ガーナの政治と民主主義

元駐ガーナ大使 吉村 馨


 ガーナでは、1992年に現在の第4共和制に移行しました。それ以前は、軍事独裁政権やクーデターを何度も経験しました。しかし、92年以降、8年ごとに選挙を通じて政権交代が行われ、政権移行も比較的円滑に進められるというプラクティスが続いています。アフリカでも、近年、選挙で円滑に政権交代が行われる事例が増えてきました。一方で、選挙や政治の不安定さに起因する治安の悪化や長期にわたる独裁政権が存在しています。本稿では、「アフリカにおける民主主義の牽引(けんいん役」といわれるガーナの政治と選挙について、私が在任中に経験したことをご紹介したいと思います。


 ガーナの政治形態は大統領制(任期4年、2期まで)・一院制(小選挙区)で、4年おきに同時に選挙が行われます。実際に大統領の座や国会の議席を争う政党は、新愛国党(NPP、現与党)と国民民主会議(NDC、現最大野党)の二つで、いわゆる政権交代可能な二大政党制です。第4共和制の下で、1993年から8年おきに両党の間で政権交代が行われています。大統領と議会のねじれの経験はなく、毎回、大統領の党が議会の多数を制しています。

 私がガーナ在任中の2016年12月に、大統領と議会の選挙が行われました。ガーナの選挙では、外部の目で選挙過程の正当性や問題点を確認する選挙監視団の一員として、各国大使館員も選挙管理委員会から選挙オブザーバーの役割が与えられます。私も、いくつかの投票所と集計センターを回りました。

写真1 投票中の有権者(在ガーナ日本大使館提供、写真2も同じ)
写真1 投票中の有権者 (在ガーナ日本大使館提供、写真2も同じ)

 驚いたのは、私が立ち会った投票所が、いずれも屋外だったことです。ガーナ人は、屋内よりも屋外にいることを好みます。投票段階では、投票に来た人たちは炎天下で静かに順番を待ちます。開票も投票所で行われます。屋外の開票作業では、開票した投票用紙が風で飛ばないように、そこら辺にある石を拾って重石にしていました。こういうと、いいかげんな開票作業に思われるかもしれませんが、開票結果はピンクシートという一枚の紙に記入され、立ち会っている各党の代表者がそれにサインします。このピンクシートが、開票結果の唯一無二の資料となります。日本とは選挙制度が異なりますが、相互監視が行き届いているようです。

 ここまでくれば、あとは集計だけなので、すんなりと速やかに結果が出ると思いきや、そうはなりません。まず、集計センターに集まっている各党の人たちは、なぜか皆興奮しています。また、集計のコンピューターシステムもうまく稼働しません。そんなこんなで、なかなか公式結果が発表されません。

 他方、この時代ですから投票所のピンクシートは各党の代表がスマホで写真を撮り、本部にメールで送っています。本部でこれを集計しているので、各党は投票日の夜には、かなり確度の高い結果がわかっていますし、その内容がぽろぽろ出てきます。結果がわかっているのに公式発表がないという、中途半端な状態が続き、人々のイライラは頂点に達していきます。

 最終的には、投票日から丸2日後に、前大統領のマハマ候補がアクフォ・アド候補に負けを認めて祝福の電話をし、その後に選挙委員会が結果を発表するという形で決着しました。前大統領の対応は、その後の円滑な政権移行にも寄与したと考えられます。結果は、事前の大接戦という予想に反し、地滑り的に差がついた結果となりました。

 政権移行の過程は、前政権の悪口が出たり、両党の支持者間の小競り合いがあったり、ということはありましたが、おおむね円滑でした。我が国の官民が実施中、あるいは実施に向けた協議が煮詰まっているプロジェクトも新政権に引き継がれました。

写真2 屋外での開票作業
	(左端が選挙監視中の筆者)
写真2 屋外での開票作業 (左端が選挙監視中の筆者)

 このような選挙と政権交代が、アフリカにおいて普遍的でないのは先に述べたとおりです。では、なぜガーナでそれが可能になったのか考えてみましょう。もちろん、多くのガーナ人や国際社会が積み重ねてきた努力があることはいうまでもありません。ただ、ここでは私が重要と考える点を一つ挙げたいと思います。

 政治的対立が先鋭化する背景に多くの場合、民族間対立があります。多民族社会のガーナも、例外ではありません。ある民族の人はある政党を支持するという、政治と民族の強いつながりが残っています。一方で、民族間の対立をできるだけ抑えていこうという取組が行われてきました。

 その一つが、ボーディングスクール(全寮制の中高一貫校)について、エンクルマ初代大統領が導入した施策です。具体的には、全国各地にあるボーディングスクールに地元の生徒が入学することを許さず、全国各地から集まったさまざまな民族、言語の生徒が一緒に学び、生活することをある意味強制したというものです。現在、ガーナのリーダーになっている人々の多くは、ボーディングスクールで学んでいたので、民族の異なる人同士が決定的に対立してしまわないで、互いに理解し合おうとする素地が、この施策によって生み出されていると考えています。


 次に、ガーナの民主的な選挙と政権交代によって、何が達成されたか少し見ておきましょう。

 ガーナの二大政党は、政権交代可能な二大政党制の例に漏れず、政策的には大きな違いがありません。選挙戦は大統領、議会とも接戦ですので、選挙民にわかりやすくアピールする政策を競い合うことになります。悪くいえばポピュリズムです。およそ四半世紀の間、このような政策を選挙で訴え、全部ではありませんが、多くを実行してきたことになります。

 これによって何が達成されたかを、ミレニアム開発目標の達成状況で見てみると、ガーナの場合「極度の貧困と飢餓の撲滅」、「普遍的初等教育の達成」といった目標は、目標年の2015年より早く達成しました。これは、サブサハラ(サハラ砂漠以南)・アフリカの国では特筆されるべきことです。国民の多くが裨益(ひえきするような、わかりやすい政策を、積み重ねてきた結果といえるでしょう。

 一方で、経済の多角化・産業化は進まず、ガーナ経済は金、カカオ豆、石油といった一次産品依存型のままです。経済多角化のような政策は、ポピュリズム的な政治とのなじみが悪いのかもしれません。


 農業農村開発は上記二つの政策の中間にあると思われます。たとえば、ガーナでは主食系作物のなかでコメだけが自給できておらず、6割以上を輸入に頼り、貴重な外貨を使わざるを得ない状況です。したがって、コメ増産はわかりやすい政策目標で、農業政策というよりは、国の政策全体のなかでも高く位置づけられています。しかし、実際の施策に落とし込むとなると、地道な取組の積み重ねになるので、率直にいって予算がしっかり配分されている状況にはありません。

 読者の皆さんのなかには、今後、途上国で農業農村開発に携わる方が少なくないでしょう。その際、相手国の政治の安定、民主主義や報道の自由の度合い、治安情勢は仕事を進めるうえで、とても重要な要素になります。もちろん、これらは自分の力で動かせるようなものではありませんが、農業農村開発がその国の政治や選挙のなかで、どのように扱われているか、ときに意識してみてはいかがでしょうか。

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