藤原 辰史 著

『トラクターの世界史
 ―人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち―


 農林水産省に「スマート農業の実現に向けた研究会」が設置された2013年11月以降、スマート農業の実装に向けた検討が精力的に進められてきている。とくに農業用トラクター(以下、トラクターと呼ぶ)の自動走行技術はその検討の中心にあり、産学官挙げての取組が行われている。2017年には使用者の監視下という条件はあるものの、無人状態での自動走行が可能なトラクターが日本で市販されるに至った。日本のトラクター技術史に刻まれる出来事が起こったその2017年に本書『トラクターの世界史』は出版された。

 本書はトラクターの歴史について世界的に俯瞰(ふかんしているが、その開発の歴史を単に紹介するのではなく、環境破壊、軍事転用など、トラクターがそれぞれの地域にもたらした政治的、文化的、経済的、生態的側面について考察している。本書は、豊富な文献や調査に基づいておりトラクターの参考書としての価値も高いが、スマート農業が注目されるいま、機械と人間の関係がいかにあるべきか、トラクターの世界史を知ることで、読者がその議論を深めていくことを著者は期待している。以下に、本書の内容の一端について紹介させていただきたい。


 本書では、まず、内燃機関を搭載していることなど、トラクターの特徴について説明した上で、蒸気機関による耕耘(こううんの試みからトラクター生誕の歴史を紹介している。内燃機関のトラクターの開発に最終的に成功したのはアメリカのジョン・フローリッチであり、彼の技術はウォータールー・ガソリンエンジン社などを経由して、世界一位のトラクターメーカーである「ジョン・ディア」に伝わっていく。また、現在では世界第二位に位置するCNHグローバルに統合されているインターナショナル・ハーヴェスター社などといったアメリカ企業によるトラクターの開発の経緯を概説している。

 次いで、フォードによる量産体制の確立とその後のアメリカにおける普及や発展の経緯について、第一次世界大戦との関連、また人々のトラクターに対する愛憎に触れながら解説している。戦争により、農村において馬が多数徴発されたこと、農村から若い男性が戦場に向かったこと、そして、戦中に共同利用の事例がみられたことがトラクター普及の背景にあったとしている。さらに、トラクターの登場が、馬の(ふん尿を肥料に使う慣習を徐々になくし、化学肥料の増産と多投をもたらし、このトラクターと化学肥料のパッケージの急速な普及が1930年代にアメリカを震撼(しんかんさせたダストボウルと呼ばれる砂嵐の一因であったと、トラクターがもたらした災いに言及している。

 このようなトラクターへの想いにも触れたアメリカでの普及の話から、国家主導によるトラクターの共同利用を目指したソ連の取組、イギリスやドイツにおけるトラクターの戦車への転用の試みへと本書はトラクターの暗部にさらに切り込んでいく。スターリンは、共産党の任務として、トラクターを通じた機械化農業の推進と農業の大規模化を提示し、これがきっかけとなって、1928年、農業機械の共同利用を目的とする組織をMTS(機械トラクターステーション)と呼ぶことになるが、MTSは、政治的に農業と農民を管理する手段へと徐々に変質していったとしている。

 また、トラクターの世界史の暗部として、戦車へのトラクターの転用について触れている。1916年に戦争に投入された世界初の戦車マークⅠを開発したのはイギリスの農機具メーカーであるウィリアム・フォスター&カンパニー社であったこと、またヴェルサイユ条約で徴兵制とともに空軍や戦車の保持を禁止されたドイツが、LaS(Landwirtschaftlicher Schlepper:農業用トラクターの頭文字)というコードネームで戦車の開発を続けたことを示し、さらには第二次世界大戦時にはほとんどのトラクター企業が戦車開発を担うようになったことを踏まえ、トラクターと戦車はいわば双生児であり、ジーギル博士とハイド氏のようにドッペルゲンガー(二重人格)の機械であったと指摘している。

 さらに話は、冷戦期におけるアメリカ、ポーランド、日本、ソ連、中国等での諸相へと展開していく。アメリカでは、トラクターの台数が1966年の547万台を頂点に緩やかに減少しつつトラクターの大型化が進んだこと、1965年から85年にかけて、ポーランドや日本で急激に台数を増やしていったことなど各国の普及の変遷について説明するとともに、スターリンの死後におけるソ連や、農業集団化を進めた中国などにおけるトラクターの浸透について分析している。また、中国において、女性トラクター運転手の活躍が社会主義の宣伝に使われたことに言及しているが、実際には、男性トラクター運転手からのいじめがあるなど、あくまで男性至上主義的な価値観のもとでの象徴の扱いであったとその現実を示している。

 そして最後に、日本におけるトラクターの導入・普及の歴史について、とくに歩行型トラクターに焦点を当てて説明している。1925年に初めて国産の耕耘機を完成させた岡山の農民の西崎浩、高品質な冨士耕うん機を開発しヤンマーディーゼルとの販売提携につなげた藤井康広などによる開発の試みについて触れるとともに、彼らの出身地の岡山が当時の日本における農業機械化の中心であったとし、その理由として、水路を使った運搬がなされ家畜をあまり使用しない農業が行われていた干拓地の存在を挙げている。さらに、戦前の農学者の間におけるトラクターを含む農業機械を巡る論争、農業機械化促進法(1953年制定)や農業基本法(1961年制定)を経て農業近代化システムが整うなかでの、クボタ、ヤンマー、イセキおよび三菱農機といった日本を代表する農機メーカーにおけるトラクターの開発の経緯が示されている。

 世界におけるトラクターの歴史を踏まえ、筆者は、トラクターが、人間を自由にしたか、20世紀の政治とどうかかわったか、開発、使用のために費やされたコストを賄ったか、そして、今後どのような展開を遂げるのかという問いを終章において立てている。そして、長時間の耕耘労働からの解放、農業生産力の増大など近代の果実を人々にもたらした一方で、農業機械購入のために借金を抱える「機械化貧乏」を生み出し、農民たちに新たな縛りを与え得ることなどに言及し、その問いに対する解答を試みている。また、いま進められている無人トラクターの夢について、土の世界に魅惑されてきたわたしたちが農業の全自動化で失うものはやはり小さくないと指摘し、それが本当に実現したい夢なのか、人間と機械の付き合い方はどうあるべきなのか考察をして本書を閉じている。

 本書が出版された2017年以降、スマート農業は、農業が抱えるさまざまな課題を解決する救世主として、農政上ますます重要な存在となっている。しかし、トラクターが農民の肉体的負担を軽減した一方で、戦車に転用され、また機械化貧乏を生み出したように、あるいは緑の革命が飢餓人口を減らした一方で環境問題を引き起こしたように、農業における技術的革新は時に功罪をもたらしてきた。

 さて、それでは、農業革命ともいわれるスマート農業に死角はないのであろうか。また、農業用水路や堰などの維持管理の土台にある農家を中心とした人々のつながり、あるいは良好な景観の形成などの農業が発揮する多面的機能といったものと、どのように調和していくのだろうか。スマート農業が社会にもたらす変化には、まだまだ未知数な部分が多いが、本書は機械と人間の関わりについて考察を深めていくための足がかりになるだろう。


一般財団法人 日本水土総合研究所(JIID)      
主任研究員 北川陽介

*中央公論新社刊 本体価格=860円

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