グローバル・フードバリューチェーンと
農業農村開発 1.はじめに わが国では、今後、人口の減少と高齢化がいっそう進み、また経済の飛躍的向上は期待できないなかで、国内市場の規模は漸次縮小していくことが予想されている。食料や農産物にしても、国内需要は確実に縮小していくと見通されている。この動きに対応していくために、食料・農産物の販売市場を海外に求め、また食品企業や外食企業などが積極的に海外へ進出していくようになるのは当然の流れといえる。こうした流れを受けて、農林水産省は、今後のわが国における農業発展の指針として、「農業の成長産業化」、「農業農村の6次産業化」などとともに、「グローバル・フードバリューチェーン*の進展」を謳っている。 グローバル・フードバリューチェーン(Global Food Value Chain:以下、GFVCと略す)は、単純にわが国における輸出の振興と企業の海外投資の促進と受け取られがちであるが、その内容はもっと深い。フードバリューチェーンとはそもそも、農業生産に必要な投入財の供給→農業生産→食料・農産物の加工と保管→輸送と流通→販売という、フードチェーンの各段階で産み出される付加価値(バリュー)を連鎖させたものと定義されている。そして海外(とくにアジア諸国)で展開されているフードバリューチェーンに対して、わが国の民間企業がさまざまな形で関わっていくなかで、相手国のフードバリューチェーンの発展が促進される一方、わが国の企業にも輸出と投資を通じてビジネスチャンスが広がっていくというのが、GFVCの目指すところである。 くわえて、相手国のフードチェーンに関わっている活動主体(関係者・関係組織など)が付加価値を産み出していくためには、フードチェーン自体が円滑に運用されていくように、課題を発見し、それを解決していく手だてが必要である。そこには、インフラの整備、人材の育成、資金の供給、さまざまな制度の構築などが含まれる。これらを国際協力として位置づけて、わが国政府が関わっていけば、相手国に有益なだけでなく、わが国の食料・農産物の輸出振興や企業の海外投資の促進にも大きく寄与していく。その過程で、たとえばインフラの輸出を通じて関係するわが国の企業も経済的利益を確保する機会が得られる。 要するに、GFVCは民間ビジネスと国際協力が官民の連携のもとに一体となりながら、相手国とわが国の双方がwin-winの関係をもつ戦略の枠組みといえる。 本稿では、GFVCの展開が発展途上国の農業農村開発にとって、どのような意義を有するのか、農業農村開発のためのGFVC戦略とは何か、GFVC を起動・発展させる推進主体はだれなのか、 そして最後に、GFVCの枠組みのなかで農業農村開発は今後どのように展望され、課題が残るのかについて論じる。 2.農業農村開発にとってのGFVCの意義 途上国を対象とした農業農村開発の意義は、在来の諸資源を有効活用し、新しい技術を導入して農業の生産性を向上させ、良質な食料・農産物の生産量増大とその市場への販売を通じて、農家の所得水準を引き上げること、そして農村に豊かな生活空間を創造し多様な就業機会を創出し、生活・福祉と経済の両面において満足の得られる地域社会を形成していくことにあるといえる。図1は、農業開発の諸条件について、模式図化して示したものである。農業開発には少なくとも次の5つの条件が必要であり、これらの諸条件は農業開発の進展とともに改変されていかなければならない。①資源・環境的条件(在来の農業資源と農業を取り巻く環境)、②農業インフラの整備(土地基盤の整備、灌漑・排水施設と農道などの整備)、③技術的条件(生物化学的技術と工学的技術)、④投入財の供給・調達(肥料・農薬、家畜飼料などの農業投入財)、そして⑤市場条件(消費者のニーズ、流通システムの整備など)が有機的に関連・結合しあい、相乗効果をもつことによって、農業開発が進展する諸条件が整う。これら諸条件を活かして、農業が前に進むためには、農業経営者、行政や研究に携わる者、投入財供給と農産物流通に関わる民間企業など、多くの活動主体が農業開発への意志を固め、知識や経験を活かし、さまざまなビジネス機会をとらえていかなければならない。 図1 農業開発の諸条件
これら諸条件のなかで、GFVCとも関係させながら、農業開発の方向と速度を決定するのは市場条件であろう。経済の発展と都市化の進行とともに、食料・農産物に対する消費者のニーズは多様化・高度化し、また食料・農産物に付随するさまざまな付加価値の要素(たとえば、商品としての安全性、認証表示、鮮度、品質、また配送・引渡しといったデリバリーの適時性など)に対する要求は次第に大きくなる。農業経営者や食品製造者は消費者のニーズの変化に対応して、食料・農産物の供給内容の変化と品質の向上、生産と流通に関わるコストの低減などに努めなければならない。そのためには新たな技術の導入とその習熟、投入財供給の内容、生産と流通のインフラ整備など、その他の諸条件が波及的かつ継起的に改革される方向に誘発されていく必要がある。 そしてフードチェーンをつなぐ各段階で、消費者のニーズが充足されるように価値が付加され、同時に各段階が有機的に連結されて、フードバリューチェーン全体としての発展が遂げられていくにちがいない。そこに、わが国の民間企業が参入し、またインフラの整備や人材の育成などを通じて、国際協力を不断のものにしていけば、結果的にフードバリューチェーンの発展が加速されていくであろう。 フードバリューチェーンの発展は、その過程でさまざまなリスクや不確実性が生じ、予見できない思わぬ経済的損失や既存の制度なりシステムの不適合が生じ、必ずしも平坦な道程とはいえない。リスクや不確実性を抑制していくための手段と処方策といった面において、二国間対話などを通じて、わが国が政策的支援を行う必要も出てくる。 図2 農業農村開発の戦略目標
ともかくも、フードバリューチェーンの発展ないしはGFVCの展開が、農業開発につながる道筋は見えてきた。同様に、そのことが農村開発にも波及していく。図2は、国際協力機構(JICA)によって示された農業農村開発の戦略目標であり、縦軸に農業開発が、横軸に農村開発が表されている。これによると、国家・地域の経済発展と国民の栄養確保を基礎目標とし、戦略目標は、第一段階が持続可能な農業生産(安定的な食料生産)、第二段階が安定した食料供給(国民への食料供給)である。そして、かかる食料供給の安定化が前提となり、第三段階で活力ある農村の振興(農村の貧困の解消)が進んでいくという構図が示されている。消費者のニーズの変化に対応して食料が増産されつつ、その市場販売を通じて所得が確保されれば、農村の貧困が解消されていくが、くわえてフードバリューチェーンにつながる食料関連産業(食料・農産物の加工と販売)が農村を中核拠点として立地していけば、多様な就業機会が創出され、豊かな農村・農家が形成されていくであろう。ここでもまた、GFVCが重要な役割を果たすことになる。 3.農業農村開発のためのGFVC戦略 農業開発の戦略を考える場合、だれを開発の対象主体とすべきかという問題が生じる。本来的には大多数を占める小規模な農業者を対象とすべきであろうが、GFVCとの関連でいえば、単なる農産物の生産者としての農業者ではなく、それに自らが加工や販売までを手掛ける6次産業化に関与する広範に及ぶ、多くの行動主体まで考えていくべきであろう。何らかの活動主体が、生産→加工→販売と連なるフードバリューチェーンを自己の経営内部に完結させ、それぞれの段階で付加価値を産み出し、消費者のニーズに対応していくことで、経営上の利益が増大していくにちがいない。そのように考えれば、組織化された農業者グループ、会社のような法人組織を有する企業体などが、農業開発の対象となるべきであろう。そうした組織内で、生産、加工、販売の部門ごとに分業体制をとり、経営の総体として利益を上げていくことが望ましい。 この場合、ボトルネックとなるのが、情報、人材、資金などの経営資源であり、とりわけ有能な人材は経営発展にとって必要不可欠な中核部分である。人材は、経営者、技術者を含め海外企業とのジョイントベンチャーによって、企業内での研修と訓練を通じて育成されようが、人材育成のための国際協力によっても補完される。さまざまな情報の提供、低利融資による資金の供給もまた、国内の関連機関とともに国際協力によって支援されるべきであろう。 農産物の品質を改善するなどして、経営体の事業活動が農業生産に留まる場合には、その後の加工や流通や販売を、それぞれの専門部門に委ねることになる。加工や販売に携わる企業体や業者との間で原料供給者として、またレストランやホテルなどサービス事業体との間では食材提供者として、契約による農産物の委託生産という形態をとることもある。一方、農業者が生産性を量と質において向上させるために、国内外の官民で開発された技術や種々の農業投入財、さらには整備されたインフラへのアクセスを確保したうえでグループ化していけば、均質な農産物を量的に十分に生産でき、共同出荷や契約によって確実な販路を探すことができる。ここでも、「GFVCを活かすための鍵は農業者グループにある」ことを、心に留めておく必要がある。 ともかくも、農業者が食料・農産物の生産者として安定した経営のもとで所得を増大させていくためには、情報を駆使して消費者や実需者のニーズの存在と方向を的確に把握し、そのニーズに応えるべく、モノとサービスを需要者へ確実・適時にデリバリーすることが肝要である。 農村開発の戦略にとって重要なポイントは、食料・農産物の生産、加工、販売を中心として、さらには研究、金融、人材育成、流通、行政などの諸サービス部門を支えとして、農村の域内に「食料産業クラスター」*を形成することである。これによって、域内で農業と食品産業、食品流通などが有機的に連携し、食料・農産物の域外販売やそのブランド化の促進が期待できる。域内の諸産業が活性化していけば、何よりもそこに多様な就業機会が生まれ、在来の低利用資源が活用されて、所得が増加する。そのことが、ひいては農村の貧困の解消につながっていく。また、そこに国内外から企業が誘致されて域内の農業と食料の関連産業に深く関与していけば、産業基盤の底上げと近代化が促され、またインフラ投資が行われれば、物流もさらに円滑なものになっていくであろう。 ただし、この場合にも種々の困難な問題に直面する。企業誘致やインフラ投資のような外部からの投入が、スムーズに展開するとはかぎらない。農村という域内に、何らかの魅力的な誘因条件が乏しければ、外部からの投入は容易なことでない。誘因条件には、資源の利用価値、人材層の厚さ、立地条件のよさ、既存の諸産業の集積などがあり、農村に経済的なポテンシャルが存在していなければならない。そういった条件整備にどれだけの価値が見出されるかが、食料産業クラスターの形成を大きく左右するといっても過言でない。 4.GFVCの推進主体はだれなのか それでは農業農村開発をGFVCの枠組みと戦略のもとで、だれが、どのように仕掛けていくのかが、次に問われなければならない。 農業農村開発を進めていく実態としての活動主体は、直接的には前述したように農業者グループ、法人組織体ということになり、また間接的には食品の加工と流通・販売、行政、研究、普及などに従事する人材となる。とはいえ、GFVCを仕掛ける中核的な活動主体を敢えて探せば、GFVC全体を見通す立場にあり、部門間で連結するGFVCの水平的展開と企業内で完結する垂直的展開に対して適切にアドバイスし、また地域内で展開する食料産業クラスターを育成する手助けとなるコーディネーターということになろう。その役割は、GFVCを進めるうえでの制約条件や課題を摘出し、そこから適切な解決手法を導くことである。実際のところ、こうした人材が大幅に不足していることが、GFVCの発展を阻害しているともいえる。なお、役割は具体的には、「生産、加工、流通、販売のそれぞれの段階における、消費者あるいは実需者のニーズに対応した付加価値の要素を、GFVCを形成する活動主体に対して、情報として提供すること」、「GFVCに連なる部門間の融合や連携を進め、ネットワーク化していくこと」、「新しい商品やサービスの開発、新しい生産工程や販路などを提案すること」、「新しい事業計画に対して、生産と経営の両面から有益な助言を与えること」、「ハードとソフトにわたるインフラ整備のために、政府や国際協力の諸機関に働きかけること」、「消費者の新たなニーズを発掘し形成すること」などにあるものと考えられる。いいかえれば、GFVCという経済活動の有機体に改革を起こし、海外の投資企業を誘致しながら、望ましい方向へ牽引していく先導役としての役割が求められているのである。 しかしながら、そうした人材が短期間で容易に見出されるとはかぎらない。その育成は経験豊富な投資企業との連携のなかで進んでいくであろう。現地のコーディネーターが、食料・農産物の生産、加工から流通、販売に至るノウハウや知見を、わが国のさまざまな進出企業の経験から学び、それを現地のフードバリューチェーンの実情に適合させていく努力を積み重ねていくことが必要である。この場合、進出企業の力を通じて製品化された食料・農産物を国内市場のみならず、輸出市場まで販路を広げていけば、その過程で国際競争力を有するほどの商品開発に努めることで、GFVCはさらに高い次元へと進化を続けていくであろう。 5.おわりに 以上、農業農村開発にとってのGFVCの意義、農業農村開発とGFVC戦略、そしてGFVCを仕掛ける主体について述べてきた。最後に、GFVCの戦略的枠組みのなかで、農業農村開発は今後どのように展望され、また課題が残るのであろうか。 今後、グローバル化がますます深化していけば、国内外において農村の外部から投入される諸資源(資金、人材、技術、知識・情報など)は、投資の収益率が期待されるところへ移動していく。GFVCの枠組みでいえば、これらの資源を経営内部で結合した企業体が、優良な現地パートナーを求めて動き、そこでGFVCの水平的ならびに垂直的な展開、あるいは食料産業クラスターといった形態で、農業農村開発に関わる事業を行っていく。そして、食料・農産物は国内外の市場へ販路を求めて流通・販売されていくであろう。 そこで問題となるのは、農業農村開発の地域格差の拡大である。たとえ地域資源が豊富で開発のポテンシャルが存在するとしても、投資を受け入れる諸条件すなわち市場アクセスへの有利な立地やインフラの整備状況、税制や融資など投資を誘致するための環境整備、地域の良好なガバナンスなどが整わなければ、企業は移転して来ないであろう。その結果として、新たな雇用や所得の創出の機会が得られないことになり、地域間の経済格差が拡大してしまう。格差の拡大を引き起こさないような制度的工夫を、政府、行政、企業、地域住民などが一体となって作り上げるプラットフォームの構築が早急に求められるであろう。 <参考資料>
板垣啓四郎、「グローバル・フードバリューチェーンと国際協力」『国際農林業協力』第38巻第4号、(公益社団法人)国際農林業協働協会、pp.2-8、2016
板垣啓四郎、「グローバル・フードバリューチェーンと途上国の農業開発」日本国際地域開発学会編『国際地域開発の新たな展開』、筑波書房、pp.199-213、2016
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