水と農と食料のランドスケープ


石川幹子(いしかわ みきこ)


東京大学農学部卒業、ハーバード大学デザイン学部大学院卒業。東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。農学博士、技術士(建設部門、都市および地方計画)。東京都都市計画地方審議会委員、東京都公園審議会委員など。現在、慶應義塾大学環境情報学部教授。横浜市緑の審議会委員。約200の市町村の水と緑の計画、設計に携わる。2001年、日本都市計画学会論文賞。著書に『都市と緑地』(岩波書店)、『緑地環境科学』(朝倉書店)など。


レスター・ブラウン


1934年、ニュージャージー州生まれ。ラトガーズ大学、ハーバード大学で農学・行政学を修める。農務省にて国際農業開発局長を務める。74年、地球環境問題に取り組むワールドウォッチ研究所を創設。84年には『地球白書』を創刊。2001年5月、アースポリシー研究所を創設して所長に就任。
著書に『エコ・エコノミー』『プランB』など。94年、旭硝子財団よりブループラネット賞受賞。

レスター・ブラウン まず、水と農業といった点からお話しいたします。私たちの標準的な生活では、1日におよそ4リットルの水を飲みます。それは、飲み水にかぎらず紅茶であったりビールであったりします。これだけでは暮らせません。つまり、1日に口にする食料を生産するのに2000リットルの水を必要とします。こうした数字を認識している方は少ないでしょう。
 世界の農業は、食料を生産するために膨大な量の水を必要としています。河川水や地下水のほぼ70%は灌漑用水に、残りは20%が工業用水、10%が生活用水になっています。世界の三大穀物生産国のアメリカ、中国、インドでも、各地で農業用水が不足してきています。これには、過剰な揚水で地下水位が低下していることに加えて、工業用水や生活用水の需要の増大が、農業用水の転用へのプレッシャーになっていることも影響しています。たとえば、カリフォルニアには「緑豊かな都市」が点在していますが、サンディエゴ、ロサンゼルス、デンバー、フェニックスなどは農業用水の水利権を買い付けて、非農業部門の水需要に対応しています。水の需給が不足という方向にあるのはまちがいなく、こうした地域の都市も灌漑農業も「脆弱な緑のランドスケープ」といえます。

 シンガポールではマレーシアからの水に依存しています。そのマレーシアが水価格を引き上げる意向をもっているということで、シンガポールは水のリサイクルに取り組みました。下水を6か所の処理場に集めて改質をして、工業用水として売るわけです。リサイクルの過程で数パーセントは蒸発のロスがあるようですが、この中水道によって飲用の上水道の水を確保しています。

 先進国のトイレは一般的には水洗ですが、これは大量の水を必要とします。また、下水関連のインフラ整備は大きな経済的負担になります。そこで、もう一つの選択肢としてコンポスト型トイレがあります。これはスウェーデンに始まったのですが、小型のコンポスト容器につながっていて水を使いません。発酵によって体積は10%ほどになり、肥料として使えます。アメリカの環境保護局では数種類の推奨型をリストアップしています。中国の農村でも導入されるようになりました。

石川幹子 私はブラウン先生ほど世界を歩いてきたわけではありませんので、自分の住んでいる東京の水構造をお話しいたします。
 東京はもともとは江戸とよばれていましたが、徳川によってその江戸が開かれてほぼ半世紀後の17世紀半ばに玉川上水が開削されました。武蔵野台地の東端にあった江戸では水を得るのがむずかしく、また江戸城より江戸湾にかけての低地では塩水があり、やはり飲料水を得ることがむずかしかったのです。多摩川の水を取水して40キロ強の堀で水をもたらす玉川上水は、以来、江戸、そして東京の人口を支えてきましたが、1930年代の初めにいよいよ300万の人口を支えきれず、多摩川源流部に小河内ダムの建設計画が持ち出されました。戦後、いくつもの大きなダムが計画され、東京から100キロ圏にはたくさん建設されました。とりわけ、東京オリンピックという「復興日本」のメンツにかけた大イベントは建設に拍車をかけました。利根川の貫流する埼玉県に利根大堰が建設され、ここを取水口とする武蔵水路が東京へ水を供給するようになりました。
 ダム、高速道路、新幹線、地下鉄など国家の威信をかけたものですから、がむしゃらに進められました。いずれも、今日のランドスケープに大きく影響しています。この折に利根川水系を東京の水の供給源に加えたことで、東京はよりいっそう肥大します。人口はおよそ1200万ですが、いわゆる東京圏では3000万ほどが住んでいるわけです。人の集中は、水の集中なくしてはありえないことです。

ブラウン 私は先週、北京におりました。彼らも深刻な水問題を抱えています。中国北部における水問題の当局の報告書を読みましたが、北京の下は1000メートル掘らないと地下水層に達しません。大運河で南の水を北へ調達するという計画もありましたが、大変なコストでしょう。

石川 水の問題は川が干上がったとか、ダムの貯水量が極端に減ったという目に見える現象は別にして、一般の人々には見えにくいことです。東京の下町はかつては木造密集地帯でしたが、地下は沖積層という非常に軟弱な地盤です。ここは街工場もたくさんあって、60年代には地下水をどんどん汲み上げました。結果として広域地盤沈下が起りました。これは2つのことをもたらしました。1つは、洪水に備えて、広範な海抜ゼロメートル地帯を堤防で囲う必要があることです。もう1つは、浅層の地下水がなくなってしまったわけですから、浅井戸も使えなくなったことです。
 コンクリートやアスファルトで地表がおおいつくされて、雨水が地下に浸透できませんから、浅井戸も復活しない。また、工業化によって、深層の地下水もどんどん汲み上げてしまった。水は全て外部に依存しなければ、東京の生活は成り立たない。表流水も多摩川水系という、いわば自前の水ガメではとても足りず、利根川水系というよそ様の水ガメに依存しています。先にもお話ししましたように、水ガメとしてダムを建設することによって、他県のランドスケープにも大きな影響を与えています。
 私は、東京はもっと雨水を利用すべきだと思います。雨水と汚水を同じ下水管で集水していく現在の合流式システムを修復していく必要があります。人間のみならず生態系にも豊かな水が必要です。それは飲めるほどの水質でなくてかまわないのです。横浜では校庭を雨水の集水に利用するとか、個人世帯の雨水貯水タンクに補助金を出すといった試みがスタートしています。世帯も学校も、現在は一方的に給水を受けて、使って流す、それが水政策のスタンスであったのです。この一方的な受け身を変えて、自ら集水するという基本的変革が必要なのが21世紀です。

ブラウン 都市の極端な水不足では、中東に位置するイエメンの首都サヌアの事例があります。政府は首都の水を確保するために2000メートルもの井戸を掘りましたが水は出ませんでした。このサヌアの地下水は2010年までに枯渇するというのが世界銀行の予測です。さて、イエメンの選択肢は2つです。淡水化プラントと給水パイプラインを建設するのか、首都を移転するのか、いずれも大変なコストです。
 パキスタンも深刻です。イスラマバードやラワルピンディでは井戸の地下水位が毎年1〜2メートル低下しています。アフガニスタンに近いバルーチスタン州の州都クウェッタも毎年3メートル以上も低下していて、15年以内に水がなくなるという予測もあります。イランの東部地域でも、地下水位が低下して「水難民」が出ています。

石川 そうした乾燥地帯に比べれば、モンスーンアジアに位置する日本は恵まれています。ただ概して急峻な地形で、降水も季節的に限定されていますので、水田のための利水事業が昔から行われ、用水の管理・維持も農村共同体が担ってきました。戦後の高度成長期に農家の兼業化が進み、この農村共同体の絆が非常に弱くなりました。そうなると、農業用水路の維持がむずかしくなってきます。そこで進められたのが、コンクリートで3面張りする水路の近代化です。とても便利でした。
 しかし、人々はやがて気づきはじめたのです。「メダカがいない、ザリガニがいない」「ホタルがいない」と。里山、そして水田は農山村がつくり出した、いわば二次的な、しかし豊かな自然であったのです。失われた生物多様性を取りもどす動きが、今日、全国に広まっています。農村はもちろん、郊外にわずかに残された谷地や用水路でも、さまざまな試みがなされています。流域に存在する山村、農村、そして都市でも、そうした試みが生物のコリダー(回廊)をつなげていき、ズタズタにされていたランドスケープも修復されていくのではないでしょうか。そうなれば、あるいはその過程で都市の人々も非常に大きな、豊かな自然の中に、自分たちは「生かされている」ことが分かるでしょう。

 実際、こういうことがありました。東京のある臨海地に企業が土地を取得していました。しばらく、放置されていたのです。土地のくぼみには水がたまりますし、草もたくさん生える。そうなると海鳥がやってきて、海辺の自然というものが少しずつもどってくるわけです。一帯はもともと木造密集地で、たくさんの人々が住んでいるのですが、この自然の回復を実際に目にして、ここを東京都が企業から買い取るようにと強力な市民運動を立ち上げました。東京都自体も気がつきました。都は臨海地に下水処理場をはじめ、大きな施設を所有しています。それなら、自ら海辺のハビタート(生息地)を創成してみようということになりました。
 また、川崎には大企業の工場がたくさんあります。そうしたところでは、CSR(企業の社会的責任)として、どのような環境貢献ができるかという模索が一部で始まっているようです。広大な工場の跡地を住宅に再生しようというプランもあります。そのプランに、エコロジカル・プランニングあるいは水循環プログラムをどのようにリンクさせていくか、これも大きな課題です。
 私たちは明確なビジョンを提示しました。市民、専門家、行政とが一緒にビジョンの具体化を協議しています。海生生態系と陸生生態系との境界である、このエコトーンの再生プランを生物コリダーの創成として考えていけば、東京のベイエリアは新しい都市モデルになりそうです。

《アフガニスタン、イラクなどを報道番組の画像で見ると、そのランドスケープはまさに荒涼としている。人間が普通に生きていくことが、大変にむずかしそうである。食べ物を生産できるランドスケープ、つまり人が食べていけるエディブル(edible;食べられる)・ランドスケープにお話しを転じていただいた。》

ブラウン 都市でのエディブル・ランドスケープといえば、ガーデニングが考えられます。

石川 この10年ほどでしょうか、日本ではクラインガルテンに人気があります。原型は20世紀初めごろにドイツで始まりました。街の周囲に小さな畑を市が貸し出したもので、市民はここで野菜や花や果実を作ったりする。もともとは、19世紀の初めにドイツの医師であったシュレーバー博士が提唱したものです。当時は労働環境が悪く健康のために屋外での農作業を導入したのです。また、子どもたちにもそこで自然に触れるという配慮があったのです。
 これが戦前に日本に紹介されて、最初の市民農園は昭和15年ころに東京にできています。ただ当時の東京市では期せずして、今風にいえばキッチンガーデンがあり、ちょっとした野菜くらいは作っていました。こうした庭と、さらに雨水の集水タンクがあれば、エディブル・ランドスケープの原点ともいえます。もっとも、今の東京では地価が高くて、とても無理な話です。
 また、郊外も従来は都市と農村の中間帯として、エディブル・ランドスケープであったわけですが、高度成長期に宅地需要にこたえる形で崩壊してゆきました。兼業農家が兼業すらやめて、近郊の農村共同体もほぼ解体されたのです。
 ブラウン先生にぜひお聞きしたいのですが、中東において持続可能なエディブル・ランドスケープは考えられますか。

ブラウン おそらく、簡単なことではありません。たとえば、サウジアラビアでは化石帯水層からの揚水で小麦生産を維持しようとしました。オイルマネーを財源に高水準な価格維持政策を続けましたが、財政事情で縮小せざるを得ませんでした。こうした補助金事情に加えて、化石帯水層の水はすでに半分になってしまっているという見方もあります。そうなると、この国の灌漑農業も10年もつか分かりません。いまでは、エジプトと共に小麦の世界的輸入国になっています。
 アルジェリアも穀物の自給率は25%ほどにすぎません。水資源の制約があり穀物が増産できない、オイルマネーを穀物輸入に充てられる、人口が安定せずに増加を続けている―こういったバックグラウンドが、中東ではほぼ共通していて穀物輸入、つまりはヴァーチャル・ウォーターの輸入が増加しています。2000年の推計値ですが、中東が輸入した穀物をはじめとする食料を生産するのに要した水の量はナイル川の年間流量に相当するとされています。
 いまから6000年ほど前の古代シュメール文明は、近代の灌漑農業への大きな教訓を残して消えていきました。高度な灌漑技術により多量の余剰食料を生産し、都市をつくり、世界最初の文字である楔形文字を生み、車輪も発明しました。しかし、灌漑がもたらす塩類集積が理解できなかったのです。排水を十分にしないと、灌漑によって地下水位が少しずつ上昇してきます。地表から数十センチに達すると根の深い植物に影響が出ます。10センチ前後まで上昇すると、水が蒸発を始めます。水に含まれた塩類は土壌に残ります。シュメールでは小麦から塩類に強い大麦へ生産をシフトさせていくのですが、ユーフラテス川流域の降水量が極端に減少して農業経済は大打撃を受けて、シュメール文明というエディブル・ランドスケープは消えて、廃墟が残りました。彼らには灌漑システムの欠陥である地下水位の上昇が理解できず、対応が取れませんでした。「神の怒り」と思っていたかもしれません。今日の経済システムの欠陥が大気中のCO2濃度の上昇であることは、多くの人々が理解しています。しかし、多くの人々は行動を起こしません。

石川 シュメール文明の廃墟が何を語りかけているのか、―そのように翻訳していただくと分かりやすいですね。
 さて、世界にはさまざまな形態の持続可能な農業が残っています。たとえば日本の水田、欧州のブドウ農園やオリーブ農園などがあります。友人の文化人類学者がペルーの先住民の農業を研究しているのですが、トマトでもバレイショでも在来種が非常に豊富です。アンデスという急峻な地形のなかで、土壌もちがいます。太陽のあたり方もちがいます。それに応じて、さまざまな品種が生み出され、市場に並びます。厳しい条件のなかでも、持続可能な農業があるわけです。こうした数世紀にもわたって持続されてきたエディブル・ランドスケープの中核にある農業システムについて、「何故に持続可能なのか」をしっかりと理解しなければいけない。
 日本人の今の一番の問題は弥生時代以来、営々と築き上げてきた水田という農業システムをほとんど無視して、不要なものとして見捨ててきてしまった。たとえば、郊外の農村、用水路、いや農業・農村それ自体のもつ意味を、この20〜30年忘れたか、無視してきたのです。多分、まだ遅くはないと思っています。私たちは考えて、その意味を取りもどさないといけない。食料だけのためではなく、水、生物多様性、そして私たちの文化のためにもです。

ブラウン 歴史的に見ますと、農業の持続可能性というのは地域的な問題でありました。現在は、これが国際的な問題に変化しています。先ほどのバーチャル・ウォーターがそうです。1トンの穀物を生産するのに1000トンの水が必要とされています。中東ではもう1本のナイル川の水を穀物として、国境を越えて移入しているわけです。
 もう1つは気候変動です。IRRI(国際稲研究所)とアメリカ農務省の研究によれば、穀物の生育期の気温が本来の最適値よりも1℃上昇するごとに10%の減収になります。今日の世界の穀物在庫が近年にない低水準に落ち込んでいるのは、各地で起こる熱波が大きな原因となっています。

石川 地域で工夫しても、地球的に温度が上がってしまえば、どうにもならないわけですね。環境の問題というのはあるところまでは気がつかないで、突然、クライシスになって、全てが崩壊してしまう。それが、環境という問題の一番危ないところというか、非常に重要な点だと思います。

ブラウン 地下水で考えてみましょう。20世紀後半に人口は2倍になり、水の需要は3倍になりました。地下水の持続可能な揚水量は増えません。地下水位が低下するのは、実はこの限界を超えて揚水した結果なのです。過剰揚水は、初めは地下水位のわずかな低下をもたらします。人口増加と共に、年々、低下幅が増大してゆきます。しかし、こうした定点観測を長年やっているような例は世界的に見れば稀です。目に見えないところで、加速度的に低下しているのです。それも世界同時進行です。
 そして、目に見えなかったことが突然、眼前に現れる。それは世界的な食料価格の上昇としてです。私は1年か2年かで、そうなると考えています。まず水不足、そして気温の上昇、さらに毎年7000万増える人口が、食料の需給バランスを崩していくでしょう。地域によって程度に差こそあれ、「バイオマスの豊かなランドスケープ」から、「バイオマスの少ない、乾燥したランドスケープ」が広がりそうです。それを防ぐために、世界規模で直ちに取り組むべきときです。

(2004年6月3日実施 文責編集事務局)

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