バイオガスと生ごみクーポン券 有機農法とは何だろうか。化学合成農薬や化学肥料を使わなければ、それで有機農法なのだろうか。地域で生産したものを地域で食べる。そんな人と人とのつながりや暮らし方があってこそ、有機農法なのではないだろうか。 埼玉県小川町で農業を営む田下隆一さんも、そう考えるひとりだ。「小川町有機農業生産グループ」の代表である。 田下農場には、約120アールの畑のほか、ニワトリが300羽、ヒツジが3頭住んでいる。ヒツジは、畑の除草作業をこなす農場の重要な働き手であると同時に、毛糸も提供してくれる。ニワトリは、卵を提供するだけでなく農場から出る野菜クズを処理する役目も果たし、廃鶏は「鶏肉ソーセージ」に加工され、人間の食料になる。 「暮らしをつくる」ための新規就農 田下さんが、ここ小川町で農業を始めたのは1984年、23歳のときのことだ。東京都調布市のサラリーマン家庭に生まれ、農業とは全く無縁で育った田下さんの就農までには、ちょっとしたドラマがある。 東京での消費生活に足場のない不安と物足りなさを感じた。自分の描く暮らしを実現できるのは、やはり農業しかないと考え始める。規制の多い酪農ではなく、「自分で値段が決められて、自分の判断で自由にいろいろなことができる農業」を求めて、有機農業に取り組む農家を訪ね歩いた。そして小川町で、有機農業運動の先駆者のひとりとして有名な金子美登さんに出会う。 試行錯誤で自給野菜を作る時期を過ぎ、ようやく販売できるだけの野菜を生産できるようになると、近所を引き売りして歩いた。師匠だった金子さんを通じて、何人か顧客も紹介してもらった。当時、有機農産物の宅配流通組織も「大地を守る会」や「JAC」などいくつか誕生していたが、それらへの販売は「全く考えなかった。自分で作って自分で売りたい、消費者と直接つながりたいという気持ちがあったと思います」 そして89年、300坪の土地を買って住居を構え、小川町に腰を据えた。大工さんに教わって、家や小屋は自分でできるところを自分で作り、水道の配管も自ら手がけた。水源を確保するため、仲間と井戸も掘った。 有機栽培の基本は「輪作」と「自給」 有機農業を始めて20年目を迎えた田下農場には、今では全国から研修や視察が訪れる。田下農場で研修を受け、専業農家として独立した新規就農者も全国に10人以上いる。ただし、訪れる視察者と接していて、田下さんには気になることがあると言う。「見学に訪れる人のほとんどに聞かれるのが、『どうやったら虫がよけられるか』『どうやったら病気にならないか』というテクニックです。たとえば木酢液を使えばいいとか、なにか特別の技術があるかと期待している。そうではなくて、土づくり、3年間ねかせた堆肥などでじっくりと育てた苗づくり、大豆やムギもローテーションに入れた輪作体系など、一つひとつの作業を大事にする地道な積み重ねしかないんですよね」 有機栽培に特効薬はない。田下さんは、年間約60品目を栽培することで、スパンの長い輪作体系を可能にしている。とくに土壌が消耗するナス、ピーマン、トマトなどのナス科の作物は、6年に1回のローテーションを組んでいる。市場出荷を主流にする農家では、とうていできる話ではない。消費者から品目ごとの注文をとらず、季節ごとの旬の野菜をセット販売するからこそ可能な営農形態ともいえる。 輪作体系を基本とする農業は、自然に「自給」という暮らし方につながると田下さんは考えている。「まず自給して、余剰農産物を販売するという考え方です。自給という観念なしに有機農産物を作ろうと思えば、単作のほうがコストも労力もかかりません。しかしそれでは、今まで農業で問題になってきた廃棄物の問題が再び生じたり、土壌バランスが崩れて、堆肥を入れても虫が出るという問題が起こる。自給を基本とした農業は、時間もかかるし、品目に合わせて道具もいろいろと必要になりますが、それがあるからこそ、大きな循環が守られると思うんです」 自給という歯止めをなくし、コスト追求のために単一作物を一定量生産しようとしたところから、土や作物に負担がかかり、結局は農薬に頼らざるをえない農業が始まる。また、「土づくりのために」と、外から大量の有機肥料や飼料を持ち込んで大量生産すると、今度は農場内で処理しきれないほどの有機物が、“ゴミ”として残る。農産物の形で農場から持ち出す有機物と同量しか、肥料や飼料などの有機物を農場に持ち込まないのが、循環システムという視点で見れば理想的だ。「自分自身で自給するか、仲間と数軒で自給するか、地域で自給するかという議論はありますが、なるべく小さい規模でできるのがベストではないか。地域で自給を考えること自体が、有機物の循環を考えることにも、つながっていくと思うんです」と田下さんは言う。 有機物をエネルギーに変える農場 さて、先にも触れたが、田下農場の有機物循環の核となっているのは、92年に導入した微生物によるバイオガス発生装置である。バイオガスは、有機物を嫌気性発酵させたときに発生する数種類のガスの集まりだが、その6割が燃料となるメタンガスだ。田下農場では、容量8m3と10m3の発酵槽を地下に埋め込んでいるが、これで発生するガスは1日約5m3。ガス1m3は、5〜6人分の家庭調理で1日分、100ワット相当のガス灯なら6時間分のエネルギーになるという。ちなみに、ガス1m3を得るためには、ウシなら1頭分、ブタなら4頭分の糞尿、家庭の生ゴミなら20リットルの有機物が必要という。田下農場では、鶏糞、家庭の屎尿のほか、近隣の豆腐屋さんから排出されるオカラを原料として利用している。 ガスの発生と同時に、発酵した糞尿は液肥となって貯留槽にたまる。田下農場では、この液肥を田畑の元肥や追肥に使っている。液肥で育った野菜や米麦などを人間が利用し、余った残さは家畜のエサになる。そして、その糞尿が再びバイオガス発酵槽に投入されるという循環が、農場内だけで見事に成り立っているのである。 ところで、田下農場から始まったバイオガス装置は、今、小川町にユニークな運動を巻き起こしている。町内の家庭から出る生ゴミを分別し、バイオガスと液肥の原料として循環させようとする試みだ。 有機農業のもともとの意味 ちなみに、町ではゴミ焼却費用と1世帯当たり年間ゴミ提供量から、生ゴミ提供者へのゴミ焼却コスト還元として、「生ごみクーポン券(1500円相当)」を支払っている。ユニークなのは、このクーポン券を発行しているのが、小川町農業後継者の会「わだち会」である。つまり、1500円分のクーポン券は、「わだち会」の野菜農家が作った野菜パックと引き替えられる仕組みだ。「わだち会」には、田下さんをはじめ地元の農業後継者や、すでにバイオガス装置を農場に取り入れているメンバーも多い。バイオガス装置は、地元消費者と農業を結ぶ新しい地域循環システムをつくる起爆剤になりつつある。 |