藤井一至 著

『土 地球最後のナゾ―100億人を養う土壌を求めて


 本書は土壌学の専門家が「土」の不思議を語り、その奥深さを分りやすく紐解(ひもとき、解説し、土の知識の普及を世に図らんとする好著である。

 著者はまず、地球と月における土の違いを解説している。地球の岩石は、水と酸素、そして生物の働き(風化作用)によって分解し、土になる。我々一般人にとって「風化」という言葉は、「記憶や歴史が風化する」などのフレーズで使われ、風化=劣化・消失のイメージが強いが、土の視点からすれば風化は、単なる岩石の分解ではなく、「岩石から自らを産み出す現象」を含んでいるのだそうだ。これは驚きの概念である。土の中では、岩から水に溶け出したケイ素(Si)やアルミニウム(Al)などのイオンから、新たに鉱物が析出するのだという。こうして新たに生まれた鉱物が土を粘土にするのだ。我々は、粘土は岩が細かく砕かれてできると思っているが、そうではなく、岩が一度水に溶けて、そこから析出し結晶化した粘土鉱物によってできている。

 著者によれば、粘土は、水の惑星が流した「血と汗」の結晶なのだ。水が無い月では、太陽熱による膨張と収縮を繰り返して岩は細かく砕かれるが、この機械的風化作用だけで生まれた砂粒子の直径は100μmのオーダーで、直径が2μm以下と定義されている粘土の50倍以上もある。両者の大きな違いは粘着力の有無で、直径2μm以下の粘土は水分のある環境下で粘着力を有するので、粘土が混じった地球の土はネバネバするが、粘土のない月の土はサラサラである。

 また、地球の土と火星の土の違いは、粘土の有無ではない。火星の土は、かつて存在した水や酸素の働きにより粘土を含むが、腐植を含まないのだ。火星の土壌はヘマタイトと呼ばれる粘土鉱物の一種である酸化鉄鉱物の赤色を帯びている。地球の5gの土には50億個体の細菌や菌類などの微生物が存在し、これらが分解した生物遺体に加え、微生物自らの死骸や排泄物などの腐植が混在する。そして、岩石や火山灰に粘土と腐植が混ざり土壌を生み出している。これらを上手に混ぜ込むのがミミズ、ヤスデ、ダンゴムシ、アリなどの生き物たちである。そして、腐植を豊富に含む土壌は黒色になる。この腐植の化学構造は複雑すぎて、現在でも部分的にしか分かっていない驚異の物質である。たった5gに10kmもの長さの菌糸が張り巡らされている土の機能は、工場では再現できない。我々から一括して「バイ菌」と呼ばれる微生物たちの生存活動により、土中では生物遺体から糞や栄養素(窒素やリン)がリサイクルされ、また新たな命が育まれている。土の中で生きる彼らがまさに、77億の人類を含む陸上の動植物の命を支えていることは、忘れがちなことであるが、忘れてはならない事実なのだ。

 水の無い月にはそもそも粘土がなく、かつて水があった火星には粘土はあるが腐植がない。粘土と腐植がある土を有するのは、我々が知る範囲では地球に限られる。その地球の土は、色だけを見ても腐植が黒、砂が白、粘土鉱物が黄色や赤色なので、その含量の多寡により地域により千差万別で、黒〜灰〜茶〜黄土〜赤〜淡黄〜白と多岐にわたる。土の重要な性質の1つに保水力があるが、これは粘土と腐植の力による。粘土の毛管力は理解しやすいが、より複雑なのは腐植である。腐植は乾燥すると強い撥水(はっすい機能を発揮し、土への水の浸透を妨げるが、一度湿ってしまうとスポンジのように水を吸収し高い保水力を示す。さらに粘土には、粘土粒子が帯びる静電気力による吸着作用がある。カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)やカリウム(K)などの植物に必要な栄養素は、水の中でプラス電荷のイオンとなり、リン(P)はマイナス電荷のリン酸イオンとなるが、これらが粘土や腐植に電気的に吸着され、養分として土中に保持される。

 また、地球の表層には鉄(Fe)の他、Si、Alが多く分布し、これらは粘土鉱物の原料となるが、一度水に溶けてそこから析出する際の組み合わせの比率により、Si:Alが1:1のカオリン、2:1の雲母、バーミキュライト、スメクタイトとなる。反応性が低く安定したカオリンは陶磁器の材料や化粧用の白粉に利用され、Kを引きつける雲母、Caを引きつけるバーミキュライトは栄養分を保持する園芸用土となる。スメクタイトは水の吸収力が高い。日本の火山灰土壌に含まれる粘土のアロフェンも、空隙が多く保水力や腐植の吸着力が高い。土のない植物工場では露地の土よりも植物が早く大きく育つが、多くの肥料とエネルギーを必要とする。植物工場では1日たりとも肥料を切らすことができないが、植物の根は土との間でイオン交換により土に吸着されている栄養素をゆっくりと吸収するので、肥料は数十日おきに与えれば良い。土は栄養素を預かり、必要に応じて、これを流通させる銀行のようなものだ。


 驚くことに、植物は25万種、キノコは7万種、昆虫は75万種もあるのに、世界の土の種類は、農業利用の観点から類似する土壌を大胆にまとめていくと、たったの12種類なのだという。地域により名称は異なっていても、土の性質としては似ていて、水や肥料のやり方は同じなのだ。そして、その12種類の土を知ることから、将来の100億人を養う肥沃な土を探す著者の旅が始まるのだ。

 永久凍土、ポドゾル、泥炭土、黄砂、粘土集積土壌、砂漠土、黒ぼく土あたりまでは、どこかで聞いたことがある名前である。残りの5つは、 未熟土、チェルノーゼム(黒土)、ひび割れ粘土質土壌、強風化赤黄色土、オキシソルという。著者はスコップを片手に世界中に分布するこれらの土を追い、それぞれの土地を訪れた足跡と共に、土の特徴を解説していく。そして日本の黒ぼく土が、いかに腐植に富む肥沃な土なのかを再発見する。また、雨期の日本の土が驚くほど酸性(pH4程度のレモン水レベル)な理由は、植物の根や微生物の大量の呼吸が二酸化炭素や有機酸を放出しそれが水に溶けるからであり、その酸性物質の量は酸性雨がもたらすよりも(はるかに多く、この酸性の水が岩を溶かして土へ変える源であることに気付かせる。土壌に恵まれた惑星、そのなかでも肥沃な土壌に恵まれた国に生まれ、黒い土があることを当たり前の原風景として生きてきた日本人に、これらの価値を発信することが本書の意図するところである。

 しかし、もともとの日本の火山灰土壌はPの吸着力が強く、植物によるリン酸吸収を妨げる。腐植を含み肥沃に見えても、台地の黒ぼく土は粘土へのリン酸イオンの吸着やAlの酸性害により生育不良を招いた。それを、リン酸と石灰の肥料が変えた。あるいは根からシュウ酸という有機酸を放出することでリン酸を吸収できるソバが、土に眠るPを採掘する救世主となった。そして、排水性と通気性の良い黒ぼく土の特長を生かす栽培技術の進歩が、黒ぼく土を真に肥沃な土壌に変えたのだ。一方、扇状地や沖積平野の未熟土は、日本人が2千年以上にわたりこつこつと開き、耕して水田にしてきた。山から流れ出たCaなどが灌漑(かんがいにより水田に補給されると酸性土壌が中和されるとともに、還元状態で鉄さび粘土が水に溶けて土は青灰色となり、これに拘束されていたリン酸イオンが解放され、イネはPを吸収することができる。水を張ったり、抜いたりを繰り返すことで水田は連作障害を防ぎ、雑草も少ない。豊富な水を用いて未熟土を耕すことは、合理的な選択であったのだ。さらに、里山の資源を有効に利用して、地力を維持してきた。日本の水田は、芸術的ともいえる、持続可能な食料生産システムなのだ。


 ヒトほど、土を資源として多種多様に利用する動物は他にないという。最後に、平均的な日本人の土との関わり合いという一説が、印象深かったので紹介する─「朝食はチェルノーゼム(黒土)で育てた小麦パンに北欧のポドゾルでとれたブルーベリー・ジャム。粘土集積土壌の飼料で育てた牛からとれるミルク。お昼は、アジアの熱帯雨林と強風化赤黄色土が育む香辛料(ウコン)を豊富に使ったカレーライスと黒ぼく土でとれた野菜サラダ。おやつに砂漠土のナツメヤシの入ったオタフクソースをかけたたこ焼きを頰張る。夜は未熟土でとれたおコメ、黄砂(若手土壌)に育まれた太平洋マグロのお刺身。シベリアの永久凍土地帯からやって来る冬将軍に怯えながら、ひび割れ粘土質土壌で生産されたコットンを泥炭土の化石である石炭で青く染めたジーンズをはき、石炭で発電した電気ストーブで温まる。そして、オキシソルを原材料にしたスマホを大切そうに握りしめている」(当該書から原文ママ)─それが、貴方なのだ。


国立研究開発法人 国際農林水産業研究センター(JIRCAS)     
主任研究員 山岡和純

*光文社刊 本体価格=920円

前のページに戻る