気候変動による降雨パターンの変化と水利用
1.はじめに アジアの稲作は、生産性の高い水田と水田灌漑に支えられ、持続的な経済活動として成り立ってきた。これは、大気大循環のもとで形成される多湿な環境と古くからコメを主要な穀物としてきたことに、その理由を見い出すことができる。しかしながら近年の気候変動の影響を受け、持続的な農業生産の前提となってきた大気大循環の安定性が脅かされている。これまでの気候変動の議論のなかでは、世界の水利用量の7割を占める農業水利用に対する気候変動の影響について、その特徴を捉えた分布型水循環モデルが開発され(Masumotoら、2009)、幾らかの影響評価が行われてきた。一方で、今後検討される気候変動への具体的な対応策を立案する際に不可欠な情報である確率雨量や降雨パターンについては詳細な検討は行われてこなかった。 そこで、本稿ではまず上記の農地水利用を考慮した分布型水循環モデルへの重要な入力要素となる降雨量や降雨パターンについて、日本の代表的都市における過去の観測雨量を用いた分析結果ならびに将来の予測の結果を紹介する。次いで、将来予想される両極端現象(渇水と洪水)の増大に対する東南アジアの代表国での農業水利用上の適応策について提示する。 2.長期間の実測データにみる豪雨パターンの変化特性 気候変動の影響で、将来的に極端な豪雨の発生やそれによる大規模な洪水・浸水被害などのリスクの増加が懸念されている。まず、過去の降雨パターンの変化傾向を、日本の金沢での過去、長期間(約70年間)にわたって観測された降雨データのなかで、とくに豪雨時の降雨強度のデータに着目し紹介する。ここでは、水利施設の規模決定に利用する確率雨量(確率3日雨量)を対象とする。 豪雨選定の閾値(日雨量70㎜もしくは3日雨量100㎜を満たす3日雨量)を設け条件を満たす3日雨量を豪雨イベントとして抽出し、1時間雨量(最大72時間分)で処理する。データ期間を過去から近年まで3つの期間に分割し(A期:1940-1962年、B期:1963-1985年、C期:1986-2008年)、期間毎に豪雨時の降雨パターンの変化傾向を時間雨量単位で把握した(皆川・増本、2012)。 その結果、豪雨の発生回数には明確な増加傾向は見られなかったが、たとえば豪雨中の最大6時間雨量で、C期はA期に比して約8%増加し、その発生分布では、C期ではピークが大きい方に移動している(図1)。すなわち、豪雨時の雨量がやや増加し、さらに集中化している傾向がみられる。 図1 観測データによる最大6時間雨量の発生頻度の変化
3.将来の降雨パターンの変化 将来の降雨パターンを予測するため、世界各国で全球気候予測モデル(GCM:Global Climate Model、General Circulation Modelともいう;地球全体を計算対象として気候を再現し、その変化を表現する数理モデル)が構築され、さまざまなリスク評価手法が開発されている。しかしながら、気候変動のリスク評価などで入力に用いる気候要素の将来予測値の時系列データ(以下、気候シナリオ)は計算方法などによりばらつき(不確実性)があり、異なる気候シナリオによって評価されたリスクには差異が生じる。そのため、複数の気候シナリオの不確実性を反映させた豪雨を模擬発生させることで、豪雨の発生頻度および雨量強度にみる豪雨特性が検討された。その結果、将来は、豪雨の発生頻度と雨量強度が共に増加する傾向が得られ、さらにその出現分布が確率的に評価された(皆川ら、2018)。 前述の観測データと対比するために、金沢周辺を対象に、台風や極端豪雨の再現性を重視し、5つのGCMから日雨量の気候シナリオを収集した。さらに、放射強制力を示す指標である代表濃度経路(RCP :Representative Concentration Pathway)にも注目して3つのシナリオ(RCP2.6、RCP4.5、RCP8.5)に基づく気候シナリオを収集した。RCPの数値は二酸化炭素の濃度が増えると上昇する。収集したシナリオ数は現在期間で15個、将来期間では3つのRCPシナリオ毎に11個(合計33個)となった。
その結果、模擬発生させた各豪雨群の豪雨イベントをみると、時系列が将来期間になるほど、またRCPシナリオが2.6から8.5へと高位になるほど、豪雨の発生回数は増加することが明らかになった。次に、これらの豪雨を発生月毎に見て、水田への影響がある水稲栽培期間中(田植時期の5月から収穫時期の10月)の豪雨の発生率を分析したところ、全体のうち現在期間では約76%、3つの将来期間ではRCP2.6で最小シナリオの70%から最大シナリオの74%、以下同様に、RCP4.5で68%から72%、RCP8.5では66%から69%となり、RCP2.6からRCP4.5、RCP8.5と高位のシナリオになるにつれて、割合が減少傾向にあった。なお、いずれのシナリオでも年間の豪雨発生回数は増加していることから、この結果は水稲栽培期間以外の豪雨発生頻度が上昇することを示している。
4.水利用への気候変動と水資源開発の複合的影響の評価 変化が予想される将来の降雨パターンや降水量が起こった場合に、稲作地域を中心に、利根川流域や鬼怒川流域を始めとする国内の336流域、さらには、カンボジアのプルサット川流域、ラオスのナムグム川およびセバンファイ川両流域、中国、タイ、ラオス、カンボジアおよびベトナムにまたがるメコン河全流域、さらにタイのチャオピヤ川流域などで生じうる河川流量などへの気候変動影響を評価した。ここでは、ラオスのナムグム川流域を取り上げて、気候変動と新規ダム建設が既存の「ナムグム1ダム」の流水管理や流域水資源に与える複合的影響について評価した結果を紹介する。 ナムグム1ダムは、1971年に完成した発電用ダムである。有効貯水量は47億m3であり、貯水池はメコン河流域でも有数の大きさを誇る。現在、このダムの上流には3つの新規発電用ダムが建設されている。ほかにも、近年、メコン河流域では水力発電ダムの建設が数多く計画されているが、気候変動とともにそれら水資源開発が水循環に与える影響が懸念されている。影響を評価した結果、それを裏付けるように、気候変動とダム建設の影響は渇水年のナムグム1ダムにおける雨期流入量・貯水量の減少として顕著に現れることが予測された。 一方で、気候変動に伴う降水量増加分が上流ダムで貯留されるため、ナムグム1ダムの無効放流が減少し発電放流量が増加することも予測された。このことから、メコン河流域のような開発圧力の強い地域において将来の水資源を予測するには、気候変動と水資源開発の両者の影響を考慮することが重要と考えられる(工藤ら、2013)。 影響評価には、農地水利用を考慮した分布型水循環モデルや新規水資源開発が既存貯水池や流域水資源へ与える影響を対象とする貯水池管理モデルを利用するが、入力値となる降水量には、21世紀気候変動予測革新プログラム(革新プロ)における気象研究所の超高解像度全球大気モデル(MRI-AGCM3.1S)の温暖化実験結果(SERS A1Bシナリオ)による現在(1979-2003年)、近未来(2015-2039年)、21世紀末(2075-2099年)の3期間(いずれも解析当時の呼称)についての予測結果を用いた。 (1)ダム放流量の変化 貯水池管理モデルにより推定した上記の3期間(25年間)毎の平均年発電放流量、洪水吐越流量を図4に示す。まず、上流ダム建設を考慮しない場合(図4のa)をみると、3期間において発電放流量にほとんど変化がないこと、21世紀末には降水量が増加するため洪水吐越流量が増加していることが分かる。次に、上流ダム建設を考慮した場合(図4のb)には、21世紀末において無効放流となる洪水吐越流量が現在の7億2000万m3から4億m3まで減少し、逆に発電放流量が82億m3から90億m3へと10%程度増加している。すなわち、気候変動による降水量の増加分が上流ダムで平滑化され徐々にナムグム1ダムに流入してくるため、ナムグム1ダムにおいて無効放流される水量(洪水吐越流量)が減少し、発電放流量が増加したと推量できる。 図4 ラオスのナムグム1ダムにおける年間放流量(水力発電用など)の変化
一方で、洪水時におけるダム下流域への影響を評価するためには、年間の洪水吐越流量よりも洪水時に発生する日単位の越流量が重要となる。評価の結果、近未来では上流ダムの貯留効果により、図4に示すように現在に比べ年間の洪水吐越流量は減少しているのに対し、日単位の洪水吐越流量は、21世紀末では上流ダムの無い現在と同等であることがわかった。 (2)ダム下流域における河川流況の変化 ナムグム1ダム下流地点であるパッカニュン(Pakkanhoung)地点における各期25年間の月平均流量、および月最大・最小日流量も検討した。上流ダム建設を考慮しない場合(気候変動の影響のみの場合)は21世紀末の6-10月にかけて月最大流量が増加し、逆に最小流量が減少した。しかし、各月の月平均流量には大きな変化がみられない。一方、上流ダム建設を考慮した場合でも、6-10月において月最大流量が増加、最小流量が減少するなど、上流ダム建設を考慮しない場合と同様の傾向がみられることもわかっている。また、上流ダムの影響により乾期流量の増加がみられた。 しかしながら、このように、ナムグム1ダム下流域では乾期流量や雨期(6-10月)の最大・最小流量などに気候変動や上流ダム建設の影響がみられたものの、ダム上流域に比べるとその変化は相対的に小さかった。これは、ナムグム1ダム自体が大きな流況平滑化機能を持っており、多少の流入量の変動では放流量が大きく変動しないため、ナムグム1ダム上流域に比べ上流ダム建設の影響が相対的に低下していることが理由であろう。 5.気候変動適応策としての基本データが極端に不足する地域における農業水資源予測 水資源が豊富といわれるモンスーンアジアの水田主体流域では、多くの地域の灌漑率は非常に低く、天水に頼った農業が主体となっている。しかも、そういった地域の灌漑計画を立てようとすると、基本的な気象水文データに関する現在や過去の観測値が極端に少なく、従来型の灌漑計画の立案方法では、水資源の必要量や関連施設の容量の決定ができない状況にある。そこで、内戦などのために基本データが全く存在せず、現在でも天水農業が主体のカンボジアのプルサット州プルサット川流域の水利用計画を例示しながら、極端に基本データの少ない地域の灌漑計画を立案するための新たな考え方として「流域灌漑方策」を提案し、その展開方向を示した(Masumotoら、2016)。 ここで活用したモデルは、前述の分布型水循環モデルであった。データが極端に少ない流域の水文気象などのデータを気候変動の影響評価に利用するシミュレーション実験としての手順で擬似発生させ、それらを観測データの代わりに利用した。この手法が新たな流域灌漑方策の提案の主要部分であった。 モデルへの入力データは、前述の革新プログラム(2007-2011年度)の結果で、20kmメッシュの現在(1979-2003年)、近未来(2015-2039年)、21世紀末(2075-2099年)のそれぞれ25年間分であった。日降水量、日最高・最低気温、日最大風速は実験結果から取り出し、風速の日平均と湿度の日最高・最低値は、実測値であるアジア域6時間地上データから間接的に推定した。 水循環モデルによる分析の結果、たとえばプルサット川下流域のダムナックアンピル頭首工地点での擬似観測日流量データが図5のように得られた。ここで得られた現在値(日々の流量)は、擬似の観測値として活用して灌漑用の水利施設の規模などの設計に利用できる。加えて、将来の気候変動の影響(近未来や将来)を加味した設計も可能となる利点も見い出すことができた。 図5 流域灌漑方策による長期擬似観測データの作成結果(たとえば、カンボジアのプルサット川流域のダムナックアンピル頭首工地点)
後者は、過去の観測値だけに頼る施設計画に比較すれば(日本などでの基本技術)、一歩先をいった計画・設計ができることになる。さらに、灌漑地域における配分・水管理モデルについても、モデルサイトを設定し、現在、モデルの作成と灌漑計画への組み込み実験を実施している。なお、一連の手順は、前出の多くの流域で実施した気候変動影響評価実験の一環として検討が行われた。 6.おわりに 気候変動により降雨パターンが変化するなか、食料生産の安定供給を図っていくためには、その変化に対し、各国の灌漑用水の利用を適応させる必要がある。本稿では、その適応のために必要となる降雨パターンの予測に関するこれまでの取組の概要を紹介した。 まず、降雨パターンについては、日本国内での事例を元に、過去の観測データでの変化を、さらに将来予測値における降水量や降水パターンの変化での不確実性を考慮した将来変化について示した。次に、灌漑用水に関連しては、ラオスにおいて現在盛んな発電用ダム建設と気候変動の複合的な影響評価の方法とその結果を、またプルサット川における灌漑プロジェクトを取り上げ、上述のように基本的なデータが極端に少ない地域での灌漑計画の立案のための新たな考え方として、流域灌漑方策を提案し、その結果を示した。そこでは、気候変動への適応策の一つとして、カンボジアの1流域を事例に、気候変動の影響も組み入れた、実際の観測データの代替となる基礎データの整備や提供が可能となることを示した。 |