地球の水循環と世界の水資源の展望
1.はじめに 2015年9月9日に本州に上陸し、日本海へと通過した台風18号ならびに日本列島の東側から接近した台風17号に挟まれるかのようにして形成された、南北に伸びた幅100〜200kmの降雨帯により、同月8日から10日にかけて、栃木・茨城両県の鬼怒川流域内を中心に、異常な降雨が続いた。10日午前6時過ぎに、常総市若宮戸にて越水による浸水被害が生じ、同日12時50分ごろには利根川との合流点から約21km上流の常総市三坂町の鬼怒川左岸堤防が約200mにわたり決壊した。この結果、同市では最大時には約40km2にも上る地域が浸水し、合わせて約1万人に避難指示と避難勧告が発令され、約6500戸が家屋被害を受け、4300人以上がヘリコプターやボートで救助されるといった甚大な被害が発生した(芳村ら、2016)。 世界でも、2016年1月には前年に引き続きイギリスが2年連続で未曾有の大洪水にみまわれたり、アメリカのミシシッピ川で季節はずれの大洪水被害が生じたりした。久しぶりの大規模なエルニーニョや人口の増大や災害に対して脆弱な地域への居住の増加などが、これらの主要因だとしても、地球規模の水循環が変化しつつあるのではないかという印象はぬぐえない。 洪水ばかりではない。大量の難民を生み、イスラム国を名乗るテロ組織の台頭をまねいたシリアの政情不安や内戦も、持続的ではない水利用と地下水の枯渇に加えて、2006年末から3年以上に及んだ干ばつによる食料難が、大規模な都市への人口流入をまねいたことが要因であるという研究結果も発表されている(Kelleyら、2015)。また、オーストラリアでは今世紀に入って以来、度重なる干ばつを経験し、06年以降の数年にも及んだ干ばつはコムギの世界価格を押し上げる契機となった。日本でも、その影響で小麦粉や醤油をはじめとする広範な食品価格が高騰した。オーストラリア農業自体も、相対的に大量の水を必要とするイネや牧草の灌漑栽培を実質的に停止させるなど、その構造の大変革を余儀なくされた。アメリカ西海岸のカリフォルニア州でも、15年に3年目を迎えた干ばつが深刻な影響を及ぼしはじめ、コムギ、ナッツ、果実などの価格が上昇した。 2.水の惑星である地球と世界の水利用 水の惑星と呼ばれる地球だが、海や氷床、地下水として地球の表面付近に存在する水は、地球全体の重さの約0.02%、5000分の1にすぎない。地殻やマントルにも水が大量に含まれていて、それらの流動を助けていると推定されているが、いったいどれ程の水が含まれているのかは、未だ明らかにはなっていない(廣瀬、2015)。 図1 地球の水循環
図1のように、地球表面を覆う海の水は蒸発して水蒸気になり、凝結して雲となり、雪や雨として地上に降り注ぎ、再び蒸発したり地中に浸み込んで川となったりして、いずれは海に戻るといった水循環を構成している(Oki and Kanae, 2006)。たとえ地球全体に比べると量としてはわずかでも、すべての生き物が生存する地球の表面付近には豊富に存在し、循環し、数千年、数万年といった時間スケールではその総量は変化せず、けっして増えも減りもしないのが地球の水である。 それなのに、なぜ今、世界では水が問題になっているのであろうか。 たとえば、世界保健機関(WHO)と国連児童基金(UNICEF)による共同モニタリング計画(JMP)の2015年版報告書によれば、汚染されないように改善された水源からの飲用水を使用できない人々が世界には6億6300万人もいて、その約4分の1に相当する1億5900万人は川や湖などの表流水を衛生上の処理のないままに、直接に飲んでいる。また、世界の乳幼児(5歳未満)死亡数は年間590万人に及ぶが、そのうち、34万人が劣悪な衛生環境や安全ではない飲み水に関連した下痢によるものである。 3.人口増加と食料 国連が2015年に発表した世界人口の過去から将来への推計値を図2に示す。2016年には約74億人だが、2050年までには中位推計でも97億人を突破し、今世紀末までには112億人を上回るものと想定されている。果たして、これだけの人口を支えるに足る食料を、世界は供給できるのであろうか。 図2 世界人口の推移と将来推計
未来を知るには、まず過去の様相を十分に認識することから始めるのが常道である。 図3は1961年の値を1として、近年までの世界の穀物生産量などの推移を国連食糧農業機関(FAO)のデータベース(FAOSTAT)に基づき示したものである(沖、2016)。この間に人口は2.4倍近くになったが、農地面積は1990年代までに約10%増加しただけで、その後は横ばいどころかむしろ減少傾向にある。しかし、単位面積当たり収量(単収)が人口の増加を上回る2.9倍近くとなり、主要穀物の生産量は3倍以上に増え、結果として肉類や油脂なども含めた1人当たりのカロリーベースの食料供給量も世界平均では1.3倍程度に増大している。 図3 世界の穀物生産とその諸要因の推移
これは、「緑の革命」に象徴される多収量品種の開発と普及、施肥量の増大、そして灌漑施設を備えた農地面積の増加などがもたらしたものである。FAOの推定によると、2014〜2016年に約8億人が慢性的な栄養不足に苦しんでいるとされるが、それは世界的に食料が不足しているからではなく、貧困や社会構造が原因で食料を入手できない人々が存在するからである。 しかし、そのような食料供給量の増大の代償として、人類の水使用量は増え続け、1900年には16.5億人の人口で年間600km3にも満たなかった全世界の水資源取水量は、人口が約3.7倍に増加して約60億人となった2000年には約4000km3と6.7倍にも増えている。この増加には工業用水使用量の増大の寄与も含まれ、世界人口が80億人前後になると見込まれる2025年には年間5000km3を超えるという推計もある。 それでも全陸地を合わせると年間4万km3以上と推計される最大限利用可能な水資源量(水資源賦存量=河川流量、図1では4万5500km3/年)に比べると、人間が利用している量はごく一部であり、たとえ世界人口が100億人に増加しても全世界の水資源取水量はせいぜい6000 〜8000km3/年程度と見込まれ、十分な水資源があるように一見考えられる。 4.なぜ、水が足りなくなるのか それなのに水が足りなくなるのは、利用可能な水資源の分布が季節的にも地理的にも偏っているからである(沖、2012)。 季節的な偏りに関しては「利用可能な水資源量が多い時期に貯留して、足りない時期に使用すれば解消するではないか」、地理的な偏りに関しては「水資源量が多い地域から、少ない地域に輸送すれば解消するではないか」と、思われるかもしれない。 しかし問題は、「水が非常に安価である」という点にある。図4に示すとおり、日本における重量1t当たりの価格は上水道で約170円弱、工業用水で20数円、農業用水は従量課金ではないのが通常であるが利用量と負担金から算定すると3〜4円程度となる。古新聞や古雑誌が1kgで約10円なら1t当たり約1万円、鉄くず(スクラップ)が2万〜3万円程度であるのに比べると、たとえリサイクルされるとはいえ、いわば「ゴミ」である故紙や鉄くずの約100分の1の価格で安全な飲み水が供給されているのである(水の知、2012)。 図4 日本における諸財の重量単価と市場規模(概算)
もちろん、ペットボトルなどに詰められた水は水道水の約1000倍、1t当たり10万〜30万円であり、「ゴミ」よりは高いが、そのようなものは水というよりは甘くないジュース、カフェインの入っていないコーヒー、あるいは味のないお茶、すなわち清涼飲料だと考えるべきである。 水道水などが安いのは悪いことではないが、貯留や輸送のコストが相対的に高くついてしまうのが問題となる。たとえば、東京から大阪に物資をトラック輸送するには1t当たり1万円弱を要する。ボトルウォーターならば数パーセントのコストの上乗せで済むが、水道水であれば原価には関係なく輸送費が運搬後の水の価格を決めることになる。流体を低コストで輸送できるのがパイプラインであり、同様に重量当たりでは安価な資源である天然ガスや原油と同様、水もパイプラインを敷設して輸送するしかコストを削減する方法はない。 水道専用としては大規模な小河内ダムによって造られた奥多摩湖には、約1億8500万m3の水が貯められるが、満杯の水の価値は水道料金に換算しても300億円あまりにすぎない。これに対し、金の比重が約19で1gが5000円だと想定すると、1m3で約1000億円近くの価値がある。生態系に多少なりとも影響を与え、大規模なダムを造っても、溜められる水の価値は1m3の金の3分の1なのである。 このように、水資源を安定して利用するために、効率よく輸送したり貯留したりするには、大規模なインフラ整備のための初期投資が必要となる。逆にいうと、慢性的な水不足に悩む世界の地域は、雨が少なく乾燥しているから水が足りないのではなく、必要な水質の水を必要な量だけ安定して供給する社会基盤(インフラ)施設が整っていないのである。 5.気候変動と水 人為起源の温室効果ガス排出などに伴う気候変動の水循環への影響として、以下では私が統括執筆責任者を務めたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第2作業部会の第5次評価報告書(AR5)第3章「淡水資源」などからの主要な論点を紹介したい。 まず、温室効果ガス濃度が増大するにつれて、淡水資源関連の気候変動リスクは有意に増加する。気候変動で全球平均気温が1℃上昇するごとに、全人口の約7%が再生可能な淡水資源の少なくとも20%減少にみまわれる。洪水は南・東南アジア、熱帯アフリカ、北東ユーラシア、そして南アメリカで増加し、北・東ヨーロッパ、中央アジア、北アメリカ中央部そして南アメリカ南部で減少する。特段の温室効果ガス排出削減努力をしない将来シナリオ(RCP8.5)の場合、100年に1度の洪水のリスクにさらされる世界人口は、(人口増の影響を考慮せずに、洪水頻度の増大だけを考えても)今世紀末ごろには現状の約3倍の7500万人にも上ると推計されている。 一方、同じくRCP8.5によれば、ほとんどの乾燥した亜熱帯地域の再生可能な淡水資源は、表流水、地下水ともに気候変動によって有意に減少する。そのため、21世紀終わりまでに、寡雨による気象学的干ばつや、土壌水分減少(乾燥)を意味する農業的干ばつの頻度が増える可能性が高く、短期的な水文学的干ばつ(表流水や地下水の不足)の頻度も増加する可能性が高い。その結果、農業用水、生態系環境用水、家庭用水、工業用水、そしてエネルギー生産用の水といった分野間での競合が激化し、地域の水・エネルギー・食料の安全保障に影響が及ぶ。ただし、過去数十年において、水需要の増大に伴って干ばつの影響は増大したが、干ばつの頻度が有意に変化したという科学的な証拠はない。 6.気候変動と食料生産 人為起源の気候変動が農業的干ばつや洪水の頻度を増大させるとすれば、世界の食料生産に及ぼす悪影響も懸念される。しかし、気温や降水量の平均的な状態が変化するならば、より高温や乾燥に強い品種に変更したり、作付時期を前後させて開花時期に適温になるようにしたり、熱帯低気圧が来る時期よりも前に収穫できるように作付時期を早めたり、そもそもコメではなく乾燥に強いオリーブを栽培したり、といったように、農業従事者は新たな気候に適応して、気候変動の悪影響を最小限にしようと努力するだろう。人為起源の気候変動を特段に認知・意識せずとも、変動する気候に対して行われるこうした対策は自律的な適応(autonomous adaptation)と呼ばれる。 IPCC/AR5では、そうした適応をした場合でも、気温が2℃以上高くなると、熱帯域でコムギの単収が激減するという研究結果の取りまとめが示されている。熱帯域ではトウモロコシに関しても、適応の有無に関わらず4〜5℃の気温上昇によって、20%程度の単収減少が見込まれている。コメに関しては、適応がなされなくても、あまり気温上昇の影響を受けず、適応をすれば、むしろ気温上昇に伴って単収増加が見込まれている。これは、コメが温暖湿潤気候に適しているのに対し、コムギは冬の低温を必要とする作物であることが影響している。 一方、温帯では、コムギ、トウモロコシ、コメのいずれに関しても、適応がなされなければ、4〜5℃の気温上昇によって、10%程度の単収減少が見込まれている。トウモロコシに関しては、適応をすれば、気温が上昇しても単収がほとんど変化しないか、むしろ10%程度の増加があるという研究結果が示されている。コメに関しては研究例が少ないながらも、4℃程度の気温上昇では単収がやはり10%程度増加するという結果が示されている。 以上のように、品種の選択や作付時期の変更、さらにはコムギやトウモロコシの栽培に気候条件的に適さなくなった地域における、他の作物への転換などの適応が広く普及するならば、長期的には世界の農業生産はあまり深刻な影響を受けずに済むと期待できる。 一方で、図3の穀物生産量が右肩上がりながら年によって上下しているのは、主に干ばつや洪水、あるいは冷害など、気候の年々変動による影響である。長期的傾向としては上昇しているので、ある年に下がっても、総生産量が前年を大きく割り込むことはない。それでも数%減少している年もあり、在庫や投機資金の状況次第では価格が高騰するおそれがある。すなわち、食料安全保障にとっては、気候の長期的な変化よりも、そうした年々の変動の方が、一時的な不作と価格高騰をまねく可能性があり、むしろ注視して事前の対策を取っておくべき対象である。とくに、たとえばフランスを中心とするEUとアメリカなど、世界にコムギを輸出している複数の地域において、同時多発的に不作になるような気象条件の発現がもっとも懸念される。 7.おわりに 現在、「日本は、水に恵まれた国である」と一般的に考えられているのも、貯留したり移動させたりして、水の時間的、空間的な偏在を平準化する貯水施設や水路、取水施設、さらには安全な水を届ける浄水施設、給水施設が長年にわたる投資の末に、おおむね整備された結果に他ならない。 日本の降水量は世界平均の約2倍であり、しかも、夏も冬もそれなりに雨や雪が降るという点では確かに恵まれているが、人口密度も高いため、1人当たりの水資源量では世界平均の年間約8000m3の半分以下の約3200m3にすぎない。とくに、関東臨海部では約250m3で慢性的な水不足に悩む北京市の約120〜130m3の2倍程度の値にすぎない。それなのに日常生活において、なぜ水で困らないかというと、関東臨海部の場合には、多摩川の水に加えて利根川上流部に貯水池群を設け、河口には堰も設置して、最大限利用可能な水資源を周囲から「かき集める仕組」を築いたからなのである。 すでに慢性的な水不足で困っている途上国の都市では、人口増加や経済発展に伴って増大する水需要を満たすように水資源開発を進めざるを得ないであろうが、地域で供給可能な水や食料、安全な土地面積などに応じた「環境容量」に適合できる人口規模に抑えるという施策も検討の価値がある。 また、水利用の大半は食料生産に使用され、コムギやトウモロコシなどの生産にはその可食部の重量の1000〜2000倍程度の水が必要で、肉類ではさらに5000〜2万倍もの水を使って生産した飼料が必要であるとされている。そのため、原油や天然ガスは豊富であっても、水が足りないような中東諸国では、水を輸入して自国農業によって食料生産をするよりは、水が利用可能な地域で生産された食料を輸送するほうが運搬重量は1000分の1、1万分の1で済むので、はるかに合理的である。この場合、水が豊富な他の地域で生産された食料を輸入すれば、その分の水供給は不要になり、食料の輸入はあたかも水を輸入しているようなものだ、という見方から、仮想水貿易(ヴァーチャル・ウォーター・トレード)とも呼ばれる。 日本はカロリーベースの食料自給率が約40%と食料生産を海外に頼っているからこそ、海外での干ばつや洪水といった水災害が、食料の国際価格の上昇を通じて、直ちに影響を持ち得る。したがって、人口が増大し、経済が発展して食料需要が増加している国や地域を、日本が水供給や農業生産の技術などの側面から支援して、できるだけ安定して食料を自給できるようにする施策は、わが国にとっても大きな便益が期待できる。 水資源開発や農業開発の支援といった途上国援助は気候変動への適応策としても有効であり、自然災害リスクマネジメントや持続可能な開発との相乗効果を図りつつ、着実に実行していくことが、日本にとっても世界にとっても得策であろう。
<参考文献> 沖 大幹、2012:『水危機 ほんとうの話』、新潮社、p. 334。 沖 大幹、2016:『水の未来 ──グローバルリスクと日本』、岩波新書。 廣瀬敬、2015:『できたての地球』岩波書店、p. 128。 「水の知」(サントリー)総括寄付講座編、沖大幹(監修)、村上道夫、田中幸夫、中村晋一郎、前川美湖(著)、2012:『水の日本地図─水が映す人と自然─』、朝日新聞出版、p. 112。 芳村 圭、中村晋一郎、鳩野美佐子、向田清峻、石塚悠太、内海信幸、木口雅司、金炯俊、乃田啓吾、牧野達哉、鼎信次郎、沖大幹、2016:平成27年9月関東・東北豪雨による茨城県常総市における鬼怒川洪水に関する調査及び考察、土木学会論文集B1(水工学)、71(4)(水工学論文集、第60巻)。 Kelley, C. P., S. Mohtadi, M. A. Cane, R. Seager, and Y. Kushnir, 2015: Climate change in the Fertile Crescent and implications of the recent Syrian drought, Proc. Nat. Acad. Sci., 112(11), 3241-3246. Maggie Black, Jannet King (著)、沖 大幹(監訳)、沖 明(訳)、2010:『水の世界地図 第2版─刻々と変化する水と世界の問題』、丸善、p. 128。 Oki, T. and S. Kanae, 2006: Global Hydrological Cycles and World Water Resources, Science, Vol. 313, Issue 5790, 1068-1072. |