世界かんがい施設遺産登録と地域振興の取組
曽代用水

曽代用水土地改良区事務局 野口正人

1.曽代用水の歴史と地域への貢献

(1) 曽代用水の成り立ち

 世界かんがい施設遺産は2014年に、稲生川(青森県)など9施設が日本で初めて登録されていたが、曽代(そだい用水は他の3施設とともに、2015年10月に登録された。

 登録の理由は、「灌漑(かんがいシステムの建設における事業経過及び農業者の主導、不毛の地を豊かな田園地帯へと変貌させ、350年以上に渡り地域農業の発展に寄与した卓越した例であるため」である。

 この地域は、地区内を流れる長良川の河底が低く、用水の取水ができないため、かつては渓流水に依存した農業を営んでおり、毎年、干ばつの被害を受け、収穫は極めて少ないものであった。

 それにも関わらず、この地域に灌漑施設ができなかった理由としては、1600年代の徳川幕藩体制が挙げられる。その当時、この周辺地域は複数藩の領地として分断されていたため、各藩が互いに牽制(けんせいし、農民が徒党を組むことを予防していたといわれている。くわえて厳しい階級制度があり、人々の間での軋轢(あつれきが絶えることのない社会情勢であった。

 住民たちは貧困にあえいでいたものの、このような時代では、広大な山林原野を開墾し、複数の集落にまたがる灌漑施設を築くことは至難であった。

 そうしたなか、1663年(寛文3年)、尾張藩の役職を辞し、この地に移住してきた喜田吉右衛門と弟の林幽閑が、地元の豪農、柴山伊兵衛に自らの財産を差し出し、使途を任せたところ、水不足にあえぐ農民の窮状を憂慮していた柴山氏は、この地域に長良川から取水し、用水路を造る計画を立案した。

 しかし、用水の建設は、集落間の利害不一致から交渉が難航し、各藩からの許可も速やかには下りなかった。とくに、上流部にあっては用水路が集落を分断し、大切な土地が奪われ、さらに用水も田より低いことから引水ができず、この計画の恩恵が一切ないことが大きな障害となった。それでも、3氏は集落ごとに替地や金銭補償による交渉を積み重ね、各藩からの許可を取り付け、計画から4年の歳月を経て工事に着手できた。

 工事は1667年に始まったが、ダイナマイトや機械もなく、硬い岩盤を掘削するため、炭や焚き木の火で岩を焼き、水をかけ、砕きやすくしてから「(のみ」と「金槌(かなづち」で掘るという厳しい作業が続く大工事であった。

 工事費は、約5500両(現在の数億円相当)を超える大金となり、3氏は、私財を全て使い果たしてしまったため、喜田吉右衛門は離脱し、林幽閑も行方知れずとなってしまった。しかし、柴山伊兵衛は粗末な小屋に住みながら頑張り通し、着工から3年の歳月を経て、約13kmに及ぶ用水路が完成し、荒れ地は美田に生まれ変わった。

 2016年11月には、当時の皇太子同妃両殿下の視察があり、「きれいな水が流れていますね、大切にしていってください」とのお言葉があった。元号が令和になり、即位された天皇皇后両陛下が、皇太子同妃両殿下であられたときに視察されたと報じられ、世界水フォーラムにおいても見解を発表された天皇陛下の「水」に対する思いが改めて認識された。

 このように曽代用水の登録を契機として、こうした史実が改めて地域住民はもとより、多くの方々に知れ渡ることとなった。

(2) 全国レベルの会議

 2019年10月に岐阜県で、第42回全国土地改良大会が開催され、全国から土地改良区の組合員など約4000名が参加した。この折に、農林水産省農村振興局奥田透次長の講演の冒頭、曽代用水の供用開始までの計画や建設の経緯の紹介があった。また、この大会に合わせ、全国27の道府県からの約1200名が曽代用水を視察した(写真1・2・3)。

 大会に続いて行われた、世界かんがい施設遺産連絡会は、地元曽代用水土地改良区が担当し、当日は、連絡会の会員など60余名の出席を得て、前日の懇談会に続き、現地視察と意見交換会を実施した。

   
写真1 第42回全国土地改良大会事業視察
写真1 第42回全国土地改良大会事業視察
写真2 孫六座の視察
写真2 孫六座の視察
写真3 井神社の視察
写真3 井神社の視察

2.曽代用水に関する取組

(1) 「井神社」の例大祭と社会教育

 登録以前からの取組としては、曽代用水開祖の3氏を(まつっている「井神社(いがみしゃ」の例大祭が挙げられる。「井神社」は、1813年(文化10年)に創建され、3氏の偉大な功績をたたえるとともに、その遺徳を偲んで、毎年8月1日に例大祭が行われ、感謝の意を捧げている。

 曽代用水の象徴である「井神社」拝殿が、2018年の台風21号により倒壊した。建設以来110年が経過し、老朽化が目立っていた矢先のことであった。

 本殿は以前に鉄鋼を使用しての支えが施されていたため、幸いにも倒壊は免れたが、長年の風雪によって腐食も目立っていたので、再建を目指すこととなった。再建にあたっては、井神社奉賛会の会員のみならず、多くの方々の賛同と好意により、約千件、800万円の浄財が寄せられた。寄付の依頼に伴い、曽代用水の歴史をさらに広く知ってもらうことができたこと、多額の寄付をいただいた方があったことなど、3氏の「人のために尽くす心」と功績を称えるにふさわしい、多数の方々の気持ちが伝わってきた(写真4)。

写真4 井神社完成式典
写真4 井神社完成式典

 また、本用水は建設以来350年程を経過した今も、地域にとって重要な施設であり、建設の歴史が、全国でも珍しい農民主導の「百姓相対用水」であることから、地元の小学生への社会教育の一環として「曽代用水」が取り上げられている

 そして、見学に来た小学生から、「用水はどうして流れるの」といった質問がなされる、あるいはゴミがたくさん流れて来ることを目にしての「ゴミを捨てないようにする」といった言葉も聞かれ、自然を活かした用水と環境を大切にする重要性を広く伝えている(写真5)。

写真5 除塵機を見学する小学生
写真5 除塵機を見学する小学生

(2) 曽代用水が育んだ「新みのにしき」の販売

 温暖な気候の岐阜県中濃地方に適した品種「みのにしき」に改良を重ねた「新みのにしき」が誕生した。清流長良川を灌漑用水とし、この川がもたらした肥沃な堆積地に広がる水田で、真心を込め栽培されたもので、粒も大きく、しっかりした歯ごたえがあり、年間を通じて食味が変わらないのが特徴である。

 この「新みのにしき」の誕生と登録を契機として、そのブランド化を目指し、美濃市の道の駅で販売するとともに、併設するレストランにおいても使用されている。

(3) 曽代用水活用検討会作業部会の設置

 曽代用水を活用し、地域農業・観光などの活性化を推進するため、関市と美濃市、県、および曽代用水土地改良区の事務方による「曽代用水活用検討会作業部会」が2018年1月に設置され、施設の整備と保全管理、用水を核とした地域振興策、たとえば、維持管理費などの負担軽減のための小水力発電やさまざまな機会をとらえたPR方法などを検討している。

(4) 各種イベントの開催

 曽代用水を核とした地域振興の一環として、①用水にアユを放流しての鮎すくい(写真6)、②用水での船下り、③沿線を歩き親しむウォーキング(写真7)を実施している。

 たとえば①について:2018年には、曽代用水の灌漑面積が最大である関市下有知(しもうち地区において、地元のふれあいまちづくり協議会はじめ、多面的機能交付金活用事業を展開している、地区内にある7つの団体などと共に、曽代用水本線の約200mの区間を利用し、鮎すくいを実施し、多数の参加を得た。

 また③について:2019年には、関市と美濃市のスポーツ推進委員会と共催し、用水の沿線ウォーキングを開催、取水口までは赤字ローカル列車である長良川鉄道を活用するとともに、取水口から下流に向けて、ウォーキングを楽しんだ。

  
写真6 鮎すくい
写真6 鮎すくい
写真7 ウォーキング
写真7 ウォーキング

 さらに、登録を契機に、(のぼり旗100枚を作製、用水路沿いや市役所などに設置し、PRを展開している。

 その他、世界かんがい施設遺産の魅力アップ整備事業として、観光客が見込まれる曽代用水の関市と美濃市における周辺施設の安全対策が県により実施された。

 PR、情報発信の一環として、2018年7月には、組合員への情報提供とともに、一般の多くの方々に曽代用水を紹介する公式サイトを立ち上げた。

 内容の充実を図るべく、更新をしており、検索順位は少しずつではあるが上がってきている。

 以前からの懸案であった曽代用水を紹介する動画を、先の全国土地改良大会に合わせて作成した。全国からの視察団体へはもとより、地元小学校へも配布し、曽代用水を平易に紹介している。

 その作成に当たっては、組合員である愛好家などからボランティア活動の一環としての助力を得た。

 また、地元のボランティア団体である「孫六座」の協力のもと、紙芝居「曽代用水物語」を作成した。見事に描写された絵と迫力溢れる話術により、地元の小学校をはじめ、地域住民など多くの方々を対象として上演いただいている。紙芝居はホームページにも掲載し、多くの方々にご覧いただけるように公開している。


3.曽代用水の課題

(1) 貴重な資料を展示・保管する「資料館」建設

 曽代用水には、今を遡ること350年程、先に記したように、さまざまな困難を乗り越えて完成した歴史があり、それにまつわる古文書も多く残されている。保管されている文書は、曽代用水土地改良区をはじめ、取水口に近い曽代地区、あるいは地域の有力者など、判明している分だけでも相当量に上る。

 なかでも、当時の曽代地区との「(おきて」なるものなど、係争にならないよう記録し、相互に写しを持ち合うなど詳細なものが残されている。こうした文書には、現在でもその効力が生きているものもあり、非常に重要なものである。

 諸文書は、すでに関市史にまとめられ、さらには、美濃市史にも編纂されるべく作業が進められている。

 文書を保管し、その内容を展示し、広範な歴史的認識を図っていくことは、今の社会において重要な意義を有するものであると位置付け、具体的な方策を詰めていくこととしている。そのための施設の建設費用・維持管理費用などの検討も併せて行っている。

(2) 自己財源の確保・負担軽減

 組合員1500名、灌漑面積1000ha、総延長17kmの曽代用水を維持管理していく財源は賦課金である。現在、土地を所有している組合員のなかでも、実際に耕作している者は少数に留まる。また、農地への国の支援はなくなり、小作料の見込めないなかでの負担には限度がある。

 こうした現実の下で、土地改良区としての自己財源をどこに求めていくかが問われている。

 その方策の1つとして、既存の用水路を活用した小水力発電の可能性に関して、県の協力をいただきながら検討を進めている。これを実施できるまでには、水利権や漁業権、採算性など解決しなければならない課題が山積している。

 いま1つの方策として、既存用水施設の多目的使用にかかる使用料に関して検討を進めている。

 現在、用水にかかる橋梁、施設沿線の土地使用にかかる占用料、もしくは特定施設の雨水流入による使用料の徴収は、曽代用水土地改良区の管理に委ねられている。これは、双務契約を前提として実施しているが、使用料の見直し、契約未締結者の用水施設使用の調査などを実施し、より多くの自己財源が得られるようにしていかなければならない。

(3) さらなる用水の価値観を醸成

 曽代用水は、今まで水源の長良川の渇水時にも、水量の調整を行うなどの必要性には迫られておらず、水の安定供給を行うことができた。これは、先人が築いてこられた、用水そのものの恩恵である。現在は許可水利権として、最大で毎秒9.15m3の水を得ることができる。先の全国土地改良大会に参加された他の土地改良区の方々から、水の確保に関する言及もいただいたが、現時点では当用水において懸念はない旨の言明をした次第である。

 なお、土地改良法の今回の改正で、利水調整規程の制定が義務付けられた。これは、今後水需給に不安があるための布石であり、調整により組合員の対立というような事態を回避して、団結を促すものといえる。

 用水の恩恵を再認識してもらうよう、組合員をはじめ、地域住民の方々に呼び掛けていかなければならない。

(4) 水資源の確保

 地球温暖化が叫ばれて久しいが、世界規模での取組状況は一向に改善されないばかりか、温室効果ガスが依然として大量に排出されているのが現状である。化石燃料は産業革命以来、先進国を中心に繁栄をもたらした半面、地球環境にとって大きな負荷を生み出している。放置すれば、全国土が海に没すると想定される国家の存在は、世界に広く知られている。

 用水の水源である長良川の水量に関して、従来は「懸念がない」と認識されてきたが、世界各地の風雨の異常な変容からすれば、こうした見方は改めざるを得ないであろう。

 世界の動きとして未来世代を、そして自分たちの将来を見据えた若者たちが、「気候の危機」に向き合った運動を展開している。日本においても、たとえば浜松市のある私立学校が、国連気候変動枠組条約第25回締約国会議(COP25)に合わせ、気候危機の運動を繰り広げた。スウェーデンのグレタ・トゥンベリさんに呼応したものである。この学校では、校長も生徒たちの考えを支持し、農家出身の理事長は、温暖化による田畑の荒廃、食料不足、ひいては飢餓の到来を憂慮してきたと新聞に紹介されていた。

 日常生活にあって、水・空気、大きくは環境など、無限のものと思われてきたものが、有限無二のものとなってきている。


4.今後の展望

 世界かんがい施設遺産に登録されて、今年で5年目の節目を迎える。現在の社会を取り巻く現状には多様な要因が在り、その展望は決して容易ではない。

 しかし、人として生きていくための前提条件は、「己こそ第一」ではあり得ないわけで、気風にたとえれば「我田引水」といわれるようなものであってはならない。

 まずは、地域社会の存続の礎となる偉業を成し遂げてきた先人の気持ちを大切に生かし、未来に(つなげるものにしていかなければならない。それに沿った、具体的な取組事例としては、次のようなものが挙げられよう。

(1) 水路の長寿命化

 現在の水路は、今から50年以上前に改修されたものであり、順次、新たに改修をしていく必要がある。この必要性は、決して曽代用水に限定されたことではない。しかも改修には相当の期間と費用が不可避的なものであり、それだけに施工計画策定をはじめとする協力および支援を国などに積極的に呼び掛けて、地域振興を実現していかなくてはならない。

(2) 地域コミュニティーの形成

 用水は、田畑への水の供給のみならず、灌漑排水機能、親水空間の提供など多面的機能を有する。

 そのため、国では多面的機能支払交付金を創設し、全国研究会なども開催して地域の活性化を図っている。下有知地区は先に述べたように用水の灌漑面積が最大であり、この交付金を7団体が引き受け、鮎すくいなどのイベントにおいて土地改良区と連携してきた。

 一方、曽代用水沿線の農地は多くの転用がなされて次第に市街化している。つまりは、宅地と農地が混在し、親水空間であるはずの用水施設が、雑草の繁茂するところとなり、本来は重要な施設でありながら、危険な水路として敬遠される存在にすらなっている。こうした現状にある用水の維持を、住民といかに協働し、克服していくかは重要な課題である。

(3) 曽代用水で育んだ酒米による酒造り

 清らかな水と肥沃な土に恵まれた、当地域の特産米を活用した酒造も盛んに行われている。先にブランド米として紹介した「新みのにしき」の親の品種である「みのにしき」を、地元のボランティアたちが、無農薬で育て、酒に仕立てた「さんやほう」、あるいは岐阜県の特産米「ハツシモ」を原料とする「初霜」などが開発された。

 こうした特産の酒を、コメとともにPRしていくことは、曽代用水の運営に大きく寄与するものであろう。

(4) 精神的な拠り所となる「人のために尽くす心」の継承

 曽代用水は350年程前、身代を投じて「人の利」を図った3氏らの偉業の証である。

 曽代用水の構築は「水不足にあえぐ農民の窮状を憂慮する人物が私財を工事代金に充て」、「用水の恩恵が十分に見込めない農民も頑強に反対せずに集落内・集落間の利益の最大化を尊重した」、その心が多くの人々に持たれていたからこその結実であったといえよう。

 この曽代用水をはじめ、過去には多くの先人がなされてきた偉業が数多くある。

 昨年、アフガニスタンでは、灌漑事業に尽力された中村哲医師が凶弾に倒れた。皆が生きていくための事業を命がけで、まさに「水不足にあえぐ人々のために尽くした」方であった。また、西岡京治氏(1933-1992)は、ブータンの荒れ地の開墾や品種改良に身を投じ、同国にて没し、国葬が行われた。

 このような方々の思いには、「自らのためではなく、人のために尽くす」という崇高な気持ちがある。こうした素晴らしい精神を、私たちは広く受け継いでいかなければならない。


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