2024.8 AUGUST 70号
REPORT & NETWORK
高校生の皆さんへ
1 はじめに
私の海外での研究体験は、インドネシアの水田農業に関する内容が初めてのものでした。今から30年近く前の話で、右も左も分からずにボゴール農科大学のメンバーと共にジャワ島西部を中心に調査を開始しました。内容は、環境と調和するための持続的な農業開発とは?という問いかけで、水田農業にはその可能性があると考え、色々と見学させてもらった記憶があります。
インドネシアは日本と異なり、雨季と乾季がはっきりと分かれていて、雨季で1回、乾季で1~2回お米を作るのが一般的です。乾季にお米を作るには、灌漑設備と呼ばれる、ダムや堰、あるいはポンプ、さらに水を運ぶための水路が必要となります。灌漑設備には近代的なものが多いのですが、伝統的なものも当時はまだ残っていました。古いものでは第二次世界大戦以前にオランダが造った堰があると言われ、場所によっては大事に使われていたことがわかりました。
灌漑設備には、ダムに代表されるように大きな予算が必要なものが多くあります。そのため、国や国際機関が投資して造られる場合が大半です。一方、一度造られると、そのような設備を維持するコストは農家が負担する場合が多いようです。インドネシアでも、農家が集まってみんなで堰や水路を修理したり、掃除したりします。バリ島の「スバック」と呼ばれる農家集団は、伝統的な水利組合と呼ばれ、バリ島のヒンドゥー教をベースに水の神様を祀りながら稲作を行っています(写真1、2)。スバックには少数の人が水を独占しないよう、皆で話し合いながら灌漑用水を配分する仕組みがあります。もちろん、ズルをしたり、さぼったりする人もいますが、やはり皆で稲作を行い、要所要所でお祭りをし、冠婚葬祭ともなると、スバックが総出で参加するのですから(写真3)、あまり悪いことはできないようです。そのような水田農業と文化や宗教の関連性を見て、日本の農業と似たようなところ、違うところについて色々と考えることができました。
2 農業と環境の問題
現在、私の大学の研究室には、インドネシアやラオス、ウズベキスタン、ガーナといった国々からの留学生が在籍し、それぞれ母国に戻った後は農業開発、中でも灌漑農業の発展に従事しています。今、灌漑農業には、2つの大きな課題があります。簡単に言うと、環境が農業に及ぼす影響という課題と、農業が環境に及ぼす影響という課題です。前者は、特に気候変動下においてどのように食料を安定的に供給するかという内容で、どのように水やエネルギーを節約しながら農業生産を向上していくのかという課題。後者は農業が及ぼす環境への影響、例えば土壌の保全、水質や水環境の持続性を考慮しながら、安定的に農業を継続できる環境づくりというものです。
気候変動は、乾燥地のところはより乾燥が激しく、降雨が多いところでは、より集中的に雨が降り洪水が起こりやすくなる可能性が高いと指摘されています。一方で熱帯地域の場合、雨季と乾季の気候がより極端になり、雨季には降雨が集中して洪水が起こりやすく、また乾季では雨の降らない期間が長期化して、干ばつが起こりやすくなる可能性が指摘されています(環境省https://www.env.go.jp/earth/ondanka/rep130412/report_2.pdf)。このような状況下では、水田のように水を大量に使う農業は不利な状況になります。したがって節水しながら灌漑を実施することは、今後の厳しい気候変動下の状況に適応する方法として注目を浴びています。また、節水するだけでなく、生活排水や農業排水を再利用する方法についても検討が進んでいます。このような場合には、ICT(情報通信)技術を使ったスマート農業が役に立つかもしれません。私の研究室では、トルコの綿花栽培にドローンを飛ばして、その農地(畑)の水不足の状況を把握しながら、灌漑水量を調整するという取り組みをスタートさせています(写真4)。
もう一つの、農業が環境に及ぼす影響は、さらに複雑な課題です。水田農業は、灌漑用水によって水を貯めることで、田んぼや水路に水環境を作り出します。人為的に作り出された水環境であっても、魚や水生昆虫が現れ、多様な生態系を生み出します。また、水田は水を貯めることを前提に整備されているので、例えば大雨の時に洪水を一時的に貯留することもできます。このようにコメを作る以外の機能を、水田の多面的機能とか、生態系サービスと呼んで、研究が進みつつあるところです。
水田が広く分布する、東南アジアや南アジアといったところは人口密度が高く、これからの人口増加も期待される地域です。その結果、都市化が進み、水田から都市域へと大きく変化しています。結果として、上記の水田の生態系サービス等は失われていきます。いわゆる開発途上国で問題となるのは、お米を作って売るだけで生活が成立しているわけではない人が大勢いることです。例えば、水田の用排水路で、魚を釣って食料にしたり、棚田のような山間部では水田以外の果樹や山菜のようなものが、補助的な食料になったりします(写真5)。あるいは、上流域に水田があれば、地下水が涵養されることで下流側で安定的に水を利用することができるような効果もあります。水田が減少するとともにこういった効果が失われることも考えられます。長い歴史を持つ水田は、かなり自然環境に近い存在となっており、水田がなくなることは食料生産の場所がなくなるだけではなく、水田の環境や様々な自然環境が持つ機能が失われることにもつながります。現在、研究室では東南アジアのラオスでそのような水環境の調査と土地利用変化の研究を行っており、水田面積の30年間ほどの変遷を解析しているところです(写真6)。
3 今後の展開
海外の農業農村開発に対して、日本が貢献できる分野は多いのですが、特に水田農業の開発に関するノウハウといったものは、日本が独自に育んできた部分もあり、国際的に大きく貢献できるものと考えられています。今、コメの栽培は、東南アジアから南アジア、アフリカへと展開しており、それぞれの国や環境に合わせた水田農業の展開が期待されています。その中で、持続的に水田農業を行うには、栽培技術だけではなく、ヒトが関与する水や土地の管理に関する社会的技術、水環境に関連する保全型の技術、そしてスマート農業のような情報工学に関する技術が総合的に必要とされています。
これから、国際的に活躍を目指す皆さんは様々な分野の勉強をしていくことと思いますが、勉強したことを何に使うのかが問われていると思います。農業農村開発は、様々な学んだことが総合的に活かされる現場であり、また国際社会で非常に必要とされる分野です。多くの方が、興味を持っていただければ幸いですし、より深く学びたければ、様々な大学の農学部や大学院にある、農業農村工学、地域環境工学と呼ばれる学科で、この分野を学ぶことができます。是非、多くの方の挑戦を待っています!!