ティグリス・ユーフラテス川を巡る
国家間水紛争と水資源管理の課題

独立行政法人 国際協力機構(JICA)
ネパール事務所 調査役 田中幸夫

1.はじめに

 世界は、人口増加と生活水準の向上により食料需要は増加傾向にあるにもかかわらず、農地面積の増加は頭打ちの状態にある。一般に、降水依存の天水農地に灌漑(かんがい)を導入すれば、生産性の改善は倍から数倍に及ぶとされているので、こうした需要増加に対応するためには灌漑農地の増加、ひいては農地への水の投入が不可欠である。

 他方で、水は有限な資源でもあるので、人類は水を得るために不断の努力を重ね、時には争うことさえ(いと)わなかった。比較的水資源が豊富な我が国も、用水確保のための土地改良事業や、限られた水を共有するための水利慣行形成、そして集落間での水論などが行われ、決して例外ではなかった。(ひるがえ)って現代、ダムなどの大規模水資源開発が可能となり、水需要は高まる一方で、水管理の重要性が(うた)われるようになって久しい。昨年9月に採択された持続可能な開発指標(SDGs)において、それまでのミレニアム開発目標にはなかった統合的水資源管理(IWRM)の実践や水利用効率の改善といった項目が盛り込まれていることからも、それは読み取れよう。

 国際河川を巡る水争いが国家間の紛争になり得ることはいうまでもないが、そもそも地球の陸地の大半は国際河川流域によって占められ、「世界的な水資源管理≒国際河川管理問題」ともいえる。国連などによる越境流域評価プログラム(TWAP)によると、世界には国際河川流域が286あり、それらの合計面積は全陸地面積の42%、合計人口は世界人口の42%を占める。そして、流域国間が河川水配分を巡って争っている場合も少なくない。

 国際河川管理に関する国際的枠組みは、1966年に国際法協会(ILA)が採択した「ヘルシンキ原則」に始まり、97年には国連により「国際水路の非航行的目的利用に関する条約」が採択されている(余談ながら、採択から17年も経た2014年に発効)。これらの枠組みでは「衡平な水利用」(Equitable Utilization of the Waters of an International Drainage Basin)が義務付けられているが、何を以て「衡平」とするかの定義は容易ではなく、しばしば国際河川紛争の争点となっている。

 本稿では、国際河川紛争をティグリス・ユーフラテス川を事例として紹介する。同流域における農業用水管理の実態と分析結果についても触れ、水資源管理上の課題について考察する。


2.ティグリス・ユーフラテス川流域の概要と水紛争の経緯

(1)ティグリス・ユーフラテス川流域の概要

 本河川は、名称が示す通り基本的には2本の分離した流れであり、最流末の190km分の区間だけが合流してシャット・アル・アラブ川(「アラブの海岸」の意)を形成し、ペルシャ湾に注ぐ(図1)。しかし、両河川は社会経済・水利用において強く結びつき、一般的には一つの流域として扱われる。

図1 ティグリス・ユーフラテス川流域
図1 ティグリス・ユーフラテス川流域

 流域での水利用には長い歴史があり、とくに両河川の下流部に囲まれた部分(メソポタミア)は「肥沃な三日月地帯」とも呼ばれ、人類の灌漑の起源として知られている。メソポタミアの主要作物はコムギとオオムギで、現在も大きくは変わらない。一方、近年は上流域でも灌漑農地開発が進められ、そこでは伝統的な穀物栽培に加え、綿花などの換金作物の大規模栽培が展開されている。

 下流ほど乾燥した気候が卓越するため(年間降水量は上流部で1000mm前後、下流部では200mm以下)、取水された灌漑用水は圃場と水路で大量に蒸発する。このため、耕作期は両河川とも下流ほど流量が減少する傾向にある。とくにユーフラテス川はシリアとイラクにおける支川流入がほとんどなく、減少度合いが著しい。一方、灌漑過程で河川水の塩類が濃縮され、その一部が本流に還元されるため、両河川の塩分濃度は下流ほど上昇する傾向にあり、イラク南部などでは量的には水が確保できても、水質的に飲用や灌漑に利用不可能という事態が生じている(Gregoら、2004)。

 両河川、とくにユーフラテス川が源流域のトルコへ極端に依存していて(表1)、これが後述の水紛争に色濃い影響を与えている。

表1 ティグリス・ユーフラテス川流域に占める流域国の割合
表1	ティグリス・ユーフラテス川流域に占める流域国の割合
出所:Altinbilek, 2004; Kliot, 1994


(2)本格的水紛争の要因が生じるまで(〜1971年)

 メソポタミア文明の起源である両河川の水争いは紀元前にもみられたが、近代の水紛争は1918年のオスマン帝国崩壊により、国内河川であったものが国際河川化したことに端を発する。
 しかし、当時の水利用はイラクがほぼ独占し、トルコとシリアの利用量は極端に少ないもので、水争いは暫くは顕在化しなかった。60年代以降、流域国がダム建設を中心とする本格的な水資源開発計画を始め、水争いは深刻化してゆく。64年、トルコによるケバン・ダム(ユーフラテス川上流に位置し貯水量300億m3)ならびにシリアによるタブカ・ダム(同じく貯水量116億m3)の建設へ向けた両国協議が行われた。トルコは当初、貯水期間中の下流国への流量の融通に難色を示したが、ダム建設の援助機関である米国国際開発庁(USAID)からの圧力もあり、シリアへの350m3/秒(年間約110億m3)の流量を確保することに合意した。
 続く65年のユーフラテス川の水利用を巡る三か国協議で、イラクは年間180億m3、シリアは同130億m3、トルコは同140億m3の水利用を主張し、これらの合計は当時のユーフラテス川の自然流量である年間290億〜340億m3を大幅に超えていた。協議の度に、流域三か国による合同専門委員会の設立が検討されたが、その役割と権限に関する合意には至らなかった。

(3)流域水資源開発の全盛期(1972〜1986年)

 流域国間の対話は、両ダムの完成を目前に控え頻度を増していく。1972年10月には流域三か国による合同専門委員会の設立合意が締結された。翌73年には同委員会による両ダムサイトの視察が行われ、流域国間による情報共有が決定されたが、明確な取水量を規定する合意には至らなかった。

 73年にはタブカ・ダムが、翌74年にはケバン・ダムが完成し、貯水を開始し、イラクに流入するユーフラテス川の流量は通常の3分の1以下へと激減した。イラクは早急な事態改善を訴えたが、シリアはこれに応じず、一時は共に国境近くまで軍隊を動員し、あわや一触即発という事態となった。最終的には、ソ連とサウジアラビアの仲介で、シリアが流量の40%をイラクに回すことに合意し、危機は回避された。

 77年、トルコは南東部アナトリア開発計画(以降、トルコ語略称「GAP」)と呼ばれる総合開発計画を打ち出す。トルコ南東部に位置する8県は国内他地域よりも経済発展が大きく遅れ、またトルコからの分離独立を求めるクルド人人口が多いため政治的にも不安定状態が続いていた。GAPはこれらの県を対象に、電力開発と灌漑開発を行い、経済発展と地域安定化を促すことを目的としている。その内容は21のダムと17の発電施設の建設、ならびに160万haの灌漑農地の造成という壮大なもので、事業規模は210億ドルに及ぶとされていた。同国は当初、この資金を世銀融資に頼ろうとしたが、世銀は融資条件として両河川の流域国間水利用合意の締結を要求したため、自国予算に頼らざるを得なくなり、後に計画実施を大幅に遅らせる要因となった。

 同年、早速GAPの枠組下で初の大規模プロジェクトとなるカラカヤ・ダムの建設が始まったが、イラクはトルコへの石油輸出停止と3億ドル以上あった債務の即時返済要求という報復措置を取り、結果として同ダムの湛水期間中もユーフラテス川の流量を500m3/秒以上に維持するという妥協を引き出すことに成功した。

 1980年に入ると、両国間で合同経済委員会の設立が締結され、これに伴い二国間の常設合同専門委員会が設立されることになった。83年、シリアがこれに参加し、三か国による常設委員会が実現した。しかし、ここでの話し合いは、データ観測や今後の水資源開発の実行可能性などの技術的内容に限定され、三か国間での取水量の設定といった政治的内容に立ち入ることは一切なかった。一方、トルコは流域内最大規模となるアタチュルク・ダム(貯水量490億m3)の建設を進めていった。

(4)交渉の膠着期(1987年〜)

 アタチュルク・ダムの建設が着々と進行していた1987年、トルコとシリアの間で結ばれた経済協定によって、トルコが同ダムの湛水期間中も下流(シリア)に対し500m3/秒の流量を守ることが約束された。これは第二次世界大戦以降、流域内で初めて締結された水利用に関する公式協定である。

 1990年1月、トルコが同ダムの貯水のために約4週にわたり川を堰き止め、ユーフラテス川の流量は125m3/秒まで急減した。これに対し、同年4月、シリアとイラクは協議を行い、シリアに流入するユーフラテス川の流量のうち42%を同国が利用し、残りの58%をイラクへ回すという協定に署名し、反トルコ体制を整えた。5月の三か国合同専門委員会において、イラクはトルコにユーフラテス川の流量を最低700m3/秒とすることを要求したが、トルコは自国内水資源を自由に利用する権利(絶対的領域主権)を主張し、議論は折り合わなかった。そうしたなか、89年から90年にかけて、流域全体は大規模渇水にみまわれたこともあり、一時的ながらユーフラテス川が断流され、下流国に甚大な影響を与えた。この年、イラクは6万5000haの灌漑農地の放棄を強いられ、収穫量の15%を失った。

 2001年に、トルコのGAP地域開発局とシリアの土地開発総局とで、水利用および灌漑農業技術者の相互研修の協定が結ばれるなど、友好ムードは高まっていった。しかし、2000年代以降、両河川流域を含む一帯は慢性的渇水に悩まされ、流域国間の協調は水をさされた。他方、記録的渇水となった09年には、ユーフラテス川のイラクへの流量が60m3/秒まで低下したが、イラクが多様なチャンネルを通じてトルコに流量増加を訴えた結果、トルコ外務省も協力姿勢を示し、その2か月後には流量が430m3/秒まで増えるなど、双方に歩み寄りもあった。12年には再度イラクへの流入量は減少し、同国の貿易省大臣がトルコに対し河川流量を増加しなければトルコとの貿易を一切停止すると脅すなど、流域国間の協調は一進一退を繰り返している。また、これまでティグリス川の利用に関与してこなかったイランが支流のディヤラ川上流で大規模ダム開発に着手し、イラク側が12年に非難声明を出すなど、流域の水利用情勢は先行き不透明な状況が続いている。


3.ティグリス・ユーフラテス川流域の農業用水利用の実態

 両河川を巡る国家レベルでの動向を記述した文献は数多いが、水利用の実態に迫るものは少ない。著者は、2010年8月にトルコ東部ハラン平原における農業用水利用の実態調査を行った。平原はトルコ−シリア国境付近に位置し、ユーフラテス川本流に建設された巨大なアタチュルク・ダムからの取水により、約10万haの農地が灌漑されている。灌漑施設の開発は1980年代にGAPの枠組み下で進められ、90年ごろからコムギや綿花などを主要作物とする灌漑農業が行われている。農地区画は3〜5ha程で、合間を縫うようにコンクリート・ライニングされた用水路が水を湛えて走っている。

 現地調査で、まず目に留まるのは水路の破損部分から滝のように流れ落ちる漏水で、池のようになっている。人々は、それを気に留めようともしない。

写真1 老朽化して崩れ落ちた開水路(ハラン平原:トルコ)
写真1 	老朽化して崩れ落ちた開水路(ハラン平原:トルコ)

 次に、水田と見まがうような水浸しの圃場に出くわす。圃場の均平が不十分で、隅々まで水が行き届かず、それを補うように取水を続けた結果、相当な部分が池のようになってしまっている。当然、排水施設も十分に機能していない。

写真2 水田のごとく水浸しになった綿花畑(ハラン平原:トルコ)
写真2 	水田のごとく水浸しになった綿花畑(ハラン平原:トルコ)

 過剰灌漑を続けると地下水位が上昇し、毛管現象によって土壌中の塩類が表面に析出する塩類集積(塩害)が発生する。現に、平原の低地部には地下水位上昇で湿地のようになった一帯が見られ、周辺の乾いた土壌には塩類が白く析出していた。すでに耕作放棄されて、多大な投資を要した灌漑農地は20年を待たずして、開発前よりも悪化した不毛の地と成り果てた。また、降水量が少なく大気が乾燥しているため、こうして地表に堪った水の大部分が蒸発してしまう。

 最下流国のイラクは、治安問題から現地調査が困難である。しかし、国土の大半が年間降水量200mmに満たず、水資源の大半を両河川を中心とした流入河川に依存しているため、水消費量は河川流量の収支(流入量と流出量の差)によって推定できる。

 筆者が1980年代から90年代の流量データを用いてイラク国内の水収支を推定したところ、驚くべきことにイラクに流入した河川水の約7割が同国内で消費されていた。これらの水消費は農地における蒸発散によるものと推定される(生活用水などの水利用は、利用後に国内で循環して最終的に河川に流出し、水消費には結びつかない)。また、各年の農地総蒸発散量を作付面積(衛星リモートセンシングにより推定)により除した値、すなわち農地における蒸発散量は少ない年で3400mm/年、多い年は2万200mm/年に及び、平均8690mm/年であった(表2)。単位面積からの蒸発散量が可能蒸発散量を超えることは、当然に物理的に不可能である。イラクにおける可能蒸発散量は約1800mm/年であるため、上述の値は実際の作付農地以外からも大量の蒸発散(=用水損失)が発生していることを示唆している。

表2 農地総蒸発散量と作付面積などの比較(1981〜99年平均)
表2 農地総蒸発散量と作付面積などの比較(1981〜99年平均)

 分析結果より考察されるのは、同国内においてもトルコ同様、不適切な灌漑管理で大量の水が蒸発により失われ、農地の塩類集積も急速に進んでいるであろうことである。分析は入手可能なデータの制約により2000年以前の期間であったが、03年のフセイン政権崩壊後、灌漑施設を含むイラク国土の荒廃は進み、水消費の状況もさらに悪化していよう。


4.おわりに

 以上、国際河川を巡る国家間水紛争をティグリス・ユーフラテス川を事例に概観してきた。流域国であるトルコ・シリア・イラクは過去半世紀近くにわたり、自国への河川流量配分を確保するために、時には相手国を非難し、時には協力してきた。その状況はまさに一進一退であり、流域国間に協調の兆し(合同委員会設立など)が見えると、それを(あざ)笑うかのように上流国はダムで貯水し、協調の萌芽が摘み取られる。

 河川利用という観点のみからは、上流国は下流国に対して圧倒的に有利な立場にある(下流国は上流国の横暴な取水に為す術を持たない)。しかし、上流国であるトルコが下流国にある程度の譲歩を行うのは、流域国間には水資源以外の多様な外交的イシュー(安全保障、経済協力、民族問題など)が存在し、水資源においてトルコがあまりの暴挙に走れば、他のイシューにおいて下流国からの報復を受ける恐れがあるためである。ことに両河川の流域国間には、クルド人問題という三国共通のイシューが存在し、これが水資源紛争にも少なからぬ影響を及ぼしてきた(田中ら、2010)。また、時の政権が国民の目を内政の失敗から逸らせるためのスケープゴートとして必要以上に上流国を非難することも、国際河川紛争においてはまま見られる。このような水以外の諸要因が複合的に絡み合い、それらが均衡した先に国際河川紛争の帰着点はあるといえる。

 他方、上述の国際河川紛争においては、各国の流量配分にのみ注目が集まり、その内訳(何に、どの程度水が使われるか)が争点となることは少ない。本稿で紹介したとおり、両河川流域は日本よりも水資源が乏しいにもかかわらず、水管理は極めて粗放的である。流域各国において、新規水資源開発と並行して既存水利施設の維持管理が強化されたならば、単位水量当たりの農業生産性は十分に改善の余地があろう。しかし問題は、維持管理の強化は追加的コストを国家ないしは国民に強いることであり、それにより生じる余剰は他国ないしは他者を益するため、実践のインセンティブが生じにくい点である。このジレンマ解消のためには、国家ないしは国際機関などが強力なリーダーシップを発揮し、国家間協調の枠組みを構築していく必要があろう。

 Vossら(2013)のGRACE衛星を用いた解析によると、両河川流域を中心とした一帯では2003〜09年の間に91.3±10.9 km3もの地下水が失われた。これは両河川の年間総流出量に相当し、慢性的水不足のなか、流域内農家などが地下水ストックの大量揚水によって対処してきたことを示唆している。また、Kitohら(2008)の高解像度全球気候モデルの結果によると、ユーフラテス川の21世紀末にかけての流出量は29〜73%と大幅に減少することが予測されている。このように両河川における今後の水資源利用の先行きは決して明るいものではなく、流域各国は水紛争解決のための外交的努力に加え、根本的な水資源利用効率の改善が求められるであろう。


<引用文献>
Altinbilek, D. (2004). "Development and management of the Euphrates-Tigris basin." International Journal of Water Resources Development, 20(1): 15-33.
Kitoh, A., Yatagai, A. and Alpert, P. (2008). First super-high-resolution model projection tat the ancient "Fertile Crescent" will disappear in this century. Hydrological Research Letters, 2, 1-4
Kliot, N. (1994). Water Resources and Conflict in the Middle East. London: Routledge.
田中幸夫、中山幹康 (2010). “ティグリス・ユーフラテス川を巡る国家間紛争とその解決の可能性” 水文・水資源学会誌、23号2巻: 144-156.
Voss, K. A., Famiglietti, J. S., Lo, M., Linage, C., Rodell, M., and Swenson, S. C. (2013). Groundwater depletion in the Middle East from GRACE with implications for transboundary water management in the Tigris-Euphrates-Western Iran region. Water Resources Research, 49(2), 904-914.

<ウェブサイト>
Transboundary Waters Assessment Programme: http://twap-rivers.org

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