Feeding the World
─イネの育種技術を生かした国際協力─
九州大学大学院農学研究院 教授 吉村 淳

1.はじめに

 著者が所属する九州大学農学部は、これまで「バングラデシュ農業大学院計画(1985〜95)」や「ハノイ農業大学強化計画(1998〜2003)」などの国際協力機構(JICA)技術協力プロジェクトを担当し、とくに後者のプロジェクトからベトナムのハノイ農業大学(現ベトナム国立農業大学、Vietnam National University of Agriculture、以下、VNUA)との国際協力関係が構築され、現在に至っている。著者も1999年から同大学イネ育種関係者との交流が始まり、「ハノイ農業大学強化計画」では、ハイブリッドイネ品種の育種基盤の向上に関わってきた。また、2010年からは、科学技術振興機構(JST)とJICAの地球規模課題対応国際科学技術協力事業(SATREPS:Science and Technology Research Partnership for Sustainable Development)「ベトナム北部中山間地域の作物開発(2011〜15)」を実施した。
 本稿ではこれらの概要を記し、世界の喫緊(きっきんの課題といえる“Feeding the World”に向け、国際場面における日本の植物科学の貢献を期待したい。

2.ハノイ農業大学強化計画(1998〜2003)

 ハノイ農業大学強化計画は、同大学の農学部(狭義の農学に相当)、土地水学部(土壌学、農業工学など)、農業経済学部の研究教育の機能強化を目的に5年間にわたり実施された。農学部の研究機能強化は計画後期に実施され(杉浦巳代治チームリーダー、瀬古秀文長期専門家)、とくに研究機能強化においては、北部中山間地に向けた農業技術の開発を主目的として、ハイブリッドイネの育成とイネ病害虫抵抗性品種の育種法改善に特化して、支援を強化した(杉浦ら、2004)。そのなかで、著者は、当時、ベトナム北部ではイネ白葉枯病が蔓延し、とくに中国産のハイブリッドイネでは被害が甚大であったことから、イネ白葉枯病抵抗性品種の育成基盤の構築を目指した。
 まず、著者らは病原菌の分布調査から始めることとし、ベトナム北部の水田の発病株から分離・培養した84菌株について、九州大学で維持されている判別品種を用いて、病原性の分化を調べ、ベトナム北部産同病原菌を4つの病原性グループ(レース)に大別した。ベトナム北部産のイネ白葉枯病菌株の多くはレース2と3に属し、抵抗性遺伝子XA5XA21がベトナム北部産菌株に有効であることを明らかにした。このことから、優性抵抗性遺伝子XA21がハイブリッドイネの育種に利用されることとなり、後の新F1(雑種第一代)品種「Viet Lai 24」の育成やハイブリッドイネの種子親系統として用いられていた温度感受性雄性不稔系統103Sの遺伝的背景へのXA21の導入につながった。このことは、大学が有するリソース(遺伝資源や人材)が発展途上国の農業振興に有効に活用された成功例と考えることができる。また、ハノイ農業大学強化計画は、ハイブリッドイネの育成の部分が、JICAフォローアップ・プロジェクトとして2004年まで1年間延長・支援が続けられ、「Viet Lai 20」が国家品種として認定されるに至った。
 その後、九州大学とハノイ農業大学とは、日本学術振興会(JSPS)アジア・アフリカ学術基盤形成事業「ハイブリッドイネと農業生態系の科学(2006〜2008)」を通してネットワークが維持され、イネの遺伝育種分野においては、留学生の受け入れ、DNAマーカー選抜(「マーカー支援育種」と同義)の適用、九州大学保有の遺伝資源の評価などが実施され、後のSATREPS申請の基礎となった。


3.SATREPS
「ベトナム北部中山間地域の作物開発(2010〜2015)」

 JSTとJICAは、2008年度、地球規模課題の解決と科学技術の向上につながる、日本と発展途上国との国際共同研究を推進するためにSATREPSを開始した。SATREPSは4研究分野(5研究領域)から構成され、生物資源分野は09年度分から第1回公募が開始された。SATREPSは、国内研究機関への研究助成のノウハウを有するJSTと、発展途上国への技術協力を実施するJICAが、国際共同研究全体の研究開発マネージメントを協力して行うという、非常にユニークなプロジェクトであった。とくに、研究・教育をミッションとする大学の研究室に身を置き、その研究内容は基盤的・基礎的であるべきであると考える向きの強い著者にとっては、ハノイ農業大学強化計画やJSPSでの活動はボランティア感が強く、また、ボランティアとはいえ海外の育種事業への支援を行うには、資金的なリスクが大きくなっていた。その意味で、充分な国内研究支援を伴うSATREPSは、著者にとっては、格好のプロジェクトと判断された。

 2009年、SATREPS申請に当たり、名古屋大学とVNUAと数回の打合せを行い、現状を以下のように分析した。

① 我が国のイネ科学は基幹作物の育成と実験植物としての利用に貢献してきたが、学術的な成果が必ずしも国際的な実用場面に活かされていない。

② 多様な社会・自然環境を有するベトナム北部中山間地域は、単位面積当たりイネ収量は3.4〜4.3 t/haと低く、食料自給率は60%にすぎない。そこで、単収を15〜20%増加することによって、同地域の食料自給率90%を実現する必要がある。

 以上の2点を考慮して、本プロジェクトでは、ベトナム北部中山間地を対象地域として、効率的育種法の確立と早生・高収量・病虫害抵抗性イネ有望系統群の開発を行い、これらの適応性と生産力の検定などを実施して、当該地域の栽培技術体系の確立と食料自給率向上に資するとともに、先端育種技術のベトナムへの波及を目指した国際共同研究を行なうこととした。本プロジェクトでは、九州大学と名古屋大学が提供する有用遺伝子保持系統とDNAマーカー情報をもとに、有用農業形質を有する有望イネ系統を迅速に育成し、ピラミディング育種により有用遺伝子を集積した短期生育・高収量・病虫害抵抗性イネ有望系統群を開発することを目的としている(本プロジェクトのアウトラインを図1に示す)。

図1 プロジェクトのアウトライン
図1 プロジェクトのアウトライン

 本プロジェクトは、以下の3つの主要活動からなり、2011年1月からスタートした。

① 大容量・高速ジェノタイピングによる効率的なイネ育種法の開発。

② 対象地域の環境に適した短期生育・高収量・病虫害抵抗性イネ新品種育種のための有望系統群の開発。

③ イネ有望系統群の生理生態学的特性の解明。

 活動①の有用遺伝子の導入と探索においては、IR24(国際稲研究所が作出した高収量品種の1つ)を遺伝的背景とし日本型イネおよび野生イネをドナーとする染色体部分置換系統群をベトナムに導入し(表1)、活動③の現地適応性検定に供して、短期生育性および低温耐性などの変異を見出した。また、活動②で育種目標にする高収量性(GN1、WFP)ならびに病虫害抵抗性(XA7、XA21、BPH25、 BPH26、OVC、qOVA1-3、qOVA5-1.2)に関する有用遺伝子ドナーをベトナムに導入し(同じく表1)、活動②の交雑に供した。

表1 ベトナム国立農業大学に導入・移管した系統
表1 ベトナム国立農業大学に導入・移管した系統

 大容量・高速ジェノタイピングでは、一塩基多型(SNP)情報をもとにしたDNAマーカーデザインが必須である。名古屋大学は、本課題において使用する品種のSNPの同定を進め、SNPの同定、DNAマーカーデザイン、およびSNPアレイ用のパネルの設計を行った。2013年には、名古屋大学、九州大学、VNUAでジェノタイプ情報を共有して、高速ジェノタイピングを開始し、VNUAでSNPアレイの試運転を行い、実施可能な状況となった。本課題で用いる遺伝子を含む16の遺伝子、144のSNPについてマーカーデザインが終了し、活動②および③で得られる有望系統の評価が可能となった。しかしながら、「SNPアレイ用試薬の販売が2017年までに中止される」ことが2013年に発表された。そこで、大容量・高速ジェノタイピング法は、プロジェクト後半には、より効率的な次世代シーケンサーを用いたGenotyping By Sequencing(GBS)に変更することとした。

 一方、効率的育種法の開発には各世代の育種材料を安定的に育成して、戻し交雑とDNAマーカー選抜を進めることが肝要となる。ベトナム北部の春作は低温にみまわれることが多いため、ベトナム南部のソクチャンにイネ試験支場を設置した。同支場を用いると、1年に3回の本格的作付けが可能で、世代促進を迅速かつ安定的に進めることが可能となった。

 活動②では、ベトナム北部中山間地に適した有望系統の開発を企画し、九州大学と名古屋大学から導入された病害虫抵抗性遺伝子と高収量性遺伝子を、活動①で確立される効率的なイネ育種法を用いて、現地に適応した高収量品種「Khang Dang 18(KD18)」とIR24の遺伝的背景に組み込むことを計画した。最初に、単一の有用遺伝子を有する準同質遺伝子系統(Near-Isogenic Lines: NILs)を開発し、次に2つ以上の遺伝子を有する集積系統(Pyramiding Lines: PYLs)を開発することを目的とした。戻し交雑とDNAマーカー選抜を繰り返すこの育種の基本プロセスはMarker Assisted Selection(MAS)と呼ばれ、1980年代に提唱され、90年代に確立された育種手法である。イネにおいては、日本が中心となって貢献した基礎的研究成果「イネの全ゲノムの解読」とともに技術開発が進展した。

 プロジェクトの初期段階では、育種材料のサンプル葉を日本に輸入して遺伝子型解析を行い、遺伝子型情報をベトナムのプロジェクトサイトに送り返して戻し交雑を行うシャトル方式を採用することとした。2011年春作から、世代促進とマーカー選抜を組み合わせた効率的育種法を本格的に進め始めた。対象とした有用遺伝子は、高収量性関連遺伝子GN1WFP、白葉枯病抵抗性遺伝子XA7とXA21、トビイロウンカ抵抗性遺伝子BPH25BPH26、セジロウンカ抵抗性遺伝子OVC、qOVA1-3、qOVC5-1.2の9遺伝子(座)である。

 ソクチャン試験支場を有効活用して、年間3回の本格的作付けが実施できたので、戻し交雑とマーカー選抜は、予想以上の早さで進行した。有用遺伝子のNILsおよびPYLsの作出に関しては、KD18およびIR24のいずれの遺伝的背景においても、多くが2014年ハノイ春作までにBC3F3(三回戻し交雑後の雑種第三代)かBC4F3世代に達した。11年ハノイ春作に最初の交雑を行った材料は3年間で8世代を経過して、13年ハノイ夏秋作にはBC3F3世代に達した。最終年度まで、戻し交雑とマーカー選抜は滞りなく進められ、主要系統については生産力検定試験を行った。

 有望系統(NILsおよびPYLs)の作出に関しては、IR24およびKD18のいずれの遺伝的背景においても、BC3F3世代以降に達し、GN1、WFP、XA7、XA21、BPH25、BPH26、OVC、qOVA1-3、qOVA5-1.2の単一遺伝子導入系統の作出をほぼ完了した(表2)。また、KD18の遺伝的背景では、短期生育型有望系統が、KD18/TSC9の組合から2系統が得られ、NILsはKD18では計11系統、IR24では計9系統、両者合計で20系統を作出した(同じく表2)。一方、PYLsは、KD18では計17系統、IR24では計15系統、両者合計で32系統を作出した(同じく表2)。これらの総計52の有望系統は、2015年11月17日を最後にすべてVNUAに移管された。

表2 プロジェクト(2011〜15)で育成された有望系統群
表2 プロジェクト(2011〜15)で育成された有望系統群

 作出過程における交雑のノウハウやDNAマーカー選抜法は、現地の育種活動と研修などにおいて技術移転がなされた。とくに懸案であったDNAマーカー選抜の実際は、2013年までは日本側で行われたが、14年以降はプロジェクトサイトで行われるようになった。
 プロジェクト期間全体を通じて、現地適応型品種IR24とKD18を遺伝的背景とするイネ有望系統群の生理生態学的特性を解明して、有望系統の作出と栽培法の適正化に資することになる。活動③では、既存のイネ系統群や開発された有望系統群を用いて、光合成特性(CO2交換速度、気孔伝導度、葉面積、SPAD値など)や乾物重を調査した。

 一方、環境適応性試験として、ベトナム北部中山間地域に2か所(タイグエンとラオカイ)のパイロット調査圃場を設けて、収量性と早晩性を中心とした有望系統の評価を行った。その結果、KD18より5〜10日生育期間が短く、収量関連形質においてもKD18と同等の性能を示すことが明らかにされ、有望系統が選出された。

 また、「有望系統群に対応した推奨される栽培法に関する情報のとりまとめ」の試験研究を開始し、肥料試験および栽植密度試験を行い、栽培法に関する情報を蓄積した。早生性や低温耐性などを具備した数系統については、育成者権や新品種登録取得のための試験栽培と評価、ならびに普及に向けた栽培指針の作成と農民研修などを行い、品種化に向けて着実な歩みを進めた。その結果、これまでに2種類の有望系統(DCG66とDCG72)の国家品種登録申請が2014年11月に完了し、15年春作から品種登録のための栽培試験が開始された。品種登録のプロセスは、政府、農家、種子供給業者などを巻き込み、科学的根拠を伴う大きなプロジェクトとなっている。 VNUAは、プロジェクト開始時点から品種登録のプロセスを実施する機能と能力を有してはいたが、このプロジェクト活動を通じて、それらはさらなる飛躍を遂げたと判断される。

 本プロジェクトの成否に関わる基本育種技術として、大量の戻し交雑手法の確立、DNAマーカー選抜の迅速化、世代促進法の確立が挙げられる。上記3点の技術改善は素早く進められ、所期の予想以上の早さで、有望系統群が作出された。また、有望系統の品種化への試みも4年目からは本格的に行われ、具体的な成果も見えてきた。さらに、懸念されていたプロジェクト終了後の引き継ぎと定着についても、これまではVNUA農学部における育種分野と作物分野を融合した組織再編を行うことによって、適材適所の人材配置が計画されるようになった。今後は、VNUAそのものが独自性を発揮して、継続的活動が続けられることを期待しているところである。

 本プロジェクトで開発された有望系統は、当面の社会実装対象地である北部ベトナムの中山間地域のみならず、広くベトナム全域に適応可能であった。その実効性は、2014年夏秋作に、北部沿岸省の1つで季節的な台風・洪水・高温被害に苦しむゲアン(Nghe An)省で実施されたVNUAの取組で実証された。すなわち、VNUAは、SATREPSで開発したDCG72(KD18+短期生育遺伝子)を同省に導入し、北部中山間地域とは異なる気象条件下での有望系統の適用に成功した。

 同省ではこれまで、夏秋作期のイネ収量減要因(洪水・台風)を克服できないばかりか、春作イネの播種(はしゅを優先させた結果、冬場の換金作物栽培を諦めるなどの悪循環に陥っていたが、短期生育系統の登場により、この悪循環を断つ道が開け、イネ、トウモロコシ・ダイズ・サツマイモなど、バラエティに富む多毛作作物生産が可能となり、同省の農業農村開発行政に大きなインパクトをもたらした。同省の作物生産地図を一変させうる有望系統の登場は、農業農村開発局の作物開発に対する姿勢をも一変させ、新品種の大規模栽培に向けた種子増殖経費をすべて省予算で賄うなど、これまでにない積極投資が誘導され、有望系統の大規模面積による普及準備が着々と整い、先に述べた夏秋作期のイネ収量減要因打破のメリットを、省内の広域に波及させる道筋ができた。


4.結び

 植物科学分野において、これまで多くの顕著な基礎研究成果が日本で生まれ、農業や環境問題への応用が期待されてきた。実際、研究者自身も研究成果が社会に役立つと(うたってはみても、実社会に還元するプロセスまで移行したものは少ない。植物研究分野においては、 基礎研究と応用研究は乖離(かいりしている部分が多く、研究成果が直ぐに実社会に結びつくことはそう簡単ではなかった。

 本稿で紹介した2つのプロジェクトにおける私たちの活動は、これまでの植物の基礎的かつ基盤的研究成果をイネの育種という手法で、実社会に還元する試みであったともいえる。とくに、世界でもっとも重要な作物の1つであるイネにおいて、そのような研究成果が発展途上国における育種に応用され、良好な結果が見えつつあることは、日本で蓄積されてきたイネにおける科学的知見の意味と可能性を実証したともいえる。世界に目を向ければ、深刻な食料問題があり、この問題の軽減、すなわち“Feeding the World”に向けて、植物科学が有するポテンシャルは大きい。今後、さらに日本の植物科学の成果が、世界の食料問題や環境問題の解決の糸口になると信じたい。一方、基礎研究と応用研究を橋渡しする人材が少ないことも事実である。この分野の人材育成とそのキャリアパスの確保を期待したい。

 最後になるが、日本の科学技術を通した科学的根拠に基づく国際的な問題解決は、持続的でソフトな外交手段として有意義であることも指摘しておきたい。


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