編集後記 国会議事堂の前がイモ畑―昭和20年(1945年)の終戦の前後の光景が数点の写真で確認できます。とりわけ終戦直後は餓死者も出るような、極端な食料難でしたから、だれも咎めることは、できなかったのでしょう。昭和30年代前半でも、山手線の外側へ15分程も電車に乗れば畑地が広がり、低地は水田だったそうです。やがて東京オリンピック、そして高度成長期という流れのなかで、地方都市でも農地は工場用地、商業施設、公共施設、住宅地へと転用され、アスファルトやコンクリートの下敷きになってゆきました。農村から第2次・第3次産業に職を求め、大量の人口が都市へ流出してゆきました。 こうした現象は日本にかぎったことではなく、アジアやアフリカをはじめ各地域の途上国で、都市人口が膨張しています。世界人口の半分以上は、すでに都市人口が占めています。都市に暮す大半の人々にとって、食料は商品であって、それがどこで、どのように生産されたかなどは、思いを馳せることもないでしょう。しかし、「太陽と水と土があってこそ、農業生産が成り立ち、人類は生きてゆける」ことを、忘れないでもらいたいものです。 太陽はさておき、「水と土は人類を生かし、人類が、その水と土を適切に管理できなければ、人口は維持できなく、人は貧困のなかに生きるか、それすら叶わず大地から消えてゆくであろう」と述べたのは、1年半をかけて南欧、北アフリカ、さらに黄河流域まで「土壌と文明の興亡」を調査した、アメリカの林学者・ローダーミルク(Lowdermilk, W.C.)です。
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