農業用ダムの洪水調節機能強化の取組

農林水産省 中国四国農政局 農村振興部 部長 柵木 環

1.異常気象と気象災害

 近年の猛暑と豪雨の頻発化は誰しも感じているところであるが、統計的にも明確な傾向が出ている。具体的には、図1のとおり、日本の年平均気温は長期的に上昇、とくに1990年代以降、高温となる年が頻出しており、2019年の日本の年平均気温偏差(1981−2010年の30年平均値からの偏差)は+0.92℃で、統計を開始した1898年以降で最も高い値となった。


図1 気温の上昇傾向
図1 気温の上昇傾向
注: 棒グラフは各年の年間日数の合計を有効地点数の合計(51)で割った値(1地点あたりの年間日数)を示す。折れ線は5年移動平均値、直線は長 期変化傾向(この期間の平均的な変化傾向)を示す。
出所:『気候変動監視レポート2019』気象庁 令和2年7月 に所載の「日降水量100㎜以上の年間日数の経年変化(1901-2019)」および「日降水 量1.0㎜以上の年間日数の経年変化(1901-2019)」から、編集にてグラフの仕様・表記を一部改変。


 また、日本の降水量については、図2のとおり、日降水量100㎜以上の日数は、1901−2019年の119年間で増加している(信頼度水準99%で統計的に有意)。一方、日降水量1.0㎜以上の日数は減少し(信頼度水準99%で統計的に有意)、大雨の頻度が増える反面、弱い降水も含めた降水の日数は減少する特徴を示している。


図2 日降水量100㎜以上、および1.0㎜以上の年間日数の経年変化(1901−2019)
図2 日降水量100㎜以上、および1.0㎜以上の年間日数の経年変化(1901−2019)
注: 棒グラフは各年の年間日数の合計を有効地点数の合計(51)で割った値(1地点あたりの年間日数)を示す。折れ線は5年移動平均値、直線は長 期変化傾向(この期間の平均的な変化傾向)を示す。
出所:『気候変動監視レポート2019』気象庁 令和2年7月 に所載の「日降水量100㎜以上の年間日数の経年変化(1901-2019)」および「日降水 量1.0㎜以上の年間日数の経年変化(1901-2019)」から、編集にてグラフの仕様・表記を一部改変。


 猛暑と豪雨のメカニズムは大気中の温室効果ガス濃度の増加によって平均気温が上昇したことによる。気温の上昇によって大気が含むことができる水蒸気の量(飽和水蒸気量)が増加するため、これに伴い大雨や短時間強雨の頻度や強度が強まることになる。さらに、気温が上がる影響で雪ではなく雨として降ることが増える結果、日本国内では降雪量や積雪量が減少する地域が多くなる傾向もみられる。一方、台風(熱帯低気圧)は海面から供給される水蒸気をエネルギー源としていることから海面水温の上昇に伴い供給される水蒸気量が増えるため、日本付近の個々の台風の強さは地球温暖化の進行に伴い強くなる可能性があると分析されている。このような日本における異常気象は世界でも同様であり、それにより気象災害の発生も多発している。

 こうしたなか、日本では、令和元年に異常豪雨や台風上陸が頻発し、大きな水害が発生したことを受けて、昨年から農業用ダムにおいても利水容量を活用して洪水調節可能容量を確保する新たな運用が始まった。本稿では、この農業用ダムの洪水調節機能強化の取組について、その背景や検討経緯等について振り返り、その意義を明らかにするとともに今後の課題について述べたい。


2.国土交通省所管ダムにおける事前放流の取組経緯

 平成16年は台風年となり、観測史上最多となる10個の台風が日本に上陸した。昭和29年から平成15年までの50年間における台風の平均上陸個数は2.9個、最大上陸個数が6個であることと比較すると、この年は上陸台風が著しく多い年であった。このため、この年の風水害は、人的被害としては死者・行方不明者数227名、負傷者数2500名。住家被害としては全壊742棟、半壊7899棟、一部損壊6万7036棟、床上浸水5万4340棟、床下浸水11万5067棟となった。

 国土交通省はこのことを踏まえ平成16年12月10日に「豪雨災害対策緊急アクションプラン」を作成し、対策の一つに、ダムから洪水発生前に利水容量の一部を放流(事前放流)し、洪水調節容量を計画規模以上に確保する対策を掲げた。これが、ダムの利水容量を活用した洪水調節機能の強化の始まりといえる。

図3 予備放流と事前放流
図3 予備放流と事前放流
 
図3 予備放流と事前放流
【予備放流】
建設時の費用負担に基づき、通常時は利水用途に使い、洪水時は治水用途に義務的に使うこととしている容量から、洪水前に貯留水を放流して水位を低下。
※河川法に基づく操作規則に位置づけている。
【事前放流】
建設段階で河川管理者は費用を負担していないものの、 利水者の協力(了解)がある場合に、対価なしで利水容量の一部を治水用途に使わせてもらい、洪水前にその貯留水を放流して水位を低下。
出所:「既存ダムの洪水調節機能の強化に向けた検討会議(第1回)」資料1国土交通省説明資料 から、編集にて図の仕様・表記を一部改変。


 このときの運用方針については、「国土交通省所管ダムにおける事前放流の実施について」(平成17年3月30日付け河川環境課長通知)の別記「事前放流ガイドライン(案)」に示された。そこには、国土交通省直轄・水資源機構管理ダムおよび一定規模以上の補助ダム等を対象に事前放流の検討を行うよう記載されている。一定規模とは、集水面積80㎞2以上、かつ総貯水容量が1400万m3以上で、さらに洪水調整ゲートを有するダムとされていた。また利水の共同事業者に支障を与えない範囲でかつ、下流河川利用者の安全を確保できる放流や貯水池法面の安定を確保できる水位低下速度によって確保可能な容量を事前放流の対象とすることが明記されていた。実施にあたっては、ダムごとの事前放流実施要領を作成し、利水者に対し説明を十分に行い、同意を得ておくこととしていた。併せて、事前放流により下げた水位が回復せず、従前の利水機能が著しく低下した場合の損失補填制度も創設された。なお、これまで損失補填制度の利用実績はないと聞いている。

 この取組によって、令和元年10月時点で、一級水系の多目的ダムのうち54ダムにおいて、発電用ダムでも7ダムにおいて事前放流の体制が整えられた。

3.既存ダムの洪水調節機能の強化

 平成30年7月には西日本を中心に全国的に広い範囲で、台風7号および梅雨前線等による集中豪雨が発生した。中国四国農政局管内においても大きな被害が発生し、愛媛県、広島県、岡山県などにおいて、現在も復旧作業が進められている。

 さらに令和元年も異常豪雨が頻発し、とくに8月27日からは九州北部地方を中心に局地的に猛烈な雨が降り、降り始めからの降水量が600㎜を超えた地点があったほか、佐賀県、福岡県、長崎県では8月の降水量が平年値の2倍を超える記録的な大雨となった。また、同年9月9日に台風15号が上陸し、関東地方は猛烈な風が吹き観測史上1位の最大風速や最大瞬間風速を観測。その後、台風19号・21号が再び関東地方、そして東北地方を襲った。これらによって令和元年の水害被害額(暫定値)は全国で約2兆1500億円となり、平成16年の被害額(約2兆200億円)を上回り1年間の津波を除いた水害被害額が統計開始以来最大となった。

 また、津波以外の単一の被害額についても「令和元年東日本台風」と命名された台風19号による被害額は約1兆8600億円となり、平成30年7月豪雨による被害額(約1兆2150億円)を上回り、これも統計開始以来最大の被害額となった。

図4 過去10年の津波以外の水害被害額
図4 過去10年の津波以外の水害被害額
出所:水管理・国土保全局河川計画課 令和2年8月21日「令和元年東日本台風の発生した令和元年の水害被害額が統計開始以来最大に」 https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001359046.pdf 2021年1月24日アクセス


 このように広範囲に甚大な被害が発生した一方で、八ッ場ダムなどでは下流の洪水防止機能が十分に発揮できたことから、ダムは有効な治水対策であることが再認識された。このことを踏まえ令和元年11月26日、治水対策を所管する国土交通省、利水ダムを所管する厚生労働省と、農林水産省、経済産業省、資源エネルギー庁、そして降雨予測を所管する気象庁のそれぞれの局長級が官邸に召集され、当時の菅官房長官の指示のもと、「既存ダムの洪水調節機能強化に向けた検討会議」のキックオフミーティングが開催された。これにより関係行政機関の緊密な連携の下、既存ダムによる洪水調節機能の強化に向け、総合的な検討を行うこととなった。この取組は、想定を(はるかに超えるスピードで検討作業が進められ、同年12月12日には「既存ダムの洪水調節機能の強化に向けた基本方針」(以下、「基本方針」という)を決定している。その主な内容は以下のとおりである。

(基本方針)

 ・稼働している1460か所のダムの有効貯水容量約180億m3のうち、洪水調節のための貯水容量は約3割(約54億m3)にとどまっていることから、緊急時において既存ダムの有効貯水容量を洪水調節に最大限活用できるよう関係省庁の密接な連携の下、速やかに必要な措置を講じること。

 ・全ての既存ダムを対象に検証しつつ、早急に検討を行い、国管理の一級水系について令和2年の出水期から洪水調節機能を強化する新たな運用を開始するとともに、都道府県管理の二級水系についても緊要性等に応じて順次実行していくこと。

 ・水系毎の協議の場を設け、ダム管理者および関係利水者の理解を得て、令和2年5月までに一級水系を対象に水系毎に治水協定を締結すること。

 ・治水協定には水害発生が予想される際に事前放流により確保できる洪水調節可能容量と、時期ごとの貯水位運用の考え方、事前放流の実施判断となる基準雨量などを示すこと。

 ・河川管理者とダム管理者との間の情報網の整備や、事前放流等に関するガイドラインの整備、工程表の作成などを行うこと。


 なお、利水容量を活用して洪水調節可能容量を確保する方法は、以下の2つとしていた。

 ①大雨が予想される最大3日前から水位を下げる「事前放流」

 ②時期ごとに貯水位を設定し、空き容量を確保する「時期ごとの貯水位運用」


 この基本方針の策定にあたっては、農林水産省から、「洪水調節に利用可能な利水容量や貯水位運用等については、ダム構造、ダム管理者の体制、関係土地改良区への影響等の水利用の状況等を考慮する。」との記載を追加するよう強く意見した。

 後に述べるが、農業用ダムについては、構造も管理体制も、利用実態も多様であることから、今回の検討のようにすべてを一斉に取り組むには、それらを考慮した新たな運用を検討する必要があったからである。


4.農業用ダムの洪水調節機能の強化の検討

 農業用ダムは、大きく分けて灌漑(かんがい用水確保のためのダムと、農地や農業用施設等の洪水被害を防止するための農地防災ダムの2つに区分できる。また、農業用水の専用ダムもあれば、他の目的と共同で造成されたダムもあるが、それらも含めて農業用ダムは523か所ある。このうちダム管理者が農業側であるダム、つまり農林水産省の所管ダムは419か所である。ただし、これらのダムのうち51か所は農地防災専用ダムであり、これらは従来の運用で洪水調節を行うことができる。それを除いた368か所のダムについて新たな運用を検討する必要が生じた。

 とくに一級水系の230か所のダムについては翌年5月までに治水協定を締結することが必須であったことから、検討作業、関係者との調整などは時間との勝負であった。早々に農林水産省農村振興局内にチームを結成し、水資源課が中心となり設計課、防災課、土地改良企画課のメンバーがそれぞれ所掌事務に関係する作業を担った。併せて、地方農政局等にも同様の体制を整え、ダム管理者等関係者との調整にあたった。

 農業用ダムの洪水調節機能の強化のための検討にあたっては、まずは以下の事項の整理を行った。

 ①対象となるダムのリストアップと諸元のデータベース作成(ダムの構造や取水設備や放流設備の構造等の諸元や、満水状態から3日間での放流可能量の試算、管理者、流入量・放流量等の観測機器の設置状況等)と農業用ダムの特徴の整理

 ②利水容量を活用して洪水調節可能容量を確保している先行事例の調査

 ③ダム管理者等関係者からの意見収集

 

 それらの結果は、以下のとおり。

(農業用ダムの特徴:
一級水系にある農地防災専用ダムを除く農林水産省所管ダム)

 ①構造的には7割がフィルダムである。フィルダムは堤体の安定性を維持するためには、ダムの水位低下速度を十分注意する必要がある。

 ②8割のダムが非常用洪水吐ゲートのない、いわゆる坊主ダムである。このため放流設備の機能を考慮して、洪水調節可能容量の確保の方法を検討することが適当である。

 ③500万m3未満の中小規模のダムが7割以上を占める。このため、確保できる洪水調節可能容量はわずかである。

 ④4割がダムコン**を有していない。このため、事前放流等の際にダム情報をリアルタイムで河川管理者に送るためにはダム情報のデジタル化の設備が必要なダムがある。

 ⑤4割のダムが土地改良区管理である。このため新たな運用によって生じる追加的作業の経費負担の課題がある。


(先行事例)

  先行して利水容量を活用して洪水対応をしているダムでは、下流の河川改修期間における暫定的な取組や、過去に(たん水被害が発生した地域の要請を受けての試行的な取組、さらには洪水吐ゲート操作の遅れが生じないようダム管理の安全面からの取組もあった。だだし、それらのほとんどはコンクリートダムであった。


(ダム管理者等の意見)

  ダム管理者等からの意見は多種多様であり、近年の渇水傾向が続くなか、事前放流等により用水不足が生じることを危惧する声や、事前放流により下流に悪影響が生じた場合の責任問題、さらにはダム操作への不安や体制上の問題などを心配する声があった。一方で、近年の豪雨に対応するためには重要なことであるとの前向きな意見も少なくなかった。


 これらの結果を踏まえ、個々のダムで新たな運用を検討するための基本的な考え方を専門家の助言を得ながら「農業用ダムの洪水調節機能強化に向けた基本的な考え方」(以下、「基本的な考え方」という)として整理し、関係者に示した。

 基本的な考え方の主な内容は以下のとおりである。

 ・洪水調節機能の強化は、現行設備による放流により洪水調節可能容量の範囲において「事前放流」や「時期ごとの貯水位運用」の方法で取り組むこと。

 ・「事前放流」は安全性が確保される水位低下速度を限度とする。「時期ごとの貯水位運用」は過去の利水実績等から、あらかじめ低下させる際の目標貯水位を検討すること。

 ・水系毎の協議の場に臨むにあたっては、水系や県単位に国、道府県、市町村、関係土地改良区等を構成員とする「農業用ダムに係る調整の場」を設け、合意形成を図ること。

 ・必要なソフト対策およびハード対策の実施によって段階的に洪水調節機能の強化を図ること。

 ・事前放流等により深刻な水不足が生じないよう水系内で弾力的な水の融通方法等について水系毎の協議の場で提案をする必要があること。


5.治水協定の締結と令和2年度の事前放流等の実績

 基本的な考え方や、国土交通省が新たに作成した「事前放流ガイドライン」等をもとに、地方農政局等や道府県がダム管理者や土地改良区等の関係者と新たな運用について調整を行った結果、一級水系にある農林水産省所管265ダムのすべてにおいて関係者の理解と協力が得られ、無事に令和2年5月までに水系毎の治水協定締結の合意形成が図られた。他省庁所管のダムも含め一級水系のすべてのダムが治水協定を締結し、これによって、一級水系の洪水調節に使用可能な容量の割合が有効貯水容量の約3割(46億m3)だったものが約6割(91億m3)に倍増する見込みとなった。

 
図5 令和2年度に事前放流を実施した
122ダムの管理者
図5	令和2年度に事前放流を実施した122ダムの管理者
 注:農業18:内訳 土地改良区・県・市町。
  発電37:内訳 電力など6社にて35ダム、県企業局にて2ダム。
出所:「令和2年度出水期における事前放流の実施状況」国土交通省令和2年10月27日公表 から、編集にてグラフの仕様・表記を一部改変 2021年1月24日アクセス

 令和2年6月から新たな運用が開始された結果、基準を超える降雨量が予測された122ダムで事前放流が実施された。なお、このうち農林水産省所管ダム(他目的との共同ダムを含む)は24ダムであった。


6.おわりに

 今回の既存ダムの洪水調節機能の強化に向けた検討により農業用ダムについても新たな運用を開始でき、これまで以上に公共性の高い施設として評価されるようになった。今後、人口減少が進むなかインフラ施設をどのように維持していくかが課題となっているが、直ちに新たな施設整備をするのではなく、今回のように既存施設の有効活用をすることはその方策の一つであると考える。

 しかしながら、新たな運用によりダム管理者の負担が増えたことは間違いない事実であり、そのことにどのように対応していくかが今後の課題である。より確実に、より容易に新たな運用ができるようにダムの維持管理にAIを導入することも、解決の一つの方法であると思う。それが現実となるよう研究開発や制度検討が進むことを期待したい。

 一方で、国土交通省は気候変動による水災害リスクの増大に備えるために、令和2年7月に一級水系について「流域治水プロジェクト」に取り組む方針を示した。

 この取組は、河川・下水道管理者等による治水に加え、あらゆる関係者(国・都道府県・市町村・企業・住民等)により流域全体で行う治水「流域治水」へ転換するものであり、全国の一級水系について、流域全体で早急に実施すべき対策の全体像を「流域治水プロジェクト」として示し、ハード・ソフト一体の事前防災対策を加速するとしている。

 各一級水系において国・都道府県・市町村等との協議会を設置し、議論を進め、令和2年度末までに流域治水プロジェクトを策定する予定である。農林水産省も農業用ダムの洪水調節機能強化に加え、ため池や排水施設等、さらには水田を活用した田んぼダムなどの排水対策を連携して取り組むこととしている。

 気候変動による水災害リスクに対応して、治水対策は方向転換を図ったが、併せて気候変動を軽減するための対策を講じることも急務である。このことは持続可能な開発目標である SDGsに掲げられているテーマの一つでもあるが、とくに農業農村は、その対策に貢献できる要素が多くある。たとえば、4パーミルイニシアチブとして山梨県が始めた農地への炭素貯留などが考えられる。今後、それらの対策を強く打ち出していくことが重要であると考える。



<参考資料>
「気候変動監視レポート2019」:気象庁、令和2年7月
「ダムの洪水調節に関する検討とりまとめ」:ダムの洪水調節に関する検討会、令和2年6月
「既存ダムの洪水調節機能の強化に向けた基本方針(案)」: 既存ダムの洪水調節機能強化に向けた検討会議、令和元年12月12日

前のページに戻る