世界農業遺産認定と地域振興の取組
みなべ・田辺の梅システム
1.持続可能な開発目標SDGsへの貢献 ミレニアム開発目標の後継にあたり、世界のリーダーは2015年9月の国連サミットで「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択しました。このなかには、17の目標が掲げられており、各国は今後15年間、「誰も置き去りにしない(No one will be left behind)ことを確保しながら、あらゆる形態の貧困に終止符を打ち、不平等と闘い、気候変動に対処するための取組を進める」とされています。 食料と農業は、目標1の「貧困をなくそう」や目標2の「飢餓をゼロに」といった17の目標の中心に位置しているといえます。また、食料安全保障とそれに関連する天然資源や農村開発は、すべての目標を特徴づけています。 世界農業遺産認定制度は、持続可能な開発における環境・経済・社会の3つの側面において独自の専門知識を持つ国連の専門機関と連携し、人々が地球生態系と調和的に相互作用を図り、その恩恵を享受し、現在と将来の世代のために、生物多様性とあらゆる天然資源を守り、豊かで持続可能な方法で利用する世界の実現を目指すSDGsの実行を支えているといえます。 2.みなべ・田辺地域 紀伊半島の南西海岸付近に位置する「みなべ・田辺地域」は、人口約7万6000人、暖流の影響を受け気候は温暖で、農家のほとんどがウメの栽培・加工に関わっています。本地域のウメ生産(2016年産)は、栽培面積4170ha、生産量5万tで、日本国内の50%以上の生産量を誇る「日本一の梅の生産地」です。とりわけ、1965年に地域の統一品種として選抜された「南高梅」は、梅干しの最高級品として知名度が高く、日本の梅を代表するトップブランドとなっています。これら梅栽培を取り巻く農業システムが、2017年に国連食糧農業機関(FAO)から世界農業遺産に認定されました。 3.南高梅の歴史 江戸時代の初期、安藤直次(紀伊国田辺藩・紀州藩附家老・初代藩主)が治めていた「みなべ・田辺地域」の土壌は礫質で地力が弱く水稲栽培が困難でした。そうしたなか、山に自生していた「やぶ梅」に着目した直次は、民衆に「これを育てれば年貢を減らす」として、育てさせたのが梅栽培のはじまりです。徳川幕府8代将軍吉宗の頃には、将軍も絶賛するほどになり、明治時代に和歌山県の旧上南部村(現・みなべ町)で高田貞楠(旧上南部村の村長の長男)が果実の大きい梅を見出して、これを「高田梅」と名付けて栽培を始めました。 1950年に梅優良母樹調査選定委員会が発足し、5年にわたる調査の結果、37種の候補から高田梅を最優良品種と認定しました。この調査に尽力したのが、南部高校の教諭竹中勝太郎(調査委員長、後に南部川村教育長)と生徒であったことから、南部高校の愛称である「南高」を生かして、「南高梅」と名付けられ現在に至っています。 4.世界農業遺産「みなべ・田辺の梅システム」 約400年前から受け継がれてきたウメを中心とする持続可能な農業システムを一言で表すならば、それは「循環」です。薪炭林を残しつつ、山の斜面に梅林を配置することで、水源涵養や崩落防止などの機能を持たせながら、高品質なウメを生産しています。また、薪炭林では紀州備長炭を生産するとともに、薪炭林に生息するニホンミツバチは花粉を媒介します。そして、里地・里山の自然環境の保全によって、豊かな農業生物多様性を維持しています(図1)。 図1 「みなべ・田辺の梅システム」の概要
昔から「薪炭林を残すため、山全体を梅林にしない」という慣習が守られてきました。炭焼き職人が、紀州備長炭の原材料のウバメガシやカシを択伐(薪炭林において、紀州備長炭の原料を確保する際、木材を皆伐するのではなく、適切なサイズの木材のみを選択的に伐採した)することで、土砂崩れなど山が荒れるのを防いでいます。この炭焼き職人による地道な管理・整備があってこそ、里山は健全な状態に保たれ持続可能な農林業が維持されます。 ウメの多くの品種は自家受粉できないため、他種の梅を近くに植え、その花粉で受粉・結実させます。数百という木に手作業で行うのは困難なために、古くから受粉にはニホンミツバチが利用されてきました(写真1)。花の少ない早春に満開となるウメは、地域に生息するニホンミツバチにとって貴重な蜜源となっており、本格的な活動シーズン前のトレーニングの機会にもなっています。この「ウメとミツバチとの共生関係」が、世界農業遺産としてとくに評価されました。 写真1 ニホンミツバチが南高梅の受粉を助ける
地域のウメ生産農家の大半は、収穫したウメを白干しにする一次加工まで行います(写真2)。そのため、南高梅は栽培の段階から良質の梅干しになるように育てられます。また、加工業者も南高梅の魅力や特徴を熟知しています。この「地域の生産農家と加工業者との密接な連携」も、世界農業遺産として評価されたポイントです。 写真2 ウメの土用干し作業
地域の梅林と薪炭林では、ハイタカやオオタカの生息、サシバやハチクマの飛来が、また山間の溜池や里地の水田では、セトウチサンショウウオやアカハライモリなどの希少種が確認されています。そして、みなべ町の千里の浜は本州でアカウミガメの産卵の密度がもっとも高いなど、「持続可能な農業システム」によって、土壌の崩落や流出が防がれ、システムの波及効果が高く、多様な生き物の生態系が維持されています。 5.世界農業遺産認定後の取組 市町・県・関係団体で組織する「みなべ・田辺地域世界農業遺産推進協議会」では、世界農業遺産の認定を地域活性化に繋げるために、さまざまな取組を進めています(写真3)。 写真3 認定証授与式の様子
認定後、最初に取り組んだのは地域住民への普及啓発活動です。世界農業遺産制度の趣旨や理念、本地域の価値・魅力をより多くの人たちに知ってもらうため、各市町でのシンポジウムの開催や東京スカイツリータウンのソラマチひろばや新宿駅西口広場イベントコーナーなど、首都圏集客施設において「みなべ・田辺の梅システム」とともに本地域の魅力、ウメの健康機能性を発信するプロモーション活動を行ってきました。制度そのものの認知度が上がらなければ、その価値は高まらないため、今後も継続して、情報発信に取り組む必要があります。 また、認定の効果を地域経済に結びつけるため、「世界農業遺産応援ロゴマーク」を作成し、特産品である南高梅、備長炭などのさらなるブランド化に加え、ウメの収穫や備長炭の窯出しなど、地域資源を活用した体験ツアーをはじめとする、さまざまな企画にも取り組んでいます(図2)。これらの体験ツアーへは、県外からの観光客とともに欧米からのインバウンド観光客や最近では修学旅行生の参加も増えてきています。 図2 梅システムのロゴマーク
そして、とくに重点を置いているのが、梅システムを保全・継承していくために必要な担い手、後継者育成の取組です。地元大学と連携し、「みなべ・田辺の梅システム」を保全・継承する人材の育成を目的とした公開授業を実施しており、この公開授業の出席回数を満たしたうえで、協議会の今後の諸活動への協力を表明された20名の方を「梅システムマイスター」として任命しています。このマイスターは、梅農家やサラリーマンなど、みなべ・田辺在住の社会人が中心で、語り部として、現地視察などへの対応や、地域のリーダーとして農業遺産システムの保全と継承の取組を推進していく役割が期待されています。 地域内の小学校において梅システムの説明をするとともに、総合学習のなかで、ウメの収穫・加工体験を通じて歴史や文化、農業遺産について学習を深めています。2015年には、関係団体と「梅食育促進協議会」を設置し、学習まんが本『梅パワーのひみつ』を発刊し、全国の小学校などに配布し、希望のあった小学校に対しては出前授業を実施しています(図3)。さらに、2018年には梅システムの子供たちへの継承のために副読本を、また、地域への周知のために梅カレンダー*を作成し、農業遺産や梅文化の発信をしています。 図3 学習まんが本『梅パワーのひみつ』
ふるさと意識が薄れているといわれる現代において、小学校からの総合的な学習の時間を活用し、地域の農家や農協、女性グループなどが学校に出向いて行う食育や体験学習の実施は、ふるさとに自信と誇りを持つ「気づき」を育むために、非常に重要であると位置づけています。 世界農業遺産は、国連教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産のように、急激な観光客の増加や地域経済の浮揚など、即効的な成果を実感することは、その性質から難しいようですが、認定から4年が経過し、梅干しの農家から二次加工業者への販売単価の上昇、農業や林業に関わる講習会への参加者や来訪者、宿泊客の増加など、一定の成果が少しずつ感じられるようになってきました。 また、地域の方々からは、「昔から受け継がれてきた産業を守り継承してきただけで、その素晴らしさに全く気づかなかったが、ウメや紀州備長炭を生産する背景が、世界に認められたことは、誇りだ」との声が、聞こえるようになってきました。 6.国際貢献 世界農業遺産認定地域の役割として、発展途上国を対象とした世界農業遺産の新規認定に向けた支援や地域振興に向けた能力開発研修を実施し、持続可能な発展に貢献していくことが挙げられます。世界農業遺産に認定された農業遺産システムを途上国における課題と課題解決のための方策にあてはめて、「大規模な森林伐採に対しては、認定において高く評価された、みなべ・田辺地域における歴史ある択伐技術の普及」「広範囲にわたる薬剤散布に対しては、みなべ・田辺地域では古くからミツバチを梅の受粉に活用していること」などを解説し、資源の保全や生物の農業生産に対する貢献などその重要性を発信しています。 また、本県では、これまで、FAO駐日連絡事務所からの要請により、アフリカ諸国の政府関係者などへの視察対応を行ってきました。3回目となる2018年度の国際貢献事業では、日本での取組を知り母国での申請に向けた活動に役立てようと、エチオピアとウガンダの政府関係者計10名が来日し、みなべ・田辺地域の視察や都内で開かれたセミナーに参加しました(写真4)。 写真4 エチオピアとウガンダの政府関係者来県
一連の研修は、世界農業遺産認定に向けた具体的な申請手続きや認定後の地域産業の活性化の様子を知ってもらうために、農林水産省の支援のもと、FAO駐日連絡事務所が2017年から実施しているプロジェクト「途上国における世界農業遺産人材育成事業」の活動の一環で、2018年は11月11日から同17日の日程でFAO本部の世界農業遺産コーディネーターの遠藤芳英氏、FAO駐日連絡事務所のチャールズ・ボリコ所長も同席し、実施しました。 都内でのセミナーとともに、みなべ・田辺地域では、梅林や地域の梅栽培に関する歴史資料などを展示する「うめ振興館」やウメを使った商品の加工業者・梅農家・備長炭生産者など、さまざまな形で「梅システム」に関わる方々の協力を得て、地域の伝統的な農法や生物多様性の保全、後継者育成や今後の地域の発展に向けた取組について説明したほか、和歌山県果樹試験場うめ研究所では参加者から自国の候補地について発表していただき、地域の研究者や私ども行政担当者などと意見交換を行いました。 12、16日の両日に都内で開かれたセミナーでは、先に述べたFAO本部の遠藤芳英氏が「どのように持続可能な農業生産を形成・維持し、農村地域の食料安全保障や生計に大きく貢献するか」など、世界農業遺産への認定に必要な「食料及び生計の保障」や「地域の伝統的な知識システム」などの5つの選定基準を挙げ、具体的な申請手続きについて説明しました。 また、外務省や農林水産省などの関係者らとのラウンドテーブルでは、参加者がスライドを使って自国の候補地を紹介し、出席者からは「世界農業遺産に認定されること自体がゴールではなく、その先の地域活性化や人材育成を目指すアクション・プラン(行動計画)が必要」「後継者の育成のために、どのような対策をしているか」などの助言や質問が相次ぎました。 エチオピア農業省から参加したゲラルチャさんは、「視察や研修を通じて、農産物のブランド化や地域の活性化のヒントをもらえた。エチオピアに戻ったら、認定を目指すみなさんにしっかり伝えたい」と意気込んでいました。 7.今後の課題と展望 世界農業遺産の認定により、地域に住んできた人々にとって日常となっている暮らしや景観、文化が高く評価されたことは、大きな自信と誇りになっています。 本地域では、農家数の減少・高齢化の進行、ウメの消費量の減少、失われつつある薪炭林の管理技術といった、梅システムの継承における課題があります。協議会では、平成29(2017)年度に地域住民主導による「世界農業遺産活用プラン」を策定し、これらの課題解決に向けた取組を進めてきました。国際水準の地域資源ブランドを活かし、本地域ならではの地域づくりを行っていくことが重要です。 梅システムを支え将来に引き継いでいくために必要な担い手、後継者の育成については、地域の先輩はもとより、地元大学や他の農業遺産認定地域と連携しながら、強力に推進していくとともに、海外への輸出拡大を図る取組も地域振興に繋がる重要なものであり、引き続き推進していきます。また、東京オリンピック・パラリンピックを、その絶好の機会と捉え、食材提供に向けた取組を進めていきたいと考えています。 伝統技法や伝統文化の継承は絶やすことなく、地道に取組んでいく必要があるため、行政支援のもと住民主導の取組によって、普及・啓発を続けていかなければならないでしょう。 農業遺産を活用した国内外に向けた情報発信や観光誘客の取組についても、地域活性化のために必要不可欠であり、引き続き努力していく必要があります。 そして、イタリアにあるFAO本部の世界農業遺産事務局長から、特段に要請いただいた、「みなべ・田辺の梅システムの経験を活かした、途上国における世界農業遺産に関わる人材の育成事業などの国際貢献」についても、引き続き推進し、途上地域の持続的な発展に貢献していきたいと考えています。 本地域が直面する課題は多々ありますが、「みなべ・田辺の梅システム」の魅力を国内外に発信するとともに、体験などを活用したツーリズムの確立などにより、交流人口や関係人口の増加を図り、豊かな自然や景観、伝統的な農林業、自信と誇りに満ちあふれた世界農業遺産「みなべ・田辺の梅システム」を未来へと継承してまいります。 |