上流域から地域づくりを構想する
日本上流文化圏研究所の7年間の取組み
早稲田大学理工学部教授 後藤春彦
日本上流文化圏研究所研究員 鞍打大輔
1. 「仙人の思想」と「俗人の思惑」
日本の国土を太平洋に浮かぶ島国として立体的な把握をすると、森と海の出会う島国に築かれた世界観・宇宙観が、私たちの生活様態の基底に脈打っていることがよくわかる。こうした島国の地形のひだの中に、私たちの祖先は、たくさんの物語を埋め込んできた。そこに育まれてきた島国の生活の記憶は、「地域遺伝子」と呼べるだろう。その遺伝子の多くは、幾筋にも流れる川を中心にして誕生した。
流域をわかりやすく捉えるならば、上は「仙人」に、下は「俗人」にたとえられよう。さらにいえば、島国ニッポンの背骨にあたる上流域より、上の層は山岳地域であり、霞を食べて生きている「仙人」が暮らしている。また、人口が集中する下流域の平場には、あくせくした日々の生活を繰り返している「俗人」の一群がうごめいている。
ニンベンに山と書く「仙人」は美しい桃源郷に優雅に暮らしながらヤマに生きる思想を追及し、一方、ニンベンに谷と書く「俗人」は経済競争に翻弄され、タニマチに対して、あれこれと思惑をめぐらしていると捉えてみれば、たいへん愉快である。
今、島国ニッポンには2つの動きが内在している。国を単位とする外へ向けての巨大化指向と、地域を単位とする内へ向けての縮小化指向とである。新しい世界観・
字宙観を生み出すポテンシャルは、後者にあると確信している。同時に、その鍵は島国に暮らす人びとのアイデンティティの発掘にあるように思えてならない。
そうした捉え方で、上流域をどう考えるか。たとえば、過疎高齢化に代表されるたいへんに悩ましい問題も、国土を立体的に把握する視座、すなわち「仙人の思想」からか、あるいは「俗人の思惑」から解いていくか―両方のケースがあると思われる。
従来の論理の多くは、川下の「俗人の思惑」が強く反映されたものだったが、これはこれで仕方のないものであったろう。俗人は霞を食べて生きていくわけにはいかなかっただけに、経済活動が生活のすべての局面で優先するという平場の論理が、上流域にも強いインパクトを与えていた。しかし、一方でカネとモノに憑かれることの意味を疑いはじめた俗人たちは、それぞれが持つ「地域遺伝子」にある種の癒しを求め、場合によっては逃避をも求めはじめてもいる。
上流域に着目した議論が再び起こりつつある現在、ヤマに生きる「仙人の思想」の中にある古来からの価値観を大きく転換させつつも、一つの流域論として再構築できるかどうかが問われている。ヤマに暮らす意思、つまりは机上論ではない実生活から導き出される地域文化の復権こそが、たとえ形を変えたものであるとしても、本来の「仙人の思想」に叶うものではないか、という考え方である。
上流域には、強靭な野性と繊細な感性を兼ね備えた人々が暮らしている。今ここにきて、私たちは島国ニッポンに生きる新たなる世界観・宇宙観を生み出すための哲学を、そうした上流域から学ばなければならないとすれば、どう考えればいいのだろうか。上流域は、はるかなる高見にあって、平場はもとよりすべての流域が見渡され、なお見渡されるものすべてが、総合的に判断されなければならない。
そこに示される上流域の豊かさとは、すべての物事や時空間が細切れにされ、しかもパッケージ化されていく平場に比べ、はるかに総合的かつ包括的で、くわえて個性的かつ多様であることにほかならない。これらの条件が満たされるとき、わが国を「島国」として立体的に把握する視座、つまりは「仙人の思想」が一つの大きな意味を持つことになるのではないだろうか。
図1 研究所の組織
2. 日本上流文化圏研究所の挑戦
山梨県富士川の上流域に、早川町という人口2000人に満たない町がある。平成6年に策定された、この町の総合計画は「日本・上流文化圏構想」と名づけられた。100年かけて町をつくっていこうというこの壮大な計画は、「22世紀計画」として、「川の上流域に生きる意思」を本計画の前段にしようと、明確に位置づけている。次に示すように、上流域に住まう「私たちの意思」が、はじめに明確にうたわれている。
(1)時代は転換しはじめました。価値観の地殻変動も起きています。上流圏の山村が誇りを持って新しい文化を生み出す時です。
(2)限りある地球環境からの恵みの中で、自然と人間が共生するために、私たちは率先して新しい暮らしをつくりだします。
(3)瞬間人ではなく、時間人、時代人の目と感性を持ちつづけながら、じっくりと地域づくりへの行動をすすめていきます。
霞を食べて生きているのかと揶揄された「仙人の思想」が「日本・上流文化圏構想」において、明文化されたといえるだろう。ただし、上流域に暮らすには、意思を強く持つ必要がある。すなわち、その強い意思と生活哲学がなければ、暮らすことはできないほど、上流域には多くの試練があるということである。
それでは、ここでいう上流域とは何だろうか。それは、山々の深々とした森に大自然の恵みである雨を貯え、田や野、そして都市へと清冽な水を送り続ける、水の聖域のことである。早川町のまちづくりは、継承してきた上流域の生活文化を明確に評価して、次の世代へ手渡していくと同時に、新しい上流域における住まい方、生き方を再構築しようという試みである。しかも、「日本・上流文化圏構想」では、早川上流文化圏において自律して生きる哲学を、次のように掲げている。
早川に根ざし、早川に生きる、その信念と行動の規範です。
早川の清流のごとく、絶えず、倦まず、淀まず。
南アルプスの峰々のごとく、高潔な理想をかかげ。
蒼空にまたたく星のごとく、村々を光きらめかせる。
町ではこの総合計画「日本・上流文化圏構想」策定を受けて、平成8年に「日本上流文化圏研究所(理事長:下河辺淳)」(以下、研究所)を開設した。当面の使命として、上流域における農山村文化の発掘と再評価、それらに基づいた生活提案と実践、そして全国上流域とのネットワーク化を行っている。スタッフには、島国ニッポンの各地の上流圏で地域づくり・まちづくりに活躍しているメンバーも多数参画している。全国の上流域のまちづくりにとって、早川町の取り組みはささやかなものではあるが、その意義は非常に大きなものがあろう。
写真1 2000人のホームページ
http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/2000/
3. 研究所の位置づけと運営体制
設立当初の活動は早川町役場企画振興課の一部としてのものであったが、平成11年から自立の道を歩み始め、事業体として独立することになった。まだ任意団体ではあるが、今後はNPOとして法人格の取得なども視野に入れている。
現在の年間予算は1500万円程度だが、ほぼ全額が早川町からの委託金や補助金として支払われている(発行物の広告や販売による少額の収入もある)。
運営体制は4名の事務局員を中心に、町民40名による理事会、町内外の有識者を含んだ15名で構成する企画委員会、研究所の取り組みに知恵や情報、ときにはマンパワーを提供する約300名のネットワーク会員から成っている。
調査研究活動は事務局をかねる専従研究員と、25名の町民研究員、そして学生研究員が主にあたっている。
4. 調査研究の取り組み
研究所の取り組みは、図1に示すように現在4つの柱に沿って進められている。
4.1 町民による地域資源の発掘
1)遊びの再現と伝承(平成8年〜)
地域の高齢者を中心とする「遊び部会」では、月1回の定例会で山村の昔の遊びや手作りおもちゃを収集・再現するとともに、地域のイベントや学校行事に出向き、子どもたちにその技術を伝承している。
2)在来種のイワナの調査(平成8年〜)
「ヤマトイワナ研究班」では、他種の放流による在来種のイワナの絶滅を危惧し、町内の沢における生息状況を調査している、さらに、発眼卵を放流し、その生育状況を調査している。
3)ビューポイント探索(平成11年〜)
町内の眺望の良い場所を地域の魅力として町内外に紹介する「ビューポイント探索班」では、情報収集と現地踏査を行い、これまでに富士山頂からの日の出が見られる地点と日時をまとめた地図と一覧表を作成した。
4)地域の古文書解読(平成12年〜)
町内の郷土史研究家を中心とする「古文書研究班」では、各家庭に死蔵されている古文書を持ち寄って解読し、地域の昔の生活の様子をひもといている。
4.2情報の受発信と交流の場づくり
1)日本上流文化圏会議(平成8年〜)
「日本・上流文化圏構想」の思想を全国に広め、全国上流域とのネットッワーク形成を目的とするシンポジウムを開催している。早川町を皮切りに、宮崎県五ヶ瀬町、北海道ニセコ町、静岡県本川根町で開催してきた。毎回、全国から100名を超す参加者を集め、今後のまちづくりや国土計画について、現場の視点から議論を積み重ねている。
2)早川町民塾(平成9年〜)
町民のためのまちづくり講座を、年間6回程度開催している。「気軽な参加」のために、ワークショップや町内ツアーなどを取り入れている。
3)2000人のホームページ(平成10年〜)
町民一人ひとりの生活の様子、山村生活の知恵や技術、地域に対する思いなどを、ホームページ上(町内各所には紙面も貼りだす)で紹介している。地域づくりや山村に興味を持つ大学生や地域の子どもたちが、各家庭へのヒアリングに多数参加協力している。
4)上流域圏ライブラリーの整備(平成11年〜)
郷土資料、全国の地域づくり情報、まちづくり関連の資料や書籍などを収集し、図書室を整備して町民に開放している。現在は、収集した書籍類のデータベース化を進めており、学校図書館との連携も将来の視野に入れている。また、町民が情報収集しやすいように、インターネット利用の環境を整えている。
5)各種発行物(平成8年〜)
広報誌「上流圏だより」(季刊・全戸配付)や、活動をまとめた研究年報を定期的に発行している。さらに、日本上流文化圏会議の記録も冊子化して、研究所の取り組みを積極的に町内外へ発信している。
4.3政策への提言
1)学生研究員助成制度(平成8年〜)
早川町を対象とする大学生・大学院生の調査研究を支援・奨励し、成果のストック及び施策への還元をめざしている。実績として、4大学から14名の学生を受け入れた。年末には報告書にまとめ、町民向けの研究発表会も開催している。
2)早川地元学の展開(平成14年〜)
古文書研究班とビューポイント探索班が中心となり、地域の歴史(時間軸)と地域の現状(空間軸)から、地元学を展開している。研究成果による地域資源の共有とマップ化を図り、地域の将来像の確立をめざす取り組みである。
4.4まちづくり活動支援
1)住民団体や民間企業の支援(平成8年〜)
住民からの相談や活動の支援要請に対しては積極的に応えている。平成9年には地区の協議会が手がけていた養蚕資料の保存活用を、教育委員会と協力して支援した。住民主催のイベントへの人材派遣、民間企業や各種団体のホームページの制作なども数多く受託している。
2)あなたのやる気応援事業(平成14年〜)
地域資源を生かした商品開発や起業のアイデアを町民から公募し、審査を通った案件には資金提供をするとともに、研究所のノウハウや人的ネットワークを活用し、アイデア実現に向けて、全面的にバックアップする。現在、在来品種の野菜類の生産、地元産の大豆を使った手づくり豆腐、山の技術をいかした蔓細工や石うすの製造販売など、産声をあげた新たなコミュニティビジネスは18を数えている。
5.今後の展望
こうした取り組みの中で、これまでストックしてきた地域独自の情報を、今後はツーリズムのシーズとして活用することをめざしている。その一環として、今年度から、研究所を運営の中心に据えた「早川フィールドミュージアム」が動き出すことになっている。フィールドミュージアムの理念である「住民自らの手による地域資源の発掘、保存、活用」は、まさに研究所が進めてきた活動そのものである。
こうした上流域に根ざした内発的なまちづくりの取り組みと外部とのネットワークづくりを着実に進めるとともに、一連の取り組みを、より住民主導型で行うための運営体制構築と、自主財源による経営をめざした経済的な基盤の確立を、フィールドミュージアム導入によって、ぜひとも実現したい。フィールドミュージアムは早川町のまちづくりそのものであり、新たな住民自治、地域自治への挑戦でもあるのだ。
私たちは今、複雑な地形のひだによって構成される緑と水のモザイクの中で、ヤマにたくましく生きる「仙人の思想」と経済的な自立を願う「俗人の思惑」を合わせ持つ住民自身による、新たな地域マネージメントの姿を思い描いている。
《参考文献》
文献1:後藤春彦(1996)中山間地域から眺める仙人の思想・俗人の思惑.NIRA政策研究9(9),6〜11.
文献2:鞍打大輔、後藤春彦(1998)山梨県早川町における「日本・上流文化圏構想」と「日本上流文化圏研究所」の取り組み.日本都市計画学会学術研究論文集,No.33,427〜432.
文献3:鞍打大輔(2002)合併しない宣言をした町の自立戦略 〜日本上流文化圏研究所の挑戦〜.地域研究交流,18(1),10〜11.
文献4:後藤春彦、鞍打大輔(2002)上流域からの発信 日本上流文化圏研究所の挑戦.環境情報科学,31(4),68〜74.
注:本文は文献4をもとに加筆、修正したものである。 |