特集解題
本年の3月に開催が予定されていたセネガルでの第9回世界水フォーラム(WWF9)は、新型コロナウイルス感染症拡大のため2022年に延期されることとなったが、「平和と発展のための水の安全保障」という全体テーマの下に、各般の議論が展開される予定であった。こうした動向に加え、SDGs(国連・持続可能な開発目標)に関連する「水と衛生へのアクセス」、「持続可能な水管理」、「灌漑の効率化」などのキーワードを参考に、今号は「持続可能な水資源利用」を特集テーマとして取り上げた。 柵木環氏のOpinion、「農業用ダムの洪水調節機能強化の取組」について、これまで難しかった省庁の枠を越えた業務連携が実現するなど、近年まれに見る快挙と言ってよいのではないだろうか。 2019年11月、「水」に関係する省庁が官邸に集められ、それから1か月もしないうちに「既存ダムの洪水調節機能の強化に向けた基本方針」がまとめられたという。その際、農業用ダムについては、構造も管理体制も利用実態も多様であることから、「洪水調節に利用可能な利水容量や貯水位運用等については、ダム構造、ダム管理者の体制、関係土地改良区への影響等の水利用の状況等を考慮する」との記載を農林水産省が強く求めたという。 基本方針のとりまとめ後、2020年5月までに一級水系にある農水省所管の265ダムのすべてについて、関係者から治水協定締結の合意が得られ、他省庁所管を含む一級水系の全ダムについては、洪水調節に使用可能な容量の割合が、それまで有効貯水容量の約3割(46億m3)だったものが約6割(91億m3)へと倍増する見込みになったという。 新たなダム運用により管理者としての責任や負担は増えることになったが、既存施設の有効活用を図ることによって、これまで以上に公共性の高い施設として農業用ダムが評価されるようになったと指摘している。総合的なダム運用により、毎年の甚大な洪水被害を少しでも軽減していくことは、結果として、SDGsや持続可能な水資源利用にも大いに貢献することになろう。 また特集テーマとは少し離れるが、高橋博史氏のInformationへの寄稿「アフガニスタンにおける大いなる実験」に所載されている写真を是非見て頂きたい。中村哲医師が主体的に関わったクナール川の灌漑開発プロジェクトのビフォー・アフターの写真である(カラー版は日本水土総合研究所のHPに掲載)。これを見ると高橋氏が述べている通りに、そのプロジェクトが「不毛の砂漠」を「緑の大地」に一変させたことが一目瞭然である。中村医師の偉業を数葉の写真が雄弁に物語っている。 ナイル川の水利権と国際水利紛争 ─青ナイルにおけるグランド・エチオピアン・ルネッサンスダムの建設─ アフリカを流れる国際河川、ナイル川における水利権の形成過程の歴史を概説するとともに、青ナイル川上流にエチオピアが建設している巨大な発電用ダム、グランド・エチオピアン・ルネッサンスダム(GERD :Grand Ethiopian Renaissance Dam)がナイル川の水資源利用に及ぼす影響について分析している。 エジプトは1970年にナイル川の全流量をコントロールできるアスワン・ハイダム(AHD :Aswan High Dam)を完成させ、それに先立つ1952年には840億m3の全流下水量をエジプトとスーダンの2国で分け合う協定を結んでおり、現在はそれに基づいてAHDの管理が行われているが、これによってエジプトは安定した取水と洪水被害の根絶を果たしたと説明している。しかしその後エジプトでは激しい人口増加への対応のため、デルタ周辺砂漠での農地開発に対する水需要の増大などにより、すでに水不足の状態に陥っているという。 GERDの建設に関わる問題は、GERDが水を消費しない発電専用ダムであることから、流域全体の水資源量は不変であり、水資源量をAHD湖とGERD湖にどのように分けて管理するかという「貯水配分」の問題に帰着すると執筆者は指摘している。全体としては十分な水量がありながら、AHD湖には貯水がなく下流に補給できないという事態をエジプトとしては避けなければならないが、生命線といえるこのAHDの管理について深刻な問題を残している可能性があると指摘している。 幸い、ナイル川流域では全流域国が参加する技術情報交換と協議の枠組みが以前から作られており、ナイル川流域国の発展と協力を標榜するエジプトに対し、技術的合理性を尊重しながら、関係国の冷静な協力と調停の実があがることを執筆者は期待している。 世界水フォーラム(WWF)の国際社会における役割と日本の貢献 1997年にモロッコで開催された第1回世界水フォーラム(WWF1)から2022年に開催されるセネガルでのWWF9まで、世界水フォーラム(WWF)の概要について紹介し、WWFが目指す国際社会における役割と日本の貢献について、主として農業農村工学の立場から報告している。 WWFは、国際NGOである世界水会議(WWC :World Water Council)の主な活動の1つとされ、3年毎にWWCが開催国と共同して、参加者数万人にのぼる世界最大の水国際会議を運営し、水に関する議論を深めてきている。WWFは、その開催規模の大きさと、大臣会合やハイレベル会合による宣言文書の取りまとめなどにより、国際社会の水議論の方向付けに大きな影響を与えてきたと指摘している。 SDGsには、水と衛生に関する目標や、水関連災害や水環境の保全など水に関する多数の目標が盛り込まれており、これらはWWFが果たした大きな成果であると説明している。現在、世界の水利用の7割を占める最大の水ユーザーである農業セクターは、世界の水資源の逼迫などによりその削減を迫られているが、国際かんがい排水委員会(ICID)、国際水田・水環境ネットワーク(INWEP)とも連携して、水管理や水環境に関する優れた先進技術を有する日本が、その知見や経験を発信していくことが、世界の水利用に大きく貢献することになろうと述べている。 熊本の水田農業と地下水循環 熊本市を中心とする2市6町村(熊本地域、広さ1041㎞2)では、生活用水のほとんどが地下水によって賄われている。熊本地域の地下水涵養量のおよそ3分の1は水田によるものと推定されるが、水田農業を取り巻く社会経済的条件は他の地域と同様で必ずしも順風とはいえず水田面積は減少傾向にある。本報告は、現地調査に基づいて熊本の地下水循環おける水田の重要な役割について解説している。 白川中流域では、日単位の地下浸透量は約38㎜/dと推定され(地下水涵養機能)、一般的な低平地水田(10−20㎜/d)と比べ高い値であることが確認されたが、晴天日の過剰な用水取水によって、用水不足の原因となる地表排水が生じていることも明らかになった。一方、畜産や畑作が盛んな熊本の一部地域では、堆肥あるいは化学肥料の過剰な施用により地下水中の硝酸濃度の上昇が見られるが、白川中流域の水田が硝酸体窒素を低下させる機能を有することも確認できたとしている。 「白川流域かんがい用水群」は2018年に世界かんがい施設遺産にも登録されるなど、歴史文化的にも価値の高いものとされているが、白川流域には都市化が進む熊本市、大津町、菊陽町があり、農地面積や水田面積の減少が今後も予想されている。熊本地震前の時点で、水田面積(水稲栽培面積)はすでに30%を下回っているが、これは換言すれば用水路機能の70%が失われていることになるので、執筆者は水田農業の意義について改めて考えるべきと警鐘をならしている。 メコン河流域における水資源管理ガバナンス メコン河は中国チベット高原を源流とし、インドシナ半島のミャンマー・ラオス・タイ・カンボジア・ベトナムの6か国を流れて南シナ海に至る全長4909㎞に及ぶ国際河川である。流域人口は6500万人にのぼり、850種を超える魚が生息するなど多様な生態系に富んだ世界でも屈指の水系である。 メコン河には中国雲南省に1990年代からダム建設が始められ、現在では11ダムが稼動し、中流のラオスでもメコン河本流に2ダムがすでに建設され、支流では60ダム以上が稼動しているという。ラオスは「東南アジアの電力源」を標榜し(M. Nijhuis, 2015)、新たに数百もの水力発電所を建設しようとしているほか、下流のカンボジアにおいても支流でダム開発が進められている。 メコン河の随所に見られるハングリーウォーターや漁獲量減少を始めとする近年のさまざまな異変は、これらのダム開発が影響していることは間違いないと考えられているが、流域諸国の人口増加と急速な経済発展、あるいは低い電化率と高い電気料金への対応については、クリーンエネルギーである水力発電が最適とする考え方もあり、メコン河流域では多様なステークホルダーが存在する難しい利害調整に直面しているという。 メコン河流域におけるこれらダム開発計画や水資源管理については、ラオス以南の下流4か国(ラオス・タイ・カンボジア・ベトナム)の対話・調整の場であるメコン河委員会(MRC:1995年設立)があり、「通知、事前協議、および合意の手続き(PNPCA)」を協定に定めている。一方、中国は2016年に「瀾滄江・メコン協力(LMC)」を立ち上げ、2国間ベースでの協力関係を築いてきている。また流域外からは、アメリカが、メコン・アメリカパートナーシップ(MUSP)を2009年に組織し、中国を除く流域5か国に支援を行ってきている。しかし、全流域国か一部関係国のみか、本流のみか支流を含むのか、支援の対象は国か地域社会か、などの違いによりこれら組織が関係する水資源管理のガバナンスは必ずしも満足のいくレベルではないと執筆者は指摘しており、アメリカや日本などの域外のアクターのさらなる支援・協力を期待している。 河川水に「日本の農業と水」の原点をみる 法学部出身で農業や水利を研究する執筆者の視点から、国際会議や国際協力などの場で「日本の農業と水」を論ずる際に関係者として留意すべき点について、根源的な問題にさかのぼり論考している。 日本の水田稲作においてもっとも普遍的な水源である「河川水」に着目し、その特徴を「変動性」と「流下性」の2点に集約し、それぞれが「古田優先」と「上流有利」につながっていると分析している。このことは、固定的であり時間と共に急激な変化をしない「入会林野」の立木とは、「資源管理」の面から見て大きな違いがあることに留意すべきと述べている。 河川からの水田への水使用を考える場合、変動性・流下性という2つの特性は、取水・分水・配水の際に水利組織間の秩序を保つうえで大きな意味を持ち、持続可能な水使用システム、いわゆるirrigation commonsを形成してきたと説明している。 現在、日本の場合、河川水の配分については平常時(豊水・平水・低水)と非常時(渇水・異常渇水)とでは異なる形態を取り、平常時にはいわゆる水利権制度を前提とするが、計画流量が取水できない異常渇水時には、政府の「声かけ」により、取水団体間で協議をして取水制限方法を決める「渇水調整」という、他国では類を見ない仕組みに依っていると述べている。水田灌漑を通じて河川水との付合いを深めてきた日本人として、今後とも原点を踏まえた発信を国内外にしていくことが必要と指摘している。 アフリカの灌漑農業の現状と開発
ほとんどのアフリカ諸国にとって、農業が食料生産、雇用の創出、生計の向上、地域や国家全体の安定・発展を支える主要な産業であることは広く認識されている。FAOSTATのアフリカ全体の統計では、1961−2018年の約60年間に、穀物生産量では約4.4倍に、収穫面積では2.2倍になっている。一方、アフリカの灌漑開発を地域別に見ると、北アフリカや南部アフリカでは10%を超えているものの西アフリカ、中部アフリカではまだほとんど灌漑開発は進んでいない。 1993年から、日本が中心となって国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行、アフリカ連合委員会(AUC)と共同で開催しているTICAD(アフリカ開発会議)に関連する稲作振興のプログラムでは、国際協力機構(JICA)は現地の国々と共同して、これまでサブサハラ・アフリカのコメの生産量の倍増を実現するなど大きな貢献をしてきている。 農業分野で日本が長年にわたって技術・資金協力を行っている東アフリカの主要国であるケニアでは、その食味の良さや調理の容易さなどからコメの国内消費が伸びており、現在では主要穀物の1つとして扱われるなど重要度が増し、増産が求められている。 2017年にケニヤッタ現大統領が、4つの重点課題として公表した「ビッグフォー計画」において、灌漑が関係する「食料と栄養の安全保障」については、①コメ生産を2018年の12万4000tから2022年に40万6000tへと、②灌漑面積を2017年の20万2000haから2022年に48万6000haへと、③農業生産・輸出における小規模農家の割合を2018年の21%から2022年に50%へと増大させる、などが掲げられていると説明している。 |