されるが、実はラグナ州のロスバニョスにある。このロスバニョスとは熱い水、すなわち温泉を意味しており、由来はすぐ脇にそびえる休火山のマッキリン山の恵みによる。隣接する町、カランバに続く道路沿いには温泉プール付きリゾートが多数あり、12月から5月にかけての乾期には観光客で道路が非常に混雑する。また、ロスバニョスはフィリピン大学ロスバニョス校のある学園町でもあり、IRRIはこのキャンパスの一角にある。

IRRIにおける過去の成果
 IRRIの最大の成果は、半矮性遺伝子と肥料反応性を取り入れたIR8の開発である。これにより、肥料投下とコメの収量を直接に結び付けることに成功した。また、その改良型として多面的な病害虫耐性を導入したIR36により、「イネ版 緑の革命」が完成したとされる。IRRIではかつてIRを冠した通し番号で、品種を送り出していたが、品種育成ではなく遺伝資源の配付という観点から、現在では系統名で発表している。このため、IRRIにおける育種プログラムは終了したという誤解を受ける場合があるが、現在でもしっかりと続けられている。


長期連用試験圃場

 IRRIではこの他、遺伝資源の収集・保存・評価や長期連用試験圃場を用いた連作障害の原因解明や、農薬・肥料の効率的な使用法の普及、生物多様性を利用した病害の抑制、飽和状態であった灌漑条件での収量性向上のための熱帯・亜熱帯向けのハイブリッドライスの育成や普及、アジアにおけるコメの流通と貧困の解析など、広範囲で成果を挙げている。

日本とIRRI
 日本からの人的資源としては、設立時から理事となった木原均博士をはじめ、日本人として初めて理事長を務めた逸見謙三博士、現理事長を務める大塚啓二郎博士他、これまでに12名の高名な研究者を理事として選出してきた。また、27名の日本人研究者が国際雇用職員として研究を行ってきたほか、六十余名が短期滞在、あるいは博士研究者など、さまざまな形でIRRIに足跡を残してきている。
 1990年からは、IRRIと日本の試験研究機関や大学が組織的に研究交流を行えるよう、日本からの拠出金を基にIRRI―日本シャトル研究が開始されたが、財政難により2001年をもって終了した。資金面では、日本が71年に拠出を開始して以来、94年に至るまで、着実にその金額が伸びていた。記録によれば、94年には総額で約1000万ドルが拠出されている。その後はバブル経済の崩壊による経済悪化に伴い、わずかずつ減少してきたが、2002年には突如として300万ドル台に落ち込んだ。日本からの拠出は主として経常研究と運営の資金として活用されていたため、その影響は経常研究費の減少や職員の大幅な解雇となって現れた。

表1 現在と2050年の世界人口上位10か国(推計値)

2004年 2050年
中 国 1313.30(100万人) インド 1531.40(100万人)
インド 1081.20 中 国 1395.20
アメリカ 297.00 アメリカ 408.70
インドネシア 222.60 パキスタン 348.70
ブラジル 180.70 インドネシア 293.80
パキスタン 157.30 ナイジェリア 258.50
バングラデシュ 149.70 バングラデシュ 254.60
ロシア 142.40 ブラジル 233.10
日 本 127.80 エチオピア 171.00
ナイジェリア 127.10 コンゴ民主共和国 151.60
出所:2004年9月16日付、読売新聞。

今後の課題
 以上、IRRIの生い立ちや成果、日本との結び付きを紹介してきた。では、IRRIが対処すべき今後の問題とは何であろうか? 折しも、今年は1966年以来、2度目の国際コメ年である。「Rice is Life(おコメ、私たちの命)」の標語の下、世界各地でコメに対する認識を高めようと、さまざまな催しが行われている。
 日本でも11月4日から7日にかけて、東京・赤坂プリンスホテルでの開会式および基調講演を皮切りに、つくば市で世界イネ研究会議が開催される。なぜ、今コメなのか? それは、今後見込まれる世界人口の増加に備えた食糧の増産と確保、とくにアジア地域における零細な農家の所得向上、生活基盤の安定の礎としてコメが欠かせない存在であることが挙げられる。1人当たりの年間コメ消費量が60kgを割り込んだ日本に比べ、アジア諸国でのコメの消費はその倍ほどになる。
 この原稿を準備している間に、今年度の世界人口が63.7億人であるという発表を国連人口基金が行った。このなかでのシミュレーションでは、2050年には世界人口は89億人に達すると述べている(表1↑参照)。国別の数値をみると、上位に含まれるアジア地域内だけで約7億人が増える。上位に含まれない国々を含めれば、その数はさらに増える。この人口増に対処するために、コメの増産は欠かせない。では、このために貢献できそうな、主な活動を紹介してみたい。

灌漑水田
 灌漑施設の整った水田は、イネが生育する環境としては最適であり、イネの作付面積のなかでもっとも広い。しかし、そのような環境であっても、イネの収量性は国や地域によって差があり、一様とは言い難い。この差を高い水準で横並びにすることが、コメの総生産量を増加させることにつながる。
 このために、IRRIでは農家の栽培方法の向上を目的として、イネの知識銀行をホームページに立ち上げた。収量の高い地域での、頭打ち状態を打開することも重要な試みである。ハイブリッドライスはそのなかでも有望視されるが、品質が課題であった。しかし、これも両親の品質向上により解決されつつある。
 稲作の灌漑には大量の水を必要とするため、同じく大量の水を必要とする工業化が進んだ場合、農業用水と工業用水の競合が起こる。すでに、中国では問題となっており、IRRIでは節水栽培の可能な遺伝資源の開発にも取り組んでいる。

天水田
 灌漑施設のない水田では、雨水に頼った水田作となる。したがって、雨が降らなければ 乾燥害が、雨が多すぎれば洪水による冠水害、あるいは深水害が起こる。しかも降水量は年ごとに変動するので、対応するためには綿密な予測・計算を基にした土木工事に頼ると共に、育種による遺伝的な改良や少しでも植物のストレス耐性を高める栽培技術の開発が課題である。
 IRRIでは、前述の節水栽培イネの流用も考慮しつつ、乾燥ストレスの生理学的なメカニズムや遺伝子発現を研究すると共に、育種プログラムを進めている。一方、冠水害や深水抵抗性についても、標識遺伝子を用いた、冠水抵抗性遺伝子の導入や水深50cmでも通常の栽培条件と変わらない生育と収量を示す遺伝資源の育成に力を注いでいる。

多面的に応用できる技術
 IRRIでは環境ごとに対応するばかりでなく、全般に応用できる技術情報として、栄養面での付加価値の付与や遺伝子の機能解明、新しい対立遺伝子の探索も、将来に向けた重要な課題と位置づけている。
 栄養面での付加価値とはビタミンや鉄や亜鉛といった、貧困層の粗末な食生活では不足しがちな成分を強化することである。これにより、貧しい零細農家の子どもたちや婦人の栄養状態の改善に貢献できる。このために、IRRIでは研究部門の副所長直轄の品質研究室を設置し、今後の展開を図っている。
 機能解析では、顕微鏡用のスライドガラス程度のガラス板に何千もの既知の遺伝子を張り付け、植物の状態によって、どの遺伝子が活性化するのかを明らかにし、遺伝資源の開発に活かそうとしている。現在、とくに乾燥耐性のメカニズムに力を入れているが、他の形質にも応用が可能であり、今後が期待される。

立ちふさがる問題
 IRRIには膨大な遺伝資源があるが、そこから研究者が必要な材料を見つけだすのは容易なことではない。IRRIは国際的なネットワークのなかで、改良された遺伝資源を広く交換することによって、ネットワーク参加国の全体的な底上げを図ってきた。しかし、最近の知的所有権の問題から、そうした活動に難色を示す国が増えてきている。それらの国々をどのようにとりまとめて、コメの生産向上に活かしていくのかも、これからの大きな課題であろう。

おわりに
 以上、非常に簡単ではあるが、IRRIの概要と世界、とくにアジアで危惧される問題に対処するためのIRRIの活動について紹介してきた。筆者は、2000年10月から4年間IRRIに滞在し、深水イネや冠水抵抗性、問題土壌耐性、低温障害耐性の育種活動を担ってきた。
 しかし、近年の深水イネの栽培面積減少と共にプログラムは終了し、課題は他のプログラムに分散されることとなった。こうした研究の絞り込みといった動きが、国際コメ年のこの年に重なるということは、今後のイネの生産性向上のためには、より重点的な効率の良い研究予算の配分を目指してゆかなければならないという、抜き差しならぬ事態を象徴しているように思える。
 国際機関への拠出金に比して、人材が少ないという指摘がよく挙がる。しかし研究分野の場合、人材を増やしても、その活動に対する日本からの資金援助がないのであれば、体系的・継続的な研究を遂行することは難しい。競争資金の獲得には、時間が必要な場合があるし、偶然に左右される場合もある。人材を援助できる予算がないのであれば、国際的な競争資金の獲得のためのトレーニングの導入が必要であろう。

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