2024.2 FEBRUARY 69号

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「世界の農業農村開発」第69号 特集解題

海外情報誌企画委員会 委員長  角田 豊


 2024年元日、最大震度7の巨大地震が能登半島を襲いました。亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。

 能登地域は、「能登の里山里海」として我が国で初めて世界農業遺産に認定されました。農林水産業の営みは、水田、畑地、森林、溜池、集落、漁港、塩田などがモザイク状に分布する独特の里山・里海の景観を形成し、輪島塗などの伝統工芸やキリコ祭りなどの伝統文化を育んできました。

 能登の復興には、地域の基幹産業である農林水産業の復興が欠かせません。農林水産業が復興して人々の生活が維持され、里山・里海の景観がよみがえり、観光も回復するのです。能登の一日も早い復旧と農林水産業の創造的な復興、地域の発展を願うものです。

 第69号のテーマは、「新たな開発協力大綱と農業農村開発協力」である。2023年6月、8年ぶりに開発協力大綱が改定された。その背景として、①国際社会が直面する複合的危機(気候変動、感染症の拡大、ロシアによるウクライナ侵攻など)により深刻な影響を受ける開発途上国への関与強化が一層重要になっていること、②一部の新興ドナーによる債務問題が顕在化しており透明公正な協力ルールが必要なこと、③民間資金フローの増大と開発アクターの多様化に適切に対応する必要があること、が挙げられている。重点政策として、気候変動、保健、人道危機、デジタル、食料・エネルギー等経済の強靭化に取り組むことが明記されている。また、協力の実施面では、日本の強みを生かした協力メニューを積極的に提案するオファー型協力や人への投資を戦略的に展開していく方向が打ち出されている。今号は、Opinion1編、Keynote2編、Report & Network3編で構成する。大綱に即した今後の農業農村開発協力について展望してみたい。


Opinion  新たな開発協力大綱と農業農村開発協力について

 農林水産省農村振興局海外土地改良技術室長の鷲野健二氏の提言である。大綱には、「食料の安定供給・確保は、開発途上国の持続的成長のみならずわが国にとっても重要であり人材育成や周辺インフラ整備等の支援に積極的に取り組んでいく」と明記されていることから、農業農村開発協力においては、灌漑排水等のインフラ整備、人材派遣や研修員の受入れを通じた人材育成などハード・ソフト両面での支援が重要であると指摘している。特に気候変動に関しては、深刻化する干ばつや洪水被害を軽減・防止する適応策として農業農村分野の協力を展開するとともに、小水力発電や間断灌漑の導入等による温室効果ガス排出削減等の緩和策を推進するとしている。さらに実施面では、日本の強みを生かしたオファー型協力の強化に関して、我が国の農村振興分野の技術を活用した総合的な支援のパッケージ化が必要であるとしている。また、アジアモンスーン地域の実情を国際ルールに反映させることが重要であり、国際かんがい排水委員会、国際水田・水環境ネットワーク等の場を活用しつつ世界水フォーラムなど国際的な議論に参画していくとしている。

 そのうえで、農業農村開発に関する4つの具体的事業を紹介している。①アジアモンスーン地域の農業農村開発を通じた気候変動対策事業として、2023年から4か年でベトナム、ラオス、カンボジアを対象として我が国の技術・製品を活用した緩和策・適応策を現地実証する。水田の間断灌漑による温室効果ガスの排出削減効果、ICT水管理システムの実証、田んぼダムの導入の現地実証を行い、事業展開の構想策定を行う。②東南アジア諸国の農村の持続的な振興に資するため、2023年から3か年でカンボジアにおいて我が国の農村振興対策をパッケージ化した農村振興モデル事業の実施計画策定を行う。③農業水利システムの効率化・省力化を推進するため、ICT技術を活用した灌漑排水情報基盤システム構築の支援事業をタイ、ベトナムで展開しシステム運用のガイドラインを2024年までに取りまとめる。④アフリカについては、新規の灌漑開発から既存灌漑排水システムの機能維持・強化に重点化することとし、我が国の保全管理・更新技術や再生可能エネルギー技術の普及・啓発、事業計画策定の指針を2024年までにとりまとめる。

 海外土地改良技術室は、農業農村開発分野の開発協力推進の司令塔としての役割を担っている。人材派遣に関しては、大使館、JICA専門家、国際機関へ2023年時点で38名の農業農村工学を専門とする行政官を派遣している。国際かんがい排水委員会や国際水田・水環境ネットワークを通じた国際交流や国際的ルール作りへの貢献、さらには、中・韓・ASEAN諸国との技術交流など幅広い人脈と情報ネットワークを構築している。新たな開発協力大綱のもと農業農村開発協力の重要性は一層増しており、今後の展開を期待したい。


Keynote1 今後の農業・農村開発協力~国際協力機構(JICA)の協力方針~

 国際協力機構(JICA)経済開発部長の下川貴生氏の寄稿である。新たな開発協力大綱においては、世界が直面する複合的危機に対応して食料安全保障の取り組み、食料増産、栄養改善等のための協力の推進が掲げられている。また、日本の強みを生かすオファー型協力の具体的な進め方としてJICAの課題別事業戦略である「JICAグローバルアジェンダ」を踏まえることとされた。この中で、農業・農村開発は人々を貧困から救い豊かさを実現するための柱の一つに位置付けられている。

 「JICA農業・農村開発グローバルアジェンダ」においては、「持続的かつ包摂的な農業・農村開発を推進し農家の所得向上と農村部の経済活性化を通じ貧困削減を実現すること」、「食料の安定的な生産・供給を通じ、食料安全保障を確保すること」を目的として5つの重点事業領域(クラスター)を設定している。①「小規模農家向け市場志向型農業振興(SHEP)」については、ケニア等での成功を踏まえ、2030年末までに小規模農家100万世帯の農業所得向上を目指すSHEPクラスター事業戦略を展開している。②「フードバリューチェーン構築」については、2024年から、ASEAN事務局とASEAN-JICAフードバリューチェーン開発支援プロジェクトを開始する予定である。③「アフリカ地域稲作振興(CARD)フェーズ2」については、2030年のアフリカのコメ生産5600万トンを目指し、2023年にCARDクラスター事業戦略を公表した。このほか、④水産ブルーエコノミー、⑤家畜衛生強化を通じたワンヘルスの推進、に取り組んでいる。

 アフリカについては、2022年のTICAD8チュニス宣言を踏まえ、「JICAアフリカ食料安全保障イニシアティブ」を立ち上げ、①食料生産、②農家の育成・民間農業開発、③栄養改善、④気候変動対策の4本柱の支援を通じて、アフリカの食料安全保障と栄養におけるレジリエンス強化を支援していくこととしている。このうち、気候変動対策として、干ばつ・洪水等に備えた灌漑整備等の水資源の効率的利活用、耐候性品種の導入、営農技術の改善指導を挙げている。

 最後に世界の食料安全保障の実現に向けて農業・農村開発協力における気候変動対策(適応・緩和策)がますます重要になると指摘している。適応策としてザンビアで成果を上げた「持続可能な地域密着型小規模灌漑(COBSI)」の他国への展開(COBSIについては本誌第66号で家泉達也氏が報告)や農民参加型水管理促進のためのガイドライン整備を挙げている。緩和策では、カンボジアでの間断灌漑技術による水稲のメタン排出削減システムの研究事業にも取り組むとしている。


Keynote2 大学の立場から今後の農業農村開発協力を考える

 東京大学名誉教授の山路永司氏から、農業農村工学の研究と教育・人材育成を担う大学の立場から農業農村開発協力についての考察である。大学が行う協力として、世界各国の大学との交流協定がある。東京大学農学部・大学院農学生命研究科は22か国48大学と81の交流協定を結んでいる。この中でインドネシアのボゴール農科大学と東京大学の協定は1988年に締結、1997年にはボゴール農科大学に東大の研究拠点を設置するという密接な関係を構築し、現在に至るまで交流協定は更新され研究交流が継続されている。この他、日本学術振興会の国際プログラムにアジア・アフリカ諸国の研究者が日本の大学で論文提出による博士号取得を支援する論博事業も大学間協力として挙げられる。

 大学の研究協力はJICAとの連携で大きく発展するとして、ボゴール農科大学のケースを説明している。インドネシア政府は、農学高等教育の最重要拠点としてボゴール農科大学の大学院整備計画を進め、JICAはこれを支援することとし、無償資金協力による農業工学部の大学院施設の完成(1986年)、プロジェクト方式技術協力「ボゴール農科大学大学院計画」による大学教員の専門家派遣、研修員受け入れを1988年から1993年にかけて実施した。その後も様々なフォローアップ協力を展開した。大学間協力とJICAの協力スキームとの連携なくしてはできなかった事業であると指摘している。最近では、ベトナムから質の高い大学創設の協力要請があったことを踏まえ、JICAは、「日越大学修士課程設立プロジェクト」を2015年から開始している。

 このほか、JICA草の根協力事業も大学が活用できる仕組みである。2003年度から2022年度にかけて大学が実施した草の根協力事業は87件あり、そのうち農業農村にかかわるプロジェクトは15件であった。このうち、山路氏が実施したベトナム国ハノイ市農村部における環境保全米の生産・管理強化計画について紹介している(ARDEC第57号を参照)。

 今後の大学が取り組む農業農村開発協力については、JICA、国立研究機関、一般社団法人、民間企業、NPO等との連携をさらに進めること、大学の構成員がNPOを設立・参画することがあってもよいとしている。また、農業農村工学を専攻する学生が海外農業農村開発協力の現場を体験する機会は貴重であり、大学外の機関にも学生の海外研修に係る予算化を要望したいとしている。


Report & Network

 北海道旭川市の大雪土地改良区総務課長の佐々木洋文氏から土地改良区が実施する国際協力についての報告である。大雪土地改良区は2001年以来22年にわたってJICAの研修員受け入れ事業に取り組み、アジアから16か国146名、アフリカから18か国94名の水管理技術習得のための研修員を受け入れてきた。また、JICAの草の根技術協力にも取り組み、農民参加型灌漑基本技術の普及のため、12名の土地改良区職員がラオスで技術移転活動を実施した。また、JICAの国別研修「流域水資源管理」では、カンボジア政府の水管理技術の行政官、州政府職員、農家水利組合員等を大雪土地改良区に招き、大雪土地改良区からも現地で技術移転に当たった。JICAの技術協力「流域水資源利用プロジェクト」と相まって、カンボジアでは政府主導の水管理から農家水利組合主体の水管理へ徐々に移行している。また、土地改良区による国際協力は土地改良区にとってもメリットがあると指摘している。土地改良区職員の国際的視野が広がること、技術移転を通じて職員の技術力が向上すること、そして国内外での人脈が広がることなどである。土地改良区の国際協力が農家参加型水管理の推進にさらに貢献していくことを期待したい。

 日本工営株式会社農村地域事業部の清水敬祐氏から、ウクライナ農業とロシア侵攻による影響の報告である。ウクライナは国土の70%に当たる4138万haの農地面積を有し、農業セクターはGDP比で10.6%を占め、穀物と油糧種子の生産は世界トップクラスという大農業国である。ロシアの侵攻は、かんがい施設等農業インフラの破壊、地雷・重金属等による農地汚染、農産物流通施設の破壊や輸送ルートの封鎖、農業機械の破壊など広範に及んでいる。また、燃料・肥料など農業投入資材の高騰による農業経営への影響、農業従事者数の減少など多岐にわたり2022年の主要穀物収穫面積は前年の40%近くまで減少するなど農業生産は大幅に落ち込んでいる。ウクライナ復興支援において農業セクターは極めて重要である。我が国農業の強みを活かしつつ、灌漑技術、高付加価値農業、エネルギー効率化、スマート農業技術等に、政府・民間が一体となってウクライナ復興に協力していくことが重要であると指摘している。

 亜細亜大学国際関係学部教授の角田宇子氏から、「フリーマン先生と灌漑用水割当制度論」についての寄稿である。角田氏は、コロラド州立大学のフリーマン教授の灌漑用水割当制度理論に基づきフィリピンの灌漑システムの分析と農家水管理組織の評価を行っている(ARDEC第59号に寄稿)。フリーマン教授は、灌漑システムが成功する6条件を提示しているが、なかでも「用水の配分が受益者の果たす義務に応じて与えられる」、「用水配分において、上下流の格差が是正されている」の2条件が割当制度と呼ばれ、水利組合員間の公平性を保ち水利組合が成功する中核であると指摘している。今回は、フリーマン教授との出会い、フリーマン教授が灌漑用水割当制度を導いた根拠について解説し、日本の土地改良区においても割当制度が存在していることについて言及している。農家参加型水管理を考えるうえで重要な示唆を与えてくれる。


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