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(PHOTO:パキスタン)

特集 第3回世界水フォーラムヘ向けて

水と文化とエコテクノロジー

京都大学 東南アジア研究センター 教授 海田能宏


 近々京都で開催される第3回世界水フォーラムにおける数々のテーマのひとつとして、「多様な文化における水」(Water and cultural diversity)が設けられている。他のテーマのなかでも、資源としての水だけではなく、文化、伝統の面から水を語りあう場面がたくさんあるに違いない。ただ、水フォーラムは水に関する現状認識だけではなく、将来に向けてのアクション・プログラムを提案するのが目的であるから、「多様な文化における水」から何を引き出し、何を提起できるか、事はそう簡単ではないだろう。
 ダムをつくる・つくらせない、洪水を制御する・いや洪水と共に生きる、水を使い切る・いや保全する、水利権を寡占する・させないという二項対立のなかからは、新しい提案は生まれない。二項対立の前者は水を資源と考えるやや古いタイプの水資源論者によって、後者は環境保全論者によって主張されてきた。私は、「多様な文化における水」テーマを具体的に会議プログラムにしてゆく過程で少し関わってきた。
 文化派は、基本的に上の二項対立の後者に与する。だが、「文化」を歴史的に培われてきた自然観、価値観、伝統、美的センス、そしてこれらを具現する社会的規範とだけ捉えてしまうと、文化派は上の二項対立・抗争に勝利を収めることはできない。嘆きつつ、豊かな水景観が失われてゆくのを見送るばかりとなろう。誤解を恐れずに言うと、「文化」を社会に蓄積された技術・技能としてのアートとして理解すると、何らかの示唆を与えられるように思えるのである。水を本当に生かし、いわゆるサステイナブルでかつ豊かな水景観を守り育てる方途は、妥協するという意味ではなく、上の二項対立のどこか中間にあると思えるからである。
 本稿では、「水と文化」に関わるアート、すなわち「技術」について少し敷衍してみよう。この技術群を、私はエコテクノロジーと呼ぶ。

1.水利用のアートの諸相
(1)伝統的な自然観のままに
 伝統的な自然観に頼りきっていては、現代の水問題は解決しない。わが国では、「水は3尺流れると清浄になる」と言われてきた。タイでも同じである。デルタの下流の運河地帯で、水路に面して列状に居を構えて暮らす人々は、豊かな水に恵まれ、水と共に生きている。子どもたちが水と戯れ泳ぎまわるそばで、大人たちは洗濯し、沐浴し、歯磨きし、調理の水を汲み、そして排泄もするという光景はついこの間まで一般的であったし、一部では今も続いている。上の言葉を文字通り信じていなくてはできない暮らしぶりであった。
 この同じ人たちが、運河の水を台無しにするほど汚してもいる。ゴミを平気で水路に投げ込む。この30年ほどの間に運河の交通機能が捨てられ、家々の背後に道路が通って自動車交通にとって代られると、運河はかつての「表通り」から、家の背後の排水路に格下げになり、急速に汚されていった。

写真1 デルタ開拓の原初形態(メコンデルタ葦の原野)


(2)豊かな景観をつくる
 同じ人たちは、また、運河沿いの土地を短冊状に低い輪中堤で囲み、ポンプで自由に水の掛け引きをし、内部を高ウネ仕立てにし、かつての水田一辺倒の茫漠たる景観を、緑豊かな果樹園地帯に変えていった。私はこの過程を観察し、その新しい土地利用を「米・魚・家禽・果樹複合」経営と名付けて、これぞまさにチャオプラヤデルタの成熟した土地・水利用景観であると喜び称揚した。しかし、これは長くは続かなかった。

(3)荒れた景観へ突き進む
 輪中のなかでは、いつの間にか、果樹、野菜、養魚などに専業化されていった。半自給的な複合経営は経済的にペイせず、商業化の波に洗われたこのデルタでは農耕様式も商業化されざるを得なかったからである。複合経営のなかから魚が消えるとウネ間の水は急速に汚れていった。魚のために控えていた化学肥料、農薬、そしてプラスティック資材を使い放題に使ったからである。いまや、あの緑濃い「輪中」景観は、このデルタの水質汚染の元凶である[Chao Phraya Delta Conference2000]。
 メコンデルタの一部でも、よく知られているように、ベトナム語でVAC(Vuon菜園あるいは樹園地、Ao池、Chuong畜舎の頭文字)、あるいはイネ(Ruong水田)を含めてVACRといわれる複合経営が盛んになってきた[Yamada2002]。今のところ物質循環を旨とする「在地の技術」を駆使して豊かな景観を守っているが、チャオプラヤデルタの経済的発展を後追いしようと努力するにつれ、結局は荒れた景観を生み出す方向に突き進んでいる、と私は見ている。
 チャオプラヤデルタの海岸マングローブ帯は、古くから塩田として開かれ、後に1980年代から養魚、とりわけエビブームが到来するとエビ養殖池に変えられていった。ひとたびウィルス病が蔓延すると、すべての養魚池は放棄されて、産地はどこか別のところへ移っていった。そして、灰色の薄汚れた池跡だけが残された。この荒れた景観は、ホーチミン市近くのブンタウ海岸から、メコンデルタ南縁、カマウ半島の一部、そしてチャオプラヤデルタのマングローブ地帯へと続いている。代りに今、バングラデシュやインドの海岸がエビ養殖で賑わっている。これらのエビの大半が日本へ送り続けられていることは言うまでもない。

(4)鉱物資源としての水
 水を石油のような鉱物資源とみなしている輩もいる。例えば、地下深くから化石水を揚水してCPI(Center Pivot Irrigation)という巨大な散水器、すなわち半径数百メートルにもなるパイプにスプリンクラーを立て並べ灌漑間断日数でゆっくり1回りさせて巨大な円状に水を撒き続ける機械でコムギなどを栽培している輩である。1960年代にアメリカ中西部の乾燥地で起こり、サウジアラビアやシリヤ、そしてナイルデルタの周縁部などにも広がった大農経営を支える技術である。水源が尽きると、新しい井戸を掘って灌漑地を移動させてゆく。即刻やめてもらいたい近代技術であり、営農である。しかし、もう遅い。ジュラ紀・白亜紀から地球が溜め込んだ石油をわれわれ2、3世代が蕩尽しつつあるのと同じように、この化石水は1世代で使い尽くしてしまうであろう。

(5)サキヤ
 ナイルデルタの周縁でCPIが水煙を上げている一方で、デルタの中枢部では、サキヤと呼ばれる水車の駆動軸を牛に引き廻わらせて揚程1メートルほど揚水をしている(表紙ウラのカラー写真を参照)。サキヤは、地下水位を極端に上げないように比較的深く掘られた土水路からわずかずつ揚水し、それを小さな区画の畑に引き込み一定の深さまで均一に浸潤させるよう、ほんの数平方メートル単位で低いアゼをつくりつつ灌漑してゆく。重労働である。この光景は、ヘロドトスが紀元前5世紀に書いた『歴史』に記録しているものと同じだといわれる。少量ずつ揚水するこのサキヤ灌漑が塩類集積を防いできたのだという。12、3歳ぐらいの男の子が牛の尻を追ってサキヤを廻し、父親が手クワで水を導きつつ灌漑する光景を見て、私はなぜか感激した。

写真2 デルタ水路沿いに広がる緑濃い樹園地
    (チャオプラヤデルタ)


(6)洪水の克服に見る諸相
 バングラデシュは1987と88年の2年続きで、それぞれ40年、100年に一度という大洪水に見舞われ、これを契機に世界銀行やUNDP、それに数か国の援助によってウォーター・アクションプラン作りが大々的に繰り広げられた。河道の測量や、降水挙動や、長期洪水予報などの基礎的な調査研究とともに、洪水を制御するための計画が4、5年をかけて次々と作られていった。
 ところが、これらの調査研究成果のほとんどは、ウヤムヤの内に雲散霧消してしまった。ひとつには、ジャーナリズムがこぞって反洪水制御キャンペーン、つまり「洪水と共に生きよう(Live with the flood)」キャンペーンを張り、二つには、洪水から守られる対象であるはずの農民が消極的ながらもジャーナリズム側に立ったからである。農民は、洪水と共に生きるという自覚をどこまで持っていたかは定かでないが、洪水にさしたる痛痒も覚えていなかったようなのである[Haggart 1994]。
 実際、1987年は過去最大の豊作であったし、88年の落ち込みもさほどではなかった。植えたばかりのアモン稲は洪水で流されたが、水位が早く下がったところでは植えなおし、そうでなければ水が引いてからナタネを植えて3か月ほどで油を絞って現金に換え、揚水ポンプを借りて燃料を買い、乾季のボロ稲作を十分に灌漑し、あるいはより少量の灌漑で済むコムギ作をし、翌年の雨季前半のアウス稲作にも励んだからである(アウス・アモン・ボロはそれぞれ雨季の前半、雨季の後半、乾季に適したイネ品種群で、ベンガルデルタで広く用いられる)。
 ベトナムのメコンデルタでは一部を毎年襲う洪水は疾うに克服されている。かつては浮稲をもって洪水に対処してきたものであるが、1990年代以降は、洪水時期をはずして洪水前と後に二期作を導入することに成功した。「緑の革命」で手にした高収量品種がもつ短期・非感光性という性質を上手に使えば、浮稲と乾季稲から高収量品種の二期作へ簡単に転換できることを見出したのである。

(7)農学的適応と工学的適応
 上に2つの例を取りあげたに過ぎないが、熱帯・亜熱帯モンスーンアジアに見られる農耕の技術は、与えられた環境や条件に作物を合わせること、言い換えると農学的な適応技術が卓越しているといえそうである。これは、わが国の水田景観が「土地に刻まれた歴史」[古島敏雄1965]と形容されるように、灌漑排水技術でもって環境をつくりかえてきた温帯・亜寒帯型の技術体系とは対称的である。わが国の水田農耕技術は、どちらかというと、灌漑先行型の工学的な適応体系であるといえる。このように見ると、世界中の農耕様式や水制御様式を、進んだ・遅れた、近代化・近代化前などと固定観念で分けたりするのはヘンだということに気づく。

(8)エコテクノロジーの一例
 かつて私はインドの灌漑地図を見ていて、例えば大ガンガ水路灌漑システムと地下水揚水灌漑地域とがほとんど完璧に重なり合うのに気づき、不思議に思ったことがある。現場に立って見ると一目瞭然、あのまるで箱庭のように入り組み、年間を通じて途絶えることなく行われる緻密な土地利用は、地表灌漑によって成立しているのではなく、地下水の揚水灌漑によっている。幹線水路だけで延長数百キロに及び、場合によっては1システムで200万ヘクタールもカバーするようなあの大水路網は、河川の水を広大な平原に広げ分散させ地下に貯留させるだけの機能しかもっていないと極言してもよさそうに思えた。パッと広げた手の平に例えると、手の平と指の骨は水路、肉が直接の地表灌漑地、手指の間の大きな空間は地下水揚水灌漑地である。
 悪口を言っているのではない。このような大システムによって、田畑1筆ごとに定められた水量を定められたタイミングで配水しようとすれば莫大な管理コストを要し、物理的にもまず不可能であろう。大水路網という、地元の農民にとっては、いわば外来のインパクトに対して、個人個人が地下水揚水という個別技術でレスポンスしたという意味で、私はここにエコテクノロジーのひとつの典型を見出したような気がした[上田・海田1994]。

2.水利用のエコテクノロジーを用いる
(1)技術を在地化する
 土地、水、そして農業開発にかかわるわれわれエンジニアは、学び親しんできた科学技術を適用する前に、少し立ち止まってみる必要がある。微地形や土壌の性質にしても、科学的方法による分類と遜色のない農民分類法があることを知るし、本稿では触れなかったが、硫酸塩酸性土壌も大きな技術を用いることなく農民的工夫によって十分に活用されているし、洪水を制御することなく、単に避けることによって浮稲単作から洪水前と洪水後の水稲二期作システムを作りあげたのも農民たちであった。
 再び北インドの地表水・地下水の同時利用のシステムに言及する。もしも、エンジニアがこのシステムを事前に十分調査して、なぜかくも多くの掘井戸や管井戸が地表灌漑の水掛りの地域内に設けられているのかを理解していたならば、彼は多分、農民を督励して水の配分と利用効率を高めるべく水利組合を強化せよなどと叱咤することはしなかったであろう。彼は農民の水利用の実態に学んで、たとえば水路システムの設計基準を見直したり、もっと自由でフレキシブルな灌漑システムを設計しようと試みたのではなかろうか。これが技術をドメスティケイトする(在地化する)第一歩である。

(2)技術を社会化する
 ここまでに述べてきた、アジアにおける水利用の諸相やエコテクノロジーは、専門家ならずともアジアを経験したエンジニアなら、みんな知っていることばかりである。しかしながら、これらは標準の調査・計画・設計のマニュアルには入っていないから、実際に使われることはまずない。
 発展途上国における援助がらみの農業・農村開発プロジェクトにおいて、国内であるいは外国で教育を受けたエンジニアたちがまず手をつけるのは、必要であれば地形図づくりからはじめて、水文データを収集するために雨量計や水位計を設置し、地下水賦存量を把握するためにテストボーリングもするであろうし、土壌分析のためにサンプルを採取したりするであろう。このようなルーチンワークは比較的規模の小さいプロジェクトでも同じである。しかしながら、このような専門的な仕事によって地方住民を意思決定過程から心ならずも疎外し、結局、住民のプロジェクトへの参加意欲を殺ぐ結果となる。
 私たちが“rural hydrology map”(農村水文図)と名付けた簡単な地図がある。橋やカルバートの位置、洪水の流向とか水位、雨季には水没する道路のセクション、水蝕を受けた堤防の位置などが描かれている。この地図は、歩く足かせいぜい自転車、現実を見る目、地元の人たちの言に傾けるべき耳、それに、地元の人たちの判断を尊重しつつ一緒に考える柔軟な心、これらがあれば簡単に描くことができる。たいした道具も、ましてや高級な測定機器もこの種の水文図をつくるためには不要である[内田他 1995]。
 こうして農村水文図をつくる過程で、来るべきプロジェクトに対する農民の興味を喚起し、地元民のオーナーシップ意識を高めることができる。水文図が出来あがるころまでには、どの水蝕部分を修築し強化し、どの橋を直し、どの部分に新しいバイパスを建設すればいいか、こういうコンセンサスはすでにできているに違いない。私は、このようなアプローチを地方の開発プロジェクトへの地元の人々の参加とオーナーシップ意識を育てる、計画プロセスの「社会化」と言いたい。

(3)技術を景観化する
「技術の景観化」とはどういうことか。日本の扇状地の水利システムはかつては灌漑用水として用いられるのみならず、清澄な用水はまず集落のなかを通し、消防用水、養魚、食器洗い、洗濯、出荷前の野菜洗いなどの日常雑用水等、多目的に利用された後に水田に導かれていたものである。現代の水利計画技法のなかでは、このような用水の多目的利用に対する感覚が欠落してしまったのであるが、最近はまた水のレクリエーション的利用や水辺の景観保全の観点から、用水の多目的利用を考えようという気運が復活してきた。
 1990年代初め頃から、エンジニアたちはドイツで発達したビイオトープというコンセプトを用いるようになった。近代化が進んでいなかったほんの1世代前までは、どこにでもあった二次自然を保全すべく、農村インフラ構造物の建設に、エンジニアたちは近自然工法と呼ぶ技術を使い始めている。
 このことに関して、われわれは東南アジアの水利システムから多くを学ぶことができる。例えば中部ジャワやバリ島の火山山麓地帯の灌漑された小扇状地において、用水路は小高い村域の果樹園地のなかを通り、菜園などの灌漑、洗濯、沐浴など日常の雑用水として利用された後、森と集落の背後の水田に流れこんでゆくように設計されている。このような「水の流れる豊かな景観」を、近代的な水利計画のなかで一層よく活かしたいものである。熱帯アジアでも、いまやイネ作一辺倒という段階は過ぎ、単目的で機能本位の水田灌漑システムを農民が欲してるわけでもない。用水はもっといろいろな使われ方をしてもいいし、とくに潤いのある「水辺の景観」をつくりだす要素としての用水にもっと着目してよい。

おわりに
 冒頭で述べた世界水フォーラムの「多様な文化における水」テーマのなかで、日本から、伝統的な水田水利を活かした白川郷の防火消防システムや、四国水辺八十八か所選定の試みなどが発表されることになっている。世界の多様な文化それぞれのなかで、文化要素のひとつとしての水が活かされるためには、水を制御し利用するアート(技術)が地生えの、歴史に磨かれた、中庸の、手のなかにある技術であることが大事である。四国の人たちが選んだ潤いのある水辺景観の内容を私はまだ知らないが、自然の美しさだけではなく、エンジニアがつくり人々が育ててきた人文景観である、潤いのある水辺景観が多数含まれているのではないかと期待している。われわれ水工エンジニアの仕事は、こういう文化景観の創造・維持管理へと向かうのではなかろうか。


《引用文献》

古島敏雄(1965)『土地に刻まれた歴史』岩波新書.

内田晴夫他(1995)「農村水文学―バングラデシュの農村インフラ整備への新しいアプローチ」『東南アジア研究』33(1).


上田達己・海田能宏(1994)「インドの灌漑発展における外来技術と在地技術」 『農業土木研究』62(2). 

Proceedings of the International Conference:The Chao Phraya Delta(2000). Bangkok: Kasetsart University.

Haggart, K. et al(eds).(1994)Rivers of Life. Dhaka:BCAS.

山田隆一(2003)「ベトナム・メコンデルタにおけるファーミングシステムの診断―沖積土壌・灌漑地域のVACRシステムを対象として」『開発学研究』13(3).


中国農村地域の水環境の汚染問題

東京農工大学 大学院連合農学研究科 劉 啓明

1.はじめに
 中国の水問題は主に水資源の欠乏、水質汚染、水資源の浪費の3つである。1996年の統計では、中国における1人当りの水資源量は2305トンしかなく、世界平均の1/4に過ぎない。現在、中国全体では恒常的に年間300億~400億トンの水資源が不足しており、干ばつにより年間2000万~3000万トンの食糧減産に見舞われ、400以上の都市が常に水不足に悩まされている。また、農業灌漑技術及び工業生産技術の遅れにより、単位生産量の水資源の消費量が大きく、例えば鉄鋼のトン当たり水消費量は先進諸国の4倍となっている。さらに、1970年代以来、人口の急増、近代化の急展開、都市化、生活様式の変化により、中国全体にわたって水質汚染が深刻になってきた。
 2001~2005年の第10次5か年計画では、中国の経済成長率は7%とされているが、この成長率を達成するためには、戦略的資源である水資源の確保が不可欠である。また、食糧自給を国策としている中国は、2030年に人口が16億人になると予測され、その時点の食糧生産目標を現在の5億トンから7億トンに増産すると定めているが、今の農業用水の効率のままでは、1500億トンの水資源が必要である。経済成長とともに工業用水と生活用水は大幅に増加することが予測されるなか、農業に対する水資源の供給がますます緊迫してくるに違いない。その上、深刻になりつつある農村地域の水質汚染が貴重な水資源を使えなくしているという現実がある。新たな水資源の開発は既に限界に近づいていることから、経済の持続的な発展を目標としている中国は、さまざまな水汚染対策を試みている。

2.農村地域の水環境の現状
 中国全土には1999年末時点で4万4741の郷鎮、73万7429の行政村、2億3811万戸の農家、9億2000万の農村人口が存在する[国家統計局、2000]。農村地域の健全な水環境は中国の食糧生産、農村地域の発展に欠かせない戦略的な資源であるが、近年、中国農村地域の水環境は汚染されつつある。その影響はすでに洪水と干ばつの影響と比肩するようになり、国内外の注目を集めている。

表1 中国の7大水系の汚染状況

七大水系の合計
Ⅰ~Ⅲ類 Ⅳ類以下
1991 (%)56(%) (%)44(%)
1992 52 48
1993 52 48
1994 61 49
1995
1996 61.1 38.9
1997
1998 36.9 63.1
1999
2000 57.7 42.3
2001 29.5 70.5

資料:中国環境状況公報各年版より作成。
注:中国地表水水質基準では、水質を汚染度の軽い順に、Ⅰ類からⅤ類まで五段階にわけている。水質がⅠ~Ⅲ類までの場合、飲用水の原料水に利用できる。Ⅳ類以下の場合、汚染が進行しているので、農業用水と工業用水にしか利用できないと決められている。

 中国には、長江、黄河、淮河、海河、遼河、松花江、珠江の7大水系がある。これらの河川の総流域面積は433万3687km2であり、全国土面積の45%以上を占め、流域内の人口は11億人余で、全人口の90%近くを占める。1990年代の7大水系の汚染状況は表1の通りである。水質が水質基準のⅣ類以下で、直接人間が触れることに適していない水域が常に高い割合を占めており、また、最も深刻な2001年には70.5%を占め、水系全体の7割が重度汚染されていたことがわかる。7大水系では「汚染の度合いを示す指標である生物化学的酸素要求量、化学的酸素要求量、溶存酸素が高く、主な汚染物質は有機物と非イオンアンモニアである。汚染された水体が黒くなり、悪臭を放つのは共通の現象である」[呉、2000]。水系別の水質汚染の深刻の度合いは海河、遼河、淮河、黄河、松花江、長江、珠江の順となっている。
 中国の湖沼汚染は主に富栄養化問題である。「130の湖沼に対する調査では、51の湖が富栄養化となっており、湖沼数の39%、湖沼総面積の33.8%が富栄養化となっている」[中国環境与信息検索、2002]。
 2000年に水質検査が行われた「139のダムのなかで、水質がⅠ~Ⅲ類に属するのが118、水質がⅣ類以下となっているのは8あった。富栄養化が見られたのは93、そのうち、富栄養化状態となっているのが14あった」[2000年環境状況公報]。

3.農村地域の水環境悪化の原因
(1)郷鎮企業による汚染
 中国では、郷鎮企業(中国の農村における小企業。人民公社時代には社隊企業と呼ばれたもので、人民公社廃止後に郷鎮企業と改称)の発展は農村経済の産業構造と就業構造の多元化、農村地域の貧困問題の解決などに大きく貢献してきたが、同時に、農村地域にさまざまな汚染問題を引き起こしているのも事実である。「郷鎮企業による汚染はすでに16万7000km2の耕地に被害をもたらし、これは全国耕地面積の17.5%を占めている」[楊、1999]。また、都市部の環境規制が厳しくなるにつれ、ひどい汚染を発生する企業は近郊または農村地域に移転し、この結果、環境規制の格差は農村地域に汚染の移転を促す結果になった。近年、農村地域の水質汚染の範囲が広がり、汚染の度合いも深刻になりつつある。1995年の統計によると、郷鎮企業による廃水の排出量は59億1000万トン、中国の工業全体の廃水排出量の21%にすぎなかったが、COD、重金属の排出量は工業全体の4割、全ヒ素の6割以上を占めていた。

(2)農村地域における面源汚染(注)
 1996年の「水汚染防治法」の改正を受け、中国の水質汚染対策は点の汚染、いわゆる工場の汚染問題の解決から、流域全体を含む総合対策へと転換し、汚染物質の総量規制策を導入した。1996年6月、国務院が批准した「淮河流域水汚染防治規画及び第9次5か年計画」に基づき、淮河流域全体のCOD排出量は基準年1993年の150万1400トンから2000年には40万トンまで削減されたが、淮河の水質改善は期待したほどにならなかった。その原因は、生活排水の増加と農業生産活動による面源汚染*であると考えられる。特に農業生産活動による面源汚染は化学肥料、農薬の多投に起因しており、広い農村地域に分散しているために対策を講じにくい。
 現在、中国の農業経営主体は農家である。農家は農地への労働力投入を省力化するため、化学肥料を使いたがる傾向にあり、また、政府の化学肥料普及策との相乗効果で、1950年以来、化学肥料の使用量は急増してきた。建国初期農業に使う肥料は殆ど有機肥料であったが、1980年に有機肥料のシェアが半分になった。逆に、化学肥料の使用量はほぼゼロからのスタートで、1980年1200万トン、2000年に4000万トン台になり、中国における全肥料投入量の7割近くになった。この年の平均化学肥料投入量が327kg/haであった。こうした化学肥料の多投は農村地域の水環境の負荷を増大させている。「現在、中国農地全体の20~30%において窒素の含有量が過剰となっている」[李、1999]。

注:面源汚染は非点源汚染ともいう。固定の排出口を有する工業排水と生活排水などの汚染源は点源汚染であるのに対し、汚染物質は特定の排出口がなく、広域にわたり、分散的、少量で水環境に侵入し、面的広がりを持った汚染を面源汚染という。

 農地からの窒素とリンの流出は湖沼の富栄養化問題を引き起こしている。中国の三大湖である太湖、テン池、巣湖の富栄養化の原因をみてみよう。T-N(窒素成分合計量)、T-P(リン成分合計量)の浸入先を工業排水、生活排水と農業生産活動による面源汚染に分けると、太湖に入る窒素の6割とリンの3割、テン池に入る窒素の3割とリンの4割、巣湖に入る窒素の6割とリンの7割が農地から流出した化学肥料に起因しており、農業生産活動による面源汚染の度合いが高い。
 また、中国農村地域の水環境は農薬汚染にもさらされている。中国の農薬の生産量は1989年の20万6200トンから97年に39万4500トンまで増加した。農薬の種類は86年の5種類から97年に227種類まで増えた。1990年代後半から中国全土の農薬の使用量は23万トン前後で、単位耕地面積当たりの使用量は2.33kg/haである。沿海地域である上海市と浙江省の平均使用量はそれぞれ9.96kg/ha、9.85kg/haと最も高い。しかも、「中国で使用された23万トンの農薬のうち、70%が有機リン素を含む毒性の強いものである」[国家環保総局、2000]。農薬の不適切な施用は農産物、特に野菜の安全問題を引き起こし、農村地域の水環境をも蝕んでいる。

(3)灌漑の排水再利用による水質汚染
 水不足に対応するため、中国では昔から生活などの排水を再利用して灌漑を行ってきた。しかし、農村地域の水環境が深刻な実態にさらされている現在、排水による灌漑は水環境の二次汚染を引き起こす危険性がある。1998年における中国の耕地の排水灌漑面積は361万8000万haであり、全国灌漑面積の7.3%を占める。排水灌漑により、多くの耕地が重金属、有機化学物質に汚染され、ひいては農村地域の水環境にマイナスを与える(図1)。

図1 中国の排水灌漑面積の推移

資料:中国環境情報公報各年版により作成。


(4)大規模集約型畜産による汚染
 先進諸国と同じように、生活水準の上昇につれ、中国も食肉消費量の増加が見られる。以前は鶏肉と豚肉が中心であったが、今は牛肉と羊肉の消費量が増え、食肉の消費が多様化している。消費の変化に対応して、食肉の生産方式も大きく変わりつつある。食糧生産の合間に、残飯を利用し、鶏あるいは家畜を飼っていた小規模畜産に変わり、市場競争力の強い大規模集約型畜産が増えてきた。政府もこうした動きを強く推進してきた。しかし、一部の大都市近郊では、十分な糞尿処理施設を備えずに、大規模集約型畜産が運営されているため、農村地域に新たな汚染源をもたらした。
(5)淡水養殖による水質汚染
 中国の水産物生産量は世界一である。それは川、湖、ダム、池などで行われている淡水養殖によるところが大きい。淡水養殖に使われる餌や肥料や消毒剤、養殖魚の排泄物は農村地域の水環境の汚染源となっており、特に窒素の蓄積による富栄養化の問題が大きい。

(6)生活廃水による汚染
 1990年代から中国の生活廃水の排出量と、生活排水からのCODの排出量は増加している。都市化が進展した結果、1999年に生活排水の排出量は204億トン、生活排水からのCODの排出量は697万トンに達し、郷鎮企業を含む中国鉱工業全体のそれぞれ197億トン、692万トンを超えた。

3.おわりに
 よく中国が世界全体の7%の農地で、世界人口の22%を養っているといわれて、中国の農村地域はすでに重過ぎる負担を背負っている。いっそうの人口増加と経済成長により、水資源の問題がさらに深刻化するに違いない。限られた水資源を有効に利用することは、中国農村地域が持続的な発展を遂げていくための必要条件である。しかし、中国農村地域の水環境を見れば、水資源の有効利用には程遠く、むしろ、逆方向に進んでいるとも言える。水資源が窮乏すれば、食糧の生産及び農村地域の発展に大きな支障をきたす恐れがある。
 近年、中国では水資源不足および水質汚染問題に対する危機感が高まり、1970年代以来、環境保全の法体系を築きつつ、中国における水資源の合理的な価値が反映されるように、水資源の価格構造を調整していくべきであるという議論も盛んになってきた。中国の水質汚染対策には、汚染を事前に防ぐ環境影響評価制度と「三同時」制度がある。「三同時」とは新設、改造、増設する事業において、汚染防止のための施設を主体工事と同時に設計、建設、操業しなければならないという意味である。現存の汚染処理対策として、期限付き汚染処理制度がある。さらに、1999年に改正された『刑法』のなかに、新たに「環境保護破壊罪」が設けられ、人的被害、経済的被害など重大な環境汚染事故をもたらした者に、罰金から7年以下の懲役までの懲罰を課すことが決められた。
 1996年6月に、国務院が中国初の流域汚染処理計画である「淮河流域水汚染防治規画及び第9次5か年計画」を批准し、中国の水質汚染問題の処理を本格的に始動させた。このプロジェクトの主眼は汚染物質の総量規制である。さまざまな対策によって、国有鉱工業からの廃水と汚染物質の排出量が抑えられ、2001年、排出基準を満たす鉱工業排水の割合は85.6%に達した。また、厳しい期限付き処理制度の実行により、多くの郷鎮企業が閉鎖、休業に追い込まれるという代償を払いつつも、汚染物質の排出量は減ってきた。しかしながら、生活廃水の排出量が増加しており、排水処理場の建設が遅れているため、処理率は18.5
%にすぎない。さらに、前述した農村地域の面源汚染はまだ研究段階にあり、対策が遅れている。
 1990年代から中国は農村地域の水質汚染の進行の速度を抑えることができたが、水環境全体の状況は悪化しつつある。中国が農村地域の経済発展と水環境問題の処理の二方面作戦を勝ち抜くためには、水資源の環境的価値を考慮した経済的手段を含め、汚染源全体をカバーする対策を急ぐ必要がある。


《参考文献》
1.李貴宝,王東勝,譚紅武,朱ケン(1999)「中国農村水環境悪化成因及其保護治理対策」,『1999 中国可持続発展戦略報告』,科学出版社,北京.

2.国家統計局農村社会経済調査隊.1998,2000年農村統計年鑑.中国統計出版社,北京.

3.中国環境与信息検索.劉潤堂,許建中,馮紹元,王素芬,姚春梅(2002)「農業面源汚染対湖泊水質影響的初歩分析」.
http://enviroinfo.org.cn/Water_Pollution/River/w509.htm

4.楊暁東,白人朴(1999)「小城鎮環境汚染対策」,『中国農業大学学報』,1999,4(6),110~114

5.中国環境保護網.国家環境保護総局・農業部・財政部・国家統計局(1997)「全国郷鎮工業汚染源調査公報」.
http://www.zhb.gov.cn/bulletion/97county.php3

6.呉舜訳,夏青,劉鴻亮(2000)「中国流域水汚染分析」,『学環境技術』,2,1~6

第3回 世界水フォーラムのお知らせ


●世界水フォーラムとは? 
「水をめぐる紛争」「水不足」「水質汚濁」「洪水」……など、世界には水に関する課題が満ちあふれています。世界水フォーラムはこのような問題を解決するためにスタートしました。今回、京都を主会場に、滋賀・大阪で開催される第3回世界水フォーラムは1997年のマラケシュ(モロッコ)、2000年のハーグ(オランダ)に続いて、アジアでは初の開催となります。水に関することは、私たち人類が生きてゆく上での大きな課題です。
この「第3回世界水フォーラム」は、
  ☆オープンな会議
  ☆参加する会議から、1人ひとりが創る会議へ
  ☆議論から具体的な行動を実現する会議へ
を理念に、水に関する意見の違いに関わらず誰もが参加でき、参加者の創意工夫が生かされる会議です。読者の皆さんも参加されては如何でしょう。
●開催場所 
《京都》
フォーラムメイン会場:国立京都国際会館/京都宝ヶ池プリンスホテル
「水と文明、水と文化」フェア会場:みやこめっせ(京都市勧業館)
《大阪》
フォーラム分科会会場:グランキューブ大阪(大阪国際会議場)
水のEXPO:インテックス大阪
《滋賀》
フォーラム分科会会場:大津プリンスホテル、びわ湖ホール
びわ湖水フェア会場:県立体育館、なぎさ公園、ピアザ淡海
●開催日程 
 2003年3月16日~23日(PDFファィル 14KB)

*詳しくは第3回世界水フォーラム事務局 ホームページ 
http://www.worldwaterforum.org/jpn/


第22回「世界食料デー」シンポジウム 基調講演

第3回世界水フォーラムへの日本/アジアからの発信

財団法人 日本農業土木総合研究所 理事長 中道 宏


《基調講演掲載の趣旨》

 本年3月16日から23日には、京都府、大阪府、滋賀県の3会場で第3回世界水フォーラム(WWF3)が開催され、その一環として「水と食と農」の大臣会議が農林水産省とFAOの共催で開催されることとなっています。アジアで初めて開催されるこのWWF3では、日本の水・アジアの水を中心として国際的水議論が展開されることになっています。
 私たち日本人にとって、命の源であり食と農に不可欠である水は非常に身近なものですが、その実情は以外と知られていません。本講演は、2002年10月16日、日本FAO協会主催で開催された第22回「世界食料デー」シンポジウムの基調講演として行われたものです。日本の水・アジアの水が置かれている状況が分かり易く解説されておりますので、WWF3を機会に読者の皆様に水への理解を深めていただくために御紹介するものです。


1.はじめに
 2002年11月号の『文藝春秋』に倉本聰氏が、『北の国から』というテレビ番組について書かれています。同氏は22年間にわたって『北の国から』の撮影のためにシナリオライターと役者の候補者を富良野に集め、富良野塾を開いて、「北の国から」と同じような生活をさせたようです。彼らに、何が生活必需品でしたかと質問したところ、その第1位が水、第2位がナイフ、第3位が食料でした。同じことをテレビ会社の人が渋谷の若い人に質問しましたら、1位がお金、2位が携帯電話、3位がテレビでした。私は、この落差に非常に驚いております。水と食料はまさに生活の必需品ですが、一般の人々には認識されることが低く、関係者の地道な努力が、よりいっそう期待されるところです。

2.過酷な水文条件下で水資源を開発してきた日本/アジア
(1)日本は水に恵まれていると一般に理解されているが、水の利用については厳しい水文、地文条件下にある
 日本は水に恵まれていると考えられています。アジアも一般的にはそのように考えられているようですが、事実は決してそうではありません。日本では平均して年間1714mmも降水量がありますから、世界平均の973mmに比べると非常に多くなります。しかし、1人あたり利用可能水量は、世界平均の2万2000m3に対し日本は5000m3です。これは表1にあるようにサウジアラビアの半分です。降水量が1人あたりで非常に少ない上に、雨の降り方、降った雨の流れ方が大きな問題です。ひとつには図1および図2にあるように、雨が降る月と降らない月がはっきりしています。二つには概して日本の地形は急峻で河川は急流です。つまり、河川水は短期間で海に流れます。その結果、河川の流水量の変動を表す河状係数は図3にあるように非常に大きい値になっています。

表1 各国の降水量

年間降水量 1人当たり
年間降水総量
世 界 (mm)0973(mm) (m32万2881(m3
日 本 1714 2万5150
インドネシア 2620 2万5354
タ イ 1420 1万2143
フランス 0750 2万7086
アメリカ 0760 2万6697
サウジアラビア 0100 1万1413
注:(1)日本の降水量は1966~95年の平均値。各国の降水量は1977年国連水会議資料。
  (2)1人当たり年間降水量算出に使用する人口は、2000年国勢調査及びUN Nations World Population Prospects,The 1998 Revision 2000年推計値。
出所:国土交通省土地・水資源局水資源部
   『日本の水資源 平成11年』、p345

出所:理科年表(丸善)2000年

図1 月別降水量と気温(東京、パリ)


出所:理科年表(丸善)2000年

図2 月別降水量と気温(東京、バンコク)


出所:土木工学バンドブック
注:(1)河状係数:川の1地点について、記録にある最大流量の最小流量に対する比。

図3 世界の河川の河状係数



その他:22億年m3/年 総仮想水輸入量:486億年m3/年

出所:第6回水資源に関するシンポジウム論文集、
p.729、「日本を中心とした仮想水の輸出入」三宅・沖・虫明

図5 農作物輸入に伴う仮想水フロー



その他:40億年m3/年 総仮想水輸入量:539億年m3/年

出所:第6回水資源に関するシンポジウム論文集、
p.730、「日本を中心とした仮想水の輸出入」三宅・沖・虫明

図6 畜産物輸入に伴う仮想水フロー



(2)日本は過酷な水文、地文条件下で、幾世紀もの歴史を積み重ね、血管網のように国土を巡り、命の水を送り届ける用排水路網を整備・維持管理し、水と土の恵み豊かな国土を手に入れた
 日本は過酷な水文条件下で水資源を開発してきています。これは日本ばかりではなくアジアの各国も同じです。このように、幾世紀にもわたり歴史を積み重ね、国土をめぐる用排水路施設を整備し、維持管理し、水と土の恵み豊かな国土を創ってきたわけです。図4(ウラ表紙手前のカラー図面)の赤の線が用水路、紺の線が排水路、点が取水施設で、中央を斜めに流れているのが利根川で、埼玉県行田市付近の水土図です。
 この幹線水路網だけでも用水路が全国で3万km、排水路が1万km、これに毛細血管といえる末端水路を加えますと日本国土には40万kmの水路網ができています。40万kmは地球の10周分になります。農林水産省はこれを全国的に作成し、日本水土図鑑として印刷をしており、(財)日本農業土木総合研究所のホームページでは、どの地域にどのような水路網が走っているか、GIS上で見られるようになっています。

(3)日本は世界最大の食料・飼料穀物(水と窒素)の輸入国
 日本は水に恵まれないが、恵まれるようにしてきた国です。しかし、残念ながら日本は世界最大の食料輸入国になっています。食料を輸入するということは、水を輸入することと同じです。ヴァーチャル・ウォーター(仮想水)を農産物で486億m3(図5)、畜産物で539億m3(図6)を輸入しています。日本の農業用水取水量が590億m3ですから、その2倍弱に相当する水を外国から輸入していることになります。
 食料として、水ばかりでなくて窒素も輸入しています。日本の国土には窒素が毎年30万~40万トン貯まるような食料事情になっています(図7)。

(4)モンスーンアジアとは
 モンスーンアジアとは、中国の北半分、インドのデカン高原より西の方を除いた地域を指します。地文的には造山帯で、礫が多くて脆弱な地層構造を持ち、急峻な斜面があって顕著な扇状地形が形成されており、河川の流域は比較的小さいものです。また、気象・水文的には年間の降水量が1000mm以上、乾期と雨期がはっきりしています。
 したがって、日本と同様で水資源利用のためには多くの努力がなされる地域です。

モンスーンアジアの定義

 アジアの中で地文・気象的に次のような類似の特徴で区分される地域として定義されるのが一般的である。
(1)地文的区分
 自然地理学の分類により、世界の陸地を、①造山運動が活発な地帯(変動帯)、②古い地質で構成され地塊運動が不活発な地域(安定帯)、の2つに大分類した場合の、変動帯の影響を受ける河川流域により構成される地域。
(2)気候的区分
 年間降水量が1000mm以上の多雨地域であり、かつ、温暖気候帯(温帯、亜熱帯、熱帯を統合した気候帯区分)に属する地域(新たに、「多雨温暖地帯」と呼称)。
 このように定義された地域は、概ね、「日本(北海道を除く)、朝鮮半島、中国のうち淮河-揚子江流域以南、東南アジア全域(インドシナ半島及び島嶼国)、ネパール、ブータン、バングラディシュ、スリランカ及びインドのデカン高原以東」が該当すると考えられる。
 これをさらに大雑把に示せば、「東、東南、南アジアのうち、中国の西部山岳地と淮河以北並びにインドのデカン高原以西を除いた地域」である


3.21世紀初の世界水フォーラムがアジア/日本で開催される意義
(1)「火と機械の20世紀」から「水と生命の21世紀」へ(中村桂子氏の提唱)
 中村桂子氏(JT生命誌研究館、館長)は、21世紀を迎えるに当たって「火と機械の20世紀」から「水と生命の21世紀へ」と言われています[「草思」2001年1月号 草思社]。私どもが知る限り、宇宙で水と生命があるのは地球だけです。
 その地球が、今まさに生き残りをかけた世紀を迎えています。この言葉は、「水と土を的確に利用して生命を維持していけるかどうか、そのような世紀に私どもは生きているという自覚をすべきである」ことを語りかけています。

(2)従来の国際水議論は乾燥および半乾燥地域の問題に偏ってきた
 水不足、塩害、地下水の枯渇、断流(河川の水がなくなること)にしろ、乾燥地域および半乾燥地に多い問題です。中国の黄河は1970年代から80年代にかけては、毎年、15日間前後は断流をしていたそうです。開発が進んだ結果、90年代初めには100日間を超える断流を生じ、1997年には226日間も河口からおよそ700kmにわたって、水が枯れてしまいました(表2,3)。 
 一昨年、中国の水利大臣が1週間日本を調査され、その全行程を御一緒しました。「大問題だ、何とか断流を避けたい、そのために上流の利水を制限したい」と言っておられました。その効あってか2000年と翌2001年の断流はゼロと聞いております。

※クリックで拡大表示※クリックで拡大表示

出所:「農産物生産にともなう環境負荷の定量化に関する研究(藤倉、井村他)」『環境白書 平成10年版』p.234.

図7 日本の窒素フロー収支(1994年) 


表2 黄河断流の状況

 

断流出現年度

平均断流長

断流開始時期

平均断流日数

 70年代

6年/10年

135 (km)

5,6月

14(日)

 80年代

7年/10年

179

5,6月

15

 90年代

8年/9年

400

2月

103

 1995年

 

683

3月

122

 1996年

 

700

2月

133

 1997年

 

700

2月初旬

226

 1998年

 

700

次年度に跨る

142

 1999年

 

278

 

42

 2000年

 

 

 

0

 2001年

 

 

 

0

出所:(1)1998年までは「中国の環境と発展の中の主要課題及びその対策」
   (2)1999年以降は「黄河水利委員会資料」

表3 塩類集積が深刻化している主な地域

塩害のある灌漑農地(1)

全灌漑農地に占める割合

インド

(100万ha)07.0(100万ha)

(%)17(%)

中 国

06.7

15

パキスタン

04.2

26

アメリカ

04.2

23

ウズベキスタン

02.4

60

イラン

01.7

30

トルクメニスタン

01.0

80

エジプト

00.9

33

小 計

28.1

21

世界の推定値

47.7

21

注:(1)1980年代後半。
  (2)世界の灌漑農地の約20%が塩害を受けていると推定されている。

(3)地球規模の水と食料の問題
―人口増加と経済発展により、将来のアジアの食料需要増インパクトは、世界を揺るがす大きな問題―
 グローバル化はあらゆる面で進み、水と食料の問題も地球規模の大きな課題となっています。世界の穀物生産は現在19億トン(2003年見込み)ですが、FAOは2010年と2030年の世界の穀物必要量をそれぞれ24億トンおよび28億トンと予測しています(図8)。
 なかでもアジア、特にモンスーンアジアは大きな課題を抱えています。人口増加に加えて、経済発展に伴い、食料需要の変化は量的にも質的にも、世界に大きな影響を与えるものと思います。なぜなら、モンスーンアジアには図9に示すように世界の人口の4割(アジア全体では6割)が住んでおり、主食のコメで支えられております。これは水田灌漑稲作が持つ大きな人口扶養力で、そこでは「水と土を上手に使い、豊かにする知恵」=「水土の知」という工夫があって、稲作が発展してきました。
 そして、その基となる水は、図10に示すようにアジアで世界の水の7割、更に農業用水はその水資源全体の7割を使っておりますので、世界のすべての水利用の5割近く(7割×7割)がアジアの農業用水として使われています。そのうちのかなりの部分を占めているモンスーンアジアの農業は、世界最大の水ユーザーなのです。
 したがって、食料需要の変化はこの地域での水の使い方も含めた大きな影響を世界に与えることになります。こうした、世界の水に大きな位置を占めるモンスーンアジアの農業用水のあり方の議論を深める趣旨から、(財)日本農業土木研究所では(社)農業土木学会と滋賀県の共催で、2002年3月、モンスーンアジアの12の国と地域、4つの国際機関が集まり、第3回世界水フォーラムプレシンポジウム「モンスーンアジア水田灌漑の多面的な役割」を持ちました。

(4)第3回世界水フォーラム(WWF3)プレシンポジウムの成果―灌漑が生み出す多面的な価値の認識を共有―
 このプレシンポジウムでは特に、次の3点について、各国から共通して報告があり、多面的な機能の存在の重要性に対する認識を共にしたところです。
Ⅰ 東南アジアの水田灌漑は乾期の作物生産の可能性と収量を増大し、食料生産の顕著な増大効果がある。加えて、
Ⅱ 養魚・生活用水などとして農村の収入・生活の安定に寄与し貧困の撲滅に貢献している。また、
Ⅲ 水田灌漑の多面的機能を発揮して、都市を含む流域全体の経済・社会の安定に寄与している
 また、水資源の利用可能量が日々厳しくなるなかで、これを健全に維持管理できるのは国家や市場メカニズムよりも、1人ひとりの農家の意識と共同の力が有効であるということで、健全な農民参加型の水管理が水利用の効率を高め、「世界の水と食料」の問題を解決する鍵であるとまとめられました。
 これらは、議長サマリーの形で参加者の理解が共有されました(28ページ右側の囲みを参照)。

注:(1)2015年および2030年の穀物必要量は資料(1)による。近似曲線は1961年から99年のデーターをベースにした。

資料:(1)World Agriculture:towards 2015/2030,2002(FAO).
   (2)Statistical Database(FAO).
   (3)World Population Prospects: The 2000 Revision, Population Division of the Department of Economic and Social Affairs of the United Nations.

図8 世界人口と穀物消費量の将来見込み


4.第3回世界水フォーラムに向けて
(1)水の世紀は対立から協調へ
 世界は水の世紀を迎えていますが、今、何をやらないといけないのか幾つか提案をします。

出所:FAO, FAOSTAT Land,2000.

図9 世界に占めるアジアの人口、面積の割合


図10 水資源の配分―世界とアジア(使用目的別/地域別)

 一つ目は、従来の乾燥および半乾燥地域の問題に偏ってきた国際水議論に、世界最大の水ユーザーである水田灌漑で創られたモンスーンアジアの知見を加えるべきであると言うこと。
 二つ目は、水を大量に使う穀物、食料生産は水資源に余裕のある地域がその責任を積極的に果たし、水資源が乏しい地域の水利用の自由度を高めるべきこと。
 三つ目は土地・水資源の現状と将来の劣化の危険度を把握する調査・研究や、それに基づく国際的な水資源の最適利用を目指す枠組みなどの研究に、世界が共同で取り組むべきこと。
 特に、三つ目では日本水土図鑑(図4)のようなものを地球レベルで示す「世界水土図鑑」が作成できないか、また水不足に悩む国・地域が安心して水資源の転用をはかれる仕組みを研究できないかと願っているところです。


(画像をクリックして拡大表示)
WWF3プレシンポジウム
           議長サマリー(抜粋)

議長は、参加者の大多数が、以下の理解を共有したことを認めた。

1)アジアモンスーン地域の水田かんがい稲作は、現在、世界の稲作の殆どの部分と世界の水の総使用量の大きな部分を占めており、世界の総人口の大きな部分を養っている。

2)アジアモンスーン地域の水田かんがいが、今後の水と食料の需給に関する地球規模の問題を解決するための、重要な鍵となる役割を果たすべきである。

3)アジアモンスーン地域の地理的、気候的、水文的特徴は、この地域の各地において、水田かんがい稲作が、他の農業形態に対して優位性をもって成立、発展したという事実をもたらしているものであり、このことの重要性が十分に理解されねばならないという事実を導いている。

4)アジアモンスーン地域における水田かんがいは、流域での上流から下流への水の反復的な利用を可能とするものであり、季節的に偏在し短期的に頻繁に変動するこの地域の水資源を効率的に利用できるシステムである。

5)アジアモンスーン地域の水田かんがいは、雨水の貯留と洪水の緩和、地下水の涵養、水質の保全、豊かな水域生態系の養生、地域の伝統習慣や固有の文化の育成、さらには、地域の生活上の水の利用、他の産業活動への水資源の提供、などの多面的な役割を果たしており、これらの役割はさらに重点的に研究されるべきである。

6)アジアモンスーン地域における水田かんがいが形作ってきた水と人との関わり合いの永い歴史が、審美的景観、生態系の多様性、農業集落の東洋的文化と伝統を育み、これらは現在もなお存在している。これらが有する価値の評価が社会経済の発展と共に変化する可能性について、研究が行われるべきである。

7)アジアモンスーン地域の水田かんがいが果たす多面的な役割においては、水と人との関わりのあり方が決定的に重要である。農民達の参加型かんがい管理のための水利用者組織の集団的な活動、並びに女性の重要な役割について、一層の注意が払われるべきである。

8)アジアモンスーン地域の水田かんがいが果たす多面的な役割は、経済学的な正の外部性を有しており、かんがい管理を維持・強化あるいは新たに実現するための政策のデザインにおいては、これらの外部経済による公共の利益を適切に考慮すべきである。

(2)国際的水議論を成功させるために
 先に紹介しましたように、プレシンポジウムではモンスーンアジアの意見がまとめられました。第3回世界水フォーラムの本会議では、これを発信する必要があると思います。しかし、日本は会議のホスト国でもありますので、発信するばかりではなく、まとめることが重要です。そのためには議論をかみ合わせる土俵づくりが大切で、次のような認識が必要です。

・灌漑と灌漑システムを混同しない
 これまで何度も「灌漑」という言葉を使ってきましたが、「灌漑」は次の2つのことを意味します。一つ目は作物の根群域の土壌に水分を補給する営農行為です。これは農薬をかけたり、肥料を施したりするのと同じ行為です。二つ目は灌漑に必要な水分を確保して、それを配給する仕組みである灌漑システムです。いささか専門的になりますが、土地改良法における農業用用排水施設のことを指します。
 例えば節水の議論をするときに圃場レベルの水のかけ方を議論するのか、もしくは取水して導水する水の議論をするのかで大分違ってまいります。灌漑と灌漑システムを混同して議論がすれ違いにならないようにすることが大事と思います。

表4 淡水資源の割合

地球上の水の状態

1386 × 106(km3

100(%).000

 

うち淡水地等の水

35.002

2.5000

(%)100(%).60000

うち極地等の水

24.002

1.8000

69.6000

ううち地下水の水

11.002

0.7600

30.1000

ううち湖沼地の水

0.100

0.0080

0.290

ううち河川水の水

0.002

0.0002

0.006

ううち土壌中の水

0.020

0.0010

0.050

ううち生物中の水

0.001

0.0001

0.003

ううち大気中の水

0.010

0.0010

0.040

注:(1)下記の(1)および(2)を参考として作成。
出所:(1)I, A. Shiklomanov: Assessement of Water Resources and Water Availability in the World, 1996 (WMO)
   (2)国土交通省土地・水資源局水資源部:『日本の水資源 平成14年』


・水は循環すれば再生できる資源であるが、循環する水は僅かである
 一般的に水は循環するものと考えられており、確かに循環しています。しかし、循環している水は非常に僅かです。表4は世界の水の賦存量を示していますが、この表はいろいろなことを教えてくれています。
 地球上には14億km3という大量の水があります。しかし、淡水はその2.5%の3500万km3と非常に僅かなものです。淡水のうち極地などの水は使えませんから、利用可能な水は更に少なくなります。土壌中の水、生物中の水として2万1000km3が生命を養っていく水です。この僅かな水を確保するために河川、湖沼、地下水などから取水しているわけです。京都大学の河地利彦教授の研究によりますと、陸地への降水量の11%が河川、湖沼、貯水池、地下水の供給源となっているそうです。非常に僅かな降水量を確保し、さらに上手に利用する仕組みが灌漑などのシステムです。
 表4が教えていることを、もう2つ述べます。降水量のもとは大気です。大気の量はわずか10万km3です。この大気中に含まれる水蒸気は25mmの降水量に相当します。世界の平均降水量約1000mmは、40回降って初めて賄えるわけです。僅か10万km3の大気が地表との間を循環して、私どもは水を得ているわけです。
 また、地下水は地球が数億年もかかって貯めてきた水です。地中深く入っていますので見ることはできませんが、1100万km3と非常に大きいものです。しかし、これは有限です。数億年もかかって貯めてきた地下水を今のような使い方をしていて良いものかどうか、疑問が提示されているところです。

・灌漑システムは水文、地文などにより大きく異なる
 国際水議論をすれ違いにさせないためには、同じ土俵で議論することが必要です。このためには、灌漑システムの態様に応じた次の三つのディメンションに整理して考えることが必要です。
 一つ目は全量を灌漑するか、補給的に灌漑するかです。全量灌漑は作物の生育期に降雨を期待できないので、必要水量のすべてを灌漑する。たとえば新大陸で行われている、非常に乾燥した地域で地下水を汲み上げて行う灌漑はこれに当たります。全量灌漑は、作物の生育期間の降雨、必要水量及び利用可能水量の関係が予測可能ですので、一物一価的に水の価値が決まります。
 補給灌漑は、作物の生育期に降雨を期待できるので不足分を補給する灌漑で、日本の水田灌漑はこれに当たります。この場合は作物の生育期間の降雨の変動は大きく、したがって作物の必要水量及び利用可能水量の関係が予測不可能ですので、水価の変動幅が大きくて、一物一価とならず一物多価となります。
 二つ目は消費水量を導水するか、利用水量を導水するかです。消費水量は圃場一筆の消費水量のみを導水することで、日本の畑地灌漑がこれに当たります。日本の水田灌漑では、消費水量以上の水を導水します。消費水量以外の水は下流で再利用されるわけです。これはアジアモンスーンに共通する灌漑です。

表5 地下水使用が過剰な例

帯水層名

国  名

かん養量①

揚水量②

②/①

推定年

サハラ北部盆地

アルジェリア、
チュニジア

0.58(km3/年)

0.74(km3/年)

127(%)

1992

Saq Aquifer

サウジアラビア

~0.3

1.43

477

1984

ボルカニック

スペイン

0.22

0.22

100

1980

海岸平野

イスラエル

0.31

0.50

160

1990

アルビアル

ガザ地区

0.37

3.78

1022

1990

セントラルバレー

アメリカ

~7

~20

~280

1990

オガララ

アメリカ

6~8

22.2

~300

1980

注:(1)帯水層への年間の地下水かん養量に対し、使用量(揚水量)の方が多い例も見られ、地下水位の低下等の影響が懸念されている。
出所:I, A. Shiklomanov: Assessement of Water Resources and Water Availability in the World, 1996 (WMO)

注:(1)1960年以前には550億m3/年程度あった河川流入量は、流入河川水の利用が進んだ1990年時点では、70億m3/年程度に減少している。
出所:サンドラ・ポステル「欠乏の時代の政治学―引き裂かれる水資源―」(アジア人口・開発協会)

図11 アラル海への河川流入量の推移

 三つ目は水源を略奪的に使っているか、持続的に使っているかです。略奪的とは水資源の自然回復能力を上回る取水を行うことです。持続的とは一定期間に必ず回復する量以下で利用することです。表5のように、地下水が枯渇する、地下水位が低下することは略奪的な灌漑利用がされているからです。有名な例はアラル海です。図11のように昔は毎年500億m3もの水がアラル海に流入していましたが、現在では途中で取水され綿花などの灌漑に使われるため70億m3前後しか流入していません。このため、アラル海がだんだん狭くなっていく。これは典型的な持続しない、略奪的な灌漑の例です。

・WWF3では各国・地域の灌漑がどのような態様であるかを踏まえ、議論されることが期待される
 プレシンポジウムでは、アジアの灌漑についてはまとまりました。今度は世界の灌漑について議論されますが、各国および各地域の灌漑が上に述べたような態様のうち、どのような態様であるかを踏まえて議論されることが必要でありましょう。

表6 灌漑の態様(日本の例)

 

全量灌漑

補給灌漑

消費水量

使用水量

消費水量

使用水量

略奪的

 

 

 

 

持続的

 

 

畑地作

水稲作

表7 世界の国土と森林面積

(単位:1000ha)

国土面積

森林面積

耕地面積

森林割合

耕地割合

日 本

03,7652

02,4718

00,4535

(%)66(%)

(%)12(%)

インドネシア

18,1157

14,5108

01,7941

80

10

タ イ

05,1089

01,4968

01,6800

29

33

イギリス

02,4160

00,2380

00,6267

10

26

フランス

05,5010

01,4154

01,8362

26

33

アメリカ

91,5912

29,5989

17,6950

32

19

出所:(1)Statistical Yearbook(United Nations) Vol. 41 1994
   (2)Statistical Yearbook(United Nations) Vol. 45 1998

表8 森林の推移(フランスの事例)

3000BC

AD 0

1400

1650

1789

1987

80%

50%

33%

25%

14%

27%

出所:地理学の見方考え方 日本大学地理学教室編 古今書院 p103
   フランスにおける樹林地率の変化(1992熊沢:世界の森林資産)

 日本の灌漑は、表6の例で示しますように、すべて補給灌漑で水源は持続的に使われています。消費水量を導水する畑作と使用水量を導水する水稲作があります。このディメンションの考え方も含め、議論の土俵をはっきりしながら、また土俵の重みを確認しながら議論していくことが重要でしょう。

出所:Forest and Civilizations,Yoshinori Yasuda, p.177

図12 森林の推移(アメリカの事例:1620年1920年)

・水議論は、文明論や地球環境問題にもつながる難しい問題である。
 水議論は、これが深められていきますと、文明論や地球環境問題にもつながる、難しい問題であることに気付くと思います。たとえば畑作牧畜民か、稲作漁労民かによって、水の議論は大きく違ってくるでしょう。また、森林を開いて農地あるいは草地にしたか、もしくは森林を守り育てるかによって違ってくるでしょう。イギリスには私どもが子供のときに読んだロビンフッドの活躍した森はありません。スペインに行っても、ドンキホーテがさまよった森はもうありません。モンスーンアジアには、まだまだ森が残っています(表7,8)。図12はアメリカ大陸の森林がこの300年間でどのように減少したかを示しています。やはり、同じ道を辿ろうとしています。

5.おわりに
 私の話はこれで終りますが、「第3回世界水フォーラム」に積極的に御参加下さい。既にヴァーチャル・フォーラムが開かれておりますし、水の声を全国、世界中から求めています。それからフォーラムの開催中には、いろいろなセッションが行われております。皆様の積極的な御参加で盛り上げていただくと同時に、これを機会に日本の水・アジアの水のあり方に思いを馳せていただければ幸いです。

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