乾燥地における水管理のレジリエンス強化
─水不足と気候変動に対処する新たなパラダイム─
1.乾燥地の水不足問題
乾燥地は地球の全陸地面積の41%を占め、世界人口の約1/3が生活しているが、そこで得られる水(再生可能水資源量)は全世界の流出量(4万1000k㎥/年)の8%程度(3280k㎥/年)に過ぎない。すなわち、1人あたり再生可能水資源量は2020年時点で約1200㎥/年で、世界平均の約5300㎥/年に比べて著しく乏しい。また、この数値はファルケンマークによる分類によれば、1人あたり再生可能水資源量が1700㎥/年を下回っていて、「水ストレス状態」、さらには「水不足状態」「絶対的水不足状態」に置かれていることになる。 表2の左の欄は、1人あたり国内再生可能水資源量が500㎥/年を下回る国々の2000年・2010年・2020年のFIを示すが、中東や北アフリカに多い。なお、同表の右の欄には、全再生可能水資源量として、他国から流入する水資源も加えた数値も示した。たとえば、パキスタン、シリア、ニジェール、エジプトなどは国際河川流域にあるため、その恩恵を受けているが、それでも「水ストレス状態」にあるか、「水不足状態」に置かれている。なかでもエジプトは、「全再生可能水資源量」を対象としても、近い将来に500㎥/年/人を下回ると見られている。 表2 水資源が厳しい逼迫状態にある国々のFI(㎥/年/人)
なお、表2においてシリア以外の国では、継続する人口増加に伴い㎥/年/人の数値は年々減少傾向にある。今後、さらなる人口増加、気候変動、土地利用強度の増大、土地被覆の変化などが予想されることから、再生可能水量および生物生産量の減少に拍車が掛かることが懸念される。乾燥地農業においては、「水」が最大の制約要因であり、そのレジリエンス強化のためには水生産性(WP:Water Productivity)に基軸を置いた水管理が基本となる。 2.乾燥地の水管理に及ぼす温暖化の影響とその対策 乾燥地においては砂漠化・水不足問題に加えて懸念される問題は、今後の地球温暖化の進行に伴うさらなる脅威の増大である。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次評価報告書(AR5)1)によれば、21世紀を通して乾燥亜熱帯地域のほとんどで、表流水と地下水の再生可能な水資源が気候変動によって減少し、水利用セクター間の競合が激化すると予測されている。したがって、干ばつの影響を受ける頻度は増大し、その範囲も拡大することが予想される。干ばつに対する高精度早期警報システムの活用はもとより、非従来型水資源の活用など水資源の多様化、灌漑システムの整備、より効率的な水利用、節水技術の導入、降雨依存農地においては雨水集水、洪水利用などの導入を積極的に進めるべきである。 温暖化の進行による影響は、干ばつの頻発以外にも、洪水の頻発、土壌侵食の激化と土地資源の劣化、地下水補給量の減少と地下水賦存量の減少、氷河の早期融解と縮小、塩害発生頻度の増大、海水侵入と排水問題の激化など、さまざまな脅威に見舞われる地域は多いと考えられる。想定される脅威に対処するため、早急に適切な対策を講じる必要がある。 3.水生産性を重視した水管理へのパラダイムシフト2) 水生産性は、ある水使用によってもたらされる価値を評価する指標とみなすことができる。すなわち、水生産性は消費された単位水量からもたらされる収益もしくは利益である。なお、収益もしくは利益には生物物理的な生産だけでなく、社会経済的なもの、環境的なもの、栄養的なものなどが挙げられる。たとえば、生物物理的な水生産性とは、同量の水からいかに多くの食料を生産することができるか、もしくは同じ量の食料をいかに少ない水量で生産することができるかという発想に基づく概念である。 従来、農業生産性を表す指標として、一定の面積あたり生産量で示す方法が圧倒的に多く採用されていた。乾燥地の農業の発展にとって、もっとも制限される資源は、土地ではなく水である。乾燥地では、単位面積あたりの農業生産性(土地生産性)を最大にする戦略は必ずしも適切ではなく、単位水量あたりの生産性を最大化する戦略の方がより適切である。水生産性を高める努力は土地生産性もある程度まで高めるが、最終目標は異なる(図1)。水資源と土地資源の両者の利用を最適化するためには、一つの妥協点を見出す必要があり、農業開発の計画・実行方法を本質的に変えていく必要がある3)。 図1 地中海環境におけるデュラムコムギの水生産性と土地生産性の関係
農業の水生産性を高めることには、大きな可能性がある。とくに、途上国においては顕著である。先進国と途上国の間には、水に対する作物収益において大きなギャップが存在するが、それを埋めることは可能である。 水生産性の向上の可能性がもっとも大きいのが降雨依存農業であり、的確な公共投資を行うならば、その実現可能性は高まる。既往の研究は、効率の良い水管理技術を適用することにより、同量の水で現在の農業生産レベルの数倍の生産が得られることを示している。このことは、とくに生物物理的収益を巡る利益を考慮する場合にもっとも当てはまり、社会経済的収益と環境的収益を考慮する場合にも当てはまる4)。農業における水生産性向上のための方法を幾つか以下に示す。 (1)不足灌漑(DI:Deficit Irrigation) 単位面積あたりの収量を最大にするためには、一般的に作物用水量全量を満足するように計画される(充足灌漑、Sufficient Irrigation)。しかし、このDIでは、作物用水量よりも少量の水供給が意図的に計画される。その場合、作物をやや水分不足の状態にさらすことになり、単位面積あたりの作物収量を低下させることになる。しかしながら、DIが的確に計画されるならば、その節水によって生じた水量を別の新たな灌漑に利用でき、そこからの生産量が灌漑水量の削減に伴う減収を十二分に補えることが明らかになっている。このことは、DIが単位水量あたり収量をより高くできることを意味している(図1)。つまり、水が土地以上に制約される地域では、この戦略は利用可能な水量から、より多くの食料を生産できることになる。実際、DIは充足灌漑よりも著しく水生産性を高めることが、世界の多くの地域で報告されている。乾燥地の主要な作物を対象に、それらの水生産性を最大化するための作物用水量と灌漑スケジューリングの指針を作成していく必要がある。 (2)補給灌漑(SI:Supplemental Irrigation) これは、渇水時の水分不足を軽減するため、作物の重要な成長段階に、限られた量の水を利用することによって、大幅に収量と水生産性を高めることができる。充足灌漑とは異なり、この方法は降水が作物への主な供給水源である降雨依存地域で用いられる。SIのタイミングと水量は、降雨のランダム性のために、事前に決めることはできない。SIに用いられた水の生産性は降雨依存システムにおける雨水の生産性の4-5倍になり得る5)。SIは、霜や干ばつなどの厳しい環境条件(極限環境)を避けるために、作付けスケジュールを調節する目的で用いることができる。トルコとイランの高原地域では、早期播種をして50㎜のSIを適用したことによって、降雨依存栽培のコムギとオオムギの収量がほぼ倍増し、水生産性は3-4kg/㎥にも達した4)。 (3)雨水集水(WH:Rainwater Harvesting) これは、降水を流出させて集め、それを貯留して有効利用する方法で、降水量が不十分で経済ベースの営農が維持できない地域において、水生産性を高めるために実施される。まず、流出速度を減らし、そのことによって滞留時間が多少でも長くなり、その間の浸透によって作物の生育に必要な土壌水分貯留量を増やし、かつ土壌の流出を防いでいる。各地域特有の伝統的WHシステムとして、チュニジアのジェスール(jessour)やメスカット(meskat)、タビア(tabia)、北アフリカや中東のシスタン(cisterns)、スーダンやヨルダンのハフィール(hafirs)などがあるが、このほかにも多くの技術が存在し、現在も使われている。在地の知識に基づいた現代的な方法である、コンターリッジ(contour ridge)、半月堤、流出帯法などのWHも利用可能である。WHによって得られる水は、作物・樹木への灌水、生活用水、家畜用水として賄われる。上下流間の相互作用を考慮すべき地域では、WHの計画において総合的流域管理に基づくアプローチが行われなければならない6)。 (4)精密農業および精密灌漑(PA & PI:Precision Agriculture and Irrigation) いずれも、作物生産システムへの投入資材の量、タイミングなどを精密に制御して生産効率の向上と節水を目指すものである。PAは食料生産チェーンを監視しながら、生産量と生産物の品質を管理する。利用可能な技術・経験は、同量の水を使って大幅に食料生産を増やすことができる。肥沃度を均一に保ちレーザー整地した農地で、PIと他の高度な技術を適用すれば、水生産性を大幅に高めることができる。PIによって、土壌栄養素と土壌水分の空間変動は圃場レベルで最小限に抑えることができ、その結果、管理が改善され、生産量が増加する7)。 (5)代替作付けパターン(ACP:Alternative Cropping Patterns) 限られた水でより多くの収益を得るためには、現行の土地利用と作付けパターンを見直すべきである。水の利用可能性を基軸にして、内部要因だけでなく外部要因にも対処した、新たな土地利用システムを構築しなければならない。これらのシステムには、水生産性の高い作物・品種を多用し、より有効な作物の組合せを積極的に導入すべきである。代替作物とファーミング・システムの選択は、生物物理的要因と水利用による利益(収入、社会的・環境的側面を含む)について慎重に分析したうえで行う必要がある。とくに、新しい作付けパターンは、徐々に導入する必要がある。そして、この方法の導入を促進するためには、多くの場合に政策的支援が必要となる8)。 4.乾燥地で期待できる持続可能な水管理2) 乾燥地においては、水資源が限られており、劣化しやすい土壌を抱えていることから、精緻な水管理が求められる。乾燥地での農牧業を前提にした生活を考える場合、最大の制約要因は「水」であるので、従来の土地生産性を高めることを基軸とした戦略から、水生産性を基軸とする戦略へとパラダイムシフトすることが重要である。そのうえで、持続可能な水管理を展開していくために、5つの鍵となる方策を提案したい。 (1)帯水層の適切な活用 気候変動に伴う水資源の将来的な不安定化に対処していくうえで、帯水層を適切に活用していくことが大切である。乾燥地では、干ばつや洪水はそれぞれ頻発する傾向にあるため、洪水時の流出水、降雨時の雨水を帯水層にストックしておき、干ばつ時に利用するという水利用の平滑化が不可欠である。具体的には次の方法が適用できる。 (2)グリーンウォーター(GW:Green Water)の有効利用 GWとは、土壌中に貯留され土壌表面および植物の葉面から大気中へ蒸発散として放出される水である。これは、河川に流出したり、地下に浸透して地下水になったりするのではなく、一時的に土壌中に貯留される水分である。地球上の全GWは7万2000k㎥/年であり、これは降水によって陸地にもたらされたものである。ある試算によると、世界の食料生産において消費されているGWは約6800k㎥/年に及ぶ。このうち、1800k㎥/年は農地の20%を占める灌漑農地で消費され、残りの5000k㎥/年は同じく80%を占める降雨依存農地で消費されている9)。したがって、GWの総量7万2000k㎥/年の7%のみが降雨依存農地で利用されていることになる。今後、途上国の人口増加に伴う食料不足や飢餓問題を改善していくためには、灌漑農地に加えて降雨依存農地の生産性を高めることが急務であり、GWの有効利用が鍵となる。
GWは、非生産的な蒸発による消費を極力抑えて、生産的な蒸散による消費が増えるように改善していく必要がある。また、温暖化によって蒸発散量は増加するので、大気中の水蒸気を捕捉して水分を土壌に還元する技術の開発が期待される。具体的には次の方法が適用できる。 (3)非従来型水資源の利活用 従来型の水資源の逼迫が顕著で、新たな淡水資源の経済的開発が限界に達したかに見える今日、都市下水・排水も貴重な水資源として見直す必要がある。とくに、乾燥地においては、河川の基底流における下水・排水の比率は高まる一方で、好むと好まざるとを問わず下水・排水を高度処理して、再資源化する必要性に迫られている。近年、逆浸透膜(RO:Reverse Osmosis)法の技術革新・低コスト化が進み、造水コストのいっそうの低減に関しても、明るい見通しが得られるようになってきた。先進地域であるアメリカ、イスラエルで見られるように、RO法を基幹とする下水・排水の再生処理は今後さらに増えると考えられる。さらに両国では、高度処理した水を一定期間帯水層に涵養することによって、より自然に近い処理水への再生も可能な地下水涵養システム(GWRS:Groundwater Replenishment System)を開発し運用している。非従来型水資源の利用として、次の方法が適用できる。 (4)先進的節水灌漑の適用 乾燥地で安定的な農業生産を行うためには、作物への水の供給(灌漑)は不可欠の条件である。しかしながら、乾燥地での灌漑行為は必ず塩類集積を誘発する。塩類集積をできるだけ軽減するためには、節水灌漑がその基本となる。たとえば、点滴灌漑に代表されるマイクロ灌漑のような灌漑効率の高い精緻な灌漑を行う場合は、排水の負荷が軽減され、塩類集積の影響も軽微で済み、塩類の集積状況をみながら適度にリーチング(溶脱)を行えばよい。この場合、排水対策にさほど経費を費やす必要がない。また、水生産性も高いので積極的な導入が期待される。 ・ マイクロ灌漑の導入
・ 精密灌漑の導入(前出)
・ センターピボット灌漑における低エネルギー精密型(LEPA :Low Energy Precision Aapplication)灌漑システムの導入
(5)伝統的水利用・管理の効率的適用 世界には上述したもののほかに、カディン(khadin)、アハール(ahar)、カナート(qanat)など、現在も利用されている多くの在地の伝統的知識や技術がある。これらは長い年月をかけて改良され、最適化されてきており、環境にも優しいものが多く、積極的な適用が望まれる。 5.おわりに 水利用・水管理は人類が生存していくうえで、不可欠な活動であるが、一方で環境の劣化の原因ともなる両刃の剣であることを、十分に認識しておかなければならない。近世の大規模計画の失敗例の多くに共通していることは、計画が長期的展望に欠けていることである。事業のライフスパンが非常に短く、次世代のことを考慮しておらず、結局は負の遺産を次世代に引き継ぐケースが多い。有限な水資源を活かすも殺すも私たち人間次第であり、次世代に配慮した可逆的で持続可能な賢い水管理システムの構築に向けて、知識・英知を結集していく必要がある。 水資源の乏しい乾燥地においては、食料の安全保障は必ずしも自給に固執せず、バーチャル・ウォーター(VW)やウォーター・フットプリント(WF)の観点から、輸入を含めた経済的な食料確保戦略を柔軟な発想で考えてみることも大切である。もっとも、この考え方はリベラルな国際秩序が保たれていることが前提であり、今日のように「国益ファースト」の時代にあっては、世界の動向を十分に考慮しておく必要がある。こうした視点が、レジリエントな農業および食料供給システムの構築につながるのである。 |