〈環境と南北格差〉環境は人間活動の鏡 小学生の頃、初めてエル・ニーニョという環境問題を知った。大きな問題だと思った。1980年代前半であった。それから20年経つが、環境問題は解決どころか拡大・多様化している。 人間は環境という鏡にその爪跡を残した。鏡は結果の事象である。これまで私たちは、環境の背後にある社会的構造的なうねりへの根本的な対応を先延ばしにしてきた。 なぜ環境を守るのか 環境問題は、それ自体は善悪を語れない。他の生物も自然を破壊したのも事実である。たしかに、私たちが壮大な原生林を目の当りにした時、あるいは美しい野生動物の生きる姿を知った時、感情的にそうした美しい生き物の命を人間が奪うことは、許すまじき行為と感じるだろう。しかし、それは人が他の生き物の上に立つという奢った見方が根底にあるし、環境問題の根本にも到達しない。 人間も他の動植物と同様、自らの生存にかけて営みを続けている。まさに、人が環境の一部であるという、紛れもない事実からきている。つまり、生きていくためには環境を守る必要がある。 南北の格差の拡大 現実に南北の格差は拡大している。極貧状態で暮らす人は、全世界で10億人を超える。1人当たり所得が10年前より低下した国は80カ国を超える。一方、世界の富豪200人は、1994〜98年に実質資産を2倍以上増やし、億万長者上位3人の資産合計は、全ての発展途上国(6億人)のGDP合計より大きいという。 所得の問題だけではない。食料生産に関わる南北の不均等も深刻である。本誌の23号で、東京大学大学院農学生命科学研究科の岩本純明教授は「緑の革命―その成果と課題―」で、食料増産への課題の1つとして、食料消費の地域的均衡への対処を挙げている。FAOの推計から、先進国の1人当たり穀物消費量は途上国の2倍以上になる。また1人当たりの飼料穀物消費量も3倍以上の格差があるという。肉のカロリー換算率は穀物の直接摂取よりも低い。同じカロリー摂取に対し、より多くの資源を必要とする。環境面から見ても非常に効率が悪い。 リオ・サミットから10年 環境問題への世界的意識が高まったリオ・サミットから10年目。今年8月の環境開発サミットに向けて、利害の不一致により南北の溝が深まったものの、7月には「政治文書」原案がまとまった。その原案では、地球環境問題への言及は縮小された。代わりに貧困解消など途上国開発に重点をおき、経済グローバル化の恩恵は先進国に偏ると認めた。 ここへきて問題解決のピントがずれたのだろうか。私は、環境開発サミットであえて途上国の貧困に正面から取り組む姿勢は、背景にある構造的なうねりに、メスを入れる積極的な意味を見ており、課題を克服してゆくものと期待している。 ARDECを読んで 貴誌では毎号、専門家が具体的な国際協力の情報を提供している。私は環境の視点から拝読することが多い。途上国の環境と開発、そして農業問題は直結するだけに現場での農業活動を多角的に知り、示唆を得るには貴誌は有難い存在である。またバランス面だけでなく、非常に質の高い具体的、技術的かつ有益な最新報告を毎回得られるので貴重な読み物である。
《編集後記》FAOの分析から見ると栄養不足人口は南・東南アジア、アフリカ、南米に集中している旨が特集で述べられています。サブ・サハラ諸国はとりわけ深刻で、過酷な自然条件、人口増加、貧困、農地の劣化などが悪循環を形成してしまいがちです。あるNHK番組によれば、アフリカに偏在するダイヤモンド、タンタル鉱石といった希少資源、さらには石油も“資源戦争”の火ダネとなり、民族やイデオロギーとは別次元での争奪戦が人々の絶望感をいっそう強めているようです。タンタル鉱石とは耳慣れないかも知れませんが、簡単にいってしまえば携帯電話やノートパソコンなどの電子機器に不可欠な原材料です。 それはさておき、厳しい現状は認識しながらも、やはり可能性を現実のものにしていく、きめ細かい国際協力がますます強く求められているといえるでしょう。ヨハネスブルクサミット、第3回世界水フォーラムといった世界会議が予定されていますが、こうした協力体制について実りある方向で確認されて欲しいものです。 最後になりますが、OPINIONでも特集の1編でも、“持続的農業”や“在来農法”の意義などに言及されています。60億を超える人口が生きていくなかで、近代農法をスッパリと転換するなどとてもできないでしょうが、折衷、併存などの道をいずれ特集することも検討したいと思います。
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