ペルー、インカ文明の経済基盤となった
神秘のアンデネス(段々畑)

農林水産省九州農政局             
北部九州土地改良調査管理事務所 所長 馬場範雪

1.はじめに

 筆者がAndenes(アンデネス)という言葉に、初めて出会ったのは、2011年7月に国際協力機構(JICA)専門家として、ペルー農業省に赴任して、間もないころであった。アンデネスとは、ペルーやボリビアなどのアンデス山岳地帯に広く分布する段々畑のことである。山岳地帯の渓谷一面にアンデネスが広がる一枚の写真を、農業省の担当者より見せられた時、その景観に圧倒された。このアンデネスについて、広く関心を持っていただきたく、筆者の調査をここに報告したい。

2.アンデネス形成の歴史的背景

(1)アンデネスの起源

 ペルーでのアンデネスの起源は、15世紀に栄えたインカ帝国のはるか以前の約3000年前との説もあるが、数千ha程度の大規模な開墾跡の証拠があるのは、シエラ南部のアヤクーチョ盆地に栄えたワルパ文化(B.C.2〜A.D.5世紀ころ)の後期とその後のワリ文化(A.D.6世紀半ば〜9世紀ころ)の初期にまたがるA.D.5〜6世紀ころといわれている。

 

写真1 リマ州ララオス村のアンデネス
(提供:現地調査に同行された中道宏氏)
写真1 リマ州ララオス村のアンデネス

写真2 インカ時代のモライ円形農業試験場
標高3500mの試験場。高低差わずか30mに15℃の気温差があり、それを利用したさまざまな栽培試験がなされた。クスコ北西50kmのマチュピチ街道沿いに位置 (筆者撮影)
図4 自然と人為の境界に位置するSBシステム

 このワリ文化は、現在のボリビアとペルーとの国境に位置するチチカカ湖一帯に栄えた、ティワナク文化の影響を受けているといわれ、両文化とも「太陽の門」を神格化した神殿を有する、宗教的性格の強い都市文化であり、儀礼用の酒チチャの原材料となるトウモロコシが多く生産された。しかし、トウモロコシの生産には、主食のジャガイモよりも、多くの水が必要であったことから、水が乏しい山岳地帯では、わずかな降水でも土壌水分としての保持機能が優れ、水の反復利用も期待できるテラス状農地の技術革新が、このころに起こったのではないかといわれている。この時代のアンデネス開墾の動機が、ジャガイモなどの食料生産のためではなく、宗教的ニーズから生じ、後のインカ帝国の形成・宗教観にも大きな影響を及ぼしたとする考古学的見解は、大変に興味深い(関雄二、2012)。

(2)アンデネスの急速な拡大

 原因不明であるが、山岳系のワリ文化が崩壊した後、社会経済の中心は沿岸部に移り、モチェ王国(B.C.〜A.D.8世紀)が栄えた。ペルー沿岸は乾燥した砂漠が多いが、河口付近や渓谷の河川沿いには、後背地のアンデス山岳からの水が豊富だったことから、大規模な灌漑(かんがい)施設を備えた農業と沿岸部での漁労を基盤として発展した。その後、シカン王国(A.D.8〜14世紀)によって滅ぼされるが、そのシカンも、気候変動による洪水災害によって、都が破壊され滅びたとされる。

 このため、その後シカンを併合したチムー王国(A.D.9〜15世紀)は、気候変動リスクを分散させるため、とくに灌漑施設の整備の強化、中央集権的な食料再配分制度(いったん、都に集めてから地方に再配分する仕組)と、それを統治する出先機関の整備、拡充を強力に進めたとされる。このチムー王国も、15世紀にペルー南西部に台頭したクスコを都とする山岳系のインカ帝国によって滅ぼされた(関雄二、2012)。この時代には、沿岸地方を中心とした王国であったため、アンデネスの拡大はさほど見られず、アンデネスがペルー全土に急速に拡大するのは、インカ帝国の時代といわれている。なぜ、この時代なのだろうか。

 インカ帝国の形成過程は、依然として謎が多いが、第9代パチャクティ王が、それまでの「自然神(月・雷・地母神)」の信仰を、「太陽神」を核とする宗教に改革し、巨大な石の神殿や都市をクスコに建設したころから、軍事と高度な石工技術を持つ強靭(きょうじん)な国家に成長したとされる。インカ帝国の正式名称はケチュア語でタワンチン・スウユといい、「4つの地方からなる国土」という意味である。その首都クスコの都市構造は東西南北の4区画に分割されているが、その区画を背にして見た方角が征服された地方の方向と概ね一致していることから、この4つの区画法線上の方角が地方征服を展開していく際の政治的・宗教的な動機付けを伴った地理的羅針盤となったといわれ、15世紀に、北はエクアドル、南はチリ南部、東はボリビアまで拡大する。

 文字を持たずに、ここまで広大な文明を維持できた背景として、強大な軍事力や高度な技術に加え、それを支える独特の社会経済システムが存在した。それが、(1)山岳地帯に敷設された総延長4万kmのインカ道と宿場駅タンボの交通・情報インフラ整備、(2)スウユと呼ばれる地方統治機関、(3)アイユと呼ばれる農民共同体の土地制度やミタと呼ばれる賦役(ふえき)制度、(4)キープと呼ばれる10進法で計算する紐を使った納税・身分制度(食料・工芸品や身分などの国家管理)とされるが、それを維持するためには、山岳での食料増産が不可欠であった。しかし、山岳地帯は水が少なく急峻な地形であり、このことが、インカ時代に、水利用の最適化と土壌保全が可能なテラス状農地であるアンデネスの開墾が、全国に急速に拡大していった動機・要因であるとされている。


3.アンデネスの分布と気候との関係

(1)アンデネスの分布範囲と気候および地勢

 全国の山岳地帯に広がるアンデネスは、年間降水量200mm以上の地域で、海抜300〜4200mの山岳傾斜地に分布するが、ペルーの多様な気候や地勢・高度によって、主な栽培作物が異なってくるため、国連食糧農業機関(FAO)は、図1に示すように、6つの気候および地勢別に18の営農形態タイプに分類している。

 その区分は、I:北部、II:中央部、III:中央南部、IV:高原部、V:乾燥傾斜沿岸部、VI:湿潤傾斜東部で、3000m未満の傾斜地ではトウモロコシ・果樹・コムギ・野菜が生産可能であるが、3000m〜4000mでは冷涼な気候に強いイモ類、およびFAO統計ではヒエ・アワ類と同様に雑穀に分類されるキヌアなど、4000mを超えるとアルパカなどラクダ類飼育用の牧草しか生育しない環境下にある(FAO、2000年)。

図1 アンデネス分布(左)と気候地勢区分(右)
図1 アンデネス分布(左)と気候地勢区分(右)
(チリ『FAOアンデス食料・栄養政策報告書』より転記)


(2)ペルーの多様な気候による影響

 ペルーは赤道近くの熱帯にありながら、南極からのフンボルト寒流と5000m級の山脈により、88のミクロ気候帯が形成され、世界の気候タイプの7割がこのペルーにあるといわれている。この複雑な気候によるアンデネスへの影響について、夏(1月)と冬(7月)の典型的な気象現象メカニズムをもとに簡単に触れておく(図2)。

図2 ペルーの気象現象イメージ(筆者作成)
注):図中の実線は夏の動き、点線は冬の動き   
図2 ペルーの気象現象イメージ


 まず、夏であるが、赤道近くにある熱帯収束帯(赤道付近に形成される低気圧地帯)がペルー付近まで南下し、これが偏東風の影響で東部のセルバ熱帯雨林側からアンデス山脈に向けて、温かく湿った上昇気流を起こし、山脈の東・中央側に大量の雨をもたらすが、しばしば洪水にもなる。一方、山脈を西へ越えた気流は、フェーン現象で熱く乾燥した気流となり、山脈の太平洋沿岸側に降下することから、沿岸部側は日照りの続く乾期となる。このため、夏は、中央部・東部のアンデネスは土砂崩壊・土壌流出、沿岸部は高温障害・干ばつのリスクにさらされることになる。

 次に、冬だが、熱帯収束帯が北に移動し、偏東風も弱まる代わりに、冷たい南太平洋高気圧が西からアンデス山脈に向けて張り出すとともに、フンボルト寒流の勢いも強まることにより、太平洋で発散する水蒸気は冷たく、上昇気流の勢いも弱いものとなる。この水蒸気は雨雲を形成するまでに至らず、海抜800m程度の沿岸部に霧やガスとなって滞留し、曇天の日が続くため、沿岸部では日照不足と水不足のリスクが増す。また、弱いながらも、山脈を東へ越えた気流は冷たく乾燥していることから、中央・高原部では、冷たい晴天の日が続くことになり、放射冷却による霜害・冷温のリスクが増す。

 これに、エル・ニーニョやラ・ニーニャの気象イベントが加わると、影響はさらに複雑・悪化することになる。

4.アンデネスの構造と灌漑システム

 厳しい気象条件下にあるアンデネスを、インカは、技術的にどのように対処していたのだろうか。その技術と構造について見てみる。まず、一番の特徴として、インカ時代の高度な石工技術と灌漑技術が、随所で応用されている点である。農地の形状により、石垣で囲まれていて畑面はほぼ水平であるタイプ1、石垣はあるが畑面が傾斜しているタイプ2、簡易な土石や灌木で法面(のりめん)(水路の側面の斜面)保護をした傾斜タイプ3の3つに大別される。さらに、灌漑施設が整備されたタイプとそれがないタイプに分類される(図3)。

水平型アンデネス構造

図3 タイプ別のアンデネス構造(筆者作成)
左: タイプ1の水平型
下: タイプ2の傾斜型

水平型アンデネス構造

 タイプ1は、渓流取水からの導水路と一時貯留ため池、農地における砕石を利用した排水機能が具備されているものが多く、地表水と地下水を最大化して反復利用する高度な水管理技術を有していて、水を多く必要とするトウモロコシ・果樹・コムギ・野菜などが栽培できる。一方、タイプ2とタイプ3は灌漑施設がないものが多く、水を多く必要としないイモ類やキヌアしか栽培できない制約が生じる。

写真1 リマ州ララオス村のアンデネス 写真1 リマ州ララオス村のアンデネス
写真1 リマ州ララオス村のアンデネス 写真1 リマ州ララオス村のアンデネス
写真3 アンデネス灌漑施設(提供:DESCO)
左上:石垣越しの階段水路 左下:渓流取水の導水路
右上:一時貯留用小規模ため池 右下:石垣の排水孔

5.アンデネスの今日的課題

(1)耕作放棄が進むアンデネス

 アンデネスの開墾は、インカ時代には約百万haにも達したとされるが、表1に示すように、現在ではその約7割が放棄されて、原形の農地を留めているのは約34万haとなっている。しかも、ここ30年間、さらなる耕作放棄が増加傾向にあり、利用農地は約26万haまで減少している。

表1 アンデネスの賦存量(2012)
(ha %)    
表1 アンデネスの賦存量(2012)

 著しい減少の要因としては、(1)沿岸部を中心にペルー経済の急成長を背景として、沿岸平地部の大規模農業が進展する一方、アンデネスは条件不利な農地(傾斜地・小区画で作業効率が悪く、市場アクセスが困難など)であること、(2)貧困が多く、近代化資金の調達が困難であることに加え、(3)近年の気候変動によって、山岳地帯の積雪・氷河が溶けてしまい、水不足になる一方、洪水・冷害などの自然災害リスクが高まっていること、などが挙げられる。

(2)見直されるアンデネスの価値と対策

 このままアンデネスの耕作放棄を放置すれば、社会経済問題が生じるであろう。山岳地帯の貧困率は50%と、同国平均の30%と比して高く、生活の糧を基本的には自給的農業に委ねている世帯が多いことから、放置は都市部への貧困者の流入を助長し、社会問題化し治安の悪化にもつながるであろう。

 また、子供の栄養失調の割合も3人に1人と高く、食料安全保障も脅かされる。さらに、アンデネスの有する洪水緩和機能などが失われるとともに、世界的な歴史文化的遺産としての価値も喪失していく。

 このため、アンデネスの価値を再発見し、評価したうえで、早急に、保存や再生のための対策を講ずることが、世界的な視点からも重要である。

 米州開発銀行(IDB:Inter-American Development Bank)が、いち早くこの重要性に気付き、すでにアンデネスの賦存量・評価の調査、パイロット事業などの国際協力を行っている点を高く評価したい。

 2012年、ペルーより、このアンデネス再生のためのJICAの技術協力プロジェクト案件が要請されていて、今後、日本の棚田の技術・経験などを生かして、アンデネス再生に貢献できればと願う次第である。


6.おわりに

 アンデネスのようなテラス状農地の価値継承を世界的に広めるため、イタリアのNGO「国際傾斜地景観連盟」(ITLA: International Alliance for Terraced Landscapes)は、 2010年に中国の雲南省で開催された第一回国際大会を皮切りに、第二回国際大会を13年5月にインカの首都であったクスコ市で開催した。小職も参加し、棚田が日本の原風景としての多面的な価値を有していることや、それを保存・継承するための官民一体となった取組(中山間直接支払、棚田オーナー、グリーン・ツーリズムなど)を紹介し、その会議成果を取りまとめた書籍(英語・スペイン語)を出版した。

 また、2016年10月に第三回国際大会がイタリアのベーネト州で開催予定であり、日本・アジアの棚田も含む、テラス状農地に関する国際的な取組が、さらに発展していくことを期待したい()。

 

<主要引用文献>
1) Absalon Vasquez Villanueva: Manejo de Cuenca Altoandinas Tomo 2, pp.253-316(2000)
2)Mario E. Tapia: CULTIVOS ANDINOS SUBEXPLOTADOS Y SU APORTE A LA ALIMENTACION, Capitulo II, p24-29. FAO en Chile(2000)
3)J. Blossiers P., C. Deza P., B. Leon H. y R. Samane M.: Agricultura de Laderas a traves de Andenes - Peru, en Manual de Captacion y Aprovechamiento del Agua de Lluvia, pp. 195-216, TECNIDES (2009)
4)Aquilino Mejia Marcacuzco: EXPERIENCIA DE REHABILITACION DE ANDENERlAS EN ELVALLE DEL COLCAプレゼン資料, Desco(2011)
5)細谷広美(編著)、関雄二、山本紀夫:ペルーを知るための66章(第2版)、pp.55〜80、pp.213〜217(2012)

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