ナイル川の水利権と国際水利紛争
−青ナイルにおけるグランド・エチオピアン・
ルネッサンスダムの建設− 1.まえがき ナイル川は、アフリカの赤道地域に発して北流し、地中海に注ぐ国際河川である。エジプトは、その最下流に位置し、5千年前に古代文明を発祥させ、そのときから継続的にナイル川の水を利用してきた。エジプトでは雨がほとんど降らないので、その歴史的繁栄も、現在のエジプトもすべてナイル川なくしてはあり得なかった。ナイル川が1年に1回起こす洪水を利用した灌漑農業は、5千年にわたって持続し、国を支える基本であり続けた。 19世紀以後、エジプトは、土木事業によって、ナイル川の積極的な利用を進め、20世紀後半にはアスワン・ハイダム(Aswan High Dam、以下AHD)を完成させ、ナイル川のすべての水資源をスーダンと2国で分け合って利用する体制を整えた。それ以後、エジプトは農地および作付面積の拡大を実現し、経済発展と大幅な人口増加を得た。 これに対して、上流の水源諸国は、自国の発展のためにナイル川の水を利用する必要があり、またその権利があると考えてきた。そうしたなか、最大の水源国であるエチオピアが、2011年、発電用の巨大なグランド・エチオピアン・ルネッサンスダム(Grand Ethiopian Renaissance Dam, 以下GERD)を青ナイル川に建設すると発表したことから、下流の水使用国であるスーダンおよびエジプトとの間で水利紛争が起こり、3国間での交渉が進められているが、未だ決着の見通しはついていない。この紛争は、日本でも関心を集めており、朝日新聞は「ナイル川 巨大ダムの衝撃」という見出しで、扱っている(朝日新聞 2019)。 本稿では、ナイル川における水利権の歴史的形成過程を整理するとともに、GERD建設に伴う関係諸国の立場、およびGERDがナイル川の水資源利用に及ぼす影響について考察する。 2.ナイル川の水資源と水利用略史 ナイル川における水利権およびGERD紛争の背景を理解するため、まず、ナイル川全体の水資源の状況と水資源開発・利用の歴史について基本的事項を概観しておく。 なお、詳しくは、Shahin(1985)、加藤博(2008)、佐藤政良(2016)、Satoh and Aboulroos(2017)など、関係の文献を参照されたい。 (1)ナイル川流域の水資源 図1にナイル川の流路の概要を示す。ここには、後に述べるAHDとGERDの位置も示している。ナイル川の流路延長は約6700㎞、流域面積は約300万㎞2で、流域は11か国に及び、エジプトは最下流に位置して、上流から流下してくる水を利用している。エジプトの降水量は極めて少なく(たとえば、カイロではわずか25㎜程度)、水資源のほぼ全量をナイル川に依存している。 図1 ナイル川流路と関係国
アスワン地点への流下水量は、実測に基づき、長期平均で年間840億m3とされる。これを赤道地帯の流域を中心とする白ナイル川と、エチオピア高地から流下しハルツーム以北で白ナイル川(本流)に合流する青ナイル系(右岸支流)とに分けると、それぞれ約30%と70%になり、圧倒的に青ナイル系が多い。アスワン地点では毎年8月から10月にかけて洪水が発生し、これが年間流量の大半を占めるが、この洪水も青ナイル系が起源である。 (2)洪水を利用した古代エジプトのベイスン灌漑 5千年続いたエジプト農業の基礎になったのは、この洪水を利用したベイスン灌漑*である。ベイスン灌漑については、Willcocks and Craig(1913)、Satoh and Aboulroos(2017)、佐藤(2016, 2018)などを参照されたい。注意すべきは、ベイスン灌漑は、自然の洪水氾濫をそのまま利用したのではなく、人工的な水路や堤防を用いて行われたということである。大規模な施設の建設・維持・管理には強い国家が必要だった。 (3)ナイル川の水資源開発とAHD 19世紀に入って、エジプトは需要が高まっていた綿花の栽培に取り組む。しかし、綿花の栽培時期は夏で、ナイル川の流量が少ない(水位が低下する)時期であることから、綿花栽培の導入、そして拡大のため、エジプトはナイル川に多くの堰を建設し、1902年には流量調節(夏の低水量の増強)を目的にしたアスワンダムも建設された。その他、夏の流量増強のための取り組みは、イギリスの主導により、ナイル川の流域全体で行われた。そのなかには、ビクトリア湖からナイル川への流出口に、同じイギリス領のウガンダが1948年に開始したオーエン・フォールズダム建設事業(発電目的)に際して、エジプトが100万ポンドを出して堤高を1m嵩上げしてもらうというものもあった。 (4)AHDの建設と管理 1952年のナセル革命で独立を勝ち取ったエジプトは、ナイル川の全流量の完全コントロールができるAHDを建設した(1970年完成)。そのダム湖であるナセル湖の総貯水容量は1620億m3であり、流入量の約2年分に相当する。AHD計画に当たって、1959年、年間の全流下水量840億m3をエジプトとスーダンの2国で分け合う協定を結び、現在はそれに基づいてAHDの管理が行われている。これによって、エジプトは、安定した取水と洪水被害の根絶を得た。 しかし、エジプトでは、その後の激しい人口増加への対応のため、デルタ周辺砂漠における農地開発などへの水需要は増大し、すでに水不足の状態に至って、水配分を巡る農民間の対立や汚染された排水の再利用など、さまざまな問題が起こっている(Satoh and Aboulroos 2017)。1988年洪水期前には、ナセル湖がほとんど空になるという事態も起こっている。 3.ナイル川の水利権問題 (1)水利権概念の成立と1929年の協定 ナイル川の洪水に頼りながらベイスン灌漑が行われている限りにおいて、ナイル川の水利権が問題になることはなかった。洪水期中は、多くの水が利用されずに地中海に流出していたからである。ただ、1321年、時のエチオピア皇帝アムデ・ツィソンがイスラムの国エジプトに使者を派遣し、「コプト教徒(クリスチャン)の迫害を止め、彼らが安心して暮らせるようにしなければ、ナイル川の流れを変えてしまう」との脅しをしたという(Abtew and Dessu 2018)。700年前に、エチオピアの水がエジプトにとって生命線としての重要性をもっていることをすでに認識していたということになる。 19世紀に入って、エジプトが、綿花栽培のため、非洪水期の流量確保と、さらにはその増強を図ったことから、実質的に、ナイル川において水利権という概念が発生した。 当時の政治的な体制を確認しておくと、エジプトは1883年からイギリスの統治下におかれ、1922年には形式的に独立したものの、1952年のエジプト革命までイギリスの影響下にあった。そして、スーダンは、1899年から1956年の間、イギリス・エジプト領スーダンとして、同じくイギリスの実質的な支配下にあった。 エジプト国内では、1902年にアスワンダムが完成したが、その年、エジプト公共事業局(現在の水資源灌漑省)に所属していたサー・ウィリアム・ガースティンは、スーダン内の水文調査を実施し、アスワンダムの嵩上げ、アルバート湖の調節、スッド(世界最大級の湿地)からの蒸発散損失水量削減(流出量増大)のためのジラフ川の浚渫などを提案した。 その後、アスワンダムは、2回の嵩上げ工事を経て、1932年に貯水容量は50億m3になった。その他、1926年完成のセンナダム(青ナイル川)、1937年完成のジェベル・アウリアダム(ハルツームの下流)が造られるなどした。これらは、すべてエジプトとスーダンにおける1月以降の低水を増強することが目的であるから、これらの施設をどのように運用するかについて両国間で水利権を明確にしておく必要が生じることになった。 1929年にエジプトとスーダンの間で、ナイル川の利用水量に関する協定が結ばれた。協定成立に至る過程では、国際的な調査委員会が作られるなどしたが、結果についてだけ示せば、年間の利用水量は、エジプトが480億m3、スーダンが40億m3であり、大きな差が付くことになった。また、白ナイル川の流量の利用については、1月から7月15日の間はエジプトが独占的な権利を持ち、スーダンはその他の期間にしか使えないこと、エジプトはスーダンに対して監視員を駐在させることができるなど、エジプトに有利な一方的内容になっていた(Waterbury 1979) 。 白ナイル川の1月以降の取り扱いについては、白ナイル川と青ナイル川の流量特性が背景にある。図2に両川の年間の流量変化を示す。これから理解されるように、青ナイル川の流量は、1月以降、激減し、利用可能なのは実質的に白ナイル川だけである。スーダンの綿花栽培には厳しい制約が生じる協定だった。 図2 青ナイル川と白ナイル川の月別流量変化(1912-1963月別平均値)
(2)AHD建設と1959年の協定 AHDによって新たに開発される水量は、年総量840億m3と1929年協定の合計水量520億m3の差、320億m3である。新たに結ばれた協定では、この320億m3のうち、100億m3をダム湖からの蒸発損失とし、残りをエジプト75億m3、スーダン145億m3に分けることになった。結局、エジプト555億m3、スーダン185億m3である。 この協定は、ナイル川流域のすべての水量をこのように2国で分け合うものであるが、いくつかの付加的説明が必要である。一つは、年間総量840億m3の正確性であり、もし後に、これより多いあるいは少ないと評価された場合、その増減量は、2国が等しく引き受けることである。二つには、スーダン国内の湿地帯からの蒸発散損失抑制のプロジェクト(ジョングレイ運河)は費用を折半し、増加水量も折半することである。第三に、両国はナイル川の水に関する調査研究を行う常設共同技術委員会(PJTC:Permanent Joint Technical Commission)を同数のメンバーで設立することとし、将来、他の流域国からの諸要求に対しては、両国は、PJTCを中心に一致して交渉に当たり、もし水量の譲渡が行われた場合には、両国がその減量分を折半して引き受けることにした。この協定は、ナイルの全水量を2国で分けるとしながら、将来の他の流域国からの要求も想定するという、柔軟な仕組みを備えている。 4.GERDの建設とそれに伴う水利紛争 (1)GERD建設プロジェクト エチオピアは、エジプトが「アラブの春」で混乱状態にあった2011年、GERDの建設計画を発表した。それまで、この計画は対外的に秘密にされてきたので、関係国には驚きをもって迎えられたようである。 GERDの位置は、図1に示すように、青ナイル川がエチオピアから流れ出るあたり、国境からわずか9㎞程上流であり、建設目的は水力発電である。表1にはGERDの概要を示す。その規模を理解しやすいように、AHDの数値と並べて示した。 表1 GERDとAHD の諸元
これから分かるように、GERDによって造られるダム湖は、総貯水容量においてナセル湖の半分近くに達し、きわめて巨大な規模である。そしてGERD地点の年間総流量は平均500億m3程度であり、アスワン地点の840億m3に対して60%にも達するので、下流国としては無視できない存在になる。発電能力はAHDの3倍、年間発生電力は1.5倍である。 エチオピアは、電力供給の効果を強調する。「国民の貧困は誰の目にも明らかで、1億2000万の人口のうち半分以上は電気なしの生活をしている。そのため、学校に通う子供が夜に勉強ができない、女性が、水汲みと薪集めに多くの時間を割かれている。さらに薪集めによって森林の喪失と土砂の流失がもたらされている」と指摘する。したがって、GERDが産み出す大量の電力は、エチオピアの貧困を改善するとともに、エジプトを含めたナイル川流域に大きな貢献になるのだと主張する。また、大量の電力生産は周辺国を含めた地域経済にも良い影響を与えるとする(Security Council 2020)。 (2)GERDがもたらす影響と関係国との交渉 GERDの目的は発電だけである。青ナイル川はGERDを流れ出るとすぐにスーダン国内に入るので、その間での農業開発は将来とも見込めない。エチオピアとしては、新ダムの建設に複数の候補地をもっていたようであるが、あえて最下流の地点を選んだ。それは、GERDが発電専用であることを物理的に示すことによって、(少なくとも今回については)エジプトとスーダンが分け合っている年間840億m3の使用水量の枠組に対する挑戦ではないという明確なメッセージを発したということであろう。 しかし、GERD発電によって消費水量の増大は起きず、840億m3の枠に抵触しないとしても、AHDの上流に大量の水を自由に貯められたのでは、下流のエジプトとスーダンの水利用は、上流のエチオピアのダム管理に従属することになりかねない。本来、ダム計画自体に反対したいところであったかも知れないが、それは困難とみて、下流2国は、ダムにおける初期湛水の方法とダム運用法に議論を絞ったようである。 エジプトとスーダンの基本的な立場は、2国を中心とする現状の水使用体系になるべく影響がないよう、GERDの管理に制約を加えたいということである。その主張は、「歴史的権利と水利用の現状」である。前半は、先行者としての権利主張であり、後半は、現にナイル川の水利用を前提に社会が成立しており、これを壊すことになれば地域全体が不安定化するので、それは避けるべきである、という主張である。 これに対してエチオピアは、①ナイル川の水の85%はエチオピアが供給しており、エチオピアにとってもそれは国内の水資源の3分の2以上を占める、②エジプトは、ほぼ一世紀の間、植民地体制下で一方的に作った協定を基礎に、大きな分配水量を得て、他の流域国には何も分けようとしない、と主張する。ここには、両者の、歴史的に避けて通れない正面からのぶつかり合いがある。 5.技術的側面の検討 国家間の交渉とは別に、GERDの技術的意味を考えてみる。 まず、GERDは、水量自体を消費しない発電専用ダムであることから、流域全体としての水量は不変であることを押さえておく必要がある。したがって、問題は、一定の水量をAHD湖(ナセル湖)とGERD湖にどのように分けて管理するのかという貯水配分の問題である。 そこで、エジプトにとっての実害とは、全体(両貯水池合計)としては十分な水量が存在しているのにナセル湖には貯水がなくなって下流に補給できないという事態である(ナセル湖の水位低下による発電量の低下もあるが大きな問題ではない)。このような実害を回避することができれば良いわけであり、そのための貯水管理方法があり得るのか、そこで問題になることは何か、が技術的に重要な検討方向である。それに基づくダム操作方法についての合意の形成が基本的に重要なことになる。その実現には3国間の信頼関係が必要であり、国際的な保証やサポートが必要かもしれない。 ただ、水量管理に関しても二つの点が議論になる。一つは、ナセル湖の貯水の一部をGERD湖に移せば、GERDの標高が高く気温も低いことから、湖面蒸発を抑制する効果があるかも知れないという主張である。もし、それが事実なら、流域全体にとって、長期的には大きな効果になる可能性がある。 二つには、GERD湖の死水量(148億m3)は、初めの1回だけとはいえ、確実に流域全体の死水量の増加、すなわち利用可能水量の減少にならざるを得ない。ところが、長期的にはそれが問題にならず、かえってGERDが流域全体の利用可能量を増加させる可能性がある。それは、本来、AHDはすべての洪水をいったん貯水して、下流に放流することになっているのだが、貯水しきれなかった場合には、その水(余水)を砂漠(トシュカ低地)に溢流させることになっているからである。実際、1998年からの4年間に余水が発生し、その水量は全部で400億m3であったという(MWRI 2012)。もし、これ以前にGERDができていたならば、これらの水量は、GERD湖の死水容量を満たし、さらに二つの湖(ナセル湖とGERD湖)のいずれかに蓄えられ、その後の水利用に余裕を与えたはずである。もちろん、今後、同様のことが起こる可能性は十分にある。GERDは流域の調整能力を向上させるという効果をもっているのである。これには、さらに気候変動に伴う流域の降雨量変化という話題が関わってくるかも知れない。 もう一つ、忘れてはならないのは、GERDの流量調整がもつスーダンに対する効果である。実は、AHDができた後も、その上流に位置するスーダンは、青ナイル川の水害と水不足から解放されていない(前掲図2)。GERDによる安定的な発電は、これを一挙に解決してくれる可能性がある。スーダンにとってのGERDは、エジプトにとってのAHDである。これによって、安定した通年灌漑、灌漑面積の拡大が実現できるのである。 さらに、スーダンにとっては、GERDによってエチオピアから安い電力を得ることができる可能性がある点も重要である。このようなことから、エジプト・スーダン間の1959年の協定で、エジプトとスーダンは一致して対外問題に対処すると決めたものの、GERDに対する姿勢は、エジプトとスーダンでは微妙に異なっていることを指摘しておく。 6.おわりに 今回のGERDに関わる国際紛争は、水を消費しない発電ダムの貯水と操作を巡る紛争であって、流域の水資源量の分配を巡る問題ではない。しかし、発電ダムとはいえ、新しい巨大ダムの出現によって、その管理の仕方によっては、エジプトの生命線であるAHDの管理に深刻な影響が出る可能性がある。一方、エチオピアも、GERDの操作は自国の正当な権利の行使であると考えている。 本稿では、多面的な利害が絡む国際交渉の逐次的動きについては触れることができないが、GERD計画の発表以来、関係3国は、技術的協議と政治的交渉を続けている。それは未だ決着を見ておらず、2020年7月には、3国の合意が成立しないまま、エチオピアは河川流量の一部のGERDへの湛水開始に踏み切った。エジプトのシシ大統領は、問題解決に軍事的行動はないと述べているが、2020年に「仲介」に入ったアメリカは、エチオピアへの援助の一部を停止し、トランプ大統領(当時)が「エジプトはダムを爆破するかも知れない」と脅すようなコメントなどしたため、エチオピアは反発している(BBC 2020年10月24日)。今後、他の国などの仲介も予定されているが、先行きにはまだ困難が予想される。 幸いにもナイル川流域では、全流域国が参加する技術的情報交換と協議の枠組が以前から作られており、エジプトは、ナイル川流域国の発展と協力という看板を掲げている。国際河川ナイル川で、技術的合理性を尊重しながら、冷静に関係国の調停、協力関係の構築がなされることを期待する。
<参考文献>
Abtew, W. and Dessu, S. B., The Grand Ethiopian Renaissance Dam on the Blue Nile. Springer Nature. Gewerbestrasse, Switzerland, 2019:
朝日新聞、2019年8月18日号(13版S 総合2)
BBC News, Africa, https://www.bbc.com/news/world-africa-54674313, 2010 (2020年12月20日閲覧)
加藤博,ナイル -地域をつむぐ川-,刀水書房,2008
MWRI (Ministory of Water Resources and Irrigation, Egypt), Annual report for water year 2011-2012, MWRI, 2012(原文、アラビア語)
Satoh, M., and Aboulroos, S. (Eds), Irrigated Agriculture in Egypt –Past, Present and Future, Gewerbestrasse, Switzerland, 2017
佐藤政良,エジプト・ナイル川の水利用,農業土木学会誌59巻11号,1991
佐藤政良,ナイル川の水資源とエジプトの水利用,ARDEC No.54,JIID,2016
佐藤政良,五千年続いたエジプト農業の秘密-ナイルの賜物,アメーバブログhttps://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12387469148,2018
Security Council,Letter dated 14 May 2020 from the Permanent Representative of Ethiopia to the United Nations addressed to the President of the Security Council (S/2020/409), 2020
Shahin, M., Hydrology of the Nile basin, Elsevier science publishers. Amsterdam, the Netherlands, 1985
Waterbury, J., Hydropolitics of the Nile valley. Syracuse University Press. Syracuse, New York, 1979
Willcocks, W. and Craig, J. I., Egyptian Irrigation, Third Edition, Spon, London, 1913
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