ベトナムの紅河デルタ地域における
安全作物バリューチェーン形成の取組
─北部地域における安全作物の信頼性向上
プロジェクトの事例より─

独立行政法人 国際協力機構(JICA) チーフアドバイザー 熊代輝義
専門家 総括 七久保充
専門家 副総括 萬宮千代

1.はじめに

 一般的に発展途上国においては所得水準の向上に伴い、国民の食生活では、穀物などの食用作物(主食用の作物)から青果物や畜産物などの付加価値の高い農産物への需要が高まってくる。併せて、それら生産物の品質や安全性にも関心が高まってくる。生産者においても、低所得国に分類されるような経済段階では、食用作物の自家消費を中心とする自給的農業が多数を占め、市場への販売は余剰分に限定される。しかし、国民経済の発展による所得水準の上昇に伴い、食料需要の変化に対応するとともに、農業形態も自家用作物から商品作物の生産へと変化していく。

 変化は、消費者と生産者を結んでいた仲買人や卸業者を通じた伝統的な流通システムにも見出される。スーパーマーケットやコンビニエンスストアなど、近代的な流通システムの参入と拡大である。このような状況のなかで、とりわけ中小規模農家が消費者の需要の変化や流通システムの変化に対応して、どのような生産と販売によって、所得を向上させていくかは、発展途上国経済にとって大きな課題となる。

 ベトナムでも、まさにこの点が重要な政策課題の1つになっている。本稿では、この課題解決に貢献するために、JICAの支援によりベトナム農業農村開発省が実施している技術協力プロジェクト「北部地域における安全作物の信頼性向上プロジェクト」における取組を紹介したい。


2.プロジェクト実施の背景

 ベトナムも国民の所得水準の上昇に伴い、農産物への需要の多様化が進んでおり、本プロジェクトの主要な対象である野菜についても栽培面積・生産量ともに、近年、急速に増加している。同時に、農産物の安全性にも消費者の関心は高まっているが、残留農薬基準の遵守の観点などからみても、野菜の安全性について万全とはいい難い状況にある。

 この農作物の安全性を確保する観点や国際的な農業生産工程管理(GAP:Good Agricultural Practice)の重要性の認識の高まりを受けて、農業農村開発省は2008年には野菜・果樹および茶について、10年にはコメおよびコーヒーについてVietGAP(ベトナム農業生産工程管理)と称するGAPに関する規程を制定した。しかし、VietGAPの普及は順調に進んでいるとはいえない状況にある。この理由としては、野菜・果樹のVietGAPはチェックリストが65項目の多岐にわたっていること、さらに第三者機関による認証制度でその認定料が、多数を占める小規模農家には少なからぬ負担になっていることが上げられている。これに対し、本プロジェクトの前段プロジェクトともいえる「農産物の生産体制および制度運営能力向上プロジェクト」において、小規模農家を含めてGAPの普及を促進するために、VietGAPよりも簡易なBasic GAP(基礎的農業工程管理)を提案し、パイロットサイトでその効果が認められたので、2014年7月に農業農村開発省はBasic GAPを技術規範として正式に承認した。


3.プロジェクトの概要

 本プロジェクトの目標は対象地域(主に紅河デルタ沿いの2市11省)の支援対象グループ(農業生産主体:農業協同組合、農業生産法人あるいは農家グループ)における安全作物(主に安全野菜)の栽培の振興であり、そのために3つの成果を上げることとしている。第一は生産面において安全作物生産のモニタリングと管理能力が向上すること、第二は流通面においてGAP(Basic GAPなど)に則った安全作物のサプライチェーンの生産現場の状況に応じた、さまざまなパターンがモデルとして提示されること、第三は生産者と購買者(消費者および卸・小売業者などの取引業者)の安全作物の生産と食品の安全にかかる意識が向上することである。

 対象地域は上述のとおりであるが、事業の効率を高めるために3つのグループに分けた。一つ目はパイロット省と呼ばれるグループで、最初にパイロット活動を実施する地域でハノイ市(消費地としてパイロット活動を実施)、ハイズオン省・ハナム省・フンエン省(生産地としパイロット活動を実施)が含まれる。二つ目はセミ・パイロット省と呼ばれるグループで、パイロット省での活動後、その成果も踏まえてパイロット活動を実施する地域でタイビン省・フートー省・ビンフック省が含まれる。三つ目は経験共有省と呼ばれるグループで、Basic GAPなどの安全作物生産の技術・知識やパイロット省やセミ・パイロット省のパイロット活動の結果に基づく知見を学んで、自らパイロット活動を実施する地域でハイフォン市、クアンニン省・ホアビン省・バックニン省・ナムディン省・ニンビン省が含まれる。プロジェクト期間は、2016年7月28日から2021年7月27日までの5年間である。

 本稿では紙幅も限られているので、第二の成果である安全作物のサプライチェーンの形成という課題への取組に焦点をあてる。

 なお、対象とする農業生産主体の選定は次のように行った。まず、パイロット省3省のパイロット活動の対象とする農業生産主体の候補となる19組織(農業協同組合13、農業生産法人3、農家グループ3)に対し、ベースライン調査を行い、その結果に基づきハイズオン省では3つ、ハナム省とフンエン省で各2つ、計7つの組織を選定した。組織形態は農業協同組合4、農業生産法人2、農家グループ1で概要を表1に示す。

表1 選定農家組織の概要
表1 選定農家組織の概要

4.パイロット省における安全野菜の流通状況

 まず、非常に限られたデータであるが、消費地としてのパイロット地域であるハノイ市の野菜の流通環境を簡単に説明する。野菜の年間消費量は約100万tと見込まれ、同市の生産量はその6割相当の60万tで、40万tはパイロット省を含む近郊省から供給されていると推定されている(World Bank, 2017)。そのため、本プロジェクトの対象の農業生産主体においても、各省内に加えハノイ市が重要な市場となる。また、この約100万tの流通経路については生産地近傍の市場における生産者などによる販売が10%、ハノイ市に10か所ある卸売市場を経由するものが33%、卸売市場を経由しない買付け業者や小売による販売が42%、スーパーマーケットやホテル、レストラン、学校などによる購入が15%に近いとの推定がある(World Bank, 2017)。なお、明示的に安全野菜として流通しているのは、こうした総流通量の5%未満と推定する少し以前の報告がある(Wertheim-Heck, S.C.O., Vellema, S. and Spaargaren, G. , 2014)。

 このような一般的な流通状況下、対象とした農業生産主体において生産した安全野菜の流通形態、および契約栽培などよる販売面での有利性をみてみよう。本プロジェクトの対象省では1農家当り栽培面積が狭小なこともあり、非常に小規模な契約を除き、基本的には一定数量の供給が必要な契約栽培には、構成員による共同での生産・販売が前提となる。これに対し、ベースライン調査対象の19組織への「共同販売の経験の有無」の質問に対しては、14(74%相当)の組織が「有り」としているが、これらの組織の構成農家計300人への「現生産物の共同による販売と個人による販売の割合」の質問に対しては、平均で「共同販売が約24%、個人販売が約76%」であった。回答の農家によって異なる生産量に基づく割合ではあるが、契約栽培による有利販売も、あまり進展していないと推察される。そのためもあり、共同生産の経験はあまり蓄積されていないことがうかがえる。

 それでは、市場に安全野菜のニーズが少ないのかというとそうではない。VECO Vietnam(2016)によれば、ハノイ市の280人を対象とした調査において、97.5%が「食品の安全性を懸念している(30%)」もしくは「非常に懸念している(67.5%)」と回答している。他の同様の調査(上記のWertheim-Heckらの報告)においても、消費者の食の安全に対する懸念は強く、安全野菜を入手するために、さまざまな工夫をしている様子が指摘されていて、安全野菜への潜在的ニーズは高い。

 プロジェクトが実施した対象農業生産主体の生産する安全野菜の91に及ぶ潜在的購買者(パイロット省1市3省の野菜集荷業者、加工業者、卸業者、レストラン/病院/ケータリング会社/小売業者など)への聞取り調査においても、「信頼できる生産者を見出すことが課題」という回答が最多であったことで裏付けられるとおり、安全野菜の需要はあるものの、消費者に利便性の高い小売ルートが限られ、また「信頼できる生産者」と「信頼できる購買者」を結ぶ適切なマッチングの仕組みが十分に確立されていないのが現状といえる。

 背景としては、前述のように一大消費地であるハノイ市をとっても、卸売市場を経由して流通する野菜の割合が低い。また、卸売市場にしても荷受会社によるセリのような機能があるわけではなく、相対売買なので、政府も保有情報の提供などの支援は行うが、基本的には各生産者と各購買者の相互の個別努力によって、望ましい相手を見出すというケースが多いものと推測される。


5.具体的なマーケッティング分野の活動

 こうした環境下にある支援対象の7つの農業生産主体の生産する安全野菜の有利な条件での販売の促進のために、プロジェクトでは次のような活動をしている。

(1)潜在的な購買者の発掘

 主に以下の方法で行っている。

 ①上記「4.」で述べた聞取り調査の対象の設定(91社)。

 ②生産のパイロット省3省の農業農村開発局による「対象の農業生産主体の安全野菜に関心のある購買者」の公募(2017年11月6日時点では、3省で15社、ただし、複数の省に登録している場合がある)。

 ③関係者のネットワークを通じた有望な購買者に関する情報収集。

(2)対象の農業生産主体のマーケッティングの準備

 ①農業生産主体と購買者のマッチングを促進する道具として、まず、支援対象の7つの農業生産主体ごとに、「組織名・設立年・コンタクト先など一般情報」、「栽培作物・栽培時期・生産量などの生産情報」、「集荷・前処理・パッケージ・配送などに関する情報」、「品質管理の方法」などを盛り込んだプロフィールを作成。一方、購買者については上記(1)で発掘したなかからマッチングの可能性のある会社(①の91社からは43社、②および③からは数社で増える可能性がある)に関して、それぞれ「組織名・業種・会社ロゴ・コンタクト先など一般情報」、「設立年・従業員数・販売場所などの組織情報」、「時期別の主要購入野菜・品薄になる野菜・必要な安全野菜の基準など野菜の需要情報」を記載したプロフィールを作成。

 ②パイロット省の農業農村開発局や対象の農業生産主体のマーケッティングに関する知識を高め、マッチング以降の活動の効果的展開のために、次の2タイプの研修を実施。

  ・7つの各農業生産主体におけるマーケッティング活動実行計画策定のための研修。安全作物の市場状況の現状、契約・交渉技術について学んだうえで、各農業生産主体の強みと弱みを分析し、ターゲットとなる購買者を特定して実行計画を策定。

  ・共同での生産および販売に取り組む先進農業協同組合を訪問し、共同販売の体制や手順を学んだうえで、農業生産主体ごとにそうした生産・販売のための体制を決定し、計画を策定。

(3)マッチングの推進

 以上のような準備活動の後、次の2つの方法によって、農業生産主体と購買者のマッチングを推進する。

 ①農業生産主体と購買者の1対1のマッチング/前者が関心を寄せる後者への要望、および逆方向の要望に対応して会合を設定する。そこで売買条件を協議し、合意が成立すれば契約を結ぶ。

 ②マッチングイベントの開催/指定・周知した日時・会場に、全支援対象農業生産主体と関心のある購買者が一堂に会してマッチングを図る。

(4)現在までの進捗状況

 こうした具体的なパイロット活動を開始して6か月程と初期段階にあり、また、市場との対話ともいえるマッチング活動はプロジェクト全期間を通じて、継続的に進めていくべき取組であるが、進捗状況を表2に示す。ハナム省の2つの農業生産主体については10月の洪水によって、作物が深刻な被害を受けたこともあり、未だ合意が成立したものはない。それ以外の5つの農業生産主体では、各1件以上の合意が成立している。

表2 マッチングの進捗
表2 マッチングの進捗
注:2017年10月末現在。ただし、本プロジェクト支援以前からの契約は除く。

 上述の購買者の購入野菜の販売先は、ハノイ市が中心である。これは、パイロット省内の小規模な購買者の多くは、収穫時期に現場で作柄を確認して、口約束で買い付けを決定するケースが多く、本プロジェクトが目指す「生産段階から購買者が関与する」というモデルに、なじみにくいという事情がある。「共同販売を前提として、安全野菜を、契約によって安定的に購入する」という、先進的な購買者はハノイに限定されるのが現状である。もちろん、地元の小学校や食堂などを対象にした購買者と契約を結んでいる農業生産主体も存するが、概して多品種・少量を需要が見込める都度購入するパターンが多く、契約栽培や共同販売を前提としていないものでもあり、現時点ではサプライチェーン形成の支援対象としては優先度を下げている。


6.安全野菜のサプライチェーン形成に向けての課題

(1)生産者と購買者の合意成立に向けての課題

 これまでの活動結果を踏まえると、合意成立に向けての大きな課題としては次の2点が上げられる。

 1つには購買者の要望する質を満たしたうえで、要望する量を満たせるかという点である。これは当該農業生産主体の全体としては供給可能量であったとしても、前述のように、その供給量を確保するために、構成農家が共通の栽培計画に基づいて生産し、共同出荷するという経験が、一部を除き必ずしも豊富ではなく、契約段階で組織内において、そのような合意が図れるかということとも関係している。また、明確な品質基準に対応した集・出荷経験のない農業生産主体が、購買者によって異なる要求に基づき、選別、前処理、包装などの収穫後処理を効率的に実施できるかという点も課題である。

 いま1つは価格である。購買者により異なる面はあるが、安全野菜であっても、価格面で必ずしも明白な有利性が得られないのが実態である。高価格で販売するためには、安全性のみに留まらぬ全体的な品質の向上や出荷時期を調整して端境期に出荷するなど、一段と高度な技術と組織的対応が求められる。まずは、安全性を重視する購買者に、安定的供給のできる生産体制の構築が急務であるが、次のステップとして、栽培や収穫後処理の技術の高度化を目指す必要があろう。

 なお、現在までのところ、本プロジェクトでの契約交渉においては、野菜のグレード(等級)については交渉のテーマにはなっておらず、指定された一定のサイズ・品質を満たしていれば購入するという場合が多い。一方、購買者のなかには、より高い品質の生産物を、より高い価格で求める会社や、高い品質は求めないが、それほど高い価格も提示しない会社など、購買姿勢の差があるので、むしろ農業生産主体側で品質別の販売計画を想定し、それに基づいた栽培計画を作成するという考え方も出てこよう。

(2)安全野菜のサプライチェーン形成に向けての総合的アプローチの必要性

 農業生産主体にとって安定的なサプライチェーンの形成を実現するためには、「マッチングによって、望ましい購買者と売買条件に折り合いをつけ、契約する」だけでは当然に不十分で、次のようなことを含めた包括的アプローチが必要となる。

 まず、具体的な販売の前提となる安全で、かつ全体的な品質の高い作物を生産することが重要である。そのためには、トレーサビリティーの確保のための記帳を含むBasic GAPなどのGAPに基づく生産を実践するとともに、品質の高い作物を生産するための栽培技術の改善とその実践が必要となる。

 くわえて、これまでも言及しているように、構成員共通の栽培計画に基づく作物生産、そして共同出荷の実践が必要である。この点についても、前述のように必ずしも経験豊富な対象農家組織ばかりではないので、大きな課題である。プロジェクトでは、これら生産面での改善についても支援を行っている。

 また、生産後の販売段階にも課題はある。すなわち、収穫後の前処理、集荷、輸送などの各段階が、契約内容に忠実に実行されることが必要である。プロジェクトでは、最初の収穫・出荷の前に契約を結んだ個別の農業生産主体と購買者で「目(ぞろえ会」を開催し、収穫や流通の状況に関する情報を共有し、生産物のサイズや品質、出荷量に関する条件を再確認するとともに、実行段階においても問題があれば、農業生産主体と購買者などの関係者協議を仲介するなどによって、販売が契約通り着実に実行されるように支援している。


<参考文献>
熊代輝義・七久保充・萬宮千代 2017,「ベトナム国「北部地域における安全作物の信頼性向上プロジェクト」の現状と課題」『国際農林業協力』 40(3), 15-21
VECO Vietnam 2016, Habits, concerns and preferences of vegetables consumers in Hanoi
Wertheim-Heck, S.C.O., Vellema, S. and Spaargaren, G. 2014 Constrained consumer practices and food safety concerns in Hanoi. International Journal of Consumer Studies, 38(4), 326 – 336.
World Bank 2017, Food safety risk management in Vietnam: Challenges and opportunities. Technical working paper. Hanoi, Vietnam

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