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持続可能な流域圏形成のための
統合的エコシステム管理

独立行政法人
国立環境研究所
水土壌圏環境研究領域長
渡辺正孝

1. はじめに
 高度成長期において都市は人口、経済の増加および集中により巨大化し、大量生産、大量消費のもと、水需要増大と汚濁物質の排出量増加等の多大な環境負荷増大を流域圏にもたらした。しかも流域圏で消費される食料・エネルギーの大半はグローバル化にともない海外から輸入されたものであり、当然の結果として流域圏が持つ環境容量をはるかに超えるものが使用され、環境負荷として排出されていた。また人口の都市への集中は流域圏での土地利用分布を大きく変化させ、森林・農地の減少と市街地の増加をもたらした。このような巨大化した都市による高環境負荷と自然環境システムの後退・劣化は結果として都市の「健康」「安全・安心」かつ「快適」な居住環境をおびやかし、都市が成立するための流域圏自然基盤の崩壊の危険性が現実的なものとなりつつある。
 このような状況に対して都市を流域圏の構成要素と認識し、都市と自然生態系との水・エネルギー・物質循環の秩序ある健全な有機的関係を樹立させながら、自然共生型流域圏の形成を目指して自然・社会環境基盤を再生・修復していく必要がある。特に水・物質循環は都市や自然生態系が成立し変貌する場合の主要因子となっていることから、都市とその後背地としての自然流域との秩序ある境界構築等を図りながら、自然・社会環境基盤を再生・修復していく必要がある。そのため科学的知見の取得・体系化並びに技術・システムの開発が強く求められている。このため国立環境研究所は「都市・流域圏における自然共生型水・物質循環の再生と生態系評価技術開発に関する研究」を開始した。ここでは研究の骨子・期待される成果等について概説する。

2.流域圏生態系の中の水・エネルギー・物質循環と生態系機能
 流域圏生態系とは分水嶺に囲まれた集水域において、水・大気・土壌といった媒体で構成される空間場とその間を移動する水・エネルギー・物質循環およびそこに生息する生物・動物(人間を含む)の相互関係から成り立つシステムである。その構成要素の特色により森林生態系・農地生態系・湿地生態系・淡水生態系・沿岸生態系および都市生態系が、その代表的なものである。降雨流出した水は森林・草地・農地・湿地・湖沼・河川・都市を経て、最終的には沿岸域、内湾にそそぎこみ、蒸発により大気に戻ることにより一連の水循環が完結する。 大気―陸域、陸域―沿岸域は水循環・エネルギー循環・物質循環を通じて連結しており、このため大気―陸域−沿岸域を結合したシステムとしての“流域圏”として理解することが重要である。
 我々の経済活動は自然生態系がもたらす“財とサービス(Goods and Services)”に深く依存している。それらは1)生態系によって生産される財―食料、遺伝子資源、薬品、燃料・エネルギー、木材、水資源(質・量)、2)生態系機能により提供されるサービス―土壌形成、栄養塩循環、生物的制御、自浄作用、気候制御、大気成分制御、洪水・浸食制御など、の2つから成っており、自然資本(natural capital)と呼ばれるものである。財は市場価格によって容易に評価可能であり、主に農林業・鉱業・電力・水資源といった分野に多く存在する。一方、生態系機能により提供されるサービスの多くは環境分野に属するものであり、その維持機構・評価・修復技術およびサービスと財との相互機構およびその管理手法開発などは未だ確立していない研究段階である。特に水は人間の生命活動や自然の営みに必要な水量の確保、気候緩和、水質浄化、生物多様性の継続など、環境保全上重要な役割を担っている。

3.都市・流域圏における自然共生型水・物質循環の再生と生態系評価技術開発
 首都圏流域圏における現在の人口は戦前の約3倍、約2600万人に膨らみ、生活様式も循環型・自給型から大量消費・廃棄型へと変化した。一方、都市開発にともなう自然環境の改変・消失が進み、多くの身近な生き物の生息場が失われて、生物多様性は著しく貧困なものとなった。集中型の都市構造は流域で深刻な水質汚染をもたらし、たとえば東京湾の水質は、下水処理技術の高度化にもかかわらず、降雨時に生下水が未処理のまま放流される合流式下水道のシステムも相まって、COD換算で戦前の5〜10倍まで悪化し、赤潮(窒素・リンの供給過剰による富栄養化)や青潮(海底堆積物の分解による貧酸素水塊形成)が頻発している。また、戦前には東京湾に広大な干潟(136km2)が存在したが、現在では自然海岸の82%が埋め立てによって失われ、干潟固有の生き物の生息地と、浅海域の有する水質浄化能が著しく減少した。
 こうした諸問題の現状を解決するためには、都市域や河川・沿岸域の自然基盤の再生・修復によって自然共生型の環境を身近に創生するのみならず、水・有機物代謝を根本的に変革する循環型社会環境基盤を構築することが重要である。本研究では、流域圏における健全な水・物質循環の再生と、生物多様性を支える自然共生型環境を創造することを目標とし、これらを統合管理し、環境資源を評価するモデルなどを構築・活用することにより、持続可能な流域圏形成に関わる政策シナリオとして具現化させることを目的とする。

図1 研究開発の全体構想
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3−1 研究開発の全体構想
 本研究開発では、流域圏を構成する要素として、集約的な産業活動と都市活動の空間としての「都市エリア」に加え、自然との共生を支えて有機物質の循環を担う「農地(水田、畑地など)エリア」、「自然地(自然林、草原など)エリア」を取扱い、さらに、水の循環や有機物質の循環を行う「水域(河川、湖沼、海域)エリア」を考慮する。これらのエリアについて、GIS (地理情報システム)を用いて、自然環境資源、土地利用、社会経済活動などのデータを統合的にデジタルデータベース化し、流域圏の政策操作を統合的に行い、評価できるシステムを構築する。
 流域圏の将来の構造を決定する制御因子として「降水流出制御」「水質改善基盤」「有機物循環」「土地利用制御」を設定し、これら制御の効果・影響を予測・評価することが可能なモデルをGISデータベースを基に作成する。モデルによる評価では、直接的な物理影響に加え、ライフサイクル評価、マテリアルフローの評価など間接的な評価指標値と共に、生物ネットワークや生態系連鎖など流域圏にとって重要な生態系へのインパクトを含む評価体系を構築する。
 上記エリア内、エリア間において上記流域マネジメント制御を展開し、現状の基盤整備政策と共に将来的な技術開発テーマをも含む施策メニューを用意する。複数の将来的な見通しから、流域環境管理に関するシナリオ誘導型(Scenario-driven)の将来プログラムについての評価を行う。

3−2 研究開発の実施方法
(1) 都市・流域圏の生態系、水・物質循環統合管理モデルの開発に関する研究
 陸域から海域への汚濁物質流出・輸送過程について、特に豪雨・洪水時においても的確な推定が可能な流域における水・熱・物質循環管理モデルの開発を行う。また代表的な東京湾流入河川に着目し、河口部からの淡水流入・拡散や、合流式下水道の越流水による汚濁負荷を調査し、都市地表部由来の汚濁負荷の寄与を算定する。これらモニタリングで得られた水質、生態系データをもとに、3次元海域流動モデルおよび海域生態系・物質循環モデルを構築する。環境修復・再生技術の自然環境への影響や再生効果を総合的に評価するために、東京湾流域圏における、野生生物の好適ハビタット(生息場所)の分布を種ごとに推定するモデルを開発し、野生生物各種の分布と高解像度(目標500mメッシュ)でしかも広範囲(流域全体)で推定できるようにする。特に水中だけでなく河畔植生の影響を受けやすいトンボ類に着目し、またヨシ原に生息する鳥類も比較の対象(行動圏が大きい)として採り上げる。
 過去から現在まで、生息するほとんどの種のトンボの好適生息地を地図化し、その重ね合わせから、種密度/種多様性の地図を作成する。さらに、土地利用の強度と生物多様性の関係を解析し、土地利用形態の歴史的変化が生物多様性に与える影響に関する数量的評価を行う。

図2 流域圏の将来を展望するシナリオづくりとその評価
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(2) 都市・流域圏環境モニタリング及び環境情報基盤整備に関する研究
 流域圏における水・物質循環、自然生態系を統合的に扱うために必要な各種のパラメータについて、過去から現在まで分散・蓄積されてきたデータを一元的に取りまとめ(データベース化)、GISデータとして整備する。雨水や下水からの流域への汚濁負荷把握においては、下水道網の情報と共に河川、湖沼、ダム、気象、地形、土壌、植生、陸上生物分布、土地利用、土地被覆の変化など物理的な因子、また人口動態、物流、エネルギー消費量の変化などの社会科学的な因子についての情報を一元化する。東京湾の海域環境に関しては、過去から現在までの海岸地形変化などの地理情報と水質・生息魚類・干潟浅海域生物相などの情報を整備すると共に、陸域における環境因子の変化との関連を明確化する。また汚濁負荷源において、各種要素技術を総合的に組み合わせ、限りなくゼロエミッション化を目指した革新的循環型技術整備モデル地域において、水・有機物循環の各素過程に関するデータベースの構築とそれらを統合するモデル化を実施する。

(3)自然共生型社会創造シナリオ作成・実践プログラムに関する研究
 流域圏の都市・農地・自然地のエリアを超える水循環、有機物質循環のフローを、流域圏内の複数のサブ流域(Sub-basin、または都市圏)ごとに明らかにした上で、サブ流域間の相互の物質収支を統合して流域圏内部および流域外部に対する、水資源と物質、エネルギーの収支構造を明らかにする。
 環境改善の実践プログラムを導入することによる時系列の効果を、都市・農地・山地のエリア単位で、サブ流域圏単位、流域圏全体で算定するフレームを構築する。降水流出と水質改善、有機物循環、土地利用制御については、政策シナリオを例示し、その組合せでの将来の代替的な将来プログラムについて評価する。評価の比較規準として流域圏の2000年の現状水準に加えて、産業化が始まる以前の1930年代、及び戦後の復興で都市ストックの蓄積が拡大する前の60年代について環境影響を算定することによって、シナリオについての評価を政策として採用する事の意義を明らかにする。
 本研究では、流域圏および、そこに存在する生態系にとっての将来像を予測・評価する技術システムの開発と、将来像を決定する「上位のシナリオ」を設定した上で、流域圏内の資源を最適に活用する循環型システムについて、実現可能な選択肢や幅広い施策メニューを評価の対象とすることに特色がある。

4.おわりに
 東京湾とその流域における窒素収支の変遷は、流域圏における物質循環の再生を考える上で示唆に富むものである。1935年当時でも流域外から窒素が食料として供給されていたが、東京湾に流入する窒素は森林・農地などノンポイントソースからが主であり、屎尿の約20%が東京湾に流入し、残り約80%の屎尿は全て肥料として農耕地還元されていた。このように循環型システムがバランスしており、その時の東京湾は漁業も盛んできれいな海であった。一方、90年においては流域外から流入する窒素 が食料の形のほかに飼料、化学肥料として持ち込まれている。
 東京湾の富栄養化問題の根底には産業系およびノンポイント系からの窒素負荷とともに、人口増大と生活向上にともなう生活系からの窒素負荷増大が最大の窒素負荷を東京湾にもたらしていることも事実である。化学肥料の使用により、屎尿の農耕地への還元が行われなくなったが、これが発生負荷をより増大させた一因になっている。さらに、沿岸域埋立てによる自然浄化能の喪失が負荷削減効果を帳消しにしている。
 また、ノンポイントソースからの降雨時の汚濁負荷増大も大きな問題となっている。東京湾流域は合流式下水道が主流であり、洪水時のオーバーフローに伴って無処理で窒素が湾に流入していることも大きな原因の1つと考えられる。廃水処理技術の現状を考える時、下水道整備だけでは限界があり、流域での人間活動そのものを省エネルギー、省資源化に向けると同時に、土地利用の適正化と窒素・リンの農耕地への還元を可能とする新たな視点に立った技術開発と循環型社会への移行が必要である。

 UNEPは2001年6月に「人間社会にとって有用な生態系機能に関する全球アセスメント」を発足させた(ミレニアム・エコシステム・アセスメント:MA)。これは自然科学的アプローチと社会科学的アプローチを融合させたものであり、生態系機能の経済側面をも含めたものである。世界における生態系機能(特に経済活動にとって最も重要な水資源供給機能、栄養塩循環機能、食料・エネルギー生産機能など)の現在の分布状態、将来シナリオおよびその保全のための政策オプションについて、グローバル、地域、国、流域、ローカルと多層スケール間の相互作用を考慮しながら、提言していくことを目的としている。
 都市域を多く含む東京湾流域圏を対象とし、都市と流域圏との相互関係を自然科学および社会科学的アプローチを用いて解析し、循環型環境基盤システムによって、自然共生型都市・流域圏の再生を模索する本研究は、ミレニアム・エコシステム・アセスメントに対する、日本からの科学的貢献として位置づけられる。

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