アフリカの灌漑農業の現状と開発
1.アフリカの農業の現状と開発 (1)農業と灌漑の現状 本稿では、はじめにアフリカ全体の農業と灌漑の現状を概観し、次に例としてケニアの農業と灌漑について見ることとする。 ほとんどのアフリカ諸国にとって、現在も、農業が「食料生産」「雇用創出」「生計向上」、さらにこれらを通じた「地域、国家全体の安定・発展」を支える主要な産業であることは広く認識されている。農業のこれまでの開発の推移を見るため、FAOSTAT*のアフリカ全体(Africa+)の穀物生産量(Cereals Total)と収穫面積(Area Harvested)の約60年のデータを見てみると、1961年において穀物生産量は約4600万t、収穫面積は約5700万haであったものが、2018年にそれぞれ約2億300万t、約1億2500万haとなっており、年によってバラツキが見られるものの全体として、面の拡大(農業開発)が進み、それと同時に生産量が増大していることが確認できる(図1)。 図1 アフリカ全体の穀物生産量と収穫面積の推移(1961−2018)
農業の発展には水が不可欠であり、多くの場合は灌漑が必要である。その生産量の増大および生産性の向上は灌漑のみに依拠するものではないが、現在、アフリカの多くの地域では天水に依存した農業が現状であり、比較的降雨に恵まれた地域あるいは一定規模の河川を有する地域であっても、雨期と乾期の水の調整を図り、必要な時期に必要な量の水を供給するにはコントロールされた水資源が重要であり、そのためには灌漑が不可欠である。 灌漑開発の進捗状況を判断する1つの指標として、FAOSTATのアフリカを5地域(北アフリカ・中部アフリカ・東アフリカ・南部アフリカ・西アフリカ)に分けたデータから、灌漑施設が整備された面積(Land area equipped for irrigation)を耕地面積(Arable land)で除した値を灌漑割合としてみると、図2のようになる。これを見ると、灌漑は気候条件などからその必要性が広く認識されているにもかかわらず、一部の国を除いてアフリカ全体としては思った以上に長年にわたって整備が進展していないこと、さらにはその地域ごとの進捗状況の差異が非常に大きいことがわかる。 図2 アフリカの地域別の灌漑割合の推移(1990−2018)
(2)アフリカ開発会議(TICAD)について TICAD(Tokyo International Conference on African Development)は、アフリカの状況を踏まえ、1993年から我が国が中心となって、国連・国連開発計画(UNDP)・世界銀行およびアフリカ連合委員会(AUC:African Union Commission)と共同で開催されている、アフリカの開発をテーマとする首脳レベルの国際会議である。この会議は、アフリカ諸国のオーナーシップと国際社会のパートナーシップが重視されているとともに、関係国の政府だけでなく、アフリカの開発に係る多くの国際機関、民間企業、NGOなどが参加するものとなっている。 この会議において、農業は継続して重要なテーマの1つとして議論されている。2008年の第4回TICAD(TICAD4)では、アフリカ緑の革命のための同盟(AGRA:Alliance for a Green Revolution in Africa)と共同で、2008年からの10年間でサブサハラ・アフリカのコメの生産量を倍増する(1400万t から2800万t)ことを目標にするイニシアティブであるアフリカ稲作振興のための共同体(CARD:Coalition for African Rice Development)を立ち上げた。国際協力機構(JICA)は、このCARDに加え、市場指向型農業振興(SHEP: Smallholder Horticulture Empowerment and Promotion)アプローチによる「儲かる農業(売るために作る農業)」への支援などによって、アフリカ地域の農業の発展に多くの貢献をしている。 2019年8月に横浜で開催された直近のTICAD7においても、農業は引き続き主要なテーマとされ、農業はバリューチェーン全体をとらえて取り組むことが必要であり、そのためには民間セクターの役割が重要であることなど、官民連携の推進などが議論された。この会議では、2018年にコメの生産量倍増の目標を達成したCARDに続いて、2030年までにコメ生産量を2800万tから5600万tへとさらに倍増するCARD2が立ち上がり、SHEPなどとともに一段と推進してゆくことになった。 2.ケニアの灌漑農業の現状と開発 ここからは、東アフリカの主要国であるケニアの灌漑農業の現状と開発状況を概観する。ケニアはTICAD6の開催国であり、我が国が長年にわたって幅広い分野で技術・資金協力を行っており、農業分野ではコメの増産にも力を入れている国である。 (1)ケニアの農業 現在のケニアの国家開発計画であるKENYA VISION 2030(2008−2030)においては、農業は国家経済の継続的な年率10%の成長を達成するための鍵を握る分野の1つとして位置づけられている。農業は国内総生産(GDP)の約3分の1を占めている国家経済のバックボーンであり、工業原材料の約75%を供給し、農産物は輸出の約60%を占め、そのうえ現在でも雇用の約75%を創出している。こうした現状から、農業の主要な政策目標は、「食料自給の達成」に加え、「雇用創出」「収入創出」「外貨獲得」とされている。 図3に示すように、2011年においては、GDPに占める割合は農業が約27%、工業が約13%となっている。2019年の暫定値においては両部門ともに産出額は増加しているが、それぞれの割合は農業が約35%、工業が約8%となっている。
図3 農業と工業が国内総生産(GDP)において占める割合(1996-2019)
また、主要な穀物について、国内生産量を国内供給量で除した値を自給率として計算すると、2011年においては、伝統的な主食であるウガリとして食されるメイズは約77%、コムギは約20%、コメは約22%となっている。2019年の暫定値においては、各約104%、約16%、約15%となっており、人口増加による消費拡大などのためにコムギやコメの自給率は低下している。とくにコメは食味の良さ、調理の簡単さなどから、近年、国内消費が伸びており、主要穀物の1つとして扱われるようになって、その重要度が増しており、増産が求められている(図4)。 図4 主要穀物の自給率(2011-2019)
(2)ケニアの灌漑 ケニアは約58万3000㎞2の面積を有し、その約17%に相当する約9万9000㎞2の地域は年間約700㎜以上の降水が得られ、農業にとって中程度以上の適地と見なされている。残りの約83%の地域は乾燥地あるいは半乾燥地と分類され、これらの地域で農業を十分に営むには、灌漑が必要となる。また、地域によっては降水には恵まれていても、季節的な干ばつあるいは洪水に見舞われることがあり、農業生産量および生産性を向上させるには灌漑などにより管理された水資源が求められる。 ケニア全国水マスタープラン2030によると、全体では最大120万haまで開発が可能とされている。このうち約16%がすでに開発されているが、灌漑が整備されているのは耕地の5.8%にすぎないとされている。このことから、農業生産の増大と栄養の安全保障、農産加工業の成長などの実現に向け、農業用水へのアクセスを高めるための努力が引き続き求められている(表1に主要な灌漑プロジェクトの数的な概要を示す)。 表1 主要な灌漑プロジェクト集計
全国に国家灌漑庁(NIA:National Irrigation Authority、水衛生灌漑省傘下)が管理する7つの国営灌漑地区(ムエア灌漑地区/写真1・ブラ灌漑地区・タナ灌漑地区・ペルケラ灌漑地区・アヘロ灌漑地区・ブニャラ灌漑地区・ウェストカノ灌漑地区)がある。このうち稲作については、我が国が長年にわたって灌漑施設整備といったハード面、および水管理・営農などソフト面で技術協力をしてきているムエア灌漑地区がケニアのコメ生産の約6割を担う最大の産地であり、2019年から技術協力を開始した西部ビクトリア湖沿岸のアヘロ灌漑地区、ウェストカノ地区なども主要な産地となっている。また、稲作主体以外の灌漑地区ではメイズやマメや園芸作物などが多く栽培されている。
(3)灌漑法2019について 2019年、国の持続的な食料安全保障と社会経済の発展を支援するために、灌漑の開発・管理・規則を規定する灌漑法2019 (Irrigation Act 2019)が長年にわたる検討と審議を経て成立し、これに基づいて灌漑規則(Irrigation Regulations)・灌漑ガイドライン(Irrigation Guidelines)などの整備が進められてきている。これは、2010年の地方分権法に基づいて2013年から実施された地方分権に沿ったものであり、また、多くの実施主体が関わる灌漑事業を整理するものにもなっている。 灌漑法2019の適用範囲としては、「ケニアのすべての灌漑分野の開発、管理、財政、支援サービスの提供、規則に関わる事柄に適用される規定」とされ、主な内容は以下のようになっている。 ・政策、調整、ガイドライン、規則に係る機能は、灌漑に関する事項について責任を持つ大臣(Cabinet Secretary)が有する。 ・灌漑を実施する機能は国家灌漑庁 、カウンティ灌漑開発ユニット(CIDU:County Irrigation Development Unit)に与えられる(他者も実施可能)。 ・灌漑用水利用者組合(IWUA: Irrigation Water User’s Association)は灌漑地区の運営、維持管理に関して法的な団体(Legal entities)の位置づけを有する。 ・同様に、灌漑地区管理委員会(Scheme Management Committees)、紛争処理委員会(Dispute Resolution Committees)も関係する灌漑地区管理に関して法的な団体の位置づけを有する。 また、すべての既存・新規の灌漑地区は灌漑ライセンスの取得が規定され、これによって、関係者が多くて困難であった全体的な灌漑実態の把握、およびそうした実態に即した計画的な開発が期待される。 ケニアの灌漑開発の体制として、2019年の灌漑法改正に基づく、灌漑に係る主な行政機関とそれぞれの役割について表2に示す。 表2 灌漑に係る主な行政機関とその役割
(4)開発計画について 上述のように、現在のケニアの国家開発計画であるKENYA VISON 2030においては、農業は主要な分野の1つとして重点が置かれ、当面の2012年に向けての灌漑に関する重点プロジェクトとして以下が掲げられている。 ・ゾイヤ川、ニャンド川流域(西部地域)に容量計24億tの2基の多目的ダムを建設 ・乾燥および半乾燥地域に上水、家畜用水、灌漑用水を供給するため、容量計20億tの22基の中規模ダムを建設 ・主要な灌漑地区(ボラ、ホラ、カノ平野、ゾイヤ、ペルケラ、ケリオバレー、ムエア、タイタタベタ、エワソニロ北、グルマニ)のリハビリ(修復)と拡張 ・タナ川からガリッサまで約54kmのラホーレ水路の建設 など KENYA VISION 2030に基づく第一期中期計画(MTP1:1st Medium Term Plan;2008−2012)においては、灌漑に関しては、農業分野の重点プロジェクトの1つとして乾燥および半乾燥地域(ASAL:Arid and Semiarid Land)の開発が掲げられており、タナ川流域およびアチ川流域から開始して、60万haから100万haの灌漑を整備するとしている。また、第二期中期計画 (MTP2:2nd Medium Term Plan;2013−2017)においては、天水農業への依存を減らすことを掲げ、灌漑プロジェクトに関しては、農業分野の重点プロジェクトの1つとして引き続き乾燥・半乾燥地域の開発が掲げられており、とくにトゥルカナ湖およびタナ川のデルタ地域の乾燥・半乾燥地において、2017年までに40万4800haの灌漑整備を行うとしている。同時に、農業の機械化、協同組合や農民組織の再生、生産性を上げるための農業資材への補助が示されている。 2017年、第三期中期計画(MTP3:3rd Medium Term Plan;2018−2022)の策定に向け、ケニヤッタ現大統領が「工業」、「食料と栄養の安全保障」、「保健」、「住宅」を4つの優先すべき特定の重点課題として「ビッグフォー(THE BIG FOUR)」計画を公表した。このうち灌漑に係る「食料と栄養の安全保障」については、以下のような目標が掲げられている。 ・メイズ生産を2018年の4600万バッグ(1バック=90kg)から、2022年に6700万バッグへ増産する。 ・コメ生産を2018年の12万4000 tから、2022年に40万6000 tへ増産する。 ・ジャガイモ生産を2018年の155万tから、2022年に252万tへ増産する。 ・灌漑面積を2017年の50万エーカー(20万2000ha)から、2022年に120万エーカー(48万6000ha)へ増加させる。 ・国の農業生産と輸出において小規模農家が占める割合を2018年の21%から、2022年に50%へ増加させる。 など ビッグフォー計画を踏まえ、第三期中期計画の農業分野においては、「食料と栄養の安全保障」の鍵となる目標として、農地面積の拡大、良質な種子・肥料へのアクセス改善、灌漑、機械化、およびポストハーベストの改善によるメイズ・コメ・ジャガイモの増産が計画されている。また、同計画の策定にあたって行った第二期中期計画期間の分析の結果、その計画期間の農業部門は平均して4.2%の成長を記録したものの、毎年の成長は主に天候の影響を受けて変動したことが判明した。このことから、ケニア政府は第二期中期計画に引き続き、灌漑とダム建設を優先したとしている。この合理的な政策決定は興味深いもので、天候の変化に対してケニアの農業が脆弱であり、大きく影響を受けていることを具体的に示していると理解できる。 3.おわりに ここまで述べてきたように、現在の大半のアフリカ諸国にとって、農業が主要な産業であることは間違いのないところである。農業には水が不可欠であり、多くの場合、農業生産量および生産性を向上させるためには天水農業ではなく、灌漑農業が必要である。一方、灌漑整備に向けた、これまでの長年にわたる国家的努力、我が国からの支援と必要性の詳説にもかかわらず、未だにその整備は十分に進展しているとはいえない。このことについては、あまりに巨大なニーズ、その一方での財源の不足、さらには地域条件を踏まえた多様なハードおよびソフトの技術が求められること、必要性の理解が未だ不十分であることなど、進展が十分でない理由は多々考えられる。もちろん、先にも述べたように農業生産量の増大と生産性の向上は灌漑のみに依拠するものではないが、農地の面的拡大、作付率の向上を目指すためにも、そして優良な種子や栽培技術がそのポテンシャルを十分に発揮するためにも、水が必要で、そのためには多くの場合に灌漑開発が求められる。また、農業は、長い開発の歴史のなかで、単なる産業ではなく、人々の生活、さらには文化と密接に関わり合っているものであり、ハード面での整備だけではなく、ソフト面での充実・強化への注力も重要である。これらのことから、灌漑開発については、まずは、灌漑の果たす広く大きな役割を直接、間接の関係者が深く共有することが大切と考える。 <参考資料>
1)KNBs (Kenya National Bureau of Statistics), ECONOMIC SURVEY 2004 〜 2020
2)FAO, FAOSTAT(http://www.fao.org/faostat/en/#home)
3)Government of the Republic of Kenya, KENYA VISON-2030-Popular-Version, 2007
4)Government of the Republic of Kenya, FIRST MEDIUM TERM PLAN 2008-2012, 2008
5)Government of the Republic of Kenya, SECOND MEDIUM TERM PLAN 2013-2017, 2013
6)The Presidency, "THE BIG FOUR” – IMMEDIATE PRIORITIES AND ACTIONS, December 2017
7)The National Treasury and Planning, Kenya, THIRD MEDIUM TERM PLAN 2018-2022, 2018
8)Ministry of Water, Sanitation and Irrigation Kenya, ANNUAL STATUS REPORT ON WATER, SANITATION AND IRRIGATION, May 2020
9)State Department for Water, Sanitation and Irrigation, Ministry of Water, Sanitation and Irrigation, IRRIGATION GUIDELINES, 2019
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