「国連 家族農業の10年」が問いかけるもの
─「持続可能な社会」への移行─
1.はじめに 2019年から「国連 家族農業の10年」(UNDFF:UN Decade of Family Farming)(2019−2028年)が始まった。これは、2014年の「国際家族農業年」で示された方向性を引き続き堅持し、国際社会として家族農業支援に取り組むという議案が、2017年12月の第72回国連総会で採択されたことを受けたものである。日本を含む104か国が共同提案したこの議案が全会一致で可決されたことは、世界の農業・食料・農村政策の新たな時代の幕開けを感じさせる。 さらに、2018年12月の国連総会で「農民と農村で働く人びとに関する権利宣言」(農民の権利宣言)*が採択されたことは、これまでの政策を支えてきた理論や前提を大きく問い直す機運が国際的に高まっており、「持続可能な社会」に向けた新たな道の構築がすでに始まっていることを示している。こうした国際的潮流の変化は、どのように生まれたのか。そして、新しい潮流のなかで、日本にはどのような役割が期待されているのであろうか。 2.世界の新潮流─大規模企業的農業から小規模家族農業へ 国連総会が2014年を「国際家族農業年(IYFF:International Year of Family Farming)」と定めたのは、2011年のことだった(表1)。この国際家族農業年の設置を求めるグローバルな運動を率いてきたのは、スペインのバスク地方に拠点を置く国際NGO・世界農村フォーラム(WRF:World Rural Forum)である。 表1 家族農業に関する国際社会の動向
2007−2008年に発生した世界食料危機を受けて、それまでの新自由主義的な農業発展モデルやそれに基づく政策 (経営規模拡大を促進する構造政策、貿易自由化と輸出促進政策、規制緩和・民営化など) の有効性を問い直す機運が各国で高まった(HLPE, 2013)。政策的支援からこぼれ落ちていた小規模・家族農業の役割を再評価し、支援強化する運動の象徴として、WRFは2008年から国際家族農業年の設置を国連に求める運動を始め、世界各国・地域の政府、農民団体、市民団体、NGOなどが、次々にこれを支持して立ち上がった。 表1をみると、既存の政策を見直す国際的動きは10年以上前から顕著になっていることがわかる。一連の流れのなかで、国連貿易開発会議(UNCTAD:UN Conference on Trade and Development)は、2013年に『手遅れになる前に目覚めよ─気候変動時代における食料保障のために、今こそ真に持続可能な農業への転換を─』(仮訳)と題した報告書を発表し、大規模企業的農業から小規模家族農業によるアグロエコロジー的農業*への転換が急務であることを訴えた(UNCTAD 2013)。このように、世界では農業・食料・農村政策をめぐる基本的パラダイムが、大きく転換したといってよい。 3.家族農業が再評価される背景 上述のように、2007−2008年の世界食料危機がパラダイム・シフトの直接的契機になっていることは間違いない。しかし、こうした変化が表面化する前段階として、いくつかの重要な点を指摘しておきたい。 第1に、化学農薬・肥料の開発、機械化、新品種の開発、灌漑排水などに代表される農業の近代化は19世紀にはすでに始まっていたが、それによる環境破壊への警鐘も、ほぼ同時に始まっていた。近代農法の浸透とそれに対するオルタナティブ(代替案)としての有機農業や自然農法の広がりは20世紀へと続き、そして第2次世界大戦後に引き継がれていく。とくに、近代農法が広く普及した1970年代になると、日本を含む世界各地において、有機農業運動やそれに連動した産消提携の運動が展開されるようになった。 第2に、1980年代から新自由主義的政策が世界を覆い、90年代の冷戦終結と関税貿易一般協定(GATT:General Agreement on Tariffs and Trade)ウルグアイ・ラウンド交渉の妥結、世界貿易機関(WTO:World Trade Organization、1995年にGATTから改組)体制への移行の下で、いっそうの貿易自由化が進むと、それに対する反グローバリゼーションの市民運動、農民運動も世界的に興隆をみせる。 インターネットや携帯電話の普及などが、こうした市民・農民運動の世界的ネットワーク化を促進したことは、よく指摘される点である。この草の根の運動は、WTO交渉を事実上の決裂に追い込むほどの力強さをみせ、これ以降、国連の議論の場で市民団体、農民団体、環境団体などが、オブザーバーとして発言力を増していく。 第3に、時を同じくして関心が高まった環境問題や気候変動に関する議論もまた、それまで功績が称えられてきた「緑の革命」に代表される近代農法に対する、厳しい評価の契機となった。今日、国連の気候変動枠組条約や「ミレニアム開発目標(MDGs:Millennium Development Goals: MDGs)」、それを引き継ぐ「持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)」が、私たちが目指すべき農業の在り方を大きく規定しているといってよい。 このように、19世紀末に始まり20世紀を通じて追求されてきた価値観や技術、それを後押ししてきた諸政策・制度が、20世紀後半から21世紀において環境問題、農村と都市の格差、食料危機などの社会的課題に対して、有効な処方箋を提示することができないことが、多くの人々の目に明らかになってきた。世界食料危機やそれに続く経済危機(2008−2009年)をへて、生産性や経済効率性を優先してきた価値観を見直し、「よりよい社会」「持続可能な社会」「経済中心ではなく人間中心の社会」「人間と自然が調和して暮らせる社会」への転換を本気で模索する国々が世界的に増えている。その文脈のなかで、小規模・家族農業の価値が再評価されていると理解すべきだろう。 こうして2010年頃を境に、国連食糧農業機関(FAO:Food and Agriculture Organization)、国際農業開発基金 (IFAD:International Fund for Agricultural Development)、UNCTAD、国連世界食料保障委員会 (CFS:Committee on World Food Security)などの国際機関は、相次いで家族農業や小規模農業に関する国際会議を開催し、報告書を発表して、それまで国際社会が黙止してきた家族農業の役割と潜在的能力を高く評価し、各国に政策的支援の強化を求めるようになった。こうして、2017年12月の国連総会において、国連の「家族農業の10年」設置は全会一致で可決されたのである。 なお、国連の近年の議論で用いられている「家族農業(Family Farming)」「小規模農業(Smallholder Agriculture)」「農民(Peasant)」は、表2のように定義されている。それぞれの定義をみれば、農業労働力に占める家族労働力の役割を重視するという点で共通しており、3つの概念はほぼ重なっていることが分かる。いずれも、利潤追求を第一義的目標とする資本主義的企業農業(経営)に対置される概念であるといえよう。また、「農業(Farming)」といっても畜産業・林業・漁業が含まれていることに注意が必要である。農業だけでなく、林業や漁業もまた、資源枯渇や気候変動の影響を受けており、同時に「持続可能な社会」への移行において鍵となる産業と位置づけられている。 表2 国連による「家族農業」「小規模農業」「農民」の定義の比較
4.家族農業とSDGs ─課題解決型農業としてのアグロエコロジー 家族農業は、SDGsで掲げられる貧困・飢餓の根絶において、もっとも重要な貢献ができる主体として位置づけられている。また、気候変動への対応やジェンダー平等など、SDGsの17の目標のうち、とくに11に貢献することが期待されている(表3)。各国政府は、家族農業がSDGsの実現に貢献できるような社会経済状況を、政策的に整える責務を負っているのである。 表3 持続可能な開発目標(SDGs)における家族農業の役割
そして、家族農業が「持続可能な社会」への移行において、その役割を果たすためには、化学農薬・肥料、除草剤、抗生物質などを多投するモノカルチャー(単一栽培)の慣行農法ではなく、アグロエコロジーと呼ばれる農業への転換が求められている。アグロエコロジーとは、直訳すれば「農業生態学」となるが、一学問分野にとどまらず、生態系の助けを借りて営まれる農法の実践であり、またその実現のための社会運動である(アルティエリ他、2017)。現在、国際社会において農業・食料の在り方やその政策に関しては、アグロエコロジーというキーワードなくしては語れないというほどに、重要なものになっている。 2006年の国際比較研究が、化学農薬・肥料に依存した慣行農法から化学農薬・肥料を用いないアグロエコロジー農法に切り替えれば、約8割も収量が増加することを明らかにしたことから、一躍、アグロエコロジーは国際的に注目されるようになった (吉田、 2019)。アグロエコロジーは農業生物多様性を守り、飢餓や地球温暖化、経済格差などの社会問題にも対応することができると期待されている。また、アグロエコロジーは伝統的な農法や知に立脚しており、小規模・家族農業を中心とした農業・食料生産と産消提携による流通・消費を通じて、「食料主権」の実現にも重要な役割を果たすものと評価されている。 すなわち、オルタナティブな農業・食料の在り方を求める今日の社会運動の多くが、アグロエコロジーの下に集結しているといってよい。国連やその加盟国の間では、農業の未来の在り方として、アグロエコロジーをいかに普及するかが熱く議論されており、フランスやブラジルのように、すでにアグロエコロジーを農業政策に位置づけている国もある。日本では、アグロエコロジーという言葉こそ浸透していないが、日本の有機農業、自然農法、産消提携などの実践のなかには、アグロエコロジーの要素を体現したものが数多くある。 5.「国連 家族農業の10年」の今後の展開 2019年5月にローマで開催された「国連 家族農業の10年」の記念式典では、今後10年間のアクションプラン (行動計画)が発表された(表4)。このアクションプランは、情勢に応じて2年ごとに見直される予定である。 表4 「家族農業の10年」の行動計画における7つの柱
「国連 家族農業の10年」は、ローマに設置された国際運営委員会(ISC:International Steering Committee)が定例委員会を開催しながら運営に当たっている。国際運営委員会は表5のように構成されており、世界7地域から各2か国(合計14か国)、3つの国連機関、世界5地域を代表する5つの農業組織、3つの国際NGO、合計25の国・組織が選出されている。 表5 「家族農業の10年」の国際運営委員会の構成と日本の組織の対応関係
「国際家族農業年」や「国連 家族農業の10年」の誕生に大きな役割を果たしたWRFのアジアの会員団体はアジア農民の会(AFA:Asian Farmers' Association)であり、そのAFAの日本加盟団体は(公社)全国愛農会である。また、2017年設立の小規模・家族農業ネットワーク・ジャパン(SFFNJ:Small and Family Farming Network Japan)は、WRFがFAOやIFADなどと展開してきた「国連 家族農業の10年」の設置を求める運動のサポーター組織である。そして、世界最大の農民組織ビア・カンペシーナ(LVC:La Via Campesina)に加盟する日本の組織は農民運動全国連合会である。世界農業者機構(WFO:World Farmers' Organization)には、日本のJA全中(全国農業協同組合中央会)および全国農業会議所が名を連ねている。このように、WRF、LVC、WFOといった異なる農業団体が立場を超えて連携するのは、おそらく歴史上初めてのことではないだろうか。それだけ農業を取り巻く環境が世界的に厳しくなっており、各団体が危機感を持っていることの表れであろう。 日本においては、2019年6月にSFFNJなどの呼びかけによって、「国連 家族農業の10年」の活動を担う家族農林漁業プラットフォーム・ジャパン(FFPJ:Family Farming Platform Japan)が発足した。上記の国際運営委員会や関係団体と連携しながら、日本における啓発活動や政策提言、情報発信などを行っていく予定である。FFPJは多様な主体によって構成される組織であり、農業関係団体はもとより、消費者団体、市民団体、研究教育機関、メディアなどの幅広い団体・個人の参加を募っている。 6.おわりに─日本に期待される役割─ 以上のように、国際社会では10年以上前から既存の農業・食料・農村政策を見直しており、大規模企業的農業から小規模家族農業が営むアグロエコロジー的農業への転換を目指している。しかし、その事実は日本でほとんど報道されておらず、一般市民はもとより、農業関係者の間でも周知はされていない。 この2019年から始まった「国連 家族農業の10年」は、国際的な潮流が大きく転換していることをふまえて、日本の農業・食料・農村政策および海外支援政策の在り方、ひいては社会システムの在り方そのものを見直すよい契機ではないだろうか。日本は1970年代から有機農業、自然農法、産消提携などの実践を積み重ねてきており、実質的には「アグロエコロジー先発国」であることから、持続可能な農業・食料システムへの移行において、世界をリードすることが期待される。 最後に、「国連 家族農業の10年」は農林水産業のためだけにあるのではなく、社会全体、さらには人類のみならず他の生物種や環境をも含めた地球全体のための10年である。くわえて、これから地球に生を受ける未来世代のための10年だといってもよい。SDGsでは、「地球を救う機会を持つ最後の世代」として、責任ある行動をすることを、われわれ現世代に求めている。どのような立場にあっても、「家族農業の10年」を当事者として生き、パラダイムが大きく転換する時代と正面から向き合うことが、「持続可能な社会」への移行を前に進めることにつながる。 <参考資料>
ミゲール・A・アルティエリ、クララ・I・ニコールズ、G・クレア・ウェストウッド、リム・リーチン著, 柴垣明子訳,『アグロエコロジー―基本概念、原則および実践』, 大学共同利用法人人間文化研究機構総合地球環境学研究所, 2017
船田クラーセンさやか,「小農の権利に関する国連宣言」, SFFNJ編『よくわかる国連の家族農業の10年と小農の権利宣言』, 農文協, 2019
HLPE(The High Level Panel of Experts on Food Security and Nutrition). 2013. Investing in Smallholder Agriculture for Food Security, FAO: Rome, 2013,(邦訳『家族農業が世界の未来を拓く―食料保障のための小規模農業への投資―』, 農文協, 2014).
小規模・家族農業ネットワーク・ジャパン(SFFNJ)編,『よくわかる国連の家族農業の10年と小農の権利宣言』, 農文協, 2019
UNCTAD, Trade and Environment Review 2013: Wake Up Before It Is Too Late, Make Agriculture Truly Sustainable Now for Food Security in a Changing Climate, UNCTAD, 2013
吉田太郎,「なぜアグロエコロジーは世界から着目されるのか」, SFFNJ編,『よくわかる国連の家族農業の10年と小農の権利宣言』, 農文協, 2019
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