ランドスケープとコモンズ

 
宇沢弘文(うざわ ひろふみ)
1928年、鳥取県生まれ。東京大学理学部数学科から、56年、スタンフォード大学助手。64年、シカゴ大学教授。69年、東京大学教授を経て、現在、同志社大学社会的共通資本研究センター長。東京大学名誉教授。日本学士院会員。83年、文化功労者。97年、文化勲章受賞。著書に『自動車の社会的費用』『「成田」とはなにか』『宇沢弘文著作集―新しい経済学を求めて(全12巻)』『地球温暖化を考える』(岩波書店)など。

―英語のランドスケープ(landscape)を調べていきますと、ドイツ語のラントシャフト(landschaft)にたどりつきます。そのラントの概念が、日本では正確に理解されていないようですが。

宇沢弘文 経済学の原点といえるアダム・スミスの『国富論』(1776)の原タイトルは“Wealth of Nations”ですけれども、彼はその中で、ネーションというのは国土と国民を総体としてとらえたものであって、ステート、つまり統治機構としての国家ではないということを、繰り返し強調しています。そしてドイツ語のラントというのは、もともとネーションと同じような意味があるのです。したがって、ラントシャフトというのはまさに国土と国民を総体としてとらえた概念と理解すべきなのでしょう。その場合のラントというのは、基本的には自然界と自然環境が豊かに、持続的に存在している農村ですね。都市は、人為的な改変を加えて、いわゆる自然がほとんど残らない。
 そのラントの中心は森林です。ドイツには森林官という、非常に社会的地位の高い職業があります。昔は王家の森を管理していたのです。日本でも営林署というのがあります。明治になってから天皇家の財産として森林を守る。それは、必ずしも天皇個人のものではなくて、日本に伝えられている伝統的な歴史的な自然という意味での森林を維持・運営するという営林です。そうした、いわば官の営林に対して、農民、つまり民も森林を守り、利用してきており、それが入会として残っています。

― 入会はコモンズと呼ばれているようですが、このコモンズは一義的には共有地と理解して、よろしいのでしょうか。
宇沢 生物学者であったハーディングの「共有地の悲劇(Tragedy of Commons)」が20世紀半ばにサイエンス誌に発表されますが、そこではコモンズはまさに共有地です。しかし、その後はもう少し意味が広がりまして、社会的共通資本と理解されるようになりました。1980年代に英米の法制学者やエコロジストがコモンズ学会を創設しますが、そこでは日本の入会が必ずといっていいほど取り上げられます。「結」「繋」「寄合田」もコモンズです。イランやイラク、つまりかつてのペルシャ一帯は水不足地域ですが、ここではカナートと呼ばれる地下用水路がコモンズといえます。 コモンズ学会の会長になりましたマーガレット・マッキーンという政治学者は日本に留学した折に、岩手県二戸郡の小繋の入会を勉強しています。自然条件の厳しい東北地方では村の生活、農の営みに森林の入会は不可欠だったのでしょう。歴史的にみれば1816年に明治政府によって土地の官民有区分が始まり、あいまいだった入会地の所有が明確化され、さらに地主階層が強力になり、国の営林体制が確立されていく過程で、農民の入会地が狭められていきました。コモンズが奪われていったわけです。

― ランドスケープとコモンズの関係を教えて下さいますか。

宇沢 優れたランドスケープは、それ自体がコモンズといえます。また優れたランドスケープの一要素としてコモンズが欠かせません。
 これはシンハリ(現スリランカ)でのことですが、ここには北インドの進んだ灌漑技術を初代のシンハラ王がもたらします。紀元前3世紀から紀元12世紀にかけて、水の少ないセイロン島の北側でコメを生産するために溜池と灌漑水路が整備され、大変に生産量がありました。シンハリ王朝が隆盛を極めましたが、タミール族の侵攻、マラリア蚊の猛威などにより、13世紀に衰退へ向かいます。しかし、これを決定的に滅亡させたのはイギリスによる植民地化です。輸出する商品作物として茶園を始めるのです。茶園の労働に水田地帯の人々、次いでインドのタミール人を強制移住させたのです。水田も溜池も灌漑水路も放棄させられ、荒れ地に帰してしまうのです。森林も茶園にされた。ランドスケープの強奪・破壊です。いつの時代も、戦争・占領がもたらすのはランドスケープの破壊です。
 溜池と灌漑技術については、3世紀の終わり、東秦時代の高僧・法顕三蔵が中国の西域からインド、そしてシンハリ王朝の最初の都であったアヌラーダプラに至り2年をすごして、その後苦難の航海を続けて中国にもどりました。彼は紀行文を著すのですが、留学僧であった空海が後にそれを読んでいます。空海は帰国後、平安時代の初期に満濃池の修築をします。彼はコモンズの維持に貢献したわけです。満濃池は今日でも、香川県の誇れるランドスケープでしょう。

満濃池

― 先ほど、ラントの基本は農村であると指摘されましたが、農のランドスケープについて、ご意見がございましたら。
宇沢 農村のランドスケープがいかに素晴しいものか、私はカルチャーショックを受けたことがあります。旧制一高は全寮制であったのですが、そこで初めて農村出身の友人を得ました。都会で育った人間とは全くちがう。能力、資質、感性、人格、実に素晴しい人間像でした。都会の人間は要領がいい。点数もいい。しかし、事の本質が見抜けない。長い目で見ると、農村かそれに近い環境に育った人は優れた学者になっています。環境教育ということだけでなく、人間自体の生き様、成長を支えているのがランドスケープなのです。

― 市場経済のなかで優れたランドスケープを修復・維持していくためには、どうしたらよいでしょうか。
宇沢 まず、社会的共通資本の価値が広く認識される必要があります。その上で税制なり補助金なりを具体化して、全体を整備していけばよいでしょう。里山や水田といったランドスケープのためにはデカップリングも一つの選択肢でしょう。

(2004年6月16日実施 文責編集事務局)

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