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象牙海岸 農業動物資源省 安城康平 |
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JICA専門家 |
On dit quoi?(オンディクワ)/ 何言ってんの? 道路で会った人にいきなり「何言ってんの?」と言われました。パリでは聞かないフランス語です。しかもその語調が「文句あるか?」と似ているところもあり、随分恐ろしいところへ来たと思ったものでした。オフィスでは私の倍もあろうかという体重の女性秘書が運転手控え室に電話して、「ザディ、パトロンが呼んでるよ」、「……」、「来りゃいいんだよ!」、―おいおい―、「少なくとも農業動物資源省官房、アドバイザーの秘書なんだから、おこしください、とまでは言わなくても、来てくださいと言ってくださいませんか」などと、赴任早々秘書にお願いしたものでした。 あれからもう3年近く、今では道で見知らぬ人に会って、相手が声をかけそうだと見るや、こちらから「文句あるか?」ということにしています。こちらではこれが日常の挨拶で、「お変わりありませんか?」の現代版のようです。そういえば人に物を依頼する時、私自身が太った秘書に似てきました。そういう風に言う方が良く通じるからです。一方、会議や文書では不要ともいえる丁寧な挨拶言葉が使われるのですから、本音と建前が随分異なるところといえそうです。 自然 16世紀の地図を見ると、ギニア湾には西から、ライオン岳(シェラレオネ)、グレン(パーム椰子の実)海岸、椰子岬、そして中央が象牙海岸、さらに東には黄金海岸、奴隷海岸と続き、ナイジェリアのところには油の川というのもあります。つまりはヨーロッパの船がアフリカ大陸の目印、或いは貿易の産品をその地の名前として呼んでいたわけです。これがそのまま地名として残り、国名として残ったのがここ象牙海岸です。ところが、現在の象牙海岸に野生の象を見ることはめったにありません。国立公園内に数頭生息しているとのことですが、私もまだお目にかかったことがありません。 動物たちが南下したのか、象牙として乱獲されてしまったのか、両方の原因があるようです。それでも象牙のお土産は売っています。東、南アフリカから入っているとしか考えられません。もっとも、精巧な日本製の硬質プラスチックという事も考えられます。国の約半分は森林地帯と呼ばれる熱帯雨林ですが、野生猛獣はほとんど生息しておらず、鹿や小動物が多いようです。 農作物と主食 象牙海岸で最も多く生産される農産物はカカオで世界の40%を占めています。最も多く食されるのはヤムイモです(年間1人当たり109kg)。当地の日本人にも人気のある食べ物はアチャケとフトゥ。アチャケはキャッサバから作ったクスクスに似た小粒のご飯、フトゥは蒸かしたヤムイモをついたお餅です。この国の主要農産物と主食を地域別に見ると、右上の図のようになります。この図からも判るように、地域により生産作物と好まれる主食は異なります。これらはもちろん自然条件、とりわけ降雨量に影響されています。北部のサバンナ地帯には綿花やカシューナッツが、中部にはコーヒーやカカオとコメが、そして南部の熱帯雨林ではバナナや天然ゴムやパーム椰子といった産物が多く栽培されています。 おコメについて 主食はその地域の自然条件が大きく影響していたはずですが、近年の都市への人口集中がコメの需要を高め、食物の嗜好までも変えつつあります。同僚のフランス人アドバイザーはコメの食料援助に絡んだプロジェクトが地元民の食文化を変えてしまうので良くないとの意見を持っています。 私は世界の土地資源、サヘル地帯の砂漠化、人口増加の現状に鑑みれば、灌漑による稲作計画は良策であり、しかもここ西アフリカの人々は稲の文化を既に持っており、象牙海岸で1人当たり年間60kgも消費をしている事を考えれば、稲作推進は十分正当性があり持続性もあることだと説明していますが、ご飯を食べないフランス人への説明にはなかなか骨がおれます。会議の席で『水田は地球を救う』(本田幸雄著)からヒントを得た灌漑稲作推進コンセプトのプレゼンテーションをやってからは、だいぶ理解を示してくれるようになりました。彼もフランス流の農産物の自由化、政府農業支援のあり方などについて、ロジカルな哲学で説明してくれ、非常に参考になっています。
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JICA派遣専門家(フィリピン) |
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国家灌漑庁 竹内兼蔵 |
1.はじめに 技術協力として途上国での業務に従事する場合、通勤や日常生活の面からも、車の確保は不可欠である。筆者は1990年以降から現在に到るまでに、足掛け10年余りをタイとフイリピンの2カ国で生活しており、勿論車のお世話になっている。 ただし、運転手との付き合いはそれ程長い期間ではない。これは自分たちの私生活を覗かれるのは、出来ることなら避けたいという気持ちがあったことが大きく影響してはいるものの、勤務した場所が我々自身で車を運転するのに最も抵抗の少ないタイであったことと無関係ではない。タイでの最初の4年間は国際機関であり、そこでは職場の仲間のほとんどが自分で運転しており、運転手を雇うという贅沢さは許されないような雰囲気であったので、筆者もこれに従って自らハンドルを握った。 その後、1996年からの3年間はJICAの専門家として再度タイで暮らしたが、最初の2年間は単身赴任であったので、過去の実績から自分で運転した。運転手を雇用したのは、最後の1年になって妻が合流し行動範囲が広がった結果であった。一方、今回のマニラでの勤務では、最初から運転手のお世話になっている。 かくして、日本ではごく普通の一市民が、こちらでは使用人を雇用するという立場になり、さまざまな場面に出会うことになる。以下、これらについて紹介したい。 2.運転マナー(30cmと3cm) 一昨年の8月中旬にマニラに着任したが、道路の渋滞に関しては前任地のバンコクで十分慣れていたので、さほど驚かなかった。一方、運転マナーの面では、こちらでの死に物狂いに近い激しさに唖然とさせられた。前任地のバンコクでは、我々日本人でも容易に運転できるような、優しみのあるマナーが存在していた。すなわち、バンコクでは我々の車はソイと呼ばれる小さな小路から大通りへ割り込みをするのが、毎朝の日課であるが、この場合に大通りにいる車の方も心得ていて、一定の間隔でこれを受け入れるという大らかさと優しさが存在していた。 それに比べると、マニラでは自分の車のスペースを確保するための熾烈な闘争が繰り返されるという激しさで、うかうかしていると、何時までたっても入り込めないために、生きるか死ぬかの真剣勝負が繰り返されている。自分の場所を確保するには、相手の車にあわや接触するという、ぎりぎりまで突っ込む必要に迫られる。勿論衝突させる訳ではないが、少しでも空間が生ずれば遮二無二突進して相手を止めるという、意地と意地がぶつかる戦いの連続で、これに膨大なエネルギーを費やしている。 筆者がここ十年に経験した二つの国での交通マナーを30cmと3cmという言葉で表している。すなわち、タイのバンコクでは車と車とのせめぎ合いでは30cmの余裕があり、この距離に至る間で秩序が保たれ、更に一台ずつ交互に入り込むというような、暗黙のルールが合意されており、従って小路から大通りに出る場合にあっても、待ち時間が絶望的に長くなるという心配は少ない。一方、ここマニラでは、この距離が3cmというぎりぎりの範囲まで狭められているので、小生の如き気の弱い輩には恐怖が先に立ち、とてもこのゲームに参加できたものではない! ただしマニラのドライバーの名誉のために補足すると、この3cmを挟んで運転する者の間には暗黙の相互理解があり、従って車同士の接触事故はバンコクと比べてもさほど多くはない。すなわち、バランスは取れているのである。ただし、こうした厳しい戦いを伴うがために自ら運転することをしり込みさせており、筆者はマニラの町で運転する気持ちも勇気も今もって全くない。
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