南アメリカの島国、チリ

元駐チリ大使  村上秀德


 南アメリカに位置するチリの大地を最初に発見したヨーロッパ人は、ポルトガルのマゼランとされている。
 1519年8月にスペインを出港したマゼラン率いる船団は、翌20年10月21日に大西洋から太平洋へ抜ける海峡、マゼラン海峡を発見した。海峡に面したプンタ・アレーナスの町にはマゼランの像が建てられ、その郊外の公園博物館には彼が乗ってきた木造船Nao Victoriaが再建され、展示されている(写真1)。小学生のとき、図書館から借りた『マゼランの世界一周』を読んだ私は、約半世紀を経て、眼前にマゼラン海峡を見て、深い感慨を覚えた。

写真1 Nao Victoriaの実物大レプリカ
写真1 Nao Victoriaの実物大レプリカ

 前述の公園には、『種の起源』を書き、進化論を唱えたダーウィンを乗せたビーグル号も展示されている。彼は、マゼラン海峡を廻って、現在のチリの海岸線に沿って北上し、チリの地形、植物相、動物相の調査を行い、『ビーグル号航海記』に書き残している。

 チリの国土はご存じのとおり、南北に4300kmもあり、東にアンデス山脈でアルゼンチンと接し、西は太平洋、北は広大なアタカマ砂漠、そして南は南極に面し、大きな陸の孤島、実質的な島国の地形をしている。そのため、チリは植物相、動物相に他に見られない際立った特徴があり、ダーウィン以来、人々の学術的関心を惹いてきた。

 チリ政府の依頼を受けてチリ国内をくまなく調査したフランス人クラウディオ・ゲイ(Claudio Gay)も有名である。1830年から数年にわたり調査した結果は、”Historia Fisica y Politica de Chile”の1〜8巻にまとめられている。緻密で美しい挿絵は、見る者の目を驚かせる。

 日本からも、中央大学の西田治文教授の御父君が1980年代に2度ほど古植物についてアルゼンチンなどとともにチリを調査されている。ご子息である同教授もその御父君の後を継がれて、チリで古植物の化石の調査をされ、研究のフィールドは南極まで及んでいる。化石の比較から、南極とチリなど南アメリカ大陸が、つながっていたことを裏付けられている。

 南極といえば、先述したプンタ・アレーナスには、チリ南極研究所(INACHI)があり、同国政府は、その南極に対する有利な位置関係を活かして、南極観測の世界的共通インフラを標榜(ひょうぼうして、世界各国の南極研究機関と研究協力をしていて、日本の国立極地研究所(NIPR)とも、2013年7月に研究協力の覚書を取り交わしている。

 チリの自然に魅せられて前世紀初頭にチリに移り住んだのが、曾根末五郎氏である。同氏は東大農学部出身の農学博士で、チリ移住後、種苗や花の栽培、販売の事業を立ち上げる。その後を継いだ御子息の孝雄氏は、バルパライソ・カトリカ大学で教鞭もとったことのある方で、アタカマ砂漠などの希少な植物の探査、目録作成、保存に取り組まれている。造園の分野でも多くの仕事を残されており、最近では、国立ヴィニャ・デル・マール植物園での日本庭園の整備を指導され、同植物園と東京都の神代植物園との姉妹植物園協定の締結、協力関係の推進に尽力されている。昨年5月、神代植物園の温室が建て替えられ、新装オープンしたが、同温室には同氏の寄付なるチリのユリズイセンなどが植えられている。

 チリの北部、ペルーとボリビアの国境には、アタカマ砂漠が広がっているが、この砂漠は世界でもっとも乾燥し、晴天率が高いため、世界から天文学者が集まり、天体観測の基地が造られている。なかでも、アメリカ、EU、日本が中心となって推進しているアルマ(ALMA:Atacama Large Millimeter/submillimeter Array)望遠鏡プロジェクトは、66台の電波望遠鏡からなる巨大観測装置であり、日本の国立天文台が参加している。日本も16台の電波望遠鏡、受信装置などを担当し、その技術の高さは、世界から高く評価されている。標高5000mに位置する現地観測棟には、富士通のスーパーコンピュータが設置されている。2013年3月の開所式では、チーフ・サイエンティストとして、国立天文台の川邊良平教授が講演をされ、日本人として大いに誇らしく思ったところである(写真2)。

写真2 ALMAの開所式
(左から2人目と3人目がピニェラ大統領夫妻、右端が筆者)
ALMAの開所式(左から2人目と3人目がピニェラ大統領夫妻、右端が筆者)

 アタカマの夜空は、言葉で表現できないくらい美しく、国立天文台の前ALMA推進室長をされていた立松健一氏が、私たち開所式出席者の星空のガイドをしてくださったことは誠に貴重な経験であった。

 アタカマでは、東京大学も標高5600mのシャナントール山頂に、世界最高地での赤外線望遠鏡を設置するTAO(The University of Tokyo Atacama Observatory)計画を進めている。

 南太平洋のナスカ・プレートと南アメリカ大陸プレートの衝突によって誕生したアンデス山脈をアルゼンチンとの長い国境線として有するチリは、造山運動により産生されてきた地下資源、とくに銅の資源に恵まれ、世界一の埋蔵量、生産量を誇る。日本も多額の投資をしていて、人口1700万人と比較的に小さな国ながら、毎年、大手商社の社長が訪問している。

 火山国である日本も銅が昔から豊富で、日本の産業化に大きな役割を果たしたのは周知のことであるが、そこで培われた銅山技術は、鉱山関連会社によって引き継がれ、学会とともに世界の非鉄金属の技術発展に貢献している。チリは、日本の銅関連技術には不可欠といえるフィールドになっている(写真3)。

写真3 日本企業100%出資のカセロネス銅鉱山の開山式におけるテープカット
(左から7人目の中央が安倍総理、5人目が筆者)
日本企業100%出資のカセロネス銅鉱山の開山式におけるテープカット

 プレートが衝突して形成された台地からなるチリは、当然に地震が多くて津波にも、しばしば襲われる国である。先述したダーウィンはビーグル号でチリを訪問中、コンセプシオンやバルパライソで地震を経験している。地震、津波の分野での日本との協力関係も、特筆すべきものである。地震・津波観測網の整備、津波被害予測地図の作成、津波に強いコミュニティの構築など、ハード、ソフトにわたる協力をしている。ダーウィンが経験した地震は含まれていなかったが、チリから参画しているある研究者は、日本の古文書の地震、津波の記述とチリにおける地層の調査結果を突き合わせ、日本とチリの間の相互の津波の到達を跡付けていた。

 2013年5月には、マウイ島の石で造られた大きなモアイ像が南三陸町に贈られるなど、住民レベルでの交流も盛んである。一昨年、日本とチリが共同提案国となって「世界津波の日」が国連で制定されたのは、象徴的である。

 チリと日本は本年、国交120周年を迎えるが、同じ環太平洋火山帯に位置し、太平洋を隔てた隣国である両国は、切っても切れない強い縁で結ばれていると実感する。

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